地下のベルが鳴るたびにーデンレゼifー   作:ルイ(Louie)

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とうとうデンジは、念願のレゼの予約を取り付けることができた。
予約して彼女に会いに来たことを我ながら誇らしく思うデンジ。
レゼとの会話を楽しんでいる最中、「仲良し度アップDAY」なる突発イベントが開催される。


予約済みのご主人様

 予約が取れたというだけで、こんなに落ち着かなくなるものなのかと、デンジは自分でも少し呆れていた。

 携帯電話の通話履歴を、意味もなく二回見た。予約を入れた日時のメモも、三回見返した。

 彼の仕事は完全週休二日制のシフト制で、社員同士で休日を調整することもある。先日、同僚に「この日、代わってくれないか」と頼まれ、デンジがそれを引き受けた。

 そうして入れ替わる形で空いた自分の休日と、レゼの予約可能日を試しに照らし合わせてみた。

 その結果――。

 

『えと……あっ。その日時、レゼさん空いてますよ』

 

 電話対応してくれたコベニが、明るい声でそう言った。

 デンジは携帯電話片手に、思わずガッツポーズを決めたのだった。

 日時を確認してから画面を閉じ、閉じた直後に、いやほんとに合ってたよな、とまた開く。運が良かった。同僚のお願いを聞いてよかった。徳を積むとはこう言うことかもしれない。

 

(でも、まあ、我ながら気持ち悪ぃ……)

 

 ただの店の予約だ。病院でも美容院でも、予約なんて世の中にいくらでもある。なのにどうしてこんなにそわそわするのか、自分でもよくわからなかった。

 ――いや、わかってはいる。

 担当がレゼだからだ。

 今まで三回、あの店に行って、レゼと落ち着いて話せた時間なんてほとんどなかった。

 それが今回は違う。最初から、ちゃんとレゼとの時間がある。そう思うだけで落ち着かない。

 そもそも、何を着ていくかで少し迷った時点でもうだいぶ駄目だった。

 元カノと別れて久しいので、ここしばらく女の子と遊ぶことを意識して服を選ぶことなんてなかった。

 いや、メイド喫茶に行くだけでデートでもなんでもないのだが。

 気合いを入れすぎるのも恥ずかしい。かといっていつも通りすぎるのもなんか違う。結局、いつもよりちょっとだけマシな服という、中途半端なところへ落ち着いた。

 

+++

 

 デンジは四度目の来店のために、雑居ビルへ続く通りを歩いていた。

 平日昼の繁華街は夜と違っていた。ネオンの灯りは沈み、看板だけがくすんだ色で浮いている。人通りもまばらで、夜なら酒と笑い声で濁る通りが、今は妙に現実的だった。

 それでも、あの地下へ続く階段だけは、やっぱり別の場所への入口みたいな顔をしている。

 

「……めんどくせえな俺」

 

 デンジは小さくそう呟き、階段を下りた。

 木の扉の前まで来ると、やっぱり一度だけ深呼吸した。

 何で毎回ここで覚悟決めてんだろ、と思う。でも、決めないと入れない気もする。

 

 デンジは扉を開いた。ちりん、とベルが鳴る。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 

 出迎えたのは、コベニでもフミコでもなく――レゼだった。

 紫色の髪が店のオレンジ色の灯りに柔らかく溶けている。緑の目がすっと細まり、見慣れたはずの笑顔が、今日はいつもより真正面から自分へ向けられていた。

 一瞬だけ、デンジは言葉を失った。

 

「……おう」

 

 ようやくそれだけ返すと、レゼは少し楽しそうに笑った。

 

「ちゃんと来たね」

「予約したんだから来るだろ」

「ふふ、そうだね」

 

 そのやり取りだけで、妙に喉が乾く。

 普通の会話だ。普通に予約した客と店員の会話だ。なのに、最初からレゼが自分を迎える形になっているだけで、今までと全部違って見えた。

 レゼが少しだけ身を引いて、店の中を示す。

 

「どうぞ、ご主人様」

 

 その言い方はおどけているようでもあり、ちゃんと今日の役目を果たしているようでもあった。

 デンジは店の中に足を踏み入れる。そこで少しだけ目を瞬かせた。

 店内は思っていたより、ずっと静かだった。

 客は、他にいない。テーブル席もカウンターもがらんとしている。照明はいつも通りオレンジ色で、BGMも流れているのに、人がいないだけでこんなに空気が違うのかと思う。

 一瞬、デンジは、ひょっとして、わざわざ予約なんか取らなくてもよかったんじゃねえか、と思った。

 だが、すぐに前回のことを思い出す。

 

「予約して、ちゃんと会いに来てね」

 

 レゼはたしかにそう言った。

 それに、平日の昼は空いていることが多いと教えてくれたのもコベニだった。その時間を狙って、ちゃんと予約を入れて来た。

 だから今日ここにいるのは、たまたまじゃない。

 レゼとの約束を守って来たのだと思うと、少しだけ自分でも悪くない気がした。

 

「……俺以外、客いねぇんだな」

 

 奥から顔を出したコベニが、少し困ったように笑った。

 

「は、はい……平日のお昼ですし、こういう日も流石にありますよ」

「へえ……」

「い、いつもがいつもあんなに賑やかなわけじゃないので……」

 

 珍しく早起きして来た甲斐はあったのかもしれない、とデンジは思った。

 普段の休日なら前の日に夜更かしして、昼までだらだら寝ていることが多い。だが今日は、睡眠時間もちゃんと確保して、妙に真面目にここまで来ている。そこまでして来た自分を、少しだけ笑いたくもなった。

 

「何か安心したわ」

「安心、ですか?」

「予約社会が強すぎる店かと思ってたから」

「それは強いですけど……」

 

 そのコベニの返しに、デンジはちょっと笑った。

 レゼがその様子を見ながら、少しだけ目を細める。

 

「今日はちゃんと、デンジ君の時間たっぷりあるよ」

 

 その一言が、妙にまっすぐ胸へ来た。

 

「……そうかよ」

 

 ぶっきらぼうに返したものの、自分の声が少しだけ上ずっているのはたぶん隠せていなかった。

 レゼに席へ案内される。

 客がいないせいか、店はいつも以上に小さく感じた。四回目ともなると空気自体はだいぶ馴染んでいるのに、今日はその馴染んだ空気の中で自分だけがそわついていた。

 レゼはデンジの向かいに立ったまま、にこりと笑う。

 

「今日は何飲む?」

「前と同じにする? って言われたらさすがに断る」

「前?」

「カシスソーダ」

 

 一瞬、デンジの脳に歯磨き粉のミント臭が記憶ごと蘇った。

 レゼはすぐ吹き出した。

 

「あはは、ごめんごめん。思い出させちゃった」

「……笑い事じゃねえんだよあれは」

「でも全部飲んだでしょ? 伝説のデンジ君」

「だから、その韻踏んだあだ名やめてくれって」

 

 レゼは楽しそうに笑いながらも、ちゃんと話を続けてくれる。

 

「じゃあ今日は、お昼からアルコール? それとも普通のソフトドリンク?」

「ソフドリにしとく」

「えらい」

 

 その一言で、デンジは少しだけ目を逸らした。

 

「……その、えらいえらい言うの流行ってんのか」

「え? そうかな」

「そうだろ」

「じゃあ今から。もっと言おっか」

「やめろやめろ」

 

 すぐ返したつもりだったが、レゼはやっぱり面白そうに笑った。

 

「デンジ君、ちょっと前より話しやすくなったね」

「そうか?」

「うん。一回目なんて、目全然合わなかったし」

「そりゃ……」

 

 あの時は本当にきつかった。入店した瞬間から何もかも初めてで、レゼは可愛いし、店の空気は独特だし、そのうえ指名を迷ってるうちに別の客に持っていかれるしで、感情が忙しすぎた。

 

「まあ、ちょっとは慣れた」

 

 デンジがぶっきらぼうに言うと、レゼは小さく頷いた。

 

「そっか。よかった」

 

 その「よかった」が、接客の定型なのかどうかはわからなかった。

 けれど、少なくとも嫌な感じはしなかった。

 レゼが飲み物の注文を取り、少しだけ雑談を続ける。平日の昼はこんな日もあるとか、最近フードメニューが少し増えたとか、イベントはだいたいフミコが考えるから当たり外れが激しいとか、レゼが最近自動車学校に通ってるだとか、そういう他愛ない会話だった。

 その何でもなさが、デンジにとって逆にすごくよかった。

 レゼと普通に話せている。ちゃんと、自分の相手として彼女がここにいてくれる。

 それだけで、彼は思っていたよりだいぶ満たされていた。

 そして、だからこそ、その乱入は最悪のタイミングだった。

 

「うわ」

 

 聞き覚えのありすぎる声が、完璧な間で割り込んできた。

 

「今日はちゃんとレゼさん取れてる〜!」

 

 デンジは即座に眉を寄せた。

 

「……フミコかよ」

 

 フミコだった。

 金色のネームプレート。あの薄い笑み。メイド服を着ているのに、可愛らしさより企み顔の方が先に立つ女。

 

「取れてるよ。悪いか」

「悪くないですけど、何か腹立ちますね」

「何でだよ」

 

 レゼが苦笑する。

 

「フミコ、今日も煽るね〜」

「だってー。予約社会を勝ち抜いたデンジさん、今日なんか偉そうなんですよ」

「偉そうじゃねえよ」

「ちょっと浮かれてる感じある」

「うっせ」

 

 図星を雑に突かれて、デンジは口を尖らせる。

 レゼは明らかに面白がっていた。

 

「デンジ君、浮かれてるの?」

「浮かれてねえよ」

「声がちょっと速いよ?」

「……そんなことねぇよ」

 

 フミコは満足そうに頷き、レゼの横に立った。

 

「で、今は暇なんで〜。デンジさんが、やっとレゼさんの予約取れた記念に、突発イベントを開催しまーす」

「は?」

「ほかに客もいないし、ちょうどいいかなって」

「ちょうどいい、で始めんな」

「イベント名、仲良し度アップDAYです」

「何だそりゃ」

「いくつかミッションやると、限定チェキとかメッセージカードがもらえます」

 

 そこへコベニが、イベント用らしい小さな台紙を抱えてやってきた。

 

「ふ、フミコ先輩、これ……」

「ありがとコベニ。あんた補助ね」

「えっ、またですか」

 

 デンジはじろりとフミコを見た。

 

「まさかそれ、別料金とか言わねえよな」

「え? 言いますよ?」

「言うのかよ!」

「イベントですもん」

「予約して来た客にさらに乗せんのか?」

「限定企画なんで」

「商魂たくましいな……」

 

 フミコはにやりと笑った。

 

「で、どうします? やります?」

「やらねえって言ったら?」

「レゼさんとの通常接客だけで終わります」

「それで十分だよ」

「でも限定チェキとメッセージカードはなしです」

「む……」

「楽しい楽しい仲良し度アップイベントも、二度と出来ないかも〜」

「…………」

「あと今この店、正直かなり暇なんで」

「最後の一言いらねえだろ」

 

 デンジは少し黙った。

 イベント料金は正直、余計だと思った。思ったが、渋る気にはあまりならなかった。

 せっかく取れたレゼの予約だ。ここで変にケチって、後から「あの時やっときゃよかった」と思うのも嫌だった。

 

「……いくら」

 

 金額を聞く。少しだけ顔をしかめる。それでも結局、すぐに答えた。

 

「……やる!」

「まいどあり~」

 

 フミコが嬉しそうに言う。

 

「現金ですねぇ」

「今さらだろ」

「いやでも、そこ渋らないのえらいです」

「褒めんな」

 

 そのやり取りを見ながら、レゼは少しだけ驚いていた。

 デンジはもっと文句を言うかと思っていた。言うには言ったが、結局ちゃんと払うし、結局ちゃんと付き合う。

 そこまでして今日の時間を買うのか、と思うと、また少しだけくすぐったい。

 フミコは台紙をぴらっと掲げた。

 

「では第一ミッション。お互いの第一印象を言い合ってください。まずはデンジさんからどうぞ」

「何で俺からなんだよ」

「苦しそうだから」

「理由が最悪」

 

 レゼが頬杖をついて、楽しそうに待っている。

 

「え、知りた〜い」

「乗るなって……」

 

 デンジは言葉に詰まった。

 第一印象。そんなの決まっている。可愛い。やたら可愛い。緑の目が綺麗で、笑った顔が眩しくて、最初に見た時なんか直視するのもしんどかった。

 だが、そんなことを正面から言えるわけがない。

 

「……ちゃんとしてんなって」

 

 絞り出した言葉は、我ながら微妙だった。

 レゼが首を傾げる。

 

「何それ」

「いや、可愛い系っていうか……ちゃんとしてる感じっていうか……」

「可愛い系でもいいよ?」

 

 フミコが即座にメモる。

 

「はい、逃げた」

「逃げてねえ!」

 

 レゼはくすくす笑ったあと、今度は自分の番だと言わんばかりに口を開いた。

 

「じゃあ私も言うね」

 

 少しだけ考える顔をして、それから言う。

 

「最初は、すごく緊張してる子だなって思った」

「……」

「ほんとに目、全然合わなかったし」

「そりゃそうだろ」

「でも二回目三回目で、意外とまた来てくれるんだなって思った」

 

 デンジは視線を少し落とした。

 また来てくれる。

 そんな風に言われると、自分がここへ来たことがちゃんと認識されていたんだとわかる。

 

「あと」

 

 レゼはいたずらっぽく笑った。

 

「わかりやすくて可愛いなって思ってた」

「……は?」

 

 フミコが机を叩く。

 

「うわ出た! レゼさん、それは強い」

 

 コベニまで小さく「つ、強いです……」と呟いている。

 

「い、今の、接客の範囲超えてねえか?」

 

 デンジがようやく言うと、レゼはきょとんとしたあと笑った。

 

「そう?」

「そうだろ!」

「だって本当にそう思ってたし」

 

 その返しがまた駄目だった。

 冗談に逃げられない。デンジは耳のあたりが熱くなるのを自覚した。

 

「はい、第一ミッションクリア。デンジさんだけ大ダメージ」

「何で採点がその方向なんだよ」

 

 第二ミッションは、仲良しチェキポーズだった。

 

「指定されたポーズで二人仲良くチェキを撮りまーす」

「その時点で嫌な予感しかしねえ」

「まずは肩寄せ」

「……意外と軽いな」

「ジャブなんで」

 

 フミコがそう言いながら、レゼの肩を軽く押す。

 レゼは何のためらいもなく、デンジの方へ少しだけ寄った。

 それだけで近い。服の袖が触れそうなくらい近い。

 

「硬」

 

 フミコが言った。

 

「肩が硬いです、デンジさん」

「硬くなるだろ!」

「何でです?」

「何でって……!」

「私は平気だよ?」

「レゼ、そういうとこだよ」

「どういうとこ?」

「困らせてくるとこ!」

 

 コベニがカメラを持って、おろおろしながら立っている。

 

「え、えっと、撮りますね……?」

 

 ぱしゃり、と音が鳴る。

 

「次、片手ハート」

「またハートかよ」

「定番なんで」

 

 レゼが自然に半分のハートを作る。

 デンジもぎこちなく自分の半分を作る。

 指先が近い。ギリギリ触れていないのに変に意識する。

 

「もっと丸く」

 

 フミコが横から指示を飛ばす。

 

「デンジさんの方、崩れてます」

「うるせえな」

 

 コベニがシャッターを切る。そして浮かび上がってきた写真を見て苦笑いをする。

 

「デ、デンジさん、手が震えてたからハートが片方ブレてます……」

「言わないで!」

 

 第三ミッションは、褒め合いだった。

 

「お互いのいいところを一つ言ってください」

 

 フミコが言う。

 

「ではレゼさんからどうぞ」

 

 レゼは迷わなかった。

 

「ちゃんとまた来てくれるところ」

「……」

「あと、不器用だけど素直なところ」

「……」

「見てて飽きないところ」

「……三つも言ってんじゃねえか」

「サービスだよ」

「その言葉便利だな」

 

 そのどれもがデンジには効いた。

 ちゃんとまた来てくれるところ。

 不器用だけど素直なところ。

 見てて飽きないところ。

 どれも、接客としてギリギリ成立しそうなのが余計によくない。本気か冗談か、その線をわざと曖昧にされてる感じがする。

 フミコが肘で机をつついた。

 

「次、デンジさん」

「……」

「黙っても逃げられませんよ」

「……すごく可愛い」

 

 出た言葉は、結局それだった。

 もっと気の利いた言い方もあったのかもしれない。だが、いざ口に出そうとすると全部が変に飾った感じになってしまう気がして嫌だった。

 だから一番雑で、一番本音に近いところへ落ちた。

 レゼが少しだけ目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。

 

「知ってる〜」

「レゼまでそれやるのかよ!」

「でもうれしい」

「……うっ」

 

 フミコが机に突っ伏すみたいに笑っている。

 

「うわー、直球出た」

「う、うるせえ!」

 

 第四ミッションは、おまじない耐久だった。

 レゼが軽食をテーブルに置く。

 

「じゃあ、おいしくなるおまじないかけるね」

 

 でも今回は違う。

 レゼが、自分のために、自分の目を見て、ちゃんとやる。

 それだけでまるで別物だった。

 レゼは指先で小さくハートを作って、少しだけ身を乗り出した。

 

「おいしくなーれ♪」

 

 声が近い。

 目も近い。

 デンジは、まともに返せなかった。

 フミコが横から刺す。

 

「あれ、今日はうぜえって言わないんですね?」

「言わねえ」

「同じおまじないなのに相手で反応違いすぎでは?」

「言わねえっての」

 

 レゼは完全に面白がっていた。

 

「デンジ君、ほんとわかりやすいね」

 

 そして最後の最後で、フミコはやっぱり余計なことを言った。

 

「で」

 

 台紙を見ながら、何気ない声で言う。

 

「デンジさんは、今日ずっと楽しいですか?」

 

 その瞬間だけ、デンジは少し固まった。

 今までのミッション全部が、ただのイベント進行の中のやり取りだったのに、その問いだけ妙に芯へ届いた。

 

「……は?」

「いや、だって今日はちゃんとレゼさんの予約取れてるし」

「そういうこといちいち言うな!」

「え、違うんですか?」

「……違わねえけど!」

 

 口が先に動いた。

 言った瞬間、しまったと思った。

 レゼが目を丸くする。コベニが「わっ」と小さく息を呑む。フミコは完全に、今のが欲しかったと顔に書いてある。

 

「出た、本音」

「うるせえ!」

 

 だが、レゼはからかわなかった。

 少しだけ目を細めて、普通に、静かに言った。

 

「そっか」

「……」

「じゃあ今日、ちゃんと予約してくれてよかった」

 

 その一言が、今日いちばんデンジに効いた。

 派手じゃない。甘すぎもしない。接客の範囲からギリギリ出てないようにも聞こえる。

 その境目が、いちばんずるい。

 デンジは何も言えず、ただ少しだけ視線を逸らした。

 その言葉を言いながら、レゼ自身も少しだけ照れていた。

 彼女は本当に、来てくれてよかったと思っていた。平日の昼で店は空いていて、だからこそ余計に、この時間がはっきり自分のために取られているのだとわかる。

 それが、少し特別だった。

 

+++

 

 イベントの最後に、フミコが勝手に結果発表を始めた。

 

「では、相性チェック結果でーす」

「まだあんのか」

「当たり前です。台紙埋まりましたし」

 

 フミコはわざとらしくコホンと咳払いをした。

 

「……会話相性、良」

 

 レゼが「おお〜」と面白そうに反応する。

 

「チェキ耐性、デンジさんのみ難あり」

「……知ってる」

「距離感適応、要改善」

「わかってる」

「レゼさん満足度、高」

「何でそこ勝手に決めてんだよ」

「実際、満足度高いよ?」

 

 レゼが普通に言った。

 

「今日、楽しかったし」

 

 またそうやって不意打ちで言う。デンジは水を飲んで照れを誤魔化した。

 賞品は、限定チェキと、レゼからの一言メッセージカードだった。

 チェキは今日撮った中でいちばんまともな、肩を少し寄せたやつになった。変なポーズでもなく、見つめ合い地獄でもなく、二人とも普通に笑っている。

 それが逆に、一番くる。

 レゼは小さなカードに何かを書いてから、デンジへ渡した。

 

「はい。今日の特典ね」

 

 カードには、丸みのある字でこう書かれていた。

 

『今日はありがとう。デンジ君とたくさん話せたし、イベントも楽しくて、ちょっと特別でした。また会えたらうれしいな』

 

 ただそれだけ。

 ただそれだけなのに、妙に特別に見えた。

 

「……」

「どう?」

 

 レゼが覗き込んでくる。

 デンジはカードをすぐに伏せた。

 

「どうって……」

「嬉しそうですけど」

 

 フミコが横から言う。

 

「な、なんだよ」

「顔が全部言ってる」

「いちいち心読むな!」

 

 帰り際、レゼはレジのところまで来てくれた。

 

「次はもっと自然に話せるといいね」

「……それは、ある意味この店次第だろ」

「ふふ、たしかに」

 

 扉が開く。ちりん、とベルが鳴る。

 レゼに見送られて、デンジは階段を上った。

 彼は地上に出た後、メッセージカードをもう一度だけ見た。

 たぶん接客だ。百パー接客だ。

 でも、それを百パー接客だと言い切ってしまうには、レゼの声や笑い方や、少し近かった肩の距離や、そういう細かいものが邪魔をする。

 

「……いやいやいやいや……接客だ」

 

 自分に言い聞かせるように呟く。

 それでもカードをもう一度見る。

 それから、それを財布へ丁寧に挟んだ。

 

「……まあ、また行くけど」

 

 誰に言うでもなくそう呟いて、デンジは少しだけ足取りを軽くした。

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