これからぼちぼち投稿していこうと思いますのでよろしくお願いします。
七月三十一日。
夏休み。
学生にとって、これほど素晴らしい響きを持つ言葉もそう多くはないだろう。
授業はない。
朝早く起きる必要もない。
宿題さえ計画的に片付ければ、残りの時間は好きなことに使える。
もっとも、佐藤雄馬の場合、その自由時間の大部分は自主鍛錬に消えてしまうのだが。
それでも、学校へ通わなくてよいというのはありがたかった。
少なくとも、面倒な行事や人付き合いに時間を取られずに済む。
そのはずだった。
「……何で俺、夏休みに学校へ来てるんだろうな」
第一高校の廊下を歩きながら、雄馬は深いため息を吐いた。
手元の情報端末には、今朝届いたメッセージが表示されている。
差出人は七草真由美。
第一高校の生徒会長である。
内容は簡潔だった。
『九校戦に関してお話があります。午後一時に生徒会室まで来ていただけますか?』
それだけだ。
具体的に何の話なのかは書かれていない。
だが、雄馬には嫌な予感があった。
最近、妙に生徒会関係者と関わる機会が多い。
渡辺摩利との模擬戦。
ブランシュの襲撃事件。
風紀委員への勧誘こそ回避したものの、何故かその後も何かと目を付けられている気がする。
(……頼むから、面倒な役職だけは勘弁してほしいんだけどな)
そもそも、自分は二科生だ。
魔法実技の成績だって、決して優秀とは言えない。
九校戦に関わる理由など、本来ならないはずだった。
そんなことを考えているうちに、生徒会室へ到着する。
軽くノックをした。
「失礼します」
扉を開ける。
室内には、見慣れた顔が揃っていた。
七草真由美。
渡辺摩利。
市原鈴音。
そして、司波達也。
雄馬は一瞬だけ考えた。
このまま帰ってもいいだろうか、と。
「……雄馬」
達也が口を開いた。
「何だ?」
「扉を閉めるなら、入ってからにしてくれ」
「……顔に出てたか?」
「ああ」
どうやら考えていることが分かったらしい。
雄馬は諦めて室内へ入った。
「こんにちは、雄馬くん」
「こんにちは、七草先輩」
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ?」
「その言葉、最近信用できなくなってきたんですが」
「あら、ひどい」
真由美は口元へ手を当てて笑う。
全く傷ついていない様子だった。
その隣では摩利が呆れたように息を吐き、鈴音は黙々と端末を操作している。
雄馬は空いている椅子へ腰を下ろした。
「それで、九校戦の話というのは?」
「単刀直入に言おう」
摩利が答えた。
「雄馬君には、男子新人戦モノリス・コードの補欠として同行してもらうことになった」
「…………はい?」
雄馬は目を瞬かせた。
聞き間違いだろうか。
そう思って摩利を見たが、彼女は至って真面目な顔をしていた。
「……俺が?」
「ああ」
「モノリス・コードの?」
「そうだ」
「補欠?」
「何度も言わせるな」
どうやら聞き間違いではないらしい。
雄馬は黙って天井を見上げた。
(……何でこうなった?)
自分は九校戦の代表選手を目指していたわけではない。
むしろ、あまり関わりたくなかった。
友人たちの応援ならする。
達也たちが頑張っている姿を見れば、それなりに嬉しいとも思う。
だが、それと自分が大会関係者になることは別問題だった。
「……ちなみに、辞退は?」
「できなくはないわよ」
真由美が笑顔で答えた。
「ただ、現状では雄馬くんにお願いするのが一番都合がいいの」
「その言い方、断りづらいですね……」
「そう?」
「そうです」
雄馬は深いため息を吐いた。
そこで鈴音が端末を置いた。
「誤解のないように申し上げますが、雄馬さんに通常の選手と同じ役割を期待しているわけではありません」
「……と、言いますと?」
「今回の登録は、あくまで万が一に備えたものです」
鈴音は淡々と説明を始めた。
「モノリス・コードは三人一組の団体競技です。試合に出場する選手たちは、既にチームとしての調整を進めています」
「はい」
「ですから、今から雄馬さんを練習へ加える予定はありません」
「……え?」
雄馬は顔を上げた。
今、何か非常に重要な言葉が聞こえた気がした。
「練習には参加しなくていいんですか?」
「ええ」
「実技の調整とかも?」
「必要ありません」
「連携練習も?」
「行いません」
「……本当に?」
「何度確認されても同じです」
鈴音の声は平坦だった。
しかし、雄馬にとっては何よりありがたい説明だった。
「……なるほど」
ようやく事情が見えてきた。
既存のチームは既に出来上がっている。
そこへ今更、実技成績に問題のある二科生を入れたところで、かえって連携を乱す可能性がある。
ならば、通常の選手たちは予定通り練習を続ける。
自分は補欠として名前だけ登録され、何かあった場合に備える。
そういうことらしい。
「具体的には何をすればいいんですか?」
「現地で行われる競技説明と作戦会議のうち、必要なものに出席してもらう」
摩利が答えた。
「そこで競技規則、チームの基本方針、選手の役割を把握してくれればいい」
「……それだけですか?」
「それだけだ」
「本当に?」
「雄馬君」
「はい」
「そんなに練習したくないのか?」
摩利が半眼になった。
雄馬は少し考えた。
「……競技の練習なら、正直あんまり」
「ほう」
「だって、今から練習に参加したところで、俺が他の選手の邪魔になるだけでしょうし」
「…………」
「それに、モノリス・コードって個人で勝手に動く競技じゃないですよね。だったら今から俺を入れるより、既存の三人で連携を固めた方がいいと思います」
摩利は黙った。
真由美も少し意外そうな顔をしている。
雄馬は首を傾げた。
「……何か変なこと言いました?」
「いや」
摩利は小さく息を吐いた。
「むしろ、こちらの考えと一致している」
「なら良かったです」
「ただし」
その言葉に、雄馬は嫌な予感を覚えた。
「万が一、出場が必要になった場合は対応してもらうぞ」
「……それは補欠ですからね」
雄馬は素直に頷いた。
補欠として登録される以上、必要になれば出場しなければならない。
それくらいは理解している。
ただ、その必要がなければ何もしなくていい。
そういう立場なら、特に不満はなかった。
「分かりました。補欠で構いません」
「ありがとう、雄馬くん」
真由美が嬉しそうに笑った。
「じゃあ、明日の集合時間と場所はあとで送るわね」
「了解です」
雄馬は立ち上がった。
ようやく解放される。
そう思ったところで、隣にいた達也と目が合った。
「……司波」
「何だ」
「お前、最初から知ってたな?」
「ああ」
「教えてくれてもよかっただろ」
「俺が話すことではないと思った」
「……まあ、それはそうだけどさ」
雄馬は小さく肩をすくめた。
そして、生徒会室を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇
その日の夕方。
佐藤家のリビングでは、雄馬が九校戦への参加を報告していた。
「九校戦?」
最初に反応したのはクー・フーリンだった。
「何だそりゃ。学校同士で戦うのか?」
「まあ、そういう大会だな」
「へえ。面白そうじゃねえか」
クー・フーリンは楽しそうに笑った。
「で、お前も出るのか?」
「一応、補欠としてな」
「補欠?」
「何かあった時の代わりってこと」
「……ああ、そういうことか」
そこへアキレウスが口を挟んだ。
「で、どんな戦いをするんだ?」
「魔法を使った競技だよ」
「素手は?」
「基本的に使わない」
「槍は?」
「使わない」
「剣は?」
「使わない」
アキレウスは黙った。
「……何がおもしれえんだ、それ?」
「だから俺に聞くなって」
雄馬は呆れたように答えた。
そのやり取りを聞いていた沖田総司が、小さく笑う。
「でも、雄馬さんが大会に呼ばれるなんて凄いじゃないですか」
「別に実力を認められたってわけでもないと思うけどな」
「そうですか?」
「魔法の大会だぞ? 正直、俺より向いてる奴なんていくらでもいる」
自分の魔法実技が優秀でないことは、雄馬自身が一番よく理解している。
強化魔術や投影魔術といった魔術は扱える。
十年間の鍛錬によって、身体能力や武術も相応に向上した。
だが、九校戦はそうした能力を競う大会ではない。
少なくとも、自分が普段行っている戦い方をそのまま持ち込める場所ではなかった。
「だから、今回は見学みたいなもんだよ」
「見学、ですか」
ジャンヌが微笑んだ。
「それなら、良い機会かもしれませんね」
「良い機会?」
「ええ。雄馬さんは、これまで私たちとの鍛錬に多くの時間を使ってきましたから」
雄馬は黙って続きを待つ。
「同年代の方々が、どのような魔法を使い、どのように協力しているのか。そうしたことを知るのも、きっと勉強になると思います」
「……なるほど」
それは確かにそうだった。
雄馬の戦闘経験は、基本的に英霊たちとの模擬戦によって積み上げられている。
当然ながら、相手は常識外れの存在ばかりだ。
普通の高校生がどのような戦術を用い、どの程度の魔法を扱うのか。
実際のところ、詳しく知っているわけではない。
「まあ、見て覚えるのも悪くないか」
「そういうことだ」
エミヤがキッチンから顔を出した。
「それで、明日の準備は済ませたのか?」
「……これから」
「着替えは?」
「これから」
「荷物の整理は?」
「……これから」
エミヤが無言でこちらを見つめた。
「…………」
「…………」
「今からやります」
「よろしい」
雄馬は素直に立ち上がった。
その背中へ、アキレウスの笑い声が響く。
「ははは! 相変わらずアーチャーには頭が上がらねえな!」
「うるせえ」
雄馬は振り返らずに答えた。
◇◆◇◆◇◆◇
八月一日。
九校戦への出発当日。
第一高校の正門付近には、大型バスと複数の作業車両が並んでいた。
選手。
作戦スタッフ。
技術スタッフ。
それぞれが役割を持ち、大会へ向けた準備を進めている。
雄馬は指定された時間に到着し、乗車確認を済ませていた。
「……暑いな」
空を見上げる。
雲一つない青空。
容赦なく照りつける日差し。
ただ立っているだけでも汗が流れてくる。
「……何でまだ出発しないんだ?」
既に予定時刻を過ぎていた。
だが、車列が動き出す気配はない。
周囲を見れば、他の生徒たちも手持ち無沙汰な様子だった。
「七草会長を待っているんだ」
横から声がした。
振り向くと、司波達也が端末を片手に立っていた。
「司波」
「ああ」
「会長?」
「家の事情で遅れるそうだ」
「ああ……なるほど」
雄馬は納得した。
七草家といえば、十師族の一つだ。
いくら真由美が高校生とはいえ、家の用事があるのも不思議ではない。
「お前、ずっとここに立ってるのか?」
「乗車確認が終わっていないからな」
「……大変だな」
「仕事だからな」
「真面目だねぇ」
雄馬は小さく笑った。
達也は特に反応せず、端末へ視線を戻す。
それから、思い出したように口を開いた。
「そういえば、補欠登録されたそうだな」
「ああ」
「練習には参加するのか?」
「しない」
雄馬は即答した。
「俺は競技内容とか作戦の説明を聞くだけ。実技練習は正規の選手たちでやるんだとさ」
「合理的だな」
「だろ?」
「今から連携を作り直すより、既存のチームを維持した方がいい」
「俺もそう思う」
雄馬は頷いた。
「そもそも俺、魔法の競技に向いてるとは思えないし」
「……そうか?」
「お前がそれを言うか?」
雄馬は呆れたように達也を見る。
「少なくとも、お前より競技用魔法の扱いは下手だと思ってるぞ」
「競技によるだろう」
「いや、どう考えてもお前の方が向いてるだろ」
達也は答えなかった。
雄馬も、それ以上追及する気はなかった。
そして。
「ごめんなさーい!」
遠くから声が響いた。
二人が顔を向けると、七草真由美がこちらへ駆けてきていた。
その姿を見た雄馬は、何とも言えない表情になる。
「……ようやくか」
達也は無言で端末に最後のチェックを入れた。
◇◆◇◆◇◆◇
結局、出発は予定より一時間半ほど遅れた。
雄馬は大型バスへ乗り込み、空いている席へ腰を下ろした。
技術スタッフである達也は、別の作業車両に乗っている。
こちらのバスにいるのは、基本的に選手たちだった。
雄馬も補欠とはいえ選手登録されているため、こちらへ乗ることになっている。
「……まあ、楽でいいか」
雄馬はシートへ背中を預けた。
窓の外では、第一高校の校舎がゆっくりと遠ざかっていく。
これから九校戦の会場へ向かう。
正直、実感はあまりなかった。
大会に参加するとはいっても、出場する予定はない。
競技説明を聞き、必要な作戦会議に顔を出し、あとは選手たちを応援する。
そんなところだ。
少し離れた席では、深雪とほのか、雫が話をしていた。
そのさらに前方では、真由美が何やら服部を相手に楽しそうに会話している。
雄馬はその光景を眺めながら、小さく息を吐いた。
(……平和だなぁ)
そう思った。
つい先日までブランシュの事件があったとは思えないほど、車内には穏やかな空気が流れている。
少なくとも、今のところは。
雄馬は窓の外へ視線を向けた。
九校戦。
原作を知っている自分にとって、その名前はそれなりに印象深い。
司波達也が技術スタッフとして活躍し、深雪たちが競技で実力を見せる。
そして、様々な事件が起こる大会だったはずだ。
だが。
(……細かいところまでは覚えてないんだよな)
前世の記憶があるからといって、読んだ作品の全てを暗記しているわけではない。
大きな出来事は覚えている。
しかし、日付や順序、細かな事情までは曖昧だった。
何より、この世界には自分が存在している。
その時点で、原作と全く同じ未来が続く保証などなかった。
(まあ、司波がいるし大丈夫だろ)
そう考えて、雄馬は目を閉じた。
大会まではまだ時間がある。
少しくらい休んでも問題ないだろう。
そう思ったのだが。
「危ない!」
突然、車内に鋭い声が響いた。
雄馬は即座に目を開けた。
◇◆◇◆◇◆◇
声の主は、千代田花音だった。
周囲の生徒たちが一斉に窓の外へ顔を向ける。
雄馬もそちらを見た。
対向車線。
一台の大型オフロード車が、明らかに異常な動きをしていた。
車体が傾き、路面へ火花を散らしている。
「……パンクか?」
誰かが呟いた。
雄馬は目を細めた。
確かに、タイヤに異常が起きているように見える。
だが、それだけではない。
車体の挙動がおかしかった。
普通なら、そのまま路肩へ寄るか、ガード壁へ衝突して止まる。
しかし。
(……何だ?)
違和感があった。
その直後。
大型車が激しく回転した。
ガード壁へ衝突する。
そして。
「――っ!」
車体が跳ね上がった。
まるで何かに弾き飛ばされたかのように、巨大な車が宙を舞う。
対向車線を越え、こちらへ向かって飛んできた。
悲鳴が上がる。
バスに急ブレーキが掛かった。
身体が前方へ引っ張られる。
雄馬は反射的に座席の縁を掴み、姿勢を保った。
その横で、シートベルトを十分に締めていなかった生徒が前方へ投げ出されかける。
「危ない!」
雄馬は腕を伸ばした。
生徒の肩を掴み、その身体を座席へ引き戻す。
瞬間的に腕へ魔力を流す。
強化魔術。
筋肉と関節を補強し、急制動による衝撃を受け止める。
「ベルトを締めろ!」
「は、はい!」
生徒が慌ててベルトを締め直した。
それを確認し、雄馬は再び前方へ視線を向ける。
道路へ叩きつけられたオフロード車は、炎を上げながら滑ってきていた。
(……まずいな)
避けられない。
少なくとも、普通の車両なら確実に衝突する距離だった。
だが、このバスに乗っているのは魔法科高校の生徒たちだ。
当然、ただ見ているだけではない。
「止まれ!」
「吹き飛べ!」
「消えて!」
複数の声が重なった。
同時に、魔法が発動する。
しかし。
(……あ)
雄馬は眉をひそめた。
魔法の運用に関しては、彼は決して優秀ではない。
それでも、今起きていることが危険だという程度は理解できた。
異なる魔法が、同じ対象へ向けて一斉に使われている。
止めようとする魔法。
吹き飛ばそうとする魔法。
進路を変えようとする魔法。
それぞれの目的は事故を防ぐことだろう。
だが、その効果が互いを妨げれば、かえって状況は悪化する。
「やめろ!」
摩利の声が響いた。
しかし、既に複数の魔法式が構築され始めている。
雄馬は歯を食いしばった。
(……俺にできることは?)
強化魔術。
投影魔術。
縮地。
どれも、この状況には向いていない。
剣で車を切ったところで、その質量が消えるわけではない。
槍で弾き飛ばせるような相手でもない。
何より、ここは多くの人間が乗ったバスの中だ。
下手に動けば、かえって被害を増やしかねない。
(……くそっ)
自分では止められない。
その事実を、雄馬は冷静に認めた。
そして、周囲の乗客へ目を向ける。
自分にできるのは、万が一の衝撃に備えて近くの生徒を守ることだけだ。
身構える。
その時。
「わたしが火を!」
凛とした声が響いた。
司波深雪だった。
彼女が魔法を発動する。
その直前。
車外へ向かっていた魔法的な反応が、唐突に消えた。
「……?」
雄馬は目を瞬かせた。
何が起きたのかは分からない。
ただ、さっきまで存在していた乱雑な魔法の気配が、一瞬で失われたことだけは理解できた。
次の瞬間、深雪の魔法が発動する。
炎が消えた。
燃え上がっていた車体から熱が奪われ、火だけが瞬時に失われていく。
その鮮やかな魔法に、雄馬は思わず息を呑んだ。
(……すげえ)
だが、まだ終わりではない。
車は依然としてこちらへ滑ってきている。
そして。
十文字克人が動いた。
魔法が発動する。
直後、巨大な車体が見えない壁へ叩きつけられた。
激しい衝突音。
潰れる車体。
飛び散る破片。
しかし、それらがバスへ届くことはなかった。
完全に停止していた。
「…………」
雄馬は、しばらくその光景を見つめていた。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……助かった」
それが、率直な感想だった。
自分にはどうにもできなかった状況を、深雪と十文字は解決してみせた。
しかも、ほんの僅かな時間で。
(……やっぱり、すごいな)
英霊たちとは違う。
剣や槍を使うわけでもない。
純粋に魔法という技術だけで、あれほどの結果を生み出している。
それが、この世界の魔法師だった。
雄馬は改めて、自分がまだ知らないものの多さを実感していた。
◇◆◇◆◇◆◇
事故の後、車列は路肩へ停車した。
関係者による状況確認が進められ、乗客たちの無事が確認される。
幸い、バスに乗っていた生徒たちに大きな怪我はなかった。
雄馬も、自分が支えた生徒に異常がないことを確認していた。
「……佐藤」
声を掛けてきたのは服部だった。
「はい?」
「先ほどは、近くの生徒を助けていただろう」
「ああ、はい」
「よく気がついたな」
「目の前にいたので」
雄馬は肩をすくめた。
「それくらいしかできませんでしたけどね」
「……そうか」
服部は少し考えるような表情になった。
それ以上、何も言わなかった。
入れ替わるように摩利が近づいてくる。
「雄馬君」
「はい」
「怪我はないな?」
「ありません」
「そうか」
摩利は短く頷いた。
そして、少しだけ表情を和らげた。
「近くの生徒を支えていたそうだな」
「まあ、はい」
「適切な判断だったと思う」
「……ありがとうございます」
雄馬は少し照れくさそうに頭を下げた。
だが、すぐに窓の外へ視線を向ける。
事故車両は既に安全確認が進められていた。
その姿を見ながら、雄馬は小さく呟く。
「……それにしても、おかしいですね」
「何がだ?」
「車の飛び方です」
摩利が眉を上げた。
「飛び方?」
「はい。あの車、ガード壁にぶつかったあと、妙な方向へ跳ねたんです」
「……」
「普通なら、あんな風に飛び越えるかなって」
雄馬は首を傾げた。
自分は車両事故の専門家ではない。
だから、断定はできない。
だが、あの動きには違和感があった。
そして、何かを見落としている気もした。
「……気のせいかもしれませんけど」
「いや」
摩利は静かに答えた。
「覚えておこう」
「お願いします」
雄馬はそれだけ言って、会話を終えた。
これ以上は自分の領分ではない。
少なくとも、今のところは。
◇◆◇◆◇◆◇
それからしばらくして。
安全確認のため、車外へ出ることを許された雄馬は、作業車両の近くに達也の姿を見つけた。
「司波」
「雄馬か」
「そっちは大丈夫だったか?」
「ああ。機材に問題はない」
「そりゃ良かった」
雄馬は小さく笑った。
そして、少しだけ声を落とす。
「……なあ」
「何だ?」
「さっきの事故、どう思う?」
達也は答えなかった。
代わりに、雄馬を見た。
「何か気になることがあるのか?」
「車の動きが妙だった」
「……そうか」
「まあ、俺の勘違いかもしれないけどな」
雄馬は肩をすくめた。
「普通の事故にしちゃ、ちょっと都合よく飛んできた気がして」
達也は黙っていた。
表情から何を考えているのかは分からない。
ただ、その視線が一度だけ事故車両へ向いた。
「……よく見ていたな」
「たまたまだよ」
「そうか」
そこで会話が途切れる。
雄馬も、それ以上追及するつもりはなかった。
そもそも、原作の知識を思い返せば、九校戦の期間中には何かしらの事件があったはずだ。
今回の事故も、その一つなのだろう。
しかし。
(……俺が首を突っ込む必要はないよな)
達也がいる。
十文字もいる。
真由美や摩利だっている。
自分より遥かに、この世界の魔法や社会情勢に詳しい人間たちだ。
彼らが何かに気づいているなら、それでいい。
自分が余計なことをする必要はない。
「じゃ、俺は戻るわ」
「ああ」
雄馬は軽く手を振った。
その背中へ、達也が声を掛ける。
「雄馬」
「ん?」
「先ほどの対応は悪くなかった」
雄馬は少しだけ目を瞬かせた。
それから、小さく笑う。
「……お前に褒められると、何か妙な気分だな」
「そうか?」
「そうだよ」
そう答えて、雄馬は歩き出した。
◇◆◇◆◇◆◇
その日の夜。
九校戦の宿舎へ到着した雄馬は、割り当てられた部屋で荷物を整理していた。
移動中に事故が起きた影響で、予定より到着が遅れている。
さすがに少し疲れた。
「……初日からこれかよ」
雄馬はベッドへ腰を下ろした。
窓の外には、夜の景色が広がっている。
九校戦の会場。
これから数日間、多くの魔法科高校生たちが競い合う場所だ。
だが、雄馬にとっては、それほど特別な意味を持つ場所でもなかった。
自分は補欠。
練習に参加する必要はない。
試合へ出る予定もない。
必要な説明を聞き、競技の流れを把握しておけばいい。
それだけの話だった。
(……それにしても)
雄馬は昼間の出来事を思い返した。
司波深雪。
十文字克人。
二人が見せた魔法は、実に見事だった。
少なくとも、自分には真似できない。
同じ状況で槍を持っていたとしても、何もできなかっただろう。
だからこそ、改めて思う。
(……この世界の魔法師って、やっぱりすごいんだよな)
自分は十年間、英霊たちから様々な技術を学んできた。
剣術。
槍術。
格闘術。
そして魔術。
その成果には、それなりの自信がある。
だが、それはこの世界の魔法師として優れていることと同義ではない。
得意な分野が違う。
戦い方が違う。
できることも、できないことも違う。
今回の事故は、その事実を嫌というほど教えてくれた。
「……まあ、だからどうしたって話だけどな」
雄馬は小さく笑った。
他人にできることを、自分も全てできる必要はない。
自分には自分のやり方がある。
できないことを無理にしようとして、周囲へ迷惑を掛ける方がよほど問題だ。
少なくとも、今の雄馬はそう考えていた。
その時。
情報端末が短く振動した。
「……ん?」
画面を見る。
渡辺摩利からのメッセージだった。
『明日の予定を送る。確認しておいてくれ』
雄馬は添付された予定表を開いた。
そこには、選手たちの練習時間と、作戦会議の予定が記されている。
そして、雄馬の名前には別の指示が付けられていた。
『佐藤雄馬:補欠。実技練習への参加は不要。午前十時の競技説明に出席すること』
「……おお」
雄馬は思わず声を漏らした。
本当に練習へ参加する必要はないらしい。
ただし、競技説明には出席しなければならない。
そこでは、モノリス・コードの基本的な規則や、チームの作戦について説明される予定だった。
雄馬に求められているのは、その内容を把握しておくこと。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……いいじゃん」
実にありがたい。
そう思っていると、追加のメッセージが届いた。
『なお、説明会中は居眠りをしないように』
「…………」
雄馬は無言で画面を見つめた。
それから、小さく呟く。
「……そんなに信用ないか、俺」
残念ながら、返事はなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
翌朝。
八月二日。
九校戦の会場では、各校の選手たちが大会へ向けた調整を進めていた。
第一高校の選手たちも例外ではない。
競技ごとの練習。
CADの調整。
魔法の発動確認。
チーム内での連携。
それぞれが自分の役割を果たしている。
そんな中、佐藤雄馬は。
「……ふぁぁ」
宿舎の廊下を歩きながら、小さく欠伸をしていた。
時刻は午前九時五十分。
これから午前十時の競技説明に出席する予定だ。
他の選手たちは既に練習を始めているらしい。
だが、雄馬にはその予定がない。
あくまで補欠だからだ。
そのため、朝食を済ませたあとは部屋で時間を潰していた。
「……やっぱ、補欠って楽だな」
そんなことを呟きながら、指定された会議室へ向かう。
扉を開けると、室内には既に数名の生徒がいた。
その中に、達也の姿もある。
「おはよう、司波」
「ああ」
「お前も説明会?」
「技術スタッフとして参加する」
「なるほど」
雄馬は空いている席へ腰を下ろした。
机の上には、モノリス・コードに関する資料が用意されている。
競技規則。
チーム構成。
会場の地形条件。
役割分担。
そして、競技中の注意事項。
雄馬は資料を一通り眺めた。
(……ふむ)
モノリス・コードは三人一組の競技。
相手チームのモノリスからコードを取得するか、相手選手を戦闘不能にすれば勝利となる。
当然ながら、魔法の使い方や立ち回りが重要になる。
だが、実際の試合では地形やチームワークも大きく影響するらしい。
「……面白い競技だな」
思わず呟く。
すると、隣にいた達也が視線を向けた。
「興味があるのか?」
「まあ、少しは」
雄馬は頷いた。
「こういうルールの中で戦う経験って、俺にはないからな」
「そうだろうな」
「普通の戦いと違って、勝利条件がはっきりしてるのが面白い」
雄馬は資料へ視線を戻す。
例えば、相手を倒さなくても勝てる。
逆に、相手を倒すことに集中しすぎれば、本来守るべきモノリスを奪われる可能性がある。
純粋な強さだけでは勝てない。
だからこそ、戦術が重要になる。
(……なるほどね)
興味深い。
しかし。
(……俺が出る必要はないな)
雄馬はあっさりと結論付けた。
正規の選手たちは、この競技に向けて練習を重ねている。
自分が今から混ざったところで、彼ら以上にうまく戦えるとは思えない。
それなら、予定通り補欠として控えている方がいい。
そう考えていると、摩利が会議室へ入ってきた。
「全員揃っているな」
室内の視線が集まる。
摩利は資料を確認し、説明を始めた。
雄馬も姿勢を正して耳を傾ける。
話の内容は、競技の基本規則と今後の予定についてだった。
正規選手たちは、これまで通り調整を続ける。
技術スタッフはCADの管理と調整を担当する。
作戦スタッフは対戦相手の情報収集と戦術の検討を行う。
そして、補欠選手である雄馬には、必要な情報を共有する。
それだけだった。
雄馬に実技練習への参加を求める言葉はない。
新たな訓練を課されることもない。
当然、チームの作戦へ積極的に口を出す必要もなかった。
ただ、説明を聞く。
必要な内容を覚える。
それが今回の役割だった。
「以上だ。何か質問は?」
摩利が室内を見渡す。
雄馬は特に手を挙げなかった。
説明は十分に理解できた。
分からないことも、今のところはない。
「では解散。選手は予定通り練習へ戻ってくれ」
摩利の言葉を合図に、生徒たちが立ち上がる。
雄馬も資料をまとめて席を立った。
「雄馬君」
「はい?」
摩利が声を掛けてくる。
「君はこのあとの練習には参加しなくていい。必要なことがあれば連絡する」
「了解です」
「……ずいぶん嬉しそうだな」
「気のせいです」
「そうか?」
「そうです」
雄馬は真顔で答えた。
摩利は小さくため息を吐く。
「まあ、いい。何もなければ自由にしていて構わん」
「ありがとうございます」
雄馬は軽く頭を下げた。
そして会議室を後にする。
廊下へ出たところで、達也と並んだ。
「……司波」
「何だ?」
「補欠って、思ったより暇だな」
「本来、何も起こらなければそれでいい立場だからな」
「だよな」
雄馬は小さく笑った。
「できれば、最後まで何もないといいんだけど」
「……そうだな」
達也は短く答えた。
その反応に、雄馬は僅かに眉を上げる。
だが、何も言わなかった。
昨日の事故。
あの不自然な車の動き。
そして、原作の記憶。
それらを思い返せば、九校戦が何事もなく終わるとは考えにくい。
それでも。
(……俺の出番なんて、ない方がいいだろ)
雄馬はそう思った。
補欠とは、誰かが出場できなくなった時に必要になる存在だ。
ならば、自分が出場することにならない方がいい。
正規の選手たちが無事に競技を終え、第一高校が良い結果を残す。
それが一番だ。
「じゃ、俺は部屋に戻るわ」
「ああ」
「お前も仕事、頑張れよ」
「お前は休むのか?」
「そりゃ、練習に参加しなくていいんだからな」
雄馬は当然のように答えた。
「せっかくだし、少しのんびりさせてもらうさ」
そう言って軽く手を振る。
達也はその背中を見送りながら、僅かに目を細めた。
佐藤雄馬。
実戦で見せる能力は高い。
だが、それを誇示しようとはしない。
必要とされれば動く。
必要とされなければ、何もしない。
その判断に迷いがない。
妙な男だ。
少なくとも、目立ちたがる人間ではないらしい。
もっとも。
本人が望まないからといって、必ずしも平穏に過ごせるとは限らない。
それは達也自身が、よく知っていることだった。
◇◆◇◆◇◆◇
宿舎へ戻った雄馬は、ベッドへ腰を下ろした。
端末には、今後の予定が表示されている。
競技説明。
作戦会議。
必要に応じた連絡。
それ以外は、基本的に自由時間。
「……悪くないな」
雄馬は小さく笑った。
もっとも、暇だからといって何もしないわけではない。
家にいれば、自主鍛錬をしていただろう。
だが、ここは九校戦の宿舎だ。
英霊たちもいない。
槍も剣も持ってきていない。
つまり、いつもの鍛錬はできない。
「……たまには休むか」
そう呟いて、雄馬はベッドへ身体を預けた。
天井を見上げる。
窓からは、夏の日差しが差し込んでいた。
外では、選手たちが練習に励んでいる。
達也も技術スタッフとして忙しく働いているのだろう。
それに対して、自分は補欠。
何かあった時に備えるだけの立場だ。
ならば、今はその役割に徹すればいい。
(……頼むから、何も起きないでくれよ)
心の中で、そう願う。
しかし。
昨日の交通事故が、単なる偶然ではなかったとすれば。
この大会には、既に何者かの思惑が絡んでいることになる。
そして、九校戦はまだ始まってすらいない。
佐藤雄馬は目を閉じた。
自分が表舞台へ立つことなど、考えていなかった。
できることなら、このまま補欠として大会を終えたい。
友人たちを応援し、競技を観戦し、何事もなく家へ帰る。
それで十分だった。
だが、彼が望む平穏が最後まで続くかどうかは、まだ誰にも分からなかった。