異世界ジェダイ ~光の刃と聖なる剣~   作:三月MOUSE

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エピソード17:潮風の都

翠都を発ってから三日目の昼過ぎ、風の匂いが変わった。

 

それまで街道に混じっていた土と草の匂いが薄れ、代わりに湿った塩の気配が鼻先をかすめる。風は少し強く、肌にまとわりつくようでいて、どこか開けていた。

 

荷馬車の前方で、フィリアが顔を上げる。

 

「そろそろ見えるよ」

 

その声には、わずかな緊張と、抑えきれない好奇心が混じっていた。

 

セレンは視線を街道の先へ向ける。

 

丘を越えた瞬間、視界が大きく開けた。

 

青い海が、そこにあった。

 

陽の光を受けて、遠くの水面が白く瞬いている。湾に沿って広がる港町には、いくつもの桟橋が突き出し、帆船や大型の商船が並んでいた。木造の荷揚げ機、石造りの倉庫群、色とりどりの旗。潮風に煽られた帆が鳴り、遠くから人々の怒号にも似た掛け声が届いてくる。

 

翠都の白く整った静けさとは、まるで違う。

 

蒼港。

蒼海連邦最大の港町。

 

「……大きいですね」

 

セレンが呟くと、フィリアが少しだけ得意そうに笑った。

 

「でしょ。翠都とは全然違うんだよ。ここは物も人も、とにかく流れてくる場所だから」

 

「宇宙港に近いかもしれません」

 

「また知らない言葉が出た」

 

「すみません」

セレンは少しだけ考えてから言い直す。

「大きな船や荷が集まる場所、という意味では似ています」

 

「ふうん」

フィリアは海を見ながら言う。

「じゃあ、あなたの故郷にもこういう場所があったんだ」

 

「ええ」

セレンは頷く。

「もっと金属と光に満ちていましたが、人の慌ただしさは似ています」

 

貨物船の発着場。飛び交う作業員。荷を待つ商人たち。

遠い銀河の宇宙港と、この世界の蒼港は何もかも違う。

けれど、何かを運び、何かを求め、人が集まる場所に生まれる熱は、どの世界でも変わらないのかもしれない。

 

 

 

荷馬車隊は、坂道を下って港町へ入った。

 

蒼港の門は、翠都のそれほど厳かではなかった。

 

代わりに、騒がしい。

 

荷を積んだ馬車、魚を運ぶ若者、どこかの島から来たらしい肌の浅黒い船乗り、鮮やかな布をまとった商人、手早く通行証を確かめる門番。潮の匂いに、魚、香辛料、油、濡れた木材、そして人いきれが混ざっている。

 

フィリアは少しだけ眉を上げた。

 

「相変わらず、すごい匂い」

 

「慣れているのですか」

 

「一度だけ来たことがある。教会の任務で」

彼女は周囲を見回す。

「その時は、こんなにじっくり見る余裕なかったけど」

 

「今回は見回る余裕がありますか」

 

「ある……と思う」

フィリアは言いながら、すぐ前で荷車をひっくり返しかけた少年を目で追う。

「たぶん」

 

「今、追いかけようとしましたね」

 

「してない」

「少しだけ」

 

「してないってば」

 

セレンはそれ以上言わなかった。

ただ、ほんの少しだけ目を細める。

 

フィリアはそれに気づいて、不満そうに唇を尖らせた。

 

「最近、そういう顔するようになったよね」

「どのような顔でしょうか」

「分かってるくせに、言わない顔」

「慣れないことをしています」

 

「またそれ」

 

フィリアは呆れたように言いながらも、少しだけ笑っていた。

 

荷馬車隊は、まず蒼港の商人組合へ向かうことになっていた。教会支部へ向かう前に、青霊草の荷が実際にどこまで届いていたのか、帳簿を確認するためだ。

 

商人組合の建物は、港湾区の中央にあった。

広い石造りの建物で、入り口には蒼海連邦の紋章が掲げられている。中へ入ると、木札を持った人々が行き交い、何人もの事務員が机に向かって書類を捌いていた。

 

翠都からの書状を見せると、二人は奥の部屋へ案内された。

 

対応に出てきたのは、細身の事務官だった。年齢は四十前後。整った髭をしており、いかにも帳簿の乱れを嫌いそうな顔つきだった。

 

「翠都より、青霊草の件ですね」

事務官は書状に目を通しながら言う。

「話は届いております。こちらでも調査は進めていますが……正直、厄介です」

 

「厄介?」

フィリアが聞き返す。

 

事務官は机に置かれた厚い帳簿を開いた。

 

「青霊草を積んだ荷は、たしかに蒼港へ入っています。入港記録もありますし、荷下ろしの署名もある」

指先で行をなぞる。

「問題は、その後です」

 

セレンが帳簿へ視線を落とす。

 

「倉庫から出た記録がない?」

 

「出た記録はあります」

事務官は渋い顔をした。

「ただし、名義が変わっています。本来は翠都の薬舗へ送られるはずの荷が、別の買い付け人の名で処理されている」

 

「誰が買ったの」

フィリアの声が低くなる。

 

「表向きは、港の薬材商です」

「表向き?」

 

「その商会自体は実在します。ですが、近頃急に取引量が増えた。さらに言えば、実際の荷の行き先と帳簿上の行き先が一致していない」

事務官は眼鏡を押し上げた。

「要するに、きれいに整った帳簿の中で、荷だけが消えているのです」

 

ミレナが言っていた通りだった。

 

事故にしては、きれいに消えすぎている。

 

セレンは静かに問いかける。

 

「最後に確実に確認された場所はどこですか」

 

「第三倉庫です」

事務官は地図を広げ、港湾区の一角を指した。

「青霊草の箱は、そこで一度検品されています。その後、別名義へ切り替わり、記録上は西側の薬材倉庫へ移されたことになっている」

「実際には?」

 

「西側には届いていません」

 

フィリアが拳を握った。

 

「つまり、第三倉庫からどこかへ運ばれた」

 

「その可能性が高い」

事務官は頷いた。

「ただ、港では荷が一日に何百と動きます。船から倉庫へ、倉庫から馬車へ、馬車から別の船へ。正規の札を付け替えられれば、追うのは簡単ではありません」

 

「第三倉庫へ行けますか」

セレンが尋ねる。

 

「行くだけなら」

事務官は少し言い淀む。

「ただし、あの辺りは荷運びの縄張りが絡みます。正規の倉庫とはいえ、あまり外の者が踏み込むと面倒になる」

 

「面倒って?」

フィリアが聞く。

 

「港には港の秩序があります」

事務官は言葉を選んだ。

「騎士の秩序、商人の秩序、船乗りの秩序、そして……表に出にくい者たちの秩序です」

 

部屋の空気が少しだけ重くなる。

 

フィリアは眉を寄せた。

 

「裏の流れ、ってこと」

 

「そう呼ぶ者もいます」

事務官は目を伏せた。

「勇者殿、どうか慎重に。蒼港では、剣を抜くより先に話を通すべき相手がいることも多い」

 

フィリアは一瞬だけ口を開きかけたが、すぐに閉じた。

 

セレンが隣を見る。

 

「フィリア」

「分かってる」

彼女は短く答えた。

「まずは見る。いきなり斬り込まない」

 

「ええ」

 

そのやり取りを聞いて、事務官は少しだけ安堵したようだった。

 

「では、第三倉庫への通行札を出しましょう。商人組合からの確認という形なら、少なくとも門前払いにはならないはずです」

 

「ありがとうございます」

セレンが頭を下げる。

 

フィリアも、少し遅れて頷いた。

 

「助かる」

 

事務官は木札を二枚用意しながら、ふと声を低めた。

 

「それと、もう一つ」

「何ですか」

「最近、港の裏路地で子どもの姿をよく見るようになりました」

 

フィリアの目が細くなる。

セレンの表情も、わずかに変わった。

 

「荷運びの子どもですか」

 

「それならまだ分かります」

事務官は木札を差し出しながら言った。

「ですが、どこの組にも属していない子たちです。荷の近くで見かけたと思えば、すぐに消える。誰かに使われているのかもしれません」

 

セレンは木札を受け取る手を止めかけた。

 

子ども。

荷。

裏路地。

 

胸の奥に、遠い記憶が一瞬だけ触れた。

 

鎖の音。

油と砂の匂い。

顔を伏せて歩く幼い影。

 

「セレン?」

フィリアが小さく呼ぶ。

 

セレンは瞬きをし、すぐに表情を戻した。

 

「……問題ありません」

 

フィリアは何か言いたげに彼を見たが、今は追及しなかった。

 

 

 

商人組合を出ると、港の喧騒はさらに強くなっていた。

 

午後の荷揚げが始まっているのだろう。桟橋には船が次々と入り、縄が投げられ、木箱が滑車で吊り上げられていく。荷運びたちの怒声、船乗りの歌、商人の値切り声。すべてが潮風に混じって渦巻いていた。

 

フィリアは第三倉庫の木札を握りしめる。

 

「行こう」

「ええ」

セレンは頷く。

「ただ、慎重に」

 

「分かってるってば」

フィリアは少しだけむっとする。

「さっきも言ったでしょ」

 

「大事なことなので」

 

フィリアは何か言い返そうとして、やめた。

代わりに小さく息を吐く。

 

「……分かってる。以前みたいにはしない」

 

その声は小さかったが、確かに届いた。

 

セレンは静かに頷いた。

 

「では、行きましょう」

 

二人は港湾区へ向かった。

 

第三倉庫は、表通りから少し外れた場所にあった。石と木で組まれた大きな建物で、壁には潮風で削れた番号札が打ちつけられている。周囲には似たような倉庫が並び、荷車と作業員が忙しく出入りしていた。

 

だが、その中で第三倉庫だけは、どこか空気が重かった。

 

人の出入りはある。

けれど、近づく者の視線が少しだけ鋭い。

笑い声が少なく、会話も短い。

 

セレンは足を止めず、木札を見せて入口の男へ近づいた。

 

「商人組合からの確認です」

丁寧に告げる。

「青霊草の荷について、入庫記録を確認したい」

 

入口の男は、日に焼けた顔で二人を見た。目が細い。荷運びにしては、手の動きがやけに落ち着いている。

 

「組合から?」

「ええ」

 

男は木札を確認し、それからフィリアへ視線を移した。

 

「勇者様まで連れて、薬草の確認か」

「必要な薬草だから」

フィリアはまっすぐ返す。

「ここに入った記録があるって聞いた」

 

「入った荷なんざ、いくらでもある」

男は肩をすくめる。

「青い葉っぱの箱だけ覚えてろって方が無理な話だ」

 

フィリアの眉が動く。

 

セレンが一歩だけ前へ出た。

 

「覚えている方を紹介していただけますか」

穏やかな声だった。

「こちらも、騒ぎを起こしたいわけではありません」

 

男はしばらくセレンを見た。

 

その目の奥に、警戒がある。

敵意ではない。だが、何かを隠す者の緊張がある。

 

セレンはそれを感じ取ったが、踏み込まなかった。

ここで力を使って相手を押す場面ではない。

まずは、相手が何を恐れているのかを見極めるべきだ。

 

「……待ってろ」

 

男は短く言い、倉庫の奥へ消えた。

 

フィリアが小声で言う。

 

「怪しい」

「ええ」

「でも、まだ斬り込まない」

「その通りです」

 

フィリアはじっとセレンを見る。

 

「今、ちょっと褒めた?」

「事実を述べました」

 

「それ、褒めたってことでいい?」

 

「お任せします」

 

フィリアは不満そうにしながらも、少しだけ口元を緩めた。

 

その時だった。

 

倉庫の裏手の路地から、小さな影が飛び出した。

 

少年だった。

十歳になるかならないか。薄汚れた上着を着て、胸に小さな包みを抱えている。彼は二人を見るなり、一瞬だけ固まり、すぐに反対方向へ走ろうとした。

 

その背後から、男の怒声が飛ぶ。

 

「おい、待て!」

 

フィリアが反射的に動きかける。

 

「フィリア」

セレンの声が鋭く飛んだ。

 

彼女は足を止めた。

止めた。

けれど、目は少年を追っている。

 

少年は路地へ飛び込みかけ、そこで足をもつれさせた。抱えていた包みが地面へ落ち、中から薄青い葉が数枚こぼれる。

 

青い筋の入った葉。

 

フィリアの目が見開かれる。

 

「青霊草……!」

 

少年は慌てて葉をかき集めようとする。

その手は震えていた。盗人の手というより、追い詰められた獣のそれに近い。

 

セレンは、彼の向こう側を見た。

 

路地の奥。

薄暗い影の中に、別の子どもたちの気配がある。

そしてかすかに、鉄の匂い。

 

潮風と魚と薬草の匂いに混じって、消えかけた錆のような、嫌な匂いがした。

 

胸の奥に、冷たいものが落ちる。

 

フィリアが小さく言う。

 

「セレン……?」

 

セレンは答えなかった。

 

ただ、青い葉を抱え直して震える少年と、路地の奥に沈む暗がりを見つめていた。

 

蒼港の表通りは、相変わらず明るく騒がしい。

だが、そのすぐ隣にある影は、思っていたよりも深い。

 

消えた薬草の先にあるものは、ただの帳簿の乱れではないのかもしれない。

 

潮風の都で、二人はようやくその匂いに触れた。

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