人間関係というものは、魔法ほど単純ではない。
魔法であれば、起動式を構築し、魔法式を発動させ、対象となる事象に干渉する。もちろん、その過程には膨大な理論と技術が必要になるが、少なくとも結果が伴わなければ何かが間違っていると判断できる。
しかし、人間は違う。
正しいことを言えば納得してもらえるとは限らず、間違ったことをしたからといって必ず嫌われるわけでもない。
同じ言葉を口にしても、相手によって受け取り方が異なる。
ましてや、最初から相手に好意を持たれていない場合、事情はさらに複雑になる。
佐藤雄馬は、そのことを入学してからの数か月で嫌というほど思い知らされていた。
そして、八月二日。
九校戦の開幕を翌日に控えたこの日、雄馬は改めてその難しさを実感することになる。
◇◆◇◆◇◆◇
午前九時五十五分。
第一高校の宿泊施設に設けられた会議室へ入った雄馬は、思っていたよりも早く到着してしまったことに気づいた。
集合時間は午前十時。
まだ五分ほど余裕がある。
室内では数人の男子生徒が端末を広げ、何やら話し合っていた。
モノリス・コードの出場選手たちである。
雄馬はその集団へ軽く目を向けたが、すぐに空いている席を探した。正規選手たちが作戦の確認をしているのなら、わざわざ割り込んで話しかける必要もないだろう。
そう考えて後方の席へ向かいかけた時だった。
「……あの、ちょっといいか?」
声を掛けられ、雄馬は足を止めた。
「ん? 俺?」
「ああ。ここ、モノリス・コードの関係者用の会議室なんだけど」
話しかけてきたのは、一年生と思しき男子生徒だった。
初めて見る顔である。
相手も雄馬に見覚えがないらしく、困惑した様子でこちらを見ていた。
「ああ、うん。場所は合ってると思うけど」
「いや、そうじゃなくて……君も関係者なのか?」
「一応な。補欠として登録されてるから、今日は説明を聞くように言われてるんだ」
「補欠?」
男子生徒は意外そうに目を瞬かせた。
「……名前、聞いてもいいか?」
「佐藤雄馬。一年E組だよ。そっちは?」
「俺は一年A組だけど……」
そこまで答えたところで、相手の表情が変わった。
「……E組?」
「ああ」
「それって、二科生のクラスだよな?」
言葉そのものは、単なる確認だった。
だが、その声音には明らかな戸惑いがあった。
雄馬は小さく息を吐いた。
(……まあ、そうなるよな)
別に珍しい反応ではない。
第一高校には、一科生と二科生という区分が存在する。
入学試験の実技成績を基準に振り分けられた二つの課程。制服に付けられた八枚花弁の校章は、一科生だけに与えられるものだった。
この区分について、入学当初は単なる制度上の違いだと考えていた雄馬も、今ではそれほど単純な話ではないことを知っている。
一科生の中には二科生を見下す者がいる。
反対に、二科生の中にも一科生へ強い反感を抱く者がいる。
そして、そうした感情は、九校戦の代表という立場にも影響していた。
「……そうだけど、何か問題あるか?」
雄馬が尋ねると、男子生徒は少しだけ言葉に詰まった。
その時、近くで話を聞いていた別の生徒が口を開いた。
「……佐藤?」
振り向くと、森崎駿がこちらを見ていた。
雄馬は僅かに眉を上げる。
「ああ、森崎か。おはよう」
「……お前も、九校戦に来ていたのか」
「まあな。会長たちから補欠を頼まれたんだよ」
雄馬がそう答えると、森崎は微妙な表情を浮かべた。
彼とは入学直後の騒動で顔を合わせている。
互いに親しい間柄ではないが、少なくとも初対面というわけではなかった。
もっとも、同じ学年の一科生全員が雄馬を知っているわけではない。
実際、先ほど声を掛けてきた男子生徒も、今初めて雄馬の名前を聞いた様子だった。
「……会長が?」
男子生徒が問い返す。
「ああ。モノリス・コードの補欠が必要だって話でな。俺も最初は断ろうかと思ったんだけど、何かあった時のためにって言われたから引き受けたんだ」
雄馬は気負った様子もなく説明した。
しかし、相手の表情は晴れなかった。
「……二科生を、補欠に?」
小さな呟き。
そこに含まれている感情を、雄馬は聞き逃さなかった。
「……納得できないか?」
雄馬が尋ねると、男子生徒は一瞬だけ黙った。
それから、意を決したように口を開いた。
「……正直、あまりな。俺たちだって、ここへ来るためにずっと準備してきたんだ。一科の中にも選ばれなかった奴がいる。それなのに、今まで一緒に練習したこともない二科生が、いきなり補欠として入るって言われても……」
そこで言葉を切る。
言いすぎたと思ったのかもしれない。
しかし、雄馬は怒ることも、困ったように笑って誤魔化すこともしなかった。
代わりに、少し考えてから答えた。
「……それは、もっともだと思う」
「……え?」
「俺だって、昨日初めて正式に話を聞いたんだよ。今まで練習してきたお前らからすれば、何で今さら知らない奴を入れるんだって思うだろ」
男子生徒は意外そうに雄馬を見た。
だが、雄馬の話はそこで終わらなかった。
「ただ、それと俺がここにいることは別の話だ」
声を荒らげたわけではない。
けれど、今度の言葉には明確な意思があった。
「俺は正式に補欠を頼まれて、それを引き受けた。だから説明を聞きに来たんだ。二科生だからって理由だけで、必要な説明まで聞かずに帰るつもりはないよ」
「……でも、実力は?」
「分からないだろ。俺が競技でどこまでやれるかなんて」
雄馬は肩をすくめた。
「正直、俺にも分からない。現代魔法を使った競技は得意じゃないからな。だから、今から俺を練習に混ぜるより、正規の選手たちで仕上げてもらった方がいいと思ってる」
「……じゃあ、何で補欠なんか引き受けたんだよ」
「必要だって言われたからさ。それに、引き受けた以上、何も知らないままでいるわけにはいかないだろ?」
雄馬は手元の端末を持ち上げた。
「練習に参加しないからこそ、せめて説明くらいは真面目に聞いておこうと思ってな」
しばらく沈黙が流れた。
男子生徒は何か言いたそうにしていたが、結局、それ以上の言葉は出てこなかった。
雄馬も、無理に納得してもらおうとはしなかった。
相手には相手の事情がある。
それを否定するつもりはない。
だが、自分の立場まで否定されるつもりもなかった。
「……ま、そういうわけだから。今日はよろしく頼むよ」
雄馬はそう言って、後方の席へ向かった。
その背中へ向けられた視線が、まだ完全には消えていないことを感じながら。
◇
午前十時。
説明会は予定通りに始まった。
進行役を務める市原鈴音が、競技規則と連絡手順について確認していく。
雄馬にとって、モノリス・コードは馴染みの薄い競技だった。
三人一組で相手の陣地を攻略する。
勝利条件そのものは単純だが、実際には多くの制約が存在する。
選手への直接的な打撃は禁止。
使用できる魔法には制限があり、競技区域の地形によって有効な戦法も変化する。
何より、個人の能力だけで勝てる競技ではない。
味方との連携が不可欠だった。
(……思ってたより、ずっと厄介だな)
雄馬は資料を眺めながら考えた。
相手を倒すだけなら、いくつもの方法が思いつく。
槍で間合いを制する。
剣で攻撃の起点を潰す。
身体能力を強化して、相手の反応を上回る。
だが、それらの大部分は今回の競技では使えない。
投影魔術で武器を作り出したところで、それを用いて相手へ直接攻撃を仕掛ければ規則違反だ。
ならば、どうするか。
使える手段を探す。
それ自体は、雄馬にとって馴染みのある考え方だった。
エミヤとの稽古でも、似たような状況は何度も経験している。
ただし、あちらは競技ではない。
こちらの考えがまとまるまで待ってくれるほど、あの男は優しくなかった。
(……いや、むしろ考えてる時間を狙って攻撃してくるんだよな、あいつ)
そんなことを思い出し、雄馬は僅かに口元を歪めた。
その時だった。
「……佐藤君」
鈴音に名前を呼ばれ、雄馬は顔を上げた。
「はい?」
「補欠としての確認事項は、以上です。ここまでで不明な点はありますか?」
「……一つだけいいですか?」
「どうぞ」
「正規の選手が出場できなくなった場合、補欠への連絡はどの段階で来るんでしょう? 直前になって急に呼ばれても、規則の確認だけじゃ足りないことがあると思うんですが」
鈴音は僅かに目を細めた。
「その場合は、事情が判明した時点で必要な情報を共有します。大会運営への申請も含めて、手続きはこちらで行います」
「……なるほど。じゃあ、俺は連絡が取れる状態にしておけばいいんですね」
「ええ。ただし、補欠であることを理由に競技規則の把握を怠らないようにしてください」
「分かりました」
雄馬は頷いた。
それから、ふと隣の席へ視線を向ける。
正規選手たちは、それぞれ資料を確認していた。
表情は真剣だ。
明日から始まる大会へ向けて、少しでも不安を減らそうとしているのだろう。
その姿を見て、雄馬は改めて思った。
(……やっぱり、俺が今から練習に混ざるべきじゃないな)
彼らは、彼らなりの準備をしてきた。
そこへ、競技経験のない自分が入ったところで、良い結果になるとは限らない。
ましてや、練習に参加しないことは既に決まっている。
ならば、今は自分に求められた役割へ集中するべきだろう。
説明会はその後も続き、予定された内容を終えると解散となった。
雄馬は端末を閉じ、席を立つ。
その時、先ほどの男子生徒が近づいてきた。
「……佐藤、だったか」
「ん? ああ、そうだけど」
「……一つ、聞いていいか?」
「いいぞ」
男子生徒は少しだけ迷ってから口を開いた。
「……お前、本当に試合に出る気はないのか?」
雄馬は一瞬だけ考えた。
そして、首を横へ振る。
「出る気がないっていうより、俺が出ないで済む方がいいと思ってる」
「……どういう意味だ?」
「補欠が出るってことは、正規の選手の誰かに何かあったってことだろ? 怪我かもしれないし、別の理由かもしれない。どっちにしても、最初から予定してたことじゃない」
雄馬は相手の顔を見た。
「だから、俺としてはお前らに最後まで頑張ってもらいたいんだよ。せっかくここまで準備してきたんだからな」
「……」
「でも、本当に出番が来たら、その時はちゃんとやる。引き受けた以上、そこは逃げないさ」
男子生徒は黙った。
雄馬も、返事を急かさなかった。
しばらくして、相手は小さく息を吐いた。
「……まだ、納得したわけじゃないからな」
「ああ。それでいいよ」
「……何だよ、それ」
男子生徒は少しだけ眉をひそめた。
雄馬は苦笑する。
「いや、初対面の相手にいきなり納得しろって言われても困るだろ。俺だって逆の立場だったら、簡単には納得できないと思うし」
「……変な奴だな、お前」
「よく言われる」
そう答えると、男子生徒は僅かに笑った。
ほんの一瞬だった。
すぐに表情を引き締めて、仲間たちの方へ戻っていった。
雄馬はその背中を見送り、小さく息を吐いた。
(……ま、最初よりはマシになったかな)
少なくとも、名前は覚えてもらえたらしい。
それだけでも、今は十分だった。
◇◆◇◆◇◆◇
説明会を終えた雄馬が食堂へ向かうと、入口付近で見慣れた赤い髪が揺れているのが見えた。
千葉エリカだった。
彼女は誰かを待っているらしく、壁に背中を預けて端末を操作している。
「お、エリカ。何してるんだ?」
声を掛けると、エリカは顔を上げた。
「あ、雄馬。ちょうどよかった。アンタを探してたのよ」
「俺を?」
「そう。レオたちとお昼にしようって話になったんだけど、アンタだけ見つからなかったから」
「ああ、なるほど。説明会がちょっと長引いてな」
「モノリス・コードの?」
「うん。一応、補欠だから」
そう答えると、エリカは何故かじっと雄馬の顔を見つめてきた。
「……何だよ?」
「別に。ちょっと疲れた顔してると思って」
「そうか?」
「そうよ。アンタ、普段はもっと気の抜けた顔してるもの」
「……それ、褒めてないよな?」
「褒めてないわよ」
「即答かよ」
雄馬が呆れたように返すと、エリカは小さく笑った。
しかし、すぐにその表情から笑みが消える。
「……何か言われた?」
思いがけず鋭い質問だった。
雄馬は一瞬だけ返答を迷ったが、結局、隠しても仕方がないと判断した。
「……まあ、ちょっとな」
「やっぱり」
「いや、別に喧嘩になったわけじゃないぞ。俺が補欠に入ったことについて、納得できない奴がいただけだよ」
雄馬が軽い調子で答えると、エリカの眉が寄った。
「……それって、アンタが二科生だから?」
「それもあるだろうな。そもそも、今まで一緒に練習したこともない奴がいきなり補欠として現れたら、警戒するのは普通だと思うけど」
「だからって、何を言ってもいいわけじゃないでしょ」
「それはそうだな」
雄馬は素直に頷いた。
エリカは少し意外そうな顔をした。
「……あら、そこは否定しないのね」
「何で否定するんだよ。俺だって面白くはなかったぞ?」
雄馬は肩をすくめる。
「正直、二科生ってだけで疑われるのは腹が立つ。俺が何かやらかしたっていうならまだしも、今日初めて顔を合わせた相手に、実力も分からないまま色々言われるんだからな」
そう言ってから、少しだけ苦笑した。
「……ただ、向こうにも事情があるだろ。選手に選ばれなかった友達がいるのかもしれないし、自分たちの準備を邪魔されたくないのかもしれない。それまで否定する気にはなれなかったんだよ」
エリカは黙っていた。
しばらくして、小さく息を吐く。
「……アンタって、変なところで面倒くさい性格してるわよね」
「お前に言われたくないんだけど」
「何よ、それ」
「そのままの意味だよ」
雄馬が笑うと、エリカは一瞬だけむっとした。
しかし、すぐに肩の力を抜いた。
「……ま、アンタがそれでいいなら、あたしが余計なこと言う必要もないか」
「いや、ありがとな」
「……え?」
「心配してくれたんだろ? だから、ありがとう」
エリカは目を瞬かせた。
それから、少しだけ顔を背ける。
「……別に、心配ってほどじゃないわよ。ただ、アンタが変なこと言われて黙ってるのは面白くないなって思っただけ」
「それを心配って言うんじゃないのか?」
「うるさい」
「……はいはい」
雄馬は笑いながら両手を上げた。
その反応が気に入らなかったのか、エリカは軽く睨んできたが、それ以上は何も言わなかった。
やがて二人は並んで食堂へ向かった。
◇
昼食の席には、既にレオと美月、幹比古が集まっていた。
「おう、遅かったな!」
レオが手を上げる。
「悪い悪い。説明会があったんだよ」
雄馬はそう答え、空いている席へ腰を下ろした。
エリカもその隣へ座る。
「で、どうだったんだ? モノリス・コードの説明会って」
「競技規則の確認と、補欠になった場合の連絡手順だな。俺は練習に参加しないから、そんなに難しい話はなかったよ」
「ふうん。じゃあ、結構暇なんだな」
「まあな。おかげで、今日はゆっくりできそうだ」
雄馬はそう言って、目の前の食事へ手を伸ばした。
だが、レオはまだ何か気になっているらしい。
「……なあ、雄馬」
「ん?」
「お前、試合に出たいとは思わねえの?」
雄馬は少し考えた。
それから、箸を置いて答えた。
「興味がないわけじゃないけどさ。今から俺が練習に入るより、正規の選手たちがそのまま仕上げた方がいいだろ」
「でも、お前なら結構やれそうな気がするけどなぁ」
「……それ、俺が魔法を使う競技だって分かって言ってる?」
「もちろん」
「本当か?」
「……半分くらい?」
「そこは自信持ってくれよ」
雄馬が呆れたように言うと、レオは豪快に笑った。
美月も小さく笑い、幹比古は困ったように口元を緩める。
普段と変わらない光景だった。
学校にいる時と同じように、くだらない話で笑い合う。
周囲では九校戦の準備が続いているというのに、この席だけはいつもの放課後に近かった。
「……でも、雄馬君が補欠に選ばれたのって、すごいことですよね」
不意に美月が口を開いた。
「そうか?」
「はい。だって、九校戦の選手って一科生の中から選ばれることが多いでしょう? それなのに雄馬君が選ばれたってことは、会長さんたちがそれだけ評価しているってことだと思います」
雄馬は一瞬だけ言葉を失った。
美月の言葉には、何の含みもなかった。
ただ、純粋にそう思っているのだろう。
「……そう言ってもらえると、ちょっと嬉しいな」
雄馬は照れくさそうに笑った。
「でも、俺はまだ何もしてないぞ。評価されたからって、それで終わりじゃないだろ?」
「……そうですね」
美月は頷いた。
その隣で、幹比古が静かに口を開く。
「……僕も、そう思うよ」
雄馬は顔を向けた。
幹比古は少し考え込むような表情をしていた。
「評価されることと、実際に結果を出すことは別だからね。どれだけ期待されても、それに応えられなければ意味がない」
その言葉には、どこか自分自身へ向けたような響きがあった。
雄馬は少しだけ目を細める。
幹比古が、以前から自分の魔法について何か悩んでいることは知っていた。
詳しい事情までは聞いていない。
だが、何かを抱えていることくらいは分かる。
「……まあ、それもそうなんだけどさ」
雄馬は少し考えてから続けた。
「期待に応えようとするのは大事だけど、それで自分にできることまで分からなくなったら、元も子もないと思うぞ」
「……自分にできること?」
「ああ。俺も昔、何をやっても勝てない相手がいてな。どれだけ練習しても追いつけなくて、結構悔しかったんだよ」
雄馬は苦笑した。
思い浮かべたのは、六騎の英霊たちだった。
どれほど身体を鍛え、技術を磨いても、簡単には届かない。
その現実を何度も突きつけられてきた。
だが、その中で得たものもある。
「……その時、教わったんだ。できないことばっかり数えてても仕方ないって。今の自分に何ができるのかを考えろってさ」
幹比古は黙って聞いていた。
「もちろん、できないことを諦めろって話じゃないぞ。できないならできるようになるまで練習すればいい。ただ、できないことばっかり気にして、今できることまで雑になったら意味ないだろ?」
雄馬はそう言って笑った。
「……まあ、俺もまだ全然できてないんだけどな」
その言葉に、幹比古は少しだけ目を見開いた。
そして、ゆっくりと頷く。
「……そうだね」
返事は短かった。
だが、先ほどよりも幾分か表情が和らいでいた。
雄馬はそれ以上踏み込まなかった。
悩みは人それぞれだ。
誰かに話したい時もあれば、一人で考えたい時もある。
その区別を、他人が勝手に決めるべきではないだろう。
ただ、話を聞くことくらいならできる。
雄馬はそう思っていた。
◇◆◇◆◇◆◇
昼食を終えた後、雄馬は宿舎の廊下で達也と顔を合わせた。
達也は技術スタッフ用の端末を片手に、作業車の方へ向かう途中らしかった。
「お、司波。これから仕事か?」
「ああ。明日からの競技に備えて、機材の確認をしておく必要があるからな」
「……大変だな、お前も」
「お前ほど暇ではない、というだけだ」
「……何か、その言い方腹立つな」
雄馬が苦笑すると、達也も僅かに口元を緩めた。
だが、すぐにその表情は普段のものへ戻る。
「それで、説明会はどうだった?」
「ああ。一通り聞いてきたよ。競技規則とか、補欠になった時の手続きとか」
「問題はなかったか?」
その問いに、雄馬は少しだけ考えた。
そして、小さく息を吐く。
「……競技の説明そのものは問題なかったよ」
達也は僅かに目を細めた。
「……それ以外で何かあったのか?」
「まあ、ちょっとな」
雄馬は今日の出来事を簡単に説明した。
一科生たちが自分のことを知らなかったこと。
二科生である自分が補欠として登録されたことに、疑問を持たれたこと。
そして、その理由について少し話し合ったこと。
達也は黙って聞いていた。
「……なるほど」
説明を終えると、達也は小さく頷いた。
「予想はしていたが、やはり反発はあるか」
「まあな。でも、思ったよりは普通に話せたぞ」
「そうなのか?」
「ああ。最初は結構警戒されてたけど、最後には少し笑ってたし」
雄馬はそう言って笑った。
達也は少しだけ意外そうな表情を浮かべた。
「……お前は、随分と前向きに捉えるんだな」
「そうか?」
「ああ。俺なら、そこまで楽観的には考えない」
雄馬は少し考えた。
確かに、達也の言う通りかもしれない。
自分が二科生であること。
それだけで相手から警戒されること。
その問題が簡単に解決するとは思っていない。
だが、だからといって最初から諦めるつもりもなかった。
「……まあ、別に全員と仲良くなりたいわけじゃないけどな」
雄馬はそう言って肩をすくめた。
「でも、同じ学校の代表として大会に来てるんだろ? だったら、必要な時に普通に話せるくらいの関係にはなっておきたいじゃないか」
「……そうだな」
「それに、俺が二科生ってだけで何か言われるのは、正直腹立つし」
雄馬は少しだけ笑った。
「だから、せめて名前くらいは覚えてもらおうと思ってさ」
達也は一瞬だけ黙った。
それから、僅かに笑った。
「……なるほど。お前らしい考え方だ」
「そうか?」
「ああ。悪くないと思う」
雄馬は少しだけ目を丸くした。
「……お前にそう言われると、何か変な感じだな」
「褒めたつもりはないが」
「……そこは褒めたってことにしといてくれよ」
雄馬が呆れたように言うと、達也は何も言わずに歩き出した。
その背中を見送りながら、雄馬は小さく笑った。
達也もまた、二科生として九校戦に参加している。
しかも、技術スタッフという立場だ。
自分以上に反発を受ける可能性がある。
それでも達也は、与えられた仕事を淡々とこなしている。
雄馬はその姿勢を、素直に尊敬していた。
◇◆◇◆◇◆◇
夕方。
部屋へ戻った雄馬は、端末を操作して自宅へ通信を繋いだ。
画面に映し出されたのは、見慣れた青い髪の男だった。
『おう、雄馬。どうした?』
「クーか。ちょっと暇だったから連絡してみた」
『何だよ。こっちも今から稽古するところだったんだがな』
「……俺がいないのに、誰と?」
『アキレウスに決まってんだろ』
「……ああ、なるほど」
雄馬は納得したように頷いた。
あの二人なら、雄馬がいなくても勝手に模擬戦を始めることがある。
もっとも、その場合は周囲の被害が心配になるのだが。
「……家、壊すなよ?」
『壊さねえよ!』
「本当か?」
『……多分な』
「そこは自信持ってくれよ!」
雄馬が思わず声を上げると、クーは豪快に笑った。
その笑い声を聞いて、雄馬もつられて笑う。
やはり、この男と話していると気が楽になる。
『で、そっちはどうなんだ? 今日は説明会だったんだろ?』
「ああ。ちゃんと聞いてきたよ」
『ほう。退屈だったんじゃねえか?』
「いや、意外と面白かった。モノリス・コードって、思ってたより戦術的な競技なんだな」
『そりゃそうだろ。勝負ってのは、ただ相手を殴り倒せばいいってもんじゃねえからな』
「……お前が言うと、何か説得力あるような、ないような」
『何だと?』
「いや、何でもない」
雄馬は苦笑した。
そのまま、今日の説明会で考えたことを話し始める。
競技の勝利条件。
地形を利用した戦術。
そして、個人の能力だけでは勝てない団体競技であること。
クーは面白そうに話を聞いていた。
やがて、雄馬が言葉を切ったところで口を開く。
『……で、結局お前は何を気にしてんだ?』
「……え?」
『競技の話なら昨日も聞いたし、今さらそれだけで連絡してくるわけじゃねえだろ』
雄馬は一瞬だけ黙った。
そして、小さく苦笑する。
「……相変わらず、妙なところで鋭いな」
『何年一緒にいると思ってんだよ』
「……それもそうか」
雄馬は少し考えてから、今日の出来事を話した。
一科生と二科生の関係。
自分が補欠に選ばれたことへの反発。
そして、初対面の相手から向けられた警戒の視線。
クーは黙って聞いていた。
やがて、小さく鼻を鳴らす。
『……なるほどな。つまり、お前が気に食わねえって奴がいるわけか』
「まあ、そういうことになるな」
『ハッ。だったら、そいつらを黙らせるくらいの働きをしてやりゃいいだろ』
「……だから、俺は補欠なんだって」
雄馬は苦笑した。
「そもそも、俺が活躍するために大会へ来てるわけじゃないんだよ。正規の選手たちが頑張ってるんだから、俺が出番を奪うわけにはいかないだろ」
『……ふん。まあ、そりゃそうだな』
クーは少しだけ考えるような表情を浮かべた。
それから、口元を吊り上げる。
『だったら、お前はお前の仕事をすりゃいいんじゃねえか?』
「……俺の仕事?」
『ああ。補欠ってのは、何かあった時のためにいるんだろ? なら、何かあった時にちゃんと動けりゃそれで十分だ』
雄馬は黙って聞いていた。
『それに、他人の目なんざ気にしても仕方ねえだろ。そいつらがお前のことを知らねえってんなら、これから知ってもらえばいい。それだけの話だ』
「……簡単に言うなぁ」
『難しく考えすぎなんだよ、お前は』
クーは豪快に笑った。
そして、少しだけ真面目な声で続ける。
『……ただし、雄馬。お前が何者かなんて、他人に決めさせるなよ』
その言葉に、雄馬は僅かに目を細めた。
『お前は俺たちに十年間鍛えられてきた。剣も槍も、体術も魔術も、散々叩き込まれてきただろ。そいつを、学校の区分ひとつで全部否定されてたまるかってんだ』
「……クー」
『ま、俺としては、お前がもっと暴れてくれた方が面白えんだけどな』
「……台無しだよ!」
雄馬が思わず声を上げると、クーはまた笑った。
その時、画面の外から別の声が響いた。
『ランサー。少しは真面目に話をしたらどうだ』
「……エミヤ?」
雄馬が顔を上げると、赤い外套の男が画面の端へ姿を現した。
どうやら、先ほどから話を聞いていたらしい。
『雄馬。ランサーの言い分にも一理はあるが、少し補足しておこう』
「……ああ」
『他人の評価を気にする必要はない、というのは半分正しい。だが、集団の中で行動する以上、周囲との信頼関係を無視することもできない』
エミヤは落ち着いた声で続ける。
『今回、君は補欠として登録された。正規選手たちと協力する可能性がある以上、相手が君を信用できないと感じているなら、その理由を理解しておくべきだ』
「……なるほど」
『ただし、それは相手の偏見まで受け入れろという意味ではない。君が二科生であることと、君がどの程度の能力を持っているかは、別の問題だからな』
雄馬はゆっくりと頷いた。
「……そうだな」
『それに、君は今日、相手と話をしたのだろう?』
「ああ。少しは話せたと思う」
『ならば、それで十分だ。信頼関係というものは、一度の会話だけで完成するものではない』
エミヤは小さく息を吐いた。
『焦らず、必要な時に必要なことをすればいい。君は、そういう判断ができるように鍛えてきたはずだ』
雄馬はしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「……ありがとう、エミヤ。ちょっと気が楽になったよ」
『礼を言うほどのことではない』
「いや、十分助かったって」
雄馬はそう言って笑った。
その横で、クーが不満そうに口を挟む。
『おいおい。何だよ、俺の話は役に立たなかったってのか?』
「いや、クーの話もちゃんと役に立ったよ」
『だったらいいけどよ』
「……ただ、最後に暴れろって言わなければ、もっと良かったかな」
『ハッ! そいつは無理な相談だな!』
「……だよなぁ」
雄馬は呆れたように笑った。
やはり、この男は変わらない。
けれど、それでいいとも思った。
エミヤとクー。
考え方は違う。
だが、どちらも雄馬のことを気に掛けてくれている。
それが、何よりありがたかった。
◇◆◇◆◇◆◇
八月三日。
九校戦、開幕。
早朝から会場には多くの人々が集まり、昨日までとは比べものにならないほどの熱気に包まれていた。
第一高校の生徒たちも、選手とスタッフ、それぞれの立場で会場へ向かっている。
雄馬はその流れに混ざりながら、周囲を見渡していた。
「……すごい人だな」
思わず呟く。
各校の代表選手。
応援団。
大会運営の関係者。
そして、一般の観客。
普段の学校生活では見かけない顔ぶれが多く、改めて九校戦の規模を実感させられた。
その一方で、第一高校の生徒たちの集まり方には、どこか見慣れたものがあった。
一科生は一科生同士で集まり、二科生は二科生同士で行動している。
もちろん、全員がそうというわけではない。
だが、自然とできる集団には、やはり違いがあった。
(……学校を離れても、そう簡単には変わらないか)
雄馬は小さく息を吐いた。
昨日の説明会での出来事を思い出す。
自分が二科生だというだけで向けられた警戒。
納得できないという言葉。
それらは、決して気分の良いものではなかった。
だが、だからといって一科生全員が同じ考えを持っているわけでもない。
少なくとも、雄馬はそう思っていた。
「おーい、雄馬!」
その時、聞き慣れた声がした。
振り向くと、レオがこちらへ手を振っている。
その隣にはエリカ、美月、幹比古の姿もあった。
「おう。お前らも観戦か?」
「当たり前だろ! せっかく九校戦に来たんだから、試合を見ねえともったいねえじゃん」
レオは楽しそうに笑った。
エリカも周囲を見渡しながら、少し呆れたように言う。
「それにしても、相変わらずねぇ」
「……何が?」
「一科生と二科生のことよ。学校を離れても、結局こうなるのね」
エリカの声には、明らかな不満が滲んでいた。
雄馬は少しだけ肩をすくめる。
「……まあ、すぐには変わらないだろうな」
「だからって、いつまでもそのままでいいわけないでしょ」
「それはそうだけどさ」
雄馬は一度言葉を切った。
「無理に仲良くしろって言ったところで、余計に反発するだけだと思うぞ」
「……アンタ、随分と冷静ね」
「冷静っていうか、昨日ちょっと色々あったからな」
雄馬は苦笑した。
その反応に、エリカが目を細める。
「……まだ気にしてる?」
「少しはな。でも、いつまでも引きずってても仕方ないだろ」
雄馬は笑った。
「それに、今日は会長の試合があるんだ。せっかくだから、そっちを楽しもうぜ」
その言葉に、エリカは少しだけ表情を和らげた。
「……ま、それもそうね」
レオも頷く。
「よし、じゃあ行こうぜ!」
一行は揃って競技場へ向かった。
◇
スピード・シューティングの競技場では、既に試技の準備が進められていた。
観客席には多くの人が集まり、第一高校の生徒だけでなく、他校の関係者も真由美の登場を待っている。
雄馬たちが席を探していると、少し離れたところから声が掛かった。
「雄馬、こっちだ」
達也だった。
その隣には深雪、ほのか、雫が座っている。
雄馬は軽く手を上げ、彼らの方へ向かった。
「おはよう、司波。皆も」
「おはようございます、雄馬さん」
深雪が丁寧に挨拶を返す。
ほのかと雫もそれに続いた。
「雄馬君、会長の試合を見に来たんですか?」
「ああ。せっかくだからな。会長の魔法って、実際のところあまり見る機会がないし」
「そうですね。私も楽しみです」
ほのかは嬉しそうに笑った。
その隣で、雫が静かに頷く。
雄馬は空いている席へ腰を下ろし、競技場へ視線を向けた。
やがて、七草真由美が姿を現す。
小銃型のCADを手にした彼女は、普段の生徒会室で見せる雰囲気とは少し違っていた。
笑顔はある。
だが、目には明確な集中が宿っている。
その立ち姿を見た雄馬は、僅かに目を細めた。
(……へえ)
肩に無駄な力が入っていない。
重心の位置も安定している。
何より、構えに迷いがなかった。
それは、雄馬がよく知る一人の弓兵を思い出させた。
エミヤ。
彼から弓を教わった時、雄馬は何度も同じことを指摘された。
標的を見ようとしすぎるな。
狙うことだけに意識を奪われるな。
必要なのは、矢を放つ瞬間だけではない。
その前に、何を見て、何を判断するかだ。
当時の雄馬には、なかなか理解できなかった。
しかし、今なら少しだけ分かる。
(……会長も、似たようなことをしてるのかもしれないな)
もちろん、魔法と弓術では仕組みが違う。
同じように考えるべきではないだろう。
だが、優れた技術には共通する部分がある。
少なくとも、雄馬にはそう思えた。
開始の合図が響いた。
最初の標的が射出される。
そして、ほとんど間を置かずに破壊された。
「……速っ」
雄馬は思わず声を漏らした。
次の標的が飛ぶ。
それも瞬時に砕け散る。
さらに複数の標的が同時に射出されたが、真由美の魔法はその全てを正確に捉えていた。
(……何だ、あれ)
雄馬は真剣な表情で競技場を見つめた。
真由美の動きには、ほとんど無駄がない。
標的が飛び出すたびに大きく姿勢を変えることもなければ、慌てて視線を動かすこともない。
まるで、どこに標的が現れるのか最初から分かっているようだった。
「……なあ、司波」
「何だ?」
「会長、どうやってあんなに早く標的を見つけてるんだ? 普通、あれだけ不規則に飛んでたら、目で追うだけでも大変だろ」
達也は競技場から視線を外さずに答えた。
「会長は知覚系の魔法を併用している。複数の方向から対象を認識できるから、肉眼だけで標的を追う必要がないんだ」
「……へえ」
雄馬は感心したように声を漏らした。
「そんなことまでできるのか」
「珍しい技能ではあるがな。ただ、認識できることと、正確に魔法を発動できることは別だ。会長の技術が優れているのは、その両方を高い水準で実現しているところだろう」
「なるほどな……」
雄馬は再び競技場へ視線を戻した。
自分が弓を使う場合、標的をどう捉え、どのような軌道で矢を飛ばすかを考える。
だが、真由美は魔法によって標的を認識し、さらに魔法によって破壊している。
似ているようで、根本的に違う。
それでも、最終的に必要なのは正確な判断と制御だ。
そして真由美は、そのどちらも高い水準で実現していた。
(……すげえな)
雄馬は素直に感心した。
自分とは異なる方法で、一つの技術を極めている。
そのことが、妙に嬉しかった。
やがて試技が終了する。
結果は満点。
百個の標的を、一つも逃さず破壊していた。
観客席から大きな拍手が起こる。
雄馬も、迷わず拍手を送った。
「……いやあ、参ったな」
思わず呟く。
その声を聞いて、エリカがこちらへ顔を向けた。
「何よ、雄馬。そんなに驚いたの?」
「そりゃ驚くだろ。俺、あんなに正確に魔法を使える人を間近で見たの初めてかもしれない」
「へえ。アンタでもそんなこと思うんだ」
「思うよ。俺だって何でもできるわけじゃないんだから」
雄馬は苦笑した。
「むしろ、魔法に関してはできないことの方が多いしな。ああいうのを見ると、自分がどれだけ知らないかよく分かる」
エリカは少しだけ目を丸くした。
そして、楽しそうに笑う。
「……アンタって、そういうところは素直よね」
「そうか?」
「うん。変に張り合おうとしないところとか」
「いや、張り合えるなら張り合いたいけどな?」
雄馬は少しだけ口元を吊り上げた。
「でも、今の俺じゃ勝負にもならないだろ。だったら、まずは素直にすごいって認めるしかないじゃないか」
その返答に、エリカは一瞬だけ黙った。
それから、小さく笑った。
「……そういうところ、嫌いじゃないわよ」
「……急に何だよ」
「別に?」
エリカは楽しそうに笑う。
雄馬は困ったように頭を掻いた。
その横で、レオが何故かにやにやしていた。
「……何だよ、レオ」
「いや、別に?」
「お前ら、ほんとに……」
雄馬は深いため息を吐いた。
だが、その表情はどこか楽しそうだった。
◇
次に向かったのは、バトル・ボードの競技場だった。
こちらは水上に設けられたコースを、魔法によって走破する競技である。
選手は一枚のボードに乗り、速度と姿勢を制御しながらゴールを目指す。
当然ながら、単純に速く進めばいいわけではない。
水流や風、曲がり角、高低差など、様々な要素に対応する必要がある。
雄馬はコースを眺めながら、小さく唸った。
「……これ、絶対難しいだろ」
「アンタ、さっきからそればっかりね」
エリカが呆れたように言う。
「いや、実際難しそうだろ。水の上であんな速度出すんだぞ? バランス崩したら一瞬で落ちるじゃないか」
「それを魔法で何とかする競技なんでしょ」
「だからすごいんだよ」
雄馬は真面目に答えた。
その反応に、エリカが少しだけ笑う。
「……アンタって、妙なところで素直よね」
「褒めてる?」
「半分くらい」
「残りの半分が怖いんだけど」
そんなやり取りをしていると、選手紹介のアナウンスが響いた。
渡辺摩利。
名前が呼ばれた瞬間、観客席から歓声が上がる。
雄馬は競技場へ視線を向けた。
摩利は既にスタート位置についていた。
周囲の選手たちが慎重に姿勢を整える中、彼女だけが自然体で立っている。
その姿を見て、雄馬は思わず笑った。
(……ああ、委員長らしいな)
以前、摩利と模擬戦を行った時のことを思い出す。
あの人は強かった。
単純な身体能力だけではない。
相手の動きを読み、必要な時に必要な行動を選ぶ。
状況の変化に対応する能力が、非常に高かった。
そして何より、迷いが少ない。
それが、雄馬の印象だった。
レースが始まる。
摩利のボードが滑らかに水面を走り出した。
速い。
だが、それ以上に安定している。
水面の変化に合わせて姿勢を調整し、ほとんど速度を落とすことなく進んでいく。
その動きを見て、雄馬は思わず身を乗り出した。
(……上手いな)
特に、曲がり角での動きが見事だった。
重心を移すタイミングが早い。
それでいて、無駄に身体を傾けることもない。
魔法によって姿勢を制御しているのは間違いないが、それだけでは説明できない部分がある。
次にどの方向へ力が掛かるのか。
どのタイミングで身体を動かせばいいのか。
そうした判断を、ほとんど無意識に行っているように見えた。
「……委員長、やっぱり身体の使い方が上手いな」
雄馬が呟くと、隣にいたレオが首を傾げた。
「身体の使い方?」
「ああ。魔法の細かいところは分からないけど、重心の移動とか姿勢の保ち方がすごく上手い。あれだけ速く動いてるのに、ほとんど無駄がないんだよ」
「へえ……」
レオは興味深そうに競技場を見つめた。
「お前、そういうところはよく分かるんだな」
「まあ、散々鍛えられたからな」
雄馬は苦笑した。
アキレウスとの組手。
アルトリアとの剣術。
沖田との稽古。
そして、クーとの槍の訓練。
彼らとの鍛錬では、僅かな姿勢の乱れが致命的な隙に繋がる。
無駄な動きがあれば、容赦なくそこを突かれた。
何度も地面へ叩きつけられ、痛い思いをしてきた。
だが、その経験があったからこそ、今の摩利の動きがどれほど高度なものなのか、多少なりとも理解できる。
(……こういうところでも、あいつらに教わったことが役に立つんだな)
雄馬は小さく笑った。
やがて、摩利が大きくリードを広げる。
曲がり角を抜け、複雑な水流を利用しながら、他の選手を引き離していく。
そして、最初にゴールへ到達した。
観客席から大きな歓声が上がる。
雄馬も、素直に拍手を送った。
「……お見事」
その言葉には、心からの敬意が込められていた。
すると、隣にいたエリカが小さく鼻を鳴らした。
「まあ、あの人はそういうの得意だからね」
どこか素っ気ない返答だった。
だが、雄馬はその言葉の中に、僅かながらも実力を認める響きを感じ取った。
思わずエリカへ視線を向ける。
「……何よ」
「いや、何でもない」
「何よ、それ」
エリカが不満そうに眉を寄せる。
雄馬は笑って首を振った。
彼女と摩利の間に何があるのか、正確なことは知らない。
だが、少なくとも今のエリカは、摩利の実力そのものを否定しているわけではないらしい。
それだけ分かれば十分だった。
わざわざ本人へ指摘して、余計な波風を立てる必要はない。
雄馬は再び競技場へ視線を戻した。
摩利は観客席へ向かって、軽く手を挙げていた。
その姿を見ながら、雄馬は小さく息を吐く。
(……やっぱり、強い人ってのはどこにでもいるもんだな)
それは、自分がこれまで学んできたものを否定する感想ではなかった。
むしろ、その逆だった。
十年間の鍛錬で積み重ねてきた技術があるからこそ、他人の優れた部分を理解できる。
そして、理解できるからこそ、もっと上手くなりたいと思える。
そうした感情を、雄馬は久しぶりに味わっていた。
◇◆◇◆◇◆◇
夕方。
初日の競技が終了し、雄馬は宿舎へ戻る途中だった。
手元の端末には、今日の試合結果が表示されている。
会長の圧倒的な射撃。
委員長の鮮やかなレース運び。
どちらも、非常に印象的だった。
だが、雄馬が最も強く感じたのは、彼女たちの魔法の威力や速度ではなかった。
自分の得意なことを、適切な場面で使う能力。
それが、何より重要なのだと感じたのである。
昨日、クーとエミヤに言われたことを思い出す。
他人の評価を気にしすぎるな。
だが、周囲との信頼関係も無視するな。
簡単なようで、難しい話だった。
雄馬は小さく息を吐いた。
「……ま、少しずつだな」
そう呟いて歩き出そうとした時だった。
「……佐藤」
背後から声が掛かった。
振り向く。
そこには、昨日の説明会で話した一科生の男子生徒が立っていた。
「……お、どうした?」
「いや、その……」
男子生徒は少し言い淀んだ。
それから、意を決したように口を開く。
「……今日の会長の試合、見たか?」
「ああ。見たよ」
「……すごかっただろ」
その言葉に、雄馬は思わず笑った。
「そりゃもう。あんなに正確に魔法を使える人、そうそういないだろ」
「……だよな」
男子生徒も、小さく笑った。
その表情には、昨日のような警戒心はあまり見られなかった。
雄馬は少しだけ嬉しくなった。
「……お前らも、ああいうのを目指してるんだろ?」
「……まあな。俺たちだって、九校戦に出るためにずっと練習してきたんだ」
男子生徒は少しだけ胸を張った。
「正直、まだ会長たちには全然及ばないけど……いつかは、ああいう舞台で堂々と戦えるようになりたいと思ってる」
雄馬は黙って聞いていた。
そして、ゆっくりと頷く。
「……いいじゃないか」
「……え?」
「いや、そういう目標があるって、いいことだと思うぞ。俺もまだまだだからさ。お互い、頑張ろうぜ」
雄馬は笑って手を差し出した。
男子生徒は一瞬だけ戸惑った。
だが、やがてその手を握り返した。
「……ああ」
短い返事だった。
けれど、そこには確かな意思があった。
雄馬は少しだけ笑った。
一科生と二科生。
その区分が、今日一日で消えるわけではない。
相手が自分のことを完全に認めたわけでもないだろう。
だが、それでも構わなかった。
少なくとも、昨日は互いのことを知らなかった。
今日は、少しだけ話ができた。
そして、同じものを見て、同じようにすごいと感じることができた。
それだけでも、十分な変化だった。
「……じゃあ、またな」
「ああ。また」
男子生徒が去っていく。
雄馬はその背中を見送り、小さく息を吐いた。
「……ま、悪くない一日だったな」
そう呟いてから、宿舎へ向かって歩き出す。
九校戦はまだ始まったばかりだ。
これから、様々な競技が行われる。
自分が出場する機会は、恐らくないだろう。
だが、それでも構わない。
出場しなくても、得られるものはある。
戦わなくても、できることはある。
そして、たとえ一科生と二科生の間に溝があったとしても、その全てが埋まらないとは限らない。
雄馬はそう思っていた。
もっとも。
その考えが、今後の九校戦でどこまで通用するのか。
それは、まだ分からない。
大会の裏側では、既に別の思惑が動き始めていた。
昨日の交通事故。
そして、昨夜の宿舎周辺で起きた騒動。
それらが単なる偶然ではないことを、雄馬はまだ知らない。
だが、もし何かが起きた時。
誰かが傷つき、自分にできることがあるのなら。
その時、佐藤雄馬はきっと動くだろう。
一科生か、二科生か。
そんなことは関係ない。
少なくとも、十年間英霊たちに鍛えられてきた彼にとって、目の前の人間を助ける理由としては、それだけで十分だった。
そして、その選択が九校戦という舞台にどのような影響を与えることになるのか。
それを知るのは、もう少し先の話である。