「ゴプリンか?」 黄金の「ゴプリン」消失事件 ―初犯編― 作:Darth Tail
「……報告しろ」
辺境の街を目前に控え、雨音に混じり響く声は、湿った空気よりも重く、冷徹だった。彼は歩みを止めない。疲労という概念を、彼は数年前にどこかへ置き忘れてきたかのようだった。
彼の視線は、周囲の曲がり角や暗がりに潜む脅威を警戒しつつも、頭の中ではパーティの損耗状況を冷酷に計数していた。
「……
「むう……。あと二回。祖竜への祈りも、この湿気には少々難儀したわい。骨身に堪える。拙僧の鱗も、少々湿り気が過ぎるようだ」
「……
「はい……」
女神官は、泥で汚れた
雨水がフードの端から滴り、彼女の視界を遮る。その肩は寒さと疲労で小刻みに震え、
「
「明日の『朝の祈り』までは、補充されません。……今日はもう、本当に疲れました。帰ったら、すぐにベッドに入りたいです……」
彼女はそう漏らし、大きな
その様子を、ゴブリンスレイヤーは兜の奥から無機質に見据えていた。彼の脳内では、彼女の疲労度と、それが翌朝の機動力に与える影響、そして「奇跡」という名の残量が、一分の狂いもなく損耗台帳へ書き込まれていく。
「……そうか。ならば明朝、祈りの儀を終えるまでは戦力外だな。……寝坊しても睡眠を優先しろ。」
「はい……そうします……」
ゴブリンスレイヤーは、その数値を脳内の『損耗台帳』に刻み込む。彼にとって、矢一本の消費も、奇跡一回の行使も、すべては生存という目的のための冷酷な計算式の一部に過ぎない。
一個の小鬼の首を撥ねることと、一基の物資を管理することは、彼の中では完全に等価の優先順位を持っていた。
ギルドの重い扉を肩で押し開けると、安酒の匂いと
だが、ゴブリンスレイヤーは目もくれず食堂の隅へと向かう。そこには、周囲の
『魔法の冷却箱』。
数ヶ月前、小鬼の群れに包囲されていた異界の放浪者を救出した際、礼として託された「兵站供給ユニット」である。
その箱は、上部の投入口からミルク、卵、蜂蜜といった「原材料」を流し込めば、内部の魔力術式によって自動的に調理・密封し、保冷状態で出力する。
異世界の技術――滑らかな質感を持つ『未知の硬化樹脂』の容器と、
ゴブリンスレイヤーは、革手袋を脱ぎ捨て、箱のハッチを開いた。
内部からは、外界の不浄を拒絶する絶対零度の冷気が溢れ出す。庫内の温度管理は完璧だった。
「……在庫、五。『五(ご)プリン』だ。異常なし」
そこには、異世界の樹脂の剛性と、銀色の膜によって完璧に密閉されたプリンが五基、整然と並んでいた。
下段に四基、その接点の上に一基。
彼はこれを『五基重畳(ペンタ・スタック)』と呼称している。四基の台座は強固な地盤を形成し、頂点の一基は陣形の核として全体の安定を司る。この重心の均衡こそが、彼の精神防衛線であった。
「はぁ……。無事でしたね、プリン。美味しそう」
女神官が、手近な水場で泥を落とし、
「ゴブリンスレイヤーさんも、少し休んでください。……あ、これ、手荒れ予防の『
「……断る。注意しろ。その銀華草成分は、糖分および冷気に触れれば『透明な硬化皮膜』を形成する。兵站の汚染だ。」
「もう、汚染だなんて……。これ、『一度塗ると半日は落ちない』から、明日まで指先が守られるんですよ? ギルドの乾燥から肌を守る、大切な備えなんです」
彼女は指先に透明な油を塗り込んだ。その動作は、過酷な冒険の終わりを告げる儀式のようでもあった。
その傍らでは、蜥蜴僧侶が長い舌を出し、冷却箱の深奥を凝視していた。
「おお……ネクタール。至高の
「……管理下にある。……独断での接収は認めん」
ゴブリンスレイヤーは、箱の扉を閉じた。受付では、受付嬢が山のような書類と格闘していた。彼女は手首に白い布を巻いていた。
ギルドの宿直室――この食堂に隣接する小部屋――残務処理が溜まると彼女は泊まり込む事がある。
「おかえりなさい、ゴブリンスレイヤーさん。……あら、また在庫確認?」
「 その『ごプリン』、よっぽどお気に入りなんですね。本当は、一個くらい私が食べて、あなたの糖分摂取を控えたほうがいいんでしょうけど。……あいたたた」
「……受付嬢。手首か」
「ええ、昨夜の書類仕事が溜まっちゃって。『右手を痛めていた』んです。ペンを握るのもやっとで。」
「でも、事務処理を滞らせるわけにはいきませんから。私はすぐ隣の宿直室で、朝まで机に向かっていたんですよ」
「……そうか。善処しろ。怪我は戦力低下に繋がる」
彼は短く答えると、再び雨の中へと消えていった。