異世界ジェダイ ~光の刃と聖なる剣~   作:三月MOUSE

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エピソード15:足りないもの

薬舗の騒ぎがようやく落ち着いた頃には、窓の外の空は薄い橙色に染まっていた。

 

それでも、店の中から人の気配が消えることはない。見習いたちは疲れた顔で器を洗い、神官たちは交代で祈りを捧げ、教会騎士は薬箱の数を確かめている。長椅子に横たわる村人たちの呼吸は、昼よりいくらか落ち着いていたが、誰もが安心できるほどではなかった。

 

セレンは、棚の脇に積まれた空の木箱を見ていた。

 

箱の底には、乾いた葉の欠片がわずかに残っている。薬草の匂いはある。だが、中身はもうほとんどない。

 

「見ての通りよ」

 

背後から声がした。

 

ミレナだった。手には帳面を抱え、表情は先ほどよりいくらか落ち着いている。だが、その目に残る鋭さは変わらない。

 

「薬も、人手も、時間も足りない」

彼女は空の箱を顎で示した。

「今朝の時点でも余裕はなかったけど、昨夜の分でほとんど吐き出したわ」

 

フィリアが棚へ歩み寄る。

 

「これ、全部使ったの?」

 

「全部ではないわ。全部使ったら、次に熱を出した人間を見殺しにすることになるもの」

ミレナはさらりと言う。

「だから、使う順番を選んでる。嫌な仕事でしょう?」

 

フィリアは答えられなかった。

 

誰に薬を使うのか。

誰の治療を後に回すのか。

勇者として剣を振るうのとは、まるで違う種類の選択だった。

 

「……足りないのは、傷薬だけですか」

 

セレンが静かに尋ねると、ミレナは帳面を開いた。

 

「いいえ。足りないものはいくつもあるわ」

指先で項目をなぞる。

「熱を下げる薬草。痛みを散らす根。浄化を助ける粉。包帯。清潔な水。神官の手。薬を煎じる見習いの体力」

そこで、少しだけ目を細める。

「それと、正確な情報」

 

「情報?」

 

フィリアが顔を上げる。

 

「アンデッドの傷は、後から悪くなることがあるの」

ミレナは店の奥へ視線を向けた。

「今は落ち着いて見える人でも、夜になって熱が上がるかもしれない。傷口が黒ずむかもしれない。昨日の村で何が起きたか、どんな傷を負ったか、それが分からないと薬の配分も間違える」

 

セレンは小さく頷いた。

 

戦いは終わっても、その後に続くものがある。

負傷者の数、傷の種類、穢れの残り方。

どれも戦場では見落としやすいが、ここでは命を左右する材料になる。

 

「戦いの記録が、そのまま治療の手掛かりになるのですね」

 

「そういうこと」

ミレナは短く頷く。

「だから、あなたたちの話は助かったわ。派手に戦ってただけじゃないって分かったし」

 

「そこは余計じゃない?」

フィリアが眉を寄せる。

 

「褒めてるのよ」

「褒め方が分かりづらい」

 

ミレナは軽く肩をすくめた。

 

その時、奥から小さなうめき声が聞こえた。見習いが慌てて顔を出す。

 

「薬師長、二番の子ども、また熱が……!」

 

「白灯葉の煎じ薬を薄めて。濃くしすぎないで。浄化薬は一滴だけ」

ミレナは即座に指示した。

「それで下がらなければ呼んで」

 

「はい!」

 

見習いが走り去る。

 

フィリアはその背中を見送り、ぽつりと言った。

 

「一滴だけ、なんだ」

 

「一滴でも効くように作ってあるから」

ミレナは帳面を閉じる。

「本当なら、もう少し使ってあげたい。でも、次の子の分も残さないといけない」

 

その言葉は、重かった。

 

フィリアは拳を握りしめる。

何か言いたげだったが、言葉にはならない。

 

セレンは棚の薬瓶へ目を向ける。小さな瓶の底に、淡い青色の液体がわずかに揺れていた。

 

「その浄化薬が、特に足りないのですね」

 

「ええ」

ミレナは瓶を一本手に取る。

「アンデッド絡みの傷には、これが効く。神官の浄化で落としきれないものを抑えて、体が回復する余地を作る」

瓶を光に透かす。

「でも、これを作るには青霊草がいる」

 

「青霊草……」

フィリアが聞き返す。

 

「蒼海連邦の島々で採れる薬草よ」

ミレナは答えた。

「潮気を含んだ土地で育つ、青い筋の入った葉。普通に煎じても効くけど、特殊な魔法を重ねると、浄化薬の核になる」

 

セレンの目がわずかに動く。

 

「魔法を重ねる、というのは」

 

「薬草の効能を引き出して、固定するの」

ミレナは瓶を棚へ戻した。

「ただ魔力を流せばいいわけじゃない。薬草が持っている性質を壊さないように、必要な分だけ術を掛ける」

少しだけ自嘲気味に笑う。

「面倒な仕事よ。だから私がやってる」

 

その言い方には、疲れと誇りが混じっていた。

 

「すごい技術なんですね」

セレンが言う。

 

「また真っ直ぐ言う」

ミレナは少しだけ目を細める。

「でも、技術があっても材料がなければ何もできないわ」

 

そこで彼女は、帳面の別のページを開いた。

 

「青霊草は、本来なら蒼港から定期的に入るはずだった」

「本来なら?」

フィリアの声が強くなる。

 

「届いていないの」

 

ミレナは淡々と言った。

 

「輸送路そのものに、問題が起きている可能性がありますね」

セレンが静かに言う。

 

「ええ」

ミレナは頷いた。

「遅れているだけならまだいい。でも、ここ最近は遅延だけじゃない。途中で荷が消える。値が跳ねる。買い付け先が急に口を閉ざす」

 

帳面を指で叩く。

 

「事故か、盗賊か、買い占めか。あるいは、それより面倒な何かね」

 

フィリアの表情が変わった。

 

「誰かが買い占めてるってこと?」

 

「その可能性はあるわ」

「でも、こんな時に?」

「こんな時だから、よ」

ミレナの声は低かった。

「怪我人が増えれば薬の値は上がる。希少薬草ならなおさらね」

 

フィリアは唇を噛んだ。

 

怒りが顔に出ている。

昨夜の命の重さを見たあとで、薬を金に変える者がいるかもしれない。その現実が、彼女には受け入れがたいのだろう。

 

「教会には?」

 

「言ってあるわ」

ミレナはすぐに答えた。

「支部も動いてる。騎士長にも報告は上がってるはず」

そこで、少しだけ肩をすくめる。

「でも、報告が上がったからって、棚に薬草が生えてくるわけじゃないのよ」

 

フィリアは小さく息を呑んだ。

 

その言い方は厳しい。

だが、教会を責めているだけではない。

現場に物がないという事実を、ただ事実として言っている。

 

「蒼港に行けば、分かるんですか」

 

セレンが尋ねると、ミレナは彼を見た。

 

「分かるかもしれない。少なくとも、荷がどこで止まっているのかは追えるでしょうね」

「危険は?」

「あるわ」

即答だった。

「薬草の遅れがただの事故ならいい。でも、誰かが意図的に止めているなら、そこには利権か犯罪か、あるいはもっと面倒なものがある」

 

もっと面倒なもの。

 

セレンは、その言葉の奥にあるものを考える。

アンデッドの増加。浄化薬の不足。流通の乱れ。薬の値上がり。

すべてが偶然なら、まだよい。

だが、偶然が重なりすぎている。

 

「……行く」

 

フィリアが言った。

 

ミレナは彼女を見る。

 

「そう言うと思った」

「止める?」

「止めないわ」

ミレナは少しだけ笑った。

「ここで止めても、あなたはどうせ別のところから走っていくでしょうし」

 

「……それ、私の扱いひどくない?」

 

「噂通りなら妥当よ」

 

「よく理解されていますね」

セレンが静かに頷く。

 

フィリアがぎょっとしたように振り向いた。

 

「ちょっと、セレンまで!」

 

「否定は難しいかと」

「そこは努力してよ」

 

ミレナは二人を見比べ、少しだけ面白そうに目を細めた。

 

「仲がいいのね」

 

「そういうんじゃない」

フィリアは即座に言った。

 

「まだ何も言ってないわ」

「言い方がそうだった」

 

ミレナは楽しげに肩をすくめる。

 

「でも」

彼女はすぐに表情を戻した。

「今すぐ一人で飛び出すのは違う。必要なのは感情じゃなくて、正式な道筋と準備。それから、蒼港で動けるだけの許可よ」

 

その言葉に、フィリアは反射的にセレンを見た。

 

昨夜の口論が、二人の間をよぎる。

前へ出ること。無謀であること。

まだ答えは出ていない。だが、同じ失敗を繰り返すつもりは、フィリアにもなかった。

 

「……分かってる」

彼女は短く言った。

「今すぐ走らない。ちゃんと話を通す」

 

セレンは小さく目を細めた。

 

ミレナもそれに気づいたのか、少しだけ口元を緩める。

 

「いい返事ね」

「子ども扱いしないで」

「してないわ。少しだけ評価を上げただけ」

 

フィリアはまた不満そうな顔をしたが、今度は少しだけ照れも混じっていた。

 

その時、外から教会騎士の声が聞こえてきた。

 

「薬師長ミレナ殿はいらっしゃるか!」

 

店の方で何人かが振り返る気配がした。ミレナは扉を開け、表へ顔を出す。

 

「ここよ。何かしら」

 

やって来たのは、教会支部の使いらしい騎士だった。手には封書を持っている。顔には疲労が浮かんでいたが、その姿勢は崩れていない。

 

「支部より通達です。青霊草を含む浄化薬素材の不足について、緊急の協議が行われました」

騎士は封書を差し出す。

「蒼海方面へ調査人員を手配する方針です。薬師長殿には、不足品の一覧と優先度の確認をお願いしたいとのことです」

 

「ようやく動くのね」

ミレナは封書を受け取る。

「人員は?」

 

「教会騎士と、商人組合の者を中心に編成予定です」

騎士は答えた。

「ただし、勇者殿には翠都での待機をお願いする方針です」

 

フィリアの顔が上がる。

 

「どうして」

 

騎士は少しだけ言い淀んだが、すぐに姿勢を正した。

 

「夜襲の直後です。翠都周辺でも警戒を強める必要があります。勇者殿は戦力としても、民の希望としても、簡単に都を離れていただくわけには……」

 

「私がここにいれば、薬草が届くの?」

フィリアの声は低かった。

 

「それは……」

 

「蒼港で何かが起きてるかもしれない。薬が足りなくて、今ここで苦しんでる人がいる」

フィリアは革の手袋を握りしめた。

「それなら、私が行く」

 

騎士は困ったように眉を寄せる。

 

「勇者殿。お気持ちは分かります。しかし、これは騎士長の方針でもあります。勇者殿を都から離すことは、民に不安を与えかねません」

 

セレンは、騎士の声の奥にあるものを感じ取った。

 

怒りではない。拒絶でもない。

そこにあったのは、勇者を失うことへの恐れと、責任を負わされることへの不安だった。

 

セレンは相手の意思を曲げようとはしなかった。

そんなことをすべき場面ではない。

ただ、その迷いに届く言葉を探す。

 

「勇者を翠都に留めることは、確かに安全かもしれません」

セレンは静かに言った。

 

騎士が彼を見る。

 

「ですが、青霊草が届かなければ、次に夜襲が起きた時、守った命をここで繋げなくなります」

 

部屋の空気が静かになった。

 

「フィリアは象徴です」

セレンは続ける。

「だからこそ、ただ都に置かれるだけではなく、人々の命に届く場所へ向かうべきです」

 

フィリアは少しだけ目を見開いた。

 

勇者という言葉を、彼はもう軽々しく使わなかった。

だが、その名を否定もしなかった。

今のセレンは、フィリアを縛るためではなく、彼女自身の意思を支えるためにその言葉を使っていた。

 

「それに」

セレンは騎士へ向き直る。

「彼女は一人で行くわけではありません。僕も同行します」

 

「あなたが?」

 

「ええ」

セレンは静かに頷いた。

「彼女を止めるべき時は止めます。進むべき時は共に進みます」

 

「それ、信用していいの?」

フィリアが横から小さく言う。

 

「努力します」

「そこは断言して」

 

ミレナが小さく笑い、それから騎士へ向き直った。

 

「現場としても、勇者殿に行けるなら行ってほしいわ」

彼女は封書を軽く振る。

「騎士や商人だけでは、荷の行方は追えても、人命に関わる優先順位が後回しになる可能性がある。勇者殿がいれば、話も動きやすいでしょう」

 

騎士はしばらく黙っていた。

 

やがて、深く息を吐く。

 

「……私の一存では、許可は出せません」

当然の答えだった。

「ですが、勇者殿ご自身の志願、同行者殿の意見、薬師長殿の要望として、すぐに支部へ持ち帰ります」

 

フィリアが頷く。

 

「お願い」

 

「ただし」

騎士は真剣な顔で続けた。

「正式な許可が出るまでは、動かないでください」

 

フィリアは一瞬だけ口を開きかけ、すぐ閉じた。

 

「……分かった」

短い返事だった。

「待つ」

 

その一言に、セレンはわずかに安堵した。

 

騎士は深く頭を下げ、足早に薬舗を出ていった。

 

それからしばらく、三人は調合室に残った。

ミレナは不足品の一覧をまとめ、セレンはそれを見て輸送の優先順位を確認し、フィリアは時折、外の夕暮れへ視線を向けていた。

 

走り出したい気持ちを抑えているのが、見て分かった。

だが、それでも抑えている。

 

それが、昨夜とは違っていた。

 

やがて日が沈みかけた頃、先ほどの騎士が戻ってきた。

 

息を切らしている。

手には、新しい封書があった。

 

「支部より、条件付きで許可が下りました」

 

フィリアが立ち上がる。

 

「条件?」

 

「蒼港方面への調査任務として、勇者フィリア殿の同行を認めます。ただし、単独行動は禁止。同行者殿と共に行動し、現地では教会支部、商人組合、薬舗関係者と連携すること」

騎士は文面を読み上げる。

「薬草確保を最優先とし、異変が確認された場合は即時報告。必要に応じて追加人員を要請すること」

 

フィリアは封書を受け取り、静かに目を通した。

 

「……分かった」

今度の声は、昨夜のように衝動だけで飛び出すものではなかった。

怒りもある。焦りもある。

だが、それを飲み込み、進むべき道として選んだ声だった。

 

セレンは静かに頷く。

 

「ええ。僕も同行します」

 

ミレナは二人を見比べ、それから棚の奥から小さな革袋を取り出した。中には薄青い薬瓶が数本、丁寧に詰められている。

 

「持っていきなさい」

「いいの?」

フィリアが驚く。

 

「今ある分のうち、ぎりぎり渡せるだけよ」

ミレナは革袋を差し出した。

「アンデッド相手に傷を負ったら、すぐ使って。無駄遣いはしないでちょうだい」

 

フィリアは両手でそれを受け取る。

 

「ありがとう」

「礼は、青霊草を持って帰ってからでいいわ」

 

ミレナはそう言って、少しだけ目を細める。

 

「勇者殿」

「なに?」

 

「助けた命を、ここまで届かせるだけじゃ足りない」

彼女は静かに言った。

「次は、その命をこの先まで繋ぐために行ってきて」

 

フィリアは革袋を握りしめた。

 

「うん」

短い返事だった。

「必ず、持って帰る」

 

セレンはその横顔を見る。

また危ういほど真っ直ぐな顔だ。

けれど、昨日とは少しだけ違う。

 

彼女はもう、一人で駆け出そうとはしていない。

 

「行きましょう」

セレンが言う。

 

「うん」

フィリアが頷く。

「蒼港へ」

 

薬舗の外では、夕暮れの翠都が赤く染まっていた。

昨日の夜襲が残した傷は、まだ癒えていない。

だが、その傷を塞ぐために必要なものが、遠い港町へと続いている。

 

足りないものは、ただ薬草だけではない。

 

そこへ届くための道。

その道を切り開く意志。

そして、誰かを救うために立ち止まらず、それでも無謀になりすぎないための隣人。

 

セレンとフィリアは、次なる目的地を見据えた。

 

翠の国の都から、蒼海の港へ。

二人の旅は、新しい段階へ進もうとしていた。

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