地下のベルが鳴るたびにーデンレゼifー   作:ルイ(Louie)

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あのメイド喫茶へ行って、レゼに会うためにデンジは日々の生活を熱心に過ごしていた。結果的に生活が回るようになり、知り合いからは健全客と茶化される。
すっかり常連になったデンジだったが、通うからこそ見えてくるものが出て来て、変な意識が芽生えてしまう。そんな時、フミコのメンタルケアが始まるのであった。


お悩みですか、ご主人様

 メイド喫茶に二週間に一度くらいのペースで通うようになった、なんて言うと、何だかずいぶん重症みたいに聞こえる。とデンジは思った。

 しかし実際、最近の彼はそのくらいの頻度であの地下の店へ顔を出していた。

 毎回レゼを指名しているわけじゃない。そこまでの余裕はないし、そもそも毎回都合よく予約が取れるわけでもない。仕事終わりに少しだけ寄る日もあれば、気が向いてふらっと入る日もある。フミコやコベニと軽く喋って、フードや飲み物ひとつで帰る日だって普通にあった。

 それでも、通っていると言えば通っている。

 しかも厄介なことに、それは日常を壊す方向ではなく、妙に整える方向へ働いていた。

 デンジは自分でもそれを少し気味悪く思っていた。

 次の平日休み、時間が合えば予約できるかもしれない。仕事帰りに少し寄れるかもしれない。

 そう考えると、仕事の方をきっちり片付けたくなる。だるいタスクを後回しにせず、その日のうちに潰す。予定が読めないのが嫌で、前よりちゃんとスケジュールを確認する。雑用も、どうせやるなら早めに終わらせようという気になる。

 メイド喫茶に行くことを、自分へのご褒美みたいに扱っている節があった。

 やっぱ重症だな。とデンジは思う。

 でもそのおかげで、生活の方は妙に上手く回っていた。

 彼をメイド喫茶に連れて行った張本人である、あの知り合いに、何となくその話をした時も、相手は呆れるより先に笑った。

 

「何それ、お手本みたいな健全客じゃん」

 

 そう言われて、デンジは少しだけ嫌な顔をした。

 

「健全客?」

「だって店に行くために生活整ってんだろ?」

「なんだかんだでな」

「いいことじゃん。借金して貢ぐとか、仕事サボって通うとかじゃなくて、ちゃんと働いて、ちゃんと休み取って、ちゃんと行ってんだろ?」

「……まあ」

「立派立派」

 

 その「立派」が妙に腹立たしかった。

 腹立たしいのに、完全には否定できなかった。

 そういう意味ではたしかに、自分はまだ、わりとまともな側にいるのかもしれない。

 それでも、最近ちょっと面倒なものが一つ増えていた。通うようになったからこそ、見えるものが増えたのだ。

 その日も、デンジは仕事終わりに店へ来ていた。

 日中のだるさが少し尾を引いたまま、地下の階段を下りる。ベルが鳴り、甘い匂いとコーヒーと油の混ざった空気が出迎える。

 

「お、おかえりなさいませ、ご主人様」

 

 出てきたのはコベニだった。

 

「あ、デンジさん」

「よっ」

 

 もうこのやり取りも馴染んできている。コベニが自分の顔を見て「あっ」と表情が綻ぶ感じも、デンジが片手を軽く上げて返す感じも、もうすっかり自然になっていた。

 

「今日は混んでるな」

「今日はちょっと給料日の後だから……」

「ああ」

 

 それでだいたい察しがつく。

 

 店内を見回すと、やはりいつもより客が多かった。テーブル席もカウンターも埋まり気味で、メイドたちもわりと忙しそうに動いている。

 そして当然のように、レゼのところには客がついていた。

 デンジは彼女が人気なのはとっくに知っている。今さらいちいち傷つくほど、デンジも最初の頃ほど初心ではなくなっていた。

 問題は、その「人気」の中身だった。

 レゼの卓にいる男は、四十代か五十代、そのくらいに見えた。スーツ姿で、髪もそこそこ整っていて、別に下品な感じではない。むしろ小綺麗だった。

 けれど、その客のテーブルにはチェキが何枚も重なっていたし、レゼの前には差し入れられたらしいドリンクがもう二杯は並んでいた。テーブルの中央にはラッピングされた箱らしきものも見える。

 それを見て、デンジは何とも言えない顔になる。

 別にルール違反ではない。金を払って、店のサービスを受けて、身銭を切って贈り物をしているだけだ。店としてはありがたい客だろうし、レゼだってちゃんと接客している。何一つおかしなことはない。

 それなのに、見ていると腹のあたりがざわついた。

 じゃんじゃん金落としてんな、とまず思う。

 それから、バカじゃねえの、とも思う。

 その次に、俺もこんな店通ってる時点で、方向違うだけで似たようなもんか、という気分になる。

 そこで急に、自分の中の悪態が全部自分へ返ってくる感じがして、余計に嫌だった。

 コベニに案内されて席へ着きながら、デンジはもう一度だけレゼの卓を見た。あの客はまた何か頼んでいる。レゼは笑って応じている。距離も近い。たぶん、何度も来てるやつなんだろう。

 それを見ている自分が、とてもみっともなく感じた。

 

「……何かさぁ」

「はい?」

 

 コベニがメニューを手にしたまま首を傾げる。

 

「あ、いや、何でもねえ」

「そうですか……?」

 

 何でもなくはなかったが、デンジはコベニに言うのも違う気がした。

 コベニは優しいし、話を聞いてくれないわけじゃない。たぶん心配もしてくれる。でも、この手の生々しいモヤモヤをぶつけるには、コベニはちょっとまともすぎた。

 だからデンジは、別の相手が来るのを待った。

 そういう時に限って、察したみたいに現れる女がいる。

 

「うわ。何か顔暗〜い」

 

 フミコだった。

 金色のネームプレート。いつも通りの薄い笑み。可愛いメイドの筈なのに、どう見ても企み顔の方が気になる。

 ただ最近は、デンジの中で彼女に対する印象もだいぶ変わってきていた。

 一回目みたいに警戒しかないわけでもない。二回目みたいにバトル一色でもない。何だかんだで、この店の中でいちばん変な本音を言いやすい相手かもしれない、とデンジは思い始めていた。

 

「仕事で何かありました?」

「いや」

「じゃあ男の悩み」

「何だよその雑な感じ」

「当たってるでしょ?」

 

 当たっていた。

 デンジは少しだけ眉を寄せて、テーブルに肘をついた。

 

「……ああいうの見てるとさ」

「はいはい」

 

 フミコは勝手に向かいへ座った。もう今さら、それについて文句を言う気も起きない。

 

「何か、バカみてえだなって思うんだよ」

 

 デンジが顎でレゼの卓をしゃくると、フミコは一瞬だけそっちを見て、すぐ理解したらしかった。

 

「ああ」

「いや、別にルール違反とかじゃねえのはわかってる。店としては正解なんだろうし」

「じゃんじゃん落としてくださいますもんねぇ」

「……まあ」

「差し入れ、チェキ、追加オプション、長めの指名」

「よく見てんな」

「店員なんで」

 

 その言い方が腹立つほど普通で、逆にデンジのモヤモヤを浮き彫りにした。

 

「別にアンタらが悪いとかじゃねえんだよ」

「うん」

「でも、何か嫌なんだよ」

「へえ」

 

 フミコは、そこで変に茶化さなかった。

 ちゃんと続きを待つ顔をしたのが、少し意外だった。

 

「金の使い方っていうか……何つーか。ああいうの見てると、バカじゃねえのって思うし」

「うん」

「でも自分もこんな店通ってる時点で、方向違うだけで似たようなもんかとも思うし」

「うん」

「しかも俺、別にそんな派手に使えるほど金ねえし」

「はい」

「だから余計、何か……」

 

 そこでデンジは言葉を切った。

 

 自分でも、何をそんなに嫌がってるのか、ぴったりの言葉が見つからない。

 フミコはそこで、急に小さく笑った。

 

「出ました」

「何だよ」

「メイド喫茶ハマりたてあるあるです」

 

 デンジは顔をしかめる。

 

「は?」

「推しができる。他の客が気になる。金落とす客はもっと気になる。自分はそこまでできない。でも来るのはやめない」

「……」

「だいたい一回通りますよ、そのへん」

 

 言われてみると、妙に腹立つのに、妙に図星でもあった。

 フミコは頬杖をついて続ける。

 

「ここで冷たい店員だと、『嫌なら来なきゃいいじゃないですか』って言うんですけど」

「アンタ言いそうだな」

「言えますよ〜。言おうと思えば」

「だろうな」

「でも私は優しいので」

「どの口が……」

 

 フミコはどこから出したのか、小さいメモ帳をぴらっと開いた。

 

「今日は特別企画を用意します」

「……またかよ」

「またです」

「めんどくせえなぁ」

「題して、夢との付き合い方講座」

「胡散臭ぇ……」

 

 フミコは気にせず続ける。

 

「ご主人様が健全に夢を見続けるための、メイド喫茶ライフ設計セミナーです」

「余計に胡散臭ぇよ」

 

 だがフミコはやる気だった。

 しかも今回は、いつもの「絶対ろくでもない方向へ連れていく」顔だけではなかった。

 面白がってはいる。面白がってはいるが、ちゃんとデンジのモヤモヤをほぐすつもりもある顔だ。

 それがなんとなくわかったから、デンジも強く拒否しきれなかった。

 

「第一講座」

 

 フミコが指を一本立てる。

 

「この講座を通して、重課金客を見ても死なない心を見つけていただきます」

「趣旨がもう煽ってるだろ」

「まずは客のタイプを知っていきましょう。これにはいくつ型があります」

 

 フミコはメモ帳に勝手に分類を書き始めた。

 

「生活破綻型、余裕資金型、見栄張り型、純粋応援型、何かもうライフワーク型などなど」

「ライフワーク型って何だよ」

「人生の一部になってる人です」

「怖えよ」

「で、デンジさんは」

 

 フミコは少しも迷わず書いた。

 

「中途半端に常識があるから一番揺れる型」

「嫌な分類しやがるな……」

「でも合ってるでしょ?」

 

 合っていたので、デンジは舌打ちの代わりに小さく鼻を鳴らした。

 

「次」

 

 フミコは勝手に講座を進める。

 

「お金をかけずに夢を見る方法」

「店員が言っていいのかそれ」

「言いますよ。店としては長く通ってもらう方が大事なんで」

 

 その返しが妙に商売人で、デンジは少し目を細めた。

 

「いっぱい使う客が偉いのは、それはそうってやつです」

「そうなのかよ」

「そりゃ店としてはありがたいですし」

「じゃあこの話終わりじゃねえか」

「でもそれだけだと店ってしんどいんですよ」

 

 フミコはそこで少しだけ真面目な声になった。

 

「毎回無理して指名しない。オプション全部乗せしない。差し入れ合戦に参加しない。来られる時に来る。楽しかったらまた来る」

「……」

「そういう客も普通に大事です」

 

 その理屈は、正論だった。

 正論なのに、フミコが言うと少しだけ胡散臭い。

 でも胡散臭いだけじゃなく、本気も混ざっているのがわかる。

 

「夢って、金額だけじゃなくて、続くことも大事なんで」

「アンタ、たまにまともなこと言うな」

「たまにって何ですか失礼な」

 

 そこへコベニがドリンクを持ってきた。

 

「お待たせしました……って、何してるんですか?」

「講座よ、講座」

「またですか……」

「今回はわりとためになるやつ」

 

 コベニはデンジの顔とフミコのメモ帳を見比べ、それから小さく首を傾げた。

 

「いっぱいお金を使う人は、やっぱり目立ちますけど……」

「うん」

「でも、来てくれるだけで嬉しいって思うメイドも、いると思います……」

 

 コベニの言い方は、いつも少しだけ自信がない。

 

 断言じゃなくて、「思います」とか「たぶん」とか、そういう逃げ道をちゃんと残した言い方をする。

 

 でも、だからこそ嘘っぽくない。

 

「デンジさんみたいに、普通に来て、普通に話して、普通に帰る人も……た、たぶん大事です」

「たぶんかよ」

「断言して違ったら怖いので……」

 

 そこがコベニらしくて、デンジは少しだけ口元を緩めた。

 

「で、第三講座」

 

 フミコが水を差されたとも思わず続ける。

 

「他人じゃなく、自分の来店履歴を見ましょう」

「何だよそれ」

 

 フミコが勝手に数え始める。

 

「一回目、歯磨き粉スペドリ」

「その名前で定着してんのやめろ」

「二回目、ロシアンルーレット寿司」

「やめろって」

「三回目、適性試験」

「最悪だな改めて並べると」

「四回目、仲良しイベント」

「……」

「五回目、夜の締めラーメン」

「それだけ妙に平和だな」

 

 フミコは得意げに笑った。

 

「ま、その後も回数を重ねていただいてますけれど、私が最初から今まで覚えているってことは、デンジさん。つまり貴方は太客のおっさんらよりよっぽど記憶に残ってますよ」

 

 デンジは少し黙った。

 金をじゃんじゃん落とす客は、目立つ。店にとってもありがたい。レゼだって当然、そういう客にはちゃんと接客する。

 でも、自分は自分で、別の意味でこの店に痕跡を残してるのかもしれない。

 それはそれで、何か複雑だった。

 

「……褒めてんのかそれ」

「半分は」

「半分かよ」

「いや、半分とはいえだいぶ褒めてますよ」

 

 フミコはそう言ってから、少しだけ肩をすくめた。

 

「別に、お金いっぱい使う客が全部じゃないんで」

「……」

「そういう人たちはそういう人たちで、ありがたいです」

「うん」

「でも、そういう人ばっかりだとメイド側もしんどいんですよ」

「何で?」

「疲れるからです」

 

 それはあまりにも率直だった。

 

 コベニが慌てて小声で言う。

 

「フミコ先輩、言い方……!」

「でも本当じゃん」

 

 フミコは悪びれない。

 

「普通に来て、普通に喋って、変な方向で記憶に残って、でも無理なく帰ってくれる客って、店としては助かるんですよ」

「変な方向って余計だろ……」

「そこはもう諦めてください」

 

 デンジはそこで、ふと前から引っかかっていたことを口にした。

 

「つーかさ」

「はい?」

「前から思ってたけど、二人とも他のメイドよりシフト入ってること多いよな」

 

 フミコが少しだけ目を細める。コベニはきょとんとした。

 

「レゼとか他の子は『今日いねえな』って日あるけど、二人ともだいたいいるじゃん」

「へえ、見てるんですねぇ」

「嫌でもわかるだろ。つーか、それ」

 

 デンジは少し眉を寄せた。

 

「時給じゃないよな?」

「何その聞き方」

「いや、バイトって感じしねえんだよ」

 

 フミコはそこで、にやっと笑った。

 

「お、やっと気づいた」

「何に」

「そりゃ社員ですし」

「……は?」

 

 一瞬遅れて、デンジの顔が止まる。

 

「……メイドって皆、バイトじゃねえの?」

「違いますよ。私チーフですし」

「チーフって肩書きだけじゃなかったんだな……」

「失礼ですね」

 

 そこで、横からコベニが遠慮がちに手を挙げた。

 

「わ、私も一応……社員です……」

「えっ」

 

 デンジが本気でそちらを見る。

 

「コベニちゃんも!?」

「は、はい……その、バイトからそのまま……」

「マジかよ」

「そ、そんなに驚かなくても……」

「いや驚くだろ。何かこう、守ってあげなきゃいけないバイト枠みてぇな…… 」

 

 フミコがすかさず笑う。

 

「この店、コベニいなかったら普通に締まりませんからね」

「フミコ先輩、それは言いすぎです……!」

「言いすぎじゃないよ」

「えっ、そ、そうですか……?」

 

 デンジは二人を見比べて、妙に納得したような、まだ少し納得しきれてないような顔になった。

 

「……何か、急に店の見え方変わるな」

「今さらですか〜?」

 

 そのやり取りを、レゼは少し離れた場所から聞いていた。

 全部は聞こえない。けれど断片はわかる。

 デンジが太客を気になっていること。自分はそこまでできないこと。それでも来るのをやめないこと。

 デンジが黙ってる時は、たいてい「別に」じゃない。最近はだいぶわかるようになってきた。

 だからレゼは、そのざわつきが少しだけ想像できた。

 そして少しだけ、嬉しくもあった。そこまで自分のいる場所を気にしてくれているのだと思うと、やっぱり特別に感じる。

 

+++

 

 フミコの講座がひと段落した、そのタイミングを見計らったみたいにレゼがデンジの卓へ来た。

 

「何か、こっち盛り上がってるね」

「デンジさんのメンタルケアです」

 

 フミコが平然と言う。

 レゼが目を丸くした。

 

「メンタルケア?」

「夢との付き合い方講座だってよ」

「ふふ、何それ」

「俺もそう思う」

 

 デンジがぼそっと言うと、レゼは笑った。それから、少しだけ首を傾げる。

 

「デンジ君、今日ちょっと静かじゃない?」

「……別に」

「別に、の時は別にじゃないでしょ」

「……そうかもしんねぇ」

 

 レゼはまた笑った。

 その笑い方が、変に追い詰める感じじゃない。何かあるなら聞くけど、無理にこじ開けはしない、みたいな距離感だった。

 

「……いっぱい来てくれたり、お金落としてくれる人も嬉しいけど」

 

 何気ない調子で、レゼが言う。

 デンジは顔を上げた。

 

「デンジ君は、来るたびに何かあるから覚えやすいよ」

「……」

「また来たって、すぐわかるし」

「……そうかよ」

「うん。だいぶ面白いし」

 

 最後にそれで逃がすのが、レゼらしいのかもしれなかった。重くしすぎない。けれど、ちゃんと届くところには届く。

 デンジは小さく息を吐いた。

 

「面白いで片づけられてる気もするけどな」

「でも忘れないよ」

 

 レゼはそう言って、ほんの少しだけ笑みを深くした。

 

「そこは安心していい」

 

 その言葉で、前半から腹の奥にあったざわざわが、少しだけほどけた。

 完全に消えるわけじゃない。

 だけど、少し軽くなる。たぶん、そのくらいで十分なんだろうと思った。

 フミコが、いかにも締めですみたいな顔で紙を差し出してくる。

 

「はい、本日の診断結果」

「何だよそれ」

 

 見ると、丸っこい字でこう書かれていた。

 

『症状:軽度の推し被り嫉妬』

『原因:夢に対する解像度の上昇』

『処方:無理な課金をせず、適度な来店を継続』

『備考:金じゃなく記憶に残るタイプ』

 

 デンジはしばらくそれを見て、それから顔をしかめた。

 

「……何だよこれ」

「カルテです」

「いらねえよ」

「でも結局捨てないでしょ?」

 

 フミコのその言い方が、腹立たしいほど当たっていた。

 

「……」

「ほら」

「アンタ、ほんと嫌なとこ見てんな」

「仕事なんで」

「便利だなその言葉」

 

 コベニが横でおずおず言う。

 

「でも、その……そんなに悪い結果じゃないと思います……」

「コベニちゃん、フォロー優しい」

「だ、だってほんとに……」

 

 会計を済ませて立ち上がる頃には、デンジの気分は来た時よりだいぶましになっていた。

 店の構造は何も変わっていない。

 レゼは人気だし、太客はいるし、自分はそこまで金を使えない。

 でも、その中で自分は自分のやり方でここにいてもいいのかもしれない、と少しだけ思えるようになっていた。

 レゼが最後に手を振る。

 

「またね、デンジ君」

「……おう」

「次も何か起こるの楽しみにしてる」

「何も起こらねえ方がいいんだよ本来は」

「えー、ほんとかな?」

 

 そう言って笑うレゼに、デンジも少しだけ苦笑した。

 扉が開き、ベルが鳴る。

 地下の階段を上りながら、デンジはポケットの中のカルテを指先で触った。

 

「……金じゃなく記憶に残るタイプ、ね」

 

 独り言みたいに呟く。

 地上へ出ると、夜風が少しだけ冷たかった。

 デンジは一度だけ空を見上げ、それからポケットに手を突っ込んで歩き出した。

 今日は前みたいに、誰かと距離が近かったわけじゃない。

 甘いイベントもない。でも、妙に心に残る会話がいくつかあった。

 そのことをぼんやり考えながら歩いているうちに、デンジはふと、次に来る時は別に無理してレゼを指名しなくてもいいのかもしれないな、と思った。

 思った直後に、でもできるならしたいよな、とすぐ訂正した。

 

「……結局そこかよ」

 

 自分で自分にそう突っ込みながら、デンジは少しだけ笑う。

 夢との付き合い方講座とやらが、本当に効いたのかどうかはわからない。

 ただ、前より少しだけ、自分の立ってる位置が見えた気はしていた。

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