本当ならまとめて1話で書きたかったんですが余りにも長くなるため3話に分けての投稿です。
風紀委員会本部は、相変わらず整理整頓という概念から遠い場所だった。
新入部員勧誘週間が終わったとはいえ、その後始末は終わっていない。
むしろ、現場で騒ぎを収めるよりも、事後処理の方が面倒なのではないかと思えるほどだった。
報告書。
処分記録。
確認映像の整理。
委員長への提出用データ。
達也は端末の前に座り、無駄の多い記録を必要な項目だけに再構成していた。
そもそも、本来なら今日は非番である。
にもかかわらず、風紀委員会の事務処理能力が壊滅的であるという理由により、達也はこうして本部に詰めていた。
不本意だった。
かなり、不本意だった。
放課後は非公開資料の閲覧に使うつもりだった。
魔法工学の資料も、古式魔法関係のデータも、まだ確認したいものが山ほどある。
だが、現実は報告書の山である。
「……効率が悪い」
誰に聞かせるでもなく呟き、達也は処理済みのファイルを提出用フォルダへ送った。
その時だった。
端末の画面に、着信通知が表示された。
差出人は、総合カウンセラーの小野遥。
学校側の正式なサインが付いている。
つまり、単なる私信ではない。
達也は一瞬だけ眉を動かした。
無視はできない。
できないが、歓迎もできない。
摩利に断りを入れる手間を思うと、ただでさえ薄い気力がさらに削られる。
それでも達也は端末を操作し、最低限の返信を済ませた。
◇
「急に呼び出してごめんなさいね、司波君」
カウンセリング室に入るなり、小野遥は柔らかな笑顔でそう言った。
その笑顔だけを見れば、相手の緊張を解くための自然な対応に見える。
だが、達也はその笑みを額面通りには受け取らなかった。
「いえ。特に急ぎの用はありませんから」
返した言葉は礼儀正しい。
だが、そこに歓迎の色はない。
遥はそれを感じ取ったのか、少し困ったように笑った。
「高校生活にはもう慣れた?」
「いいえ」
即答だった。
遥の表情がわずかに止まる。
「……何か、困っていることがあるの?」
「想定外の出来事が多く、学業に専念できません」
達也の返答は淡々としていた。
その言葉に、遥は苦笑する。
「それは……なかなか大変ね」
「ええ」
会話は成立している。
だが、遥が望んだ形ではないのだろう。
彼女は少し姿勢を変えた。
相手の警戒心をほぐすように、声音をやわらげる。
「今日はね、少しお願いがあって来てもらったの」
「お願い、ですか」
「ええ。カウンセリング部の業務に協力してほしいの」
達也は黙って続きを待った。
遥は説明を始める。
新入生の精神的傾向。
社会情勢による生徒の意識変化。
魔法師候補生という特殊な立場。
その年ごとの変化を把握するため、一部の生徒に継続的なカウンセリングを受けてもらっていること。
言っていること自体に、不自然な点は少ない。
学校として必要な業務だと言われれば、確かにそうなのだろう。
だが、達也は説明を聞き終えると、短くまとめた。
「つまり、サンプルということですか」
遥の笑顔が、ほんの少し引きつった。
「言葉は悪いけど……そういう側面があるのは否定できないわ」
「協力すること自体は構いません」
「本当?」
「その程度のことであれば」
遥は少しほっとしたような顔をした。
しかし、達也は続けた。
「ただし、本当の目的も同じですか?」
沈黙。
ほんの短い間だったが、遥の表情が固まった。
「……本当の目的を隠しているように見える?」
「サンプルとして使うには、自分は少々特殊すぎます」
達也は感情を乗せずに告げた。
「二科生でありながら生徒会室に出入りし、風紀委員会にも所属している。新入部員勧誘週間では、複数のトラブルに関与しました。一般的な新入生の傾向を調べる材料としては、偏りが大きい」
「だからこそ、協力してほしいのよ」
遥はすぐに切り返した。
そのあたりは、さすがに用意していたのだろう。
「司波君は、一科生と二科生の壁を越えた最初の例になるかもしれない。もちろん、それが最後の例だとは限らないわ。だから、あなたのケースを把握しておくことには意味がある」
「なるほど」
達也は頷いた。
納得した、というよりは、それ以上この場で追及しても表向きの答えしか返ってこないと判断した頷きだった。
「では、質問をどうぞ」
「ありがとう」
遥は端末を操作し、準備していた質問を順に投げてきた。
学校生活への適応。
一科生との関係。
二科生として扱われることへのストレス。
風紀委員会に所属したことで生じた周囲との距離。
生徒会との関わり。
達也は必要な範囲で答えた。
嘘は言わない。
だが、余計なことも言わない。
遥は時折、確認するように相槌を打った。
カウンセラーとしては自然な反応だったが、その目はただの相談員のそれではなかった。
相手の言葉の選び方。
間の取り方。
表情の動き。
それらを注意深く観察している。
達也はそれを承知の上で、観察されるに任せていた。
やがて一通りの質問が終わる。
「……ありがとう。これだけストレス要因が重なっているのに、よく平静でいられるわね」
「医学的には珍しいのかもしれませんが、統計には例外がつきものです」
「可愛げのない返しね」
「よく言われます」
「そうでしょうね」
遥は苦笑した。
そこまでは、まだカウンセリングの範疇だった。
だが、彼女はそこで少しだけ言い淀んだ。
「ところで、これはカウンセリングとは直接関係ないのだけれど」
「何でしょう」
「二年の壬生さんに、交際を申し込まれたという話は本当?」
達也は、はっきりと呆れた顔をした。
「本当に関係ありませんね」
「相手が壬生さんだっていうから、少し気になって」
「デマです」
「デマなの?」
「デマですが、何か不都合でも?」
遥は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
それを見逃す達也ではない。
「その話は、どこから聞いたのですか?」
「守秘事項よ」
「そうですか」
達也はそれ以上、踏み込まなかった。
答えたくない相手から無理に聞き出すより、後で別の経路から確認した方が早い。
それに、今の反応だけで十分な情報でもあった。
沙耶香。
彼女の名前は、やはり無関係ではない。
「では、失礼します」
達也は立ち上がった。
「待って、司波君」
遥の声が背中にかかる。
「壬生さんのことで困ったことがあったら、いつでも相談してね」
その言葉は、ただの親切ではなかった。
困ったことが起こると、彼女は予測している。
あるいは、知っている。
達也は振り返らず、短く答えた。
「必要があれば」
そしてカウンセリング室を後にした。
◇
その日の夜。
司波家のリビングに、複数の資料が表示されていた。
夕食後の空気には不釣り合いな内容だった。
だが、達也はあえて深雪にも見える形で資料を開いた。
「お兄様」
深雪はテーブルの向こうから、少し不安げに画面を見た。
「わたしが拝見してもよろしい内容なのですか?」
「ああ。むしろ、早めに共有しておいた方がいい」
達也は音声コマンドで資料を呼び出す。
表示されたのは、反魔法活動を行う政治結社に関する情報だった。
「ブランシュ……」
深雪がその名を読み上げる。
「表向きは市民運動団体だ」
達也は言った。
「魔法による社会的差別の撤廃。それが彼らの掲げている名目だ」
「それ自体は、間違った理念ではないように思えます」
「そうだな」
達也は否定しなかった。
「理念だけなら、正しい。魔法が使えるかどうかで人間の価値が決まるべきではない。これは誰も否定しにくい」
「ですが、お兄様はその団体を警戒していらっしゃるのですね」
「ああ」
達也は資料の一部を拡大した。
そこには、過去に確認されたブランシュ関連の活動記録が並んでいた。
「彼らの厄介なところは、魔法そのものを正面から否定していない点にある」
「魔法そのものを、ですか?」
「そうだ。表向きは、魔法を否定しない。否定するのは、魔法による社会的な格差だと言う」
「……なるほど」
深雪は目を伏せた。
「だから、魔法科高校の生徒にも入り込めるのですね」
「その通りだ」
達也は淡々と続ける。
「魔法が嫌いな人間なら、魔法科高校には来ない。だが、魔法を学びたいのに評価されない人間ならいる。努力しても届かないと感じている者もいる。そういう人間にとって、“魔法による差別をなくす”という言葉は響く」
「でも、それは……」
深雪は言葉を探した。
「魔法を学ぶ努力そのものまで否定することになりませんか?」
「そこが矛盾だ」
達也は頷く。
「魔法は才能だけで扱えるものではない。訓練も、学習も、長い時間も必要になる。だが、彼らの主張はその努力を見ない。結果として生じた差だけを取り上げる」
深雪の表情が、少し険しくなった。
「才能ある者も、努力をしているのに」
「ああ」
達也の声は静かだった。
「だが、努力しても届かない側にとっては、それを認めるのが苦しい。相手も努力していると認めれば、自分が追いつけない理由を、才能差として受け入れなければならないからな」
「……」
「それに耐えられない者は、評価基準そのものを否定する。魔法の才能で評価されることが間違っている、と」
「壬生先輩も、そのように?」
「可能性の話だ」
達也は言った。
「彼女の不満は本物だろう。非魔法競技系クラブが軽視されているという感覚も、二科生として扱われることへの反発も、本人にとっては切実なものだと思う」
「ですが」
「その不満を利用している者がいるかもしれない」
深雪は静かに息を呑んだ。
「ブランシュが、壬生先輩を?」
「断定はしない」
達也は画面を閉じた。
「だが、校内に彼らの影があるなら、壬生先輩の件は無関係では済まない」
リビングに沈黙が落ちる。
深雪は兄の横顔を見た。
「お兄様は、どうなさるおつもりですか?」
「まずは様子を見る。彼女がどこまで自分の考えで動いているのか。それを確認しなければならない」
「危険ではありませんか?」
「危険かどうかは、相手次第だ」
「お兄様」
深雪の声が、少しだけ強くなる。
達也は苦笑した。
「心配しなくていい。無茶をするつもりはない」
「お兄様のそのお言葉は、あまり信用できません」
「……雄馬にも、似たようなことを言われたな」
達也がそう呟くと、深雪は昼間の廊下でのやり取りを思い出したように、わずかに目を伏せた。
「佐藤さんも、お兄様の行動をよく理解していらっしゃるようですね」
「不本意だ」
「ですが、間違ってはいないと思います」
深雪は静かに言った。
「佐藤さんも、壬生先輩の言葉に違和感を覚えていらっしゃいました。あの方は、魔法だけでは測れないものを知っているように見えます」
達也は否定しなかった。
「あの方は、魔法だけでは測れないものを知っているように見えます」
達也は否定しなかった。
佐藤雄馬という少年は、第一高校の評価軸から外れた場所に立っている。
魔法だけではない。
体術、剣、そして達也の知らない何か。
彼には、魔法師の世界に身を置きながら、魔法師の価値観に呑まれない視点がある。
それは、沙耶香の言葉を聞く上では役に立つかもしれない。
だが同時に、巻き込まれやすいということでもあった。
「……あいつにも、余計なことはするなと言っておくべきか」
「もう遅いのではありませんか?」
深雪が少しだけ微笑んだ。
達也は珍しく、返答に詰まった。
◇
一方その頃、雄馬は自宅のリビングで端末を眺めていた。
学校の一般公開情報。
非魔法競技系クラブの活動記録。
風紀委員会に関する噂。
一科生と二科生の間で交わされる匿名掲示板のような雑多な書き込み。
大した情報はない。
だが、大した情報がないからこそ、空気だけは分かる。
不満はある。
反感もある。
怒りもある。
ただし、その多くは曖昧だった。
誰が悪いのか分からないまま、何となく一科生が悪い、生徒会が悪い、風紀委員会が悪い、学校が悪いと流れていく。
雄馬は端末を閉じた。
「……やっぱ変だな」
背後から声がかかる。
「何が変なんだ?」
アキレウスだった。
片手に飲み物を持ったまま、ソファの背に肘を乗せている。
「学校の空気」
「空気?」
「不満があるのは分かるんだよ。二科生の扱いとか、実技指導の差とか、部活の評価とか。そこは納得できる」
雄馬は眉を寄せる。
「でも、怒り方が同じ方向を向き始めてる気がする」
「誰かが向けてるってことか?」
「たぶん」
アキレウスは笑みを消した。
いつもの軽い調子ではなく、戦場を見る時の顔に近い。
「火種がある場所に、誰かが息を吹きかけてるってわけだ」
「そんな感じだな」
雄馬は小さく頷いた。
そこへ、キッチンからエミヤが戻ってくる。
「何を見ていた」
「学校の噂とか、部活関係の書き込み。大したものじゃないけど」
「十分だ。大した情報ではないものほど、空気を見るには向いている」
「エミヤもそう思うか?」
「そうだな」
エミヤは端末の画面に軽く視線を落とした。
「不満は、自然に生まれる。だが、不満が同じ言葉を使い始めた時は注意した方がいい」
「同じ言葉?」
「そうだ。別々の人間が、別々の痛みから怒っているはずなのに、使う言葉だけが似てくる。そういう時は、誰かが言葉を配っている可能性がある」
雄馬は息を呑んだ。
それは、沙耶香の言葉に感じた違和感と同じだった。
怒りは本人のもの。
でも、怒りを形にする言葉が、本人だけのものに見えない。
「……やっぱりか」
「確証はない」
「分かってる。でも、可能性は上がった」
雄馬は端末をテーブルに置く。
「壬生先輩が何かに怒ってるのは本物だと思う。そこは疑わない。でも、それを誰かが利用してるなら、放っておくのは嫌だ」
エミヤはしばらく雄馬を見た。
「助けたいのか」
「分からない」
雄馬は正直に答えた。
「助けたいっていうより……あの人の言葉が、あの人のものじゃなくなるのが嫌なんだと思う」
「なら、見誤るな」
エミヤの声は静かだった。
「怒りを奪われた人間は、奪われたことに気づきにくい。自分の意思で動いていると思っているからだ」
「……面倒だな」
「人間の感情は、大抵面倒なものだ」
それは、どこか自嘲めいた言葉だった。
雄馬は椅子にもたれ、天井を見上げる。
魔法だけが全てではない。
その言葉は、まだ間違っているとは思えない。
だが、その言葉を盾にして誰かを憎ませるのなら。
その正しさは、簡単に刃へ変わる。
「火をつけてる奴がいる」
雄馬は小さく呟いた。
「まだ見えないけど、たぶんいる」
エミヤは何も言わなかった。
否定しない。
肯定もしない。
ただ、雄馬がその結論に辿り着いたことだけを見届けるように、静かに立っていた。
第一高校の中で燻る不満。
沙耶香の怒り。
達也が追っている何か。
そして、まだ名前も姿も見えない、火を煽る者。
雄馬は拳を握った。
次に沙耶香と会う時は、ただ話を聞くだけでは済まないかもしれない。
だが、それでも聞かなければならない。
彼女が本当は何に怒っているのか。
何を変えたいのか。
そして、その怒りを誰に預けてしまったのか。
夜の窓に映る自分の顔を見ながら、雄馬は静かに息を吐いた。
灰の下に残った火は、まだ消えていない。
誰かがそこへ息を吹きかけている。
その確信だけが、胸の奥で少しずつ熱を持ち始めていた。