異世界ジェダイ ~光の刃と聖なる剣~   作:三月MOUSE

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エピソード14:薬師長ミレナ

ミレナに指示された仕事は、思っていた以上に多かった。

 

奥の井戸から水を汲み、湯を沸かし、刻み終えた薬草を作業台へ運ぶ。合間には包帯を切り、空いた器を洗い、熱に浮かされた怪我人へ濡れ布を当てる。店の中はひっきりなしに誰かの声が飛び、鍋が煮立ち、薬草を擦る音が途切れなかった。

 

その慌ただしさが少し落ち着いたのは、陽が傾きかけた頃だった。

 

重傷者の処置に一区切りがつき、長椅子にいた者たちの何人かも、ようやく眠れる顔になっている。まだ終わったわけではない。だが、目の前の命をひとまず今夜へ繋ぐところまでは辿り着いた、という空気が、薬舗の中にわずかに流れていた。

 

「そっちの桶、置いてちょうだい」

 

ミレナの声に、フィリアとセレンは揃って振り向いた。

 

作業台の奥に立つ彼女は、さっきと同じように袖をまくったままだった。だが、鋭い目つきの奥に、ほんの少しだけ疲労の色が濃くなっている。若い見習いたちへ指示を出し続けていたせいか、声も少し掠れていた。

 

「こっちは一旦いいわ」

そう言って、二人を奥の小部屋へ顎で示す。

「約束通り、話を聞かせてもらうわね」

 

案内された部屋は、店の裏にある調合室だった。

 

棚には乾燥薬草の束や、液体の入った瓶、粉末を詰めた壺がびっしり並んでいる。机の上には広げた帳面と、使い込まれたすり鉢、火にかける前の薬鍋が置かれていた。表の喧騒は扉一枚で少し遠のいたが、それでも薬の匂いはここが中心なのだと分かるほど濃い。

 

ミレナは椅子に腰を下ろさず、帳面を開いたまま二人を見た。

 

「まず確認するわ。昨夜、東街道沿いの村に先に駆けつけたのは、あなたたちで間違いないのよね」

「はい」

フィリアが頷く。

「騎士団が出る前に、報せを聞いて飛び出した」

「聞いてるわ」

ミレナはそこでセレンへ視線を移した。

「あなたも一緒に?」

「ええ」

セレンは静かに答えた。

「止めはしましたが、止まりませんでしたので」

 

フィリアが少しだけ眉を寄せた。

 

「そこ、わざわざ言う?」

「事実です」

「今それ言う?」

「今でも同じ答えですので」

 

ミレナは二人を見比べ、ふっと鼻で笑う。

 

「なるほど。昨夜の話、少しは本当らしいわね」

「昨夜の話?」

フィリアが聞き返す。

 

「村から戻った騎士が言ってたの。『勇者様と見慣れない旅人が、現場でずいぶん派手にやり合ってた』って」

ミレナは帳面へ目を落とす。

「でも、それで救われた命もあったとも聞いたわ」

 

フィリアは言葉を飲み込んだ。

セレンも何も返さない。

 

ミレナは淡々と続ける。

 

「私は戦場を見てない。だから、どっちが正しかったなんて軽々しく言う気はないの」

帳面に何かを書き込みながら、短く言う。

「必要なのは、現場で何が起きたか。その結果、こっちで何を背負うことになったか。それだけよ」

 

その物言いは冷たいというより、徹底して現場だった。

 

「最初に現れた敵の数は?」

「二十を超えていました」

セレンが答える。

「ただ、闇の奥にまだ動く影がありました。第一波という報せは正しかったと思います」

「種類は?」

「骨の兵と、腐敗した死体が混じってた」

フィリアが言う。

「数も多かったし、まとまりはないけど、流れ込む勢いが強かった」

 

ミレナは短く頷き、帳面へ視線を戻した。

 

「思っていたより悪いし、思っていたより持ちこたえてる」

やがて帳面を閉じて、そう言った。

「中途半端に聞こえるでしょうけど、今はそれが正直な感想ね」

 

「持ちこたえてる……?」

フィリアが問う。

 

「昨夜の怪我人の数と傷の深さを見れば、村そのものがもっと酷く壊れていてもおかしくなかった」

ミレナは真っ直ぐに言う。

「あなたたちが先に入ったおかげで、助かった命は確実にあるわ」

 

フィリアの肩が、わずかに揺れた。

 

認められたいわけではない。

だが、それでも、その言葉は胸に重く落ちる。

 

「ただし」

ミレナはそこで言葉を切った。

「だからといって、勇者殿が毎回それでいいって話にはならないわ」

 

フィリアが顔を上げる。

 

「……あなたも、そう言うんだ」

 

「言うわよ」

ミレナは即答した。

「助かった命があるのは事実。でも、勇者が半死半生で運ばれてきたら、こっちはそのぶん余計な手も取られるでしょう」

少しだけ目を細める。

「それに、助ける側が倒れた時、現場は一気に崩れるの。薬師でも騎士でも勇者でも、それは同じよ」

 

静かな声だった。

怒鳴りもしない。責め立てもしない。

だが、現場を知る者の言葉として、鋭く刺さる。

 

フィリアは反発しかけて、結局何も言わなかった。

昨夜セレンとぶつかった言葉が、まだ胸に残っているのだろう。

 

「……でも」

ようやく出た声は小さかった。

「行かなきゃ、助からなかった人もいた」

 

「そうね」

ミレナはすぐに頷いた。

「だから面倒なのよ、この話は」

 

その返しがあまりにもあっさりしていて、フィリアは少しだけ目を丸くした。

 

「どっちかだけが正しいなら楽だったんでしょうけど、そうじゃないの」

ミレナは調合台へ手を置く。

「飛び込んだから助かった命がある。飛び込んだから危なかった命もある。現場って、だいたいそういうものよ」

 

セレンはその言葉に、静かに目を伏せた。

 

白か黒かではない。

どちらの言い分にも届いていて、その上で切り捨てない言葉だった。

 

「それはそうと……あなた、面白いわね」

ふいにミレナがセレンを見る。

 

「僕ですか」

「ええ。旅人にしては、怪我人の見方が妙だったの」

帳面を指先で叩く。

「息の浅い人間を先に回したり、傷より顔色を見てたり。何者なの?」

 

フィリアが横目でセレンを見る。

その視線には、責める色はなかった。むしろ少し面白がっている。

 

ミレナの目は鋭かった。

表の喧騒の中で、そこまで見ていたのかとセレンは内心で感心する。

 

「……大したことではありません」

セレンはわずかに肩を竦めた。

「慣れているだけです。今は、そう思っていただければ」

 

初対面の相手に、フォースのことまで持ち出して話を複雑にする必要はない。

薬師長として現場を回している彼女なら、なおさら余計な混乱は避けるべきだとセレンは判断した。

 

「便利な逃げ方ね」

ミレナはあっさり返す。

「でも、そういう人材は嫌いじゃないわ」

 

それから、机の上に置かれた小さな包みを一つ持ち上げた。

 

「昨夜から使ってるのは、ただの傷薬じゃないの」

包みを開くと、乾いた薄緑色の葉が現れる。

「これは熱を引かせる薬草。こっちは痺れを和らげる根。で、こっちが浄化の補助」

別の小瓶を指す。

「神官の術だけで落としきれない穢れを、薬で押さえるのよ」

 

フィリアが覗き込む。

 

「昨日、術師の人も似たようなこと言ってた」

「でしょうね。回復魔法だけで全部片づくなら、薬師なんていらないもの」

ミレナは少しだけ口元を上げる。

「治癒の術はすごいわ。でも、あれは体を助ける力。薬はその後を支えるの。熱を下げる、痛みを散らす、傷が悪さをしないように抑える。全部、役割が違うのよ」

 

セレンは興味を隠さずに葉を見た。

 

「同じ薬草でも、使い方で効き目が変わるのですか」

 

「変わるわ」

ミレナは頷く。

「刻むのか、煎じるのか、塗るのか、乾かすのか。そこに魔力をどう重ねるかでも変わるの」

少しだけ顎を上げる。

「簡単に言えば、薬草だけでも足りないし、魔法だけでも足りない。両方を噛み合わせるのが仕事、ってことね」

 

その言い方には、若くして薬師長にまで上り詰めた自負が、隠しきれずに滲んでいた。

 

「すごいですね」

セレンが素直に言う。

 

ミレナが一瞬だけ目を瞬いた。

 

「……真っ直ぐ言うのね」

「そういう人なの、彼」

横からフィリアが口を挟む。

「慣れない冗談はたまに言うけど、基本はすごく素直」

 

「余計な補足です」

「事実でしょ」

 

ミレナは小さく息を漏らした。笑ったのだと気づくまで、少し間があった。

 

「なるほど。変な旅人だと思ったけど、少なくとも嫌な感じはしないわ」

そう言って、改めてフィリアを見る。

「勇者殿も、思ってたより話が通じるし」

「それ、遠回しに失礼じゃない?」

「少しはね」

 

フィリアがむっとした顔をしたのを見て、ミレナは今度こそはっきり笑った。

 

「噂だけなら散々聞いてたもの」

ミレナは肩をすくめる。

「辺境でアンデッドを斬って、傷ついたら教会で治療と浄化だけ受けて、また次へ飛び出していく勇者様、って」

 

フィリアがわずかに言葉に詰まる。

 

「……そんな言い方されてるの?」

「だいたい合ってるでしょう?」

ミレナはさらりと言う。

「だから、薬屋に落ち着いて顔を出すような人だとは思ってなかったのよ」

 

フィリアは不服そうに眉を寄せたが、強くは言い返せなかった。

図星なのだろう。

 

その空気が少しだけ緩んだところで、扉の外から見習いの声が飛ぶ。

 

「薬師長! 三番の熱、また上がってます!」

「すぐ行くわ」

ミレナは即座に答え、椅子から立ち上がった。

 

だが出て行く前に、振り返って二人へ言う。

 

「今日は助かったわ。本当に」

短い一言だったが、今度は現場の責任者ではなく、一人の人間としての声だった。

「人手が足りないのは、当分変わらないでしょうね。だから、まだここにいるなら、また手を貸してちょうだい」

 

「もちろん」

フィリアは迷わず答えた。

「できることはやる」

「僕も」

セレンが続ける。

「役に立てるのなら」

 

ミレナは小さく頷く。

 

「いい返事」

そう言い残し、扉へ手をかけた。

「……それと、勇者殿」

 

「なに?」

 

「あなたが助けた命は、ちゃんとここに届いてるわ」

ミレナはそれだけ言った。

「忘れないで」

 

フィリアは一瞬、息を止めたようだった。

 

扉が開き、再び喧騒が流れ込む。ミレナはすぐに現場へ戻り、見習いたちの中心へ立った。若いのに誰より早く動き、誰より先に判断し、誰より疲れているはずなのに立ち止まらない。

 

その背を見つめながら、フィリアがぽつりと呟く。

 

「……すごい人だね」

「ええ」

セレンも頷いた。

「思っていた以上に」

 

そして、少しだけ間を置いて続ける。

 

「あなたと少し似ています」

「は?」

フィリアが振り向く。

「どこが」

 

「前に出るところです」

セレンは真面目に答えた。

「ただし、剣ではなく薬で」

 

フィリアは一瞬きょとんとして、それから堪えきれないように笑った。

 

「なにそれ」

「間違っていないと思います」

「うん……まあ、ちょっとだけ分かるけど」

 

笑いながらも、その目元にあった重さは、さっきより幾分やわらいでいた。

 

だがその一方で、セレンの胸には別のものが残っていた。

 

薬草、調合、浄化の補助。

治療だけでは届かない部分を埋める技術。

そして何より、それを回すための物も人も、明らかに足りていない現実。

 

昨日の夜襲は、一つの村だけの問題では終わらない。

ここで足りないものは、きっとまだ増えていく。

 

調合室の棚に並ぶ薬瓶を見ながら、セレンは静かに思った。

 

次に探るべきものは、傷を治す方法そのものではなく、

その方法を支えるために欠けている何かなのだと。

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