「ゴプリンか?」 黄金の「ゴプリン」消失事件 ―初犯編― 作:Darth Tail
ゴブリンスレイヤーの視線が、残る四人に向けられた。受付嬢、
「……さて。受付嬢。貴公の番だ。貴公は管理権限を持ち、冷却箱に最も近い位置に常駐していた」
「心外です、ゴブリンスレイヤーさん! 私はずっと隣の宿直室で、
ゴブリンスレイヤーは、彼女の手首の布を、レントゲンを撮るかのような鋭さで見つめた。
(……受付嬢。彼女は宿舎のマスターキーを持ち、冷却箱へのアクセス権限を完全に有している。……)
(だが、不自然だ。彼女の主張する『右手首の負傷』。昨夜、彼女が事務室で大量の書類を捌く際、その筆致の速度とは裏腹に、手首の捻り運動には明らかな『逃げ』が見られた。)
(冷却箱の扉は気密性を保つためにゴム製のパッキンが噛んでおり、開放には一定以上のトルクが必要だ。それを音を立てずに、かつ手首を返さずに開けることは物理的に困難だ。)
(事務処理という一定の反復運動は可能であっても、扉の開放に伴う不規則かつ強力な『引き』の動作には、その負傷した筋繊維は耐えられまい。……)
(さらに、最大の矛盾だ。彼女には『匂い』を消す手段がない。宿直室の隣でこれを食べれば、カラメルの残香が必ず空調の対流に乗り、朝一番に食堂を訪れた俺の鼻に届くはずだ。今朝、俺が換気口を確認した際、感知されたのは、埃と安酒の匂いだけだった……)
「……受付嬢。貴公の怪我が偽装だとしても、貴公には『匂い』を消す手段がない。……貴公は白だ」
「……あ、ありがとうございます? でも、なんだか
次に、彼は蜥蜴僧侶に向き直った。蜥蜴僧侶は、長い舌で空気を探るようにチロチロと出し、不敵な笑みを浮かべていた。
「……蜥蜴僧侶。貴公は昨夜、二度、食堂を通過したな」
「むう……。左様。拙僧は、至高の供物(ごプリン)の無事を確認するために、深夜に一度、そして明け方に一度、ここを訪れた。だが、指一本触れてはおらん」
(……蜥蜴僧侶。動機は最大だ。あの『震える尾』がそれを証明している。彼はネクタールに対する宗教的な
(だが、彼ではない。彼の指。その構造上、容器の蓋を剥がす際、鋭い爪による擦過痕が必ず残る。さらに、彼の体温だ。)
(爬虫類特有の低い体温を持つ彼が、容器に触れれば、そこに特有の熱交換に伴う結露の乱れが生じる。この現場には、それがない。……)
(あるのは、人間(恒温動物)の指先が引き起こした、わずかな熱の残留痕跡だけだ。さらに言えば、彼ほどの巨体が動けば、床の石材の僅かな浮きによって、冷却箱全体に0.1ミリ程度の傾斜が発生するはずだが、その形跡もない……)
「……蜥蜴僧侶。貴公ではない。貴公の爪では、この薄い蓋を無傷で剥がすことは不可能だ。……貴公も白だ」
「むう……。小鬼殺し殿の観察眼、恐れ入る。だが拙僧、潔白を証明された喜びよりも、ネクタールを食せなかった悲しみが勝るわい。祖竜もこれには苦笑いされよう」
「……魔女。貴公の番だ」
「……あら……。……私を……疑うの……?」
魔女は、紫煙を吐き出し、謎めいた笑みを浮かべた。
「……私の魔法なら……。姿も音も消せるけれど……。」
「……でも……。昨夜の食堂は……あまりに……『無臭』だったわね……。……不自然なくらいに……」
ゴブリンスレイヤーは、兜をわずかに動かした。
「……その通りだ。……匂いがしなかったこと自体が、工作の証拠だ」
彼は、最後の一人――女神官へと視線を固定した。彼女は杖を強く握りしめ、視線を泳がせている。その
「……女神官。貴公だ」
「な、なんです!? 私、ずっと自室で祈ってました! お祈りの後、すぐに寝てしまったんです!」
「……不自然なのだ。昨夜、この食堂に『匂い』が一切残っていなかったという事実が」
「それは……誰かが窓でも開けて換気したんじゃないですか? 夜風は強かったですし、雨の匂いが充満していたのかも……」
「……窓は、内側から閂(かんぬき)がかけられていた。俺が今朝、五時の時点で確認した通りだ。……そもそも、この異世界のプリンを開封した瞬間に漏れ出す濃厚なカラメルの芳香は、通常の換気では完全には拭えん。壁面や木製の机の繊維に、芳香粒子が付着するからだ。……」
「それが感知されなかった理由は一つだ。……貴公は、冷却箱ごと自分を『聖壁(プロテクション)』で包囲し、物理的な気密室を形成した。……地母神の奇跡を、カラメルの匂い漏れ防止の『
「内部で発生した音も、空気の対流も、その障壁の外には一滴も漏れぬ。……これは、対ゴブリン戦における『要塞封鎖』に等しい戦術的流用だ」
「そ、それは……推測です! 証拠なんてありません!」
「……そうですよ。魔女さんなら魔法で簡単かもしれないですよね……。あ、あるいは! 窓から入った素早いゴブリン……ホブゴブリンの仕業の可能性もあります! 奴ら、最近賢くなってるって言いますし、ギルドの屋根の隙間から、音もなく……!」
「……ホブは、匂いを
ゴブリンスレイヤーは、冷徹にその言葉を切り捨てた。その声には、一切の迷いがない。
「奴らなら、容器ごと食い散らかし、周囲を不浄な液で汚染する。……このような精密な抜き取りは行わん。奴らは強欲だが、繊細ではない。……さらに、『恩寵(リソース)』の整合性が取れん」
ゴブリンスレイヤーは、昨夜、雨の中で彼女に問いかけた数値を思い返した。
「……女神官。貴公は昨日の冒険で二回、奇跡を消費した。残りは一回だったはずだ。……そして今朝。貴公は、寝坊したな。朝の集会に五分遅れた」
女神官の肩が、びくりと跳ねた。
「……貴公の部屋の前の床。俺が昨夜、配置した『検知用の塵』は、今朝の祈りの時間になっても動いていなかった。……貴公は今朝、神殿への祈りを捧げていない。……つまり、貴公の奇跡は、まだ補充されていないはずだ。……だが、昨夜、この食堂で『物理障壁』が展開された魔力残滓を俺は検知した。……その最後の一回、何に使った? 昨夜の貴公の報告によれば、残数は『一』。今、それを使ってみろ。浄化でも、小癒でも構わん。……使え」
「えっ……あ、あ……」
「……使えないはずだ。昨夜、ここで消費したからだ。奇跡の乱用だ。……トドメだ。……指を見せろ」
ゴブリンスレイヤーは、彼女の右手の指先に、微細な灰を振りかけた。
すると、何もないはずの彼女の親指と人差し指に、灰が吸着し、容器の縁を掴んだ際の精密な指紋が浮かび上がった。
「……警告したはずだ。『香油と糖分のポリマー化』について。貴公の指先には、冷気によって定着した『透明な皮膜』が残っている。……」
「これは、地母神の香油を常用する者が、高濃度の糖分に触れ、かつ冷却箱の冷気に曝露された際にのみ形成される不変の証拠だ。……水では落ちない。一度定着すれば、数日はその
「……っ、……ああ……」
女神官は、ついに膝を突いた。
「……だって……一口、一口だけ、美味しそうだったから……! 毎日ゴブリンの話ばかりで、疲れてたんです……! 私だって、たまには……甘いものを食べて、心を落ち着かせたかったんです……! 地母神様だって、これくらいの慈愛は許してくださるって……思って……。ちょっとだけ、ちょっとだけなんです……!」
「……地母神がプリンを生成したという記録はない。……横領だ」
ゴブリンスレイヤーは、冷酷に『物資横領に関する事後報告書』を突きつけた。その羊皮紙には、ギルドの正式な印章と、彼の簡潔な筆致で罪状が記されていた。
「……動機は問わん。一ヶ月の甘味摂取権の
「……ひどい……ひどいです……っ、ごめんなさい……」
女神官は、涙を流しながら、自らの不祥事を永年保存される公式記録に刻んだ。
その横では、槍使いが
「……あー、南無三。災難だったな、お嬢ちゃん。あいつに目をつけられたのが運の尽きだ」
と小声で呟き、魔女は
「……お気の毒……さま……。……良い……経験に……なったわね……」
と煙を吐いた。
ゴブリンスレイヤーは、署名を確認すると、それを丁寧に折り畳み、
彼は満足げに頷き、予備の一基を取り出した。
「……よし。『五(ご)プリン』に戻った。……秩序は保たれた。兵站の健全性は、勝利の絶対条件だ」