魔法科高校の異端魔術師   作:もやしになりたい

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2人から4人へ

 夜も更け、屋敷の中が静まり返った頃だった。

 

 自室で一人、昼間の鍛錬を思い返していた雄馬の耳に、控えめなノックの音が届く。

 

「雄馬さん。まだ起きていますか?」

 

 扉を開けると、そこにいたのはジャンヌだった。いつも通り穏やかな微笑みを浮かべているが、その声はどこか内緒話をするように小さい。

 

「少しだけ、外へ出ませんか。できれば……皆さんには秘密で」

 

 そんな言い方が妙に珍しくて、雄馬は思わず笑ってしまった。

 

「ジャンヌがそういうこと言うの、なんか新鮮だな」

 

「たまには、こういうのも必要かと」

 

 そう言って、彼女はそっと唇の前に指を立てた。

 

 案内されたのは、屋敷の裏手にある中庭だった。

 

 昼間は広く感じるその場所も、夜になると月明かりと木々の影に包まれて、まるで別の空間のように見える。白い石畳が淡く光り、風が葉を揺らす音だけが静かに耳に残った。

 

「本当に、内緒なんだな」

 

「はい。大げさにされると、雄馬さんもやりにくいでしょう?」

 

「それは……確かにそうかも」

 

 昼の鍛錬は、どうしても視線が多い。見守られているだけとはいえ、あれだけ英霊が揃っていると落ち着かないのも事実だった。

 

 ジャンヌは雄馬の正面に立ち、やわらかく言う。

 

「私は理論そのものを教えることはできません。こちらの世界の魔法については、雄馬さんの方がよほど知っています」

 

「そこは自覚あるんだな」

 

「あります。ですが、無理をしていないか、動きが乱れていないか、そのくらいなら見られます。一人でやるよりは、安全ですから」

 

 その言葉に、雄馬は小さく息を吐いた。

 

「分かった。じゃあ、付き合ってくれ」

 

「もちろんです」

 

 夜気を胸いっぱいに吸い込み、意識を沈める。

 

 頭の中には理屈がある。術式の構造も、身体能力の強化に必要なイメージも、まったく分からないわけではない。だが、知っていることと実際にできることは違う。

 

 知識を感覚へ落とし込み、それを動きへ変える。

 

 その最初の一歩が、どうにも難しかった。

 

 雄馬は呼吸を整え、自分の内側へ意識を向ける。脚、腰、肩。力を入れるのではなく、通す。固めるのではなく、支える。過剰にならないよう、けれど確かに底上げする。

 

「――っ」

 

 一歩、踏み出した。

 

 昼よりは良かった。少なくとも、身体が前につんのめるようなことはない。だが次の瞬間、足裏の感覚が噛み合わず、体勢がぶれる。

 

 倒れかけた腕を、ジャンヌがすぐに支えた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……大丈夫。いや、悔しいけど大丈夫じゃないな、これ」

 

「焦らずに。頭で分かっていることと、身体が覚えることは別です」

 

 責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ静かに言う声音が心地よかった。

 

「繰り返しましょう。少しずつで構いません」

 

「分かった」

 

 もう一度、呼吸から整える。

 

 前へ出ようとするのではなく、身体の中心をずらさないように意識する。強化を乗せる場所、逃がさない場所、地面を踏む感覚。

 

 一歩。今度は先ほどより滑らかだった。

 

 そして、その次の一歩に移ろうとした時だった。

 

「やっぱりここでしたか!」

 

 ぱっと夜の静けさを裂くような声が響いた。

 

 振り向くと、そこには沖田が立っていた。なぜか少しだけ得意げな顔をしている。

 

「……何してるんだ?」

 

「見回りです!」

 

「絶対違うだろ」

 

「違いません!」

 

 即答だった。

 

 だがその目は、もう雄馬の足元と重心の移り方をじっと見ている。

 

「でも、今の踏み込み、少しもったいないです」

 

「え?」

 

「前に出ようとする気持ちが先に走ってます。脚がついてきていません。強化しているなら、なおさらそこは合わせた方がいいです」

 

 さっきまでの軽い調子とは違う。剣を抜いていなくても分かる。これは実戦で身体を使い続けてきた者の目だった。

 

 沖田は一歩前に出てみせる。

 

「こう、です。先に上半身が行くんじゃなくて、軸は残す。そこから運ぶ。最後にすっと出る感じで」

 

 踏み込みは小さい。けれど、その一歩には妙な鋭さがあった。静かで、無駄がなくて、だからこそ速い。

 

「なるほど……」

 

「はい。というわけで、ジャンヌさんが安全係、私は実演係です!」

 

「勝手に役割増やすな」

 

「いいじゃないですか。雄馬さんの鍛錬なんですし!」

 

「乱入してきた側の台詞じゃないな」

 

 雄馬が呆れて言うと、沖田はむっとしたように頬を膨らませたが、すぐに真面目な顔へ戻った。

 

「でも、放っておけません。怪我でもしたら大変ですし」

 

 その言い方に嘘はなかった。

 

 ジャンヌは小さく笑って頷く。

 

「では、お願いします。私一人で見るより心強いです」

 

「はい、お任せください!」

 

 こうして、二人きりのはずだったコソ練は、あっさり三人になった。

 

 ジャンヌが呼吸や力みを見て、沖田が踏み込みや軸の位置を直す。雄馬はその間で何度も動きを繰り返した。

 

 失敗すれば沖田がすぐに言う。

 

「今のは惜しいです! でも形は良くなってます!」

 

 ジャンヌも続ける。

 

「ええ。さっきより、ずっと自然でした」

 

 乗せられているような気もするが、その言葉のおかげで次の一歩が出るのも確かだった。

 

 そして、別の日の夜。

 

 今夜こそ本当に二人きりでやれるだろう、そう思っていた矢先だった。

 

「その踏み込みでは、脚に乗せた力を殺しています」

 

 背後から落ちてきた声に、雄馬は思わず肩を跳ねさせた。

 

 振り向けば、アルトリアがそこに立っていた。相変わらず、いつからそこにいたのか分からない。

 

「……いたなら、声かけてくれ」

 

「かけました」

 

「今のが最初だろ」

 

「そうですね」

 

 否定しないのが余計にたちが悪い。

 

 アルトリアは静かに近づいてくると、雄馬の足元と姿勢を一瞥して言った。

 

「上体に意識を置きすぎです。前へ出ようとするのではなく、地面を押してください」

 

「地面を押す……」

 

「力を前に投げるのではありません。下から伝えるのです」

 

 そう言って、彼女は一歩だけ踏み出してみせる。

 

 沖田の一歩が“鋭い”ものなら、アルトリアのそれは“重い”ものだった。決して鈍重ではない。ただ揺るがない。そこに立つだけで、簡単には崩れないと分かる一歩だった。

 

「……お見事です」

 

 ジャンヌが素直に感心すると、アルトリアは僅かに視線を逸らした。

 

「当然です。教える以上、中途半端はできません」

 

「教えるつもりで来られたのですね?」

 

 やんわりとジャンヌが問うと、アルトリアはほんの少しだけ言葉を詰まらせる。

 

「危険だと判断しました。放置できなかっただけです」

 

「はいはい」

 

 雄馬が口元を緩めると、アルトリアはじろりと一瞥を寄越した。

 

「笑っている場合ではありません。続けてください」

 

「厳しいな」

 

「鍛錬ですから」

 

 その後は、アルトリアが姿勢を整え、ジャンヌが無理の有無を見て、雄馬が必死に食らいついていく時間になった。

 

 膝の向き、腰の位置、肩の力、視線の置き方。

 

 細かい。とにかく細かい。

 

 だが、細かいからこそ分かることもある。

 

 力はただ強く込めればいいわけではない。速さはただ急げばいいわけではない。積み上げた理屈を身体の動きに落とし込んで初めて、それは使えるものになる。

 

 その感覚を少しずつ掴みかけた頃だった。

 

「またアルトリアさんだけ先に来てます!」

 

 今度は沖田が勢いよく現れた。

 

「見回りです!」

 

「もう誰も信じないだろ、その言い訳」

 

「むむ……では、鍛錬参加希望です!」

 

「最初からそう言えばいいのに」

 

 沖田はふんす、と鼻息を鳴らしてから、雄馬の動きを見て目を丸くした。

 

「おお……だいぶ良くなってますね」

 

「アルトリアに細かく絞られたからな」

 

「絞ったわけではありません。整えただけです」

 

「似たようなもんだろ」

 

「違います」

 

 即答だった。

 

 そのやり取りに、ジャンヌがくすりと笑う。

 

「でも、本当に良くなっています。最初よりずっと、身体の流れが自然です」

 

「ジャンヌさん、そこは私の功績も入りますよね?」

 

「もちろんです」

 

「……私も少しは役に立っているはずですが」

 

「はい、アルトリアさんもです」

 

 そこで雄馬は、ようやく気づいた。

 

 この“こっそり鍛錬”は、もう少しもこっそりではない。

 

 ジャンヌがいて、沖田がいて、アルトリアがいる。二人きりで始まったはずなのに、気づけばしっかり囲まれている。

 

 けれど、不思議と嫌ではなかった。

 

 一人なら気づけなかった癖を見つけてもらえる。折れそうな時には支えられる。立ち止まりそうになったら、前へ押し出される。

 

 その全部が、確かに力になっていた。

 

「……ありがとな」

 

 ぽつりと零すと、ジャンヌは柔らかく笑った。

 

「どういたしまして」

 

 沖田はすぐに胸を張る。

 

「もっと感謝してくださってもいいんですよ!」

 

 アルトリアは静かに腕を組み、

 

「礼は結果で示してください」

 

 と言った。

 

「ほらな、やっぱり厳しい」

 

「当然です」

 

 そう返す声は淡々としていたが、どこか少しだけ柔らかい。

 

 月はまだ高い。

 

 夜気は冷たい。

 

 それでも、その場だけは不思議と温かかった。

 

 雄馬はもう一度足を開く。呼吸を整え、力の流れを意識し、地面を押す。

 

 一歩が出る。次が続く。

 

 その動きを見て、ジャンヌが小さく頷き、沖田が嬉しそうに目を輝かせ、アルトリアがほんの僅かに目を細めた。

 

 こっそり始まったはずの鍛錬は、結局誰にも隠し通せなかった。

 

 けれど。

 

 隠し通せなかったからこそ、少しずつ形になっていくものもあった。

 

 英雄たちに囲まれながら、それでも自分の足で前へ進むための夜が、そうして静かに積み重なっていくのだった。

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