翠都へ戻った頃には、夜もすっかり更けていた。
教会騎士団に伴われて帰る道のりで、フィリアもセレンもほとんど口を利かなかった。馬の蹄の音だけが、乾いた街道へ一定のリズムを刻んでいく。夜襲を受けた村に残っていた泣き声や、焦げた匂いだけが、まだ耳と鼻の奥に残っていた。
教会支部へ戻ると、神官たちは手早く二人に部屋を用意した。肩を掠めたフィリアの傷は浅く、浄化と治療で大事には至らなかった。セレンにも目立った外傷はない。だからこそ、誰もが「今夜は休め」と言った。
だが、休めるはずがなかった。
用意された部屋は質素だが清潔だった。白い壁、木の寝台、小さな机、祈りのための聖印。窓の外には翠都の夜が静かに広がっている。
セレンは寝台に腰を下ろしたまま、長いあいだ動かなかった。
ライトセーバーの柄が、机の上で微かな灯を受けている。
目を閉じれば、村の光景がすぐに蘇った。井戸のそばで震えていた子ども。助けきれなかった若い男。フィリアがためらいなく飛び込んでいった背中。そして、自分が口にした言葉。
――勇者が倒れたら、それが絶望に。
そこまで言いかけて、自分で気づいた。
あれは、教会騎士長の言葉とどこが違ったのか。
フィリアを一人の少女としてではなく、“勇者”という大きな名の側から見てしまったのではないか。守りたいと思っていたはずなのに、結果として自分もまた、その肩書を盾にして止めようとしたのではないか。
「……情けない」
小さく漏れた声は、自分でも思っていたより苦かった。
怒り。恐れ。執着。
それらに呑まれず、平静と調和を保て。
マスター・ヨルに、何度も繰り返し教えられてきたことだ。
ジェダイ・ナイトは感情を持たないわけではない。だが、感情に振り回されて剣を振るえば、その先で人を守れなくなる。だからこそ、立ち止まり、見極め、乱れた心を整えろ――そう教わってきた。
なのに今夜の自分はどうだっただろう。
フィリアを止めたいと思った。
死んでほしくないと思った。
その気持ち自体は偽りではない。
だが、その思いが強すぎて、言葉を誤った。
平静を保てていないのは、むしろ自分の方だったのではないか。
セレンはゆっくりと顔を覆った。
ジェダイ・ナイトとして、まだ未熟だ。
そんなことは分かっている。
けれど、分かっていても、自嘲したくなる夜だった。
その時だった。
控えめな音が、扉の向こうから聞こえた。
こん、こん、と二度。
セレンは顔を上げる。
「……セレン」
扉越しの声だった。
フィリアだ。
少し掠れていて、昼間よりもずっと小さい。
「起きてる?」
「ええ」
短く答えると、扉の向こうでわずかに息を吸う気配がした。
「その……」
珍しく、言葉を探している声音だった。
「ごめんなさい」
セレンは一瞬、何も言えなかった。
フィリアが続ける。
「さっき、変なこと言った」
扉一枚隔てた向こうで、彼女が俯いている姿が目に浮かぶ。
「見捨てろって言ってるみたいな言い方、した。そんなわけないって、分かってたのに」
セレンはゆっくりと立ち上がり、扉の前まで歩いた。
だが開けはしない。
今はまだ、この距離の方が自然だと思えた。
「……僕も、謝るべきです」
扉に向けて静かに言う。
「言い方を間違えました。あなたを止めたかったのは本当です。ですが、そのために口にした言葉は、よくなかった」
向こうで、小さな衣擦れの音がした。
たぶんフィリアも、扉の前に立っている。
「眠れなかった?」
彼女が聞く。
「ええ」
「私も」
そこで少しだけ、沈黙が落ちた。
静かな夜だった。
教会支部のどこか遠くで、見回りの足音がかすかに響く。
扉一枚隔てた向こうに、人の気配がある。
それだけで、不思議と先ほどまでの冷たさが少し和らいだ。
「……どうして、あんなに止めたの?」
フィリアがぽつりと聞く。
「助けたい気持ちは、セレンだって同じでしょ」
セレンはすぐには答えなかった。
だが、今ここで誤魔化すのは違う気がした。
「僕の師、マスターは」
やがて、静かに口を開く。
「大切な人でした」
扉の向こうが、しんと静まる。
「厳しくて、でも優しくて。僕がまだ何もできなかった頃から、ずっと導いてくれた」
少しだけ間を置いて、セレンは続けた。
「戦い方も、ジェダイの教えも、どう生きるべきかを教えてくれました」
「そして最後に、その人は自分を危険の中へ残して、僕を逃がしました」
裏切りのことは言わない。
クローン兵のことも、粛清のことも。
今ここで必要なのは、あの瞬間に自分が何を失ったかだけだった。
「僕は、生き延びました」
言葉は静かだった。
「けれど、思ったんです。助けられた側は、残される。守られた命は、その先を背負うことになる」
少しだけ目を伏せる。
「だから、誰かが自分を削るように前へ出るのを見ると……止めたくなる」
扉の向こうで、フィリアが息を呑む気配がした。
「……そっか」
それだけだった。
だが、その短い一言には、軽く受け流さない温度があった。
「ジェダイって」
少ししてから、フィリアが言う。
「前に話してたよね。あなたたちの生き方っていうか、教えみたいなの」
「ええ」
「それって、どんなものなの?」
セレンは扉へ手を添えた。
「感情を持つな、という意味ではありません」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「怒りや恐れ、執着に呑まれるな、ということです。それらに振り回されると、人を守るための剣が、自分のための剣に変わってしまう」
そこで少しだけ苦く笑う。
「冷静であれ。調和を見失うな。平静を保て。そう教わりました」
「……難しそう」
「難しいです」
セレンはあっさりと認めた。
「今夜の僕は、あまり守れていませんでしたから」
扉の向こうで、フィリアが小さく笑った気がした。
「そこ、自分で言うんだ」
「事実です」
「うん……でも、ちょっと安心した」
「安心?」
「セレンって、いつもちゃんとしてるから」
フィリアの声は少しだけ柔らかかった。
「だから、たまにそうやって迷ってるって分かると、変だけど……ちょっとだけ安心する」
セレンは目を瞬いた。
そういう返しは予想していなかった。
「あなたも」
今度はセレンが静かに返す。
「間違えるんですね」
「失礼だなあ」
拗ねたような声が返る。
「私だって分かってるよ。あんな言い方、よくなかったって」
それから、少し間を置いて続ける。
「でも、考えは変わらない」
声は小さいが、芯があった。
「助けを求める声があったら、私はたぶんまた行く。待てないと思う」
「でしょうね」
「また否定しない」
「しません」
セレンは扉に寄りかかるようにして答えた。
「あなたはそういう人ですから」
フィリアが、扉の向こうで小さく息を吐く。
「そっちは?」
「僕も、考えは変えません」
セレンは言った。
「前へ出ることは必要です。ですが、無謀であっていいとは思わない」
「……うん」
「だから」
セレンは少しだけ間を置く。
「次に似たことがあったら、せめて一言、僕に言ってから走ってください」
向こうで、くすっと笑う気配がした。
「それ、あんまり約束できないかも」
「でしょうね」
「でも」
フィリアの声が少しだけ近くなる。
「今度は、ちゃんとあなたの言葉も聞くようにする」
それは全面的な納得ではない。
考えが一致したわけでもない。
それでも、歩み寄ろうとする意志だけは、確かにそこにあった。
「僕も」
セレンは答える。
「あなたのやり方を、頭ごなしに否定しないようにします」
短い沈黙。
「ジェダイって、ほんと変だね」
冗談っぽく、少し気を抜いた声だった。
「よく言われます」
「嘘」
「半分くらいは」
今度こそ、フィリアははっきり笑った。
大きな笑いではない。けれど、さっきまでの刺々しさはそこになかった。
「……ありがとう」
彼女が言う。
「話してくれて」
「こちらこそ」
セレンは静かに返す。
「来てくれて、助かりました」
扉の向こうで、衣擦れの音がひとつする。
きっと彼女は、少し照れたのだろう。
「じゃあ、今度こそ寝る」
「ええ」
「おやすみ、セレン」
「おやすみなさい、フィリア」
足音が少しずつ遠ざかっていく。
セレンは扉に添えていた手を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
今夜の出来事が片付いたわけではない。
考え方の違いも、危うさも、まだそこにある。
それでも、さっきまでよりは少しだけ、呼吸がしやすかった。
ライトセーバーの柄を手に取り、その冷たい感触を確かめる。
マスター・ヨルの教えを、まだ完璧には守れない。
平静を失う夜もある。間違えることもある。
それでも、だからこそ進むしかないのだろう、とセレンは思った。
自分とは違うやり方で人を救おうとする少女と。
ぶつかりながらでも、同じ方角を向こうとするなら。
窓の外には、翠都の夜が静かに広がっていた。
見知らぬ世界の都の灯は、遠い銀河の星々とは違う。
けれどその光は、確かに明日へ続いているように見えた。