異世界ジェダイ ~光の刃と聖なる剣~   作:三月MOUSE

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エピソード18:檻の匂い

青い筋の入った葉が、石畳の上に散らばっていた。

 

潮風に煽られ、そのうちの一枚がひらりと裏返る。薄青い葉脈。かすかな薬草の香り。ミレナが言っていた青霊草に、よく似ている。

 

少年はそれを必死にかき集めていた。

 

十歳になるかならないかの細い腕。汚れた上着。擦り切れた靴。胸に抱えた小さな包みを守るように丸くなりながら、彼は背後を何度も振り返る。

 

「おい、待てって言ってるだろ!」

 

倉庫の奥から、太い声が響いた。

 

男が二人、路地へ出てくる。荷運びの格好をしているが、足取りは乱れていない。怒っているというより、逃げ道を塞ぎ慣れているような動きだった。

 

フィリアの手が、反射的に聖剣の柄へ伸びる。

 

だが、セレンはそれより早く一歩前へ出た。

 

「待ってください」

 

声は静かだった。

だが、その静けさの底に、いつもより硬いものが混じっていた。

 

男たちが足を止める。

 

「あんたらには関係ねえ」

片方が低く言う。

「そのガキは倉庫の荷に手を出した。こっちで始末をつける」

 

「荷」

 

セレンが繰り返す。

 

その一言に、胸の奥で何かが冷たく鳴った。

 

少年は青霊草を拾い終えると、ぎゅっと包みを抱き直した。逃げようとしているのに、足がすくんでいる。目だけが、必死に出口を探していた。

 

フィリアが男たちを睨む。

 

「子ども相手に、ずいぶん物騒な言い方するね」

 

「勇者様か」

男はフィリアを見て、面倒そうに顔を歪めた。

「なら、なおさら口を挟まないでくれ。港には港のやり方がある」

 

「その子が持ってるの、青霊草でしょ」

 

「さあな」

 

「知らないふりするには、無理があるよ」

 

男の目が細くなる。

 

その瞬間、セレンは少年へ視線を向けた。

 

「怪我はありませんか」

 

少年は答えない。

ただ、セレンを見上げた。

 

恐怖。警戒。諦め。

そのどれもが、幼い顔の中に押し込められていた。

 

フォースが、その震えを拾う。

そして、もっと奥にあるものも。

 

空腹。疲労。痛み。

それから、命令に逆らった時の恐れ。

 

セレンの指先が、わずかに強張った。

 

「こっちへ」

彼は少年へ手を伸ばす。

「大丈夫です。何もしません」

 

少年は一瞬だけ、その手を見た。

 

次の瞬間、彼は青霊草の葉を一枚だけ地面に残し、身をひるがえして路地の奥へ駆け出した。

 

「おい!」

 

男たちが追おうとする。

 

フィリアが前へ出た。聖剣は抜かない。ただし、その立ち位置だけで道を塞ぐ。

 

「行かせない」

 

「どけ」

 

「嫌」

 

男の手が腰へ伸びかけた。

 

その瞬間、セレンの視線がそこへ落ちる。

 

空気が、低く軋んだ。

 

男の身体が、見えない壁に押されたように半歩下がる。背中が倉庫の柱にぶつかり、鈍い音が鳴った。

 

青い刃は起動していない。

セレンは手を上げてもいない。

 

ただ、胸の奥で膨らんだ怒りが、ほんの一瞬だけフォースに触れてしまった。

 

「……っ」

 

男の顔から血の気が引く。

 

フィリアが小さく息を呑んだ。

 

「セレン」

 

その声で、セレンはようやく自分のしたことに気づいた。

指先が、わずかに震えている。

 

男たちは一歩、二歩と後ずさった。

 

「……覚えてろよ」

 

そう吐き捨てた声は、さっきより少しだけ上ずっていた。

 

男たちは倉庫の奥へ戻っていく。

 

フィリアは彼らの背を見送ってから、地面に落ちた葉を拾い上げた。

 

「青霊草、だよね」

 

「おそらく」

 

セレンの声は低かった。

 

フィリアはその横顔を見る。

 

「追う?」

 

「ええ」

セレンは路地の奥を見つめたまま答えた。

「ただし、距離を取って」

 

その言葉は冷静に聞こえた。

だがフィリアには、分かった。

 

今のセレンは、冷静でいようとしているだけだ。

 

 

 

蒼港の裏路地は、表通りとはまるで別の場所だった。

 

桟橋の喧騒は遠ざかり、魚と香辛料の匂いは薄れ、代わりに湿った木材、汚れた布、古い鉄、そして人の暮らしの底に溜まるような匂いが濃くなる。

 

狭い道の左右には、傾いた家屋と倉庫の裏口が並んでいた。窓は小さく、戸は半ば腐り、壁には見慣れない印が煤で書かれている。子どもたちの足音は、そうした路地のさらに奥へ消えていった。

 

セレンは歩きながら、フォースへ意識を澄ませる。

 

少年の気配はまだ近い。

怯えながら、どこかへ戻ろうとしている。

 

フィリアも隣で声を落とした。

 

「さっきの子、青霊草を盗んだのかな」

 

「分かりません」

セレンは答える。

「ですが、ただの盗みではないように見えました」

 

「うん。私もそう思う」

 

しばらく進むと、路地の曲がり角の向こうで、かすかな声がした。

 

「遅い」

 

「ごめん」

 

「箱は?」

 

「取れなかった。これだけ」

 

先ほどの少年の声だ。

 

二人は壁際に身を寄せ、角の向こうを覗いた。

 

古い倉庫の裏手に、数人の子どもが集まっていた。年齢はまちまちだが、どの子も痩せていて、服は汚れている。彼らのそばには、割れた木箱と布袋が置かれていた。その中に、青霊草らしき葉が数枚だけ入っている。

 

そして子どもたちの首元には、細い革紐が巻かれていた。

 

飾りではない。

名札でもない。

 

まるで、目印のようだった。

 

セレンの呼吸が、わずかに変わる。

 

フィリアが小声で言う。

 

「……あれ」

 

「分かっています」

 

返事は短かった。

 

その声に、フィリアは思わずセレンを見る。

 

いつもの落ち着いた目ではない。

青い刃を抜いていないのに、まるで既に戦いの中にいるような目だった。

 

子どもたちの前に、細身の男が現れた。派手な外套を着ているが、足元は汚れている。商人とも船乗りともつかない身なりだ。

 

「これだけか」

 

男は布袋を覗き込み、不満そうに顔をしかめた。

 

「すみません」

少年が小さく言う。

「見つかって……」

 

「言い訳はいらない」

 

男は少年の首元の革紐を指で引いた。

 

「お前らは働くために飯を食ってる。役に立たないなら、別の場所に回すだけだ」

 

別の場所。

 

その言葉に、子どもたちが一斉に黙った。

 

セレンの視界の端が、少し暗くなる。

 

遠い記憶が、潮風の匂いを押しのけて滲んできた。

 

砂に混じった油の匂い。

狭い檻。

値踏みする声。

何番、と呼ばれる子どもたち。

 

そして、記憶の中に焼きついた、太陽のような少女の笑顔。

 

最後まで笑おうとしていた。

怖くないはずがないのに、年下の子どもたちを安心させるように。

 

セレンの足が、一歩前へ出た。

 

「セレン」

 

フィリアの声が、すぐ横から飛ぶ。

 

彼は止まらなかった。

 

もう一歩。

 

フィリアが腕を掴む。

 

「セレン、待って」

 

その声は強かった。

だが、怒鳴ってはいない。

 

セレンはゆっくりと彼女を見る。

 

「離してください」

 

穏やかな言葉だった。

だが、穏やかすぎた。

 

フィリアはその声に、背筋が少し冷えるのを感じた。

 

「だめ」

 

「子どもたちが脅されています」

 

「分かってる」

 

「なら」

 

「だから待って」

 

セレンの眉がわずかに動いた。

 

フィリアは掴んだ腕に力を込めた。

 

「今飛び込んだら、あの子たちは助かるかもしれない。でも、奥にいる子たちは?」

 

「奥?」

 

「気配がある」

フィリアは視線を倉庫のさらに奥へ向けた。

「私にはフォースとか分からない。でも、あそこにまだいる。たぶん、あの子たちだけじゃない」

 

セレンは一瞬、何も言えなかった。

 

フォースへ意識を戻す。

 

確かにいた。

怯えた小さな気配が、複数。

倉庫の奥、あるいは地下。息を殺し、声を出すことすら恐れている。

 

怒りが、視界を狭めていた。

 

それに気づいた瞬間、セレンは唇を噛んだ。

 

「……僕は」

 

「分かるよ」

フィリアが言った。

「分かる、なんて簡単に言ったら駄目かもしれないけど。でも、今のあなたが止まれなくなりそうなのは分かる」

 

セレンは答えない。

 

「でも、前にあなたが言った」

フィリアの声は低く、まっすぐだった。

「前に出ることと、無謀であることは同じじゃないって」

 

その言葉が、セレンの胸へ真っ直ぐ刺さった。

 

以前、自分が言った言葉だ。

フィリアを止めるために。

彼女の無茶を責めるために。

 

今、その言葉を返されている。

 

「今度は、私が止める番でしょ」

 

フィリアはそう言って、少しだけ苦く笑った。

 

セレンは目を伏せた。

 

怒り。恐れ。執着。

呑まれるな。

マスター・ヨルの声が、遠くで響く。

 

だが、目の前の子どもたちを見て、心を静めることは簡単ではなかった。

 

「……ありがとうございます」

やがて、セレンは小さく言った。

 

フィリアの手から、少しだけ力が抜ける。

 

「落ち着いた?」

 

「完全には」

 

「正直でよろしい」

 

いつもの調子に戻そうとするような言い方だった。

けれど、フィリアの目は真剣なままだった。

 

セレンは深く息を吸う。

 

「まず、見極めましょう」

 

「うん」

 

「子どもたちの人数。出入口。見張り。青霊草の流れ」

 

「それから、助け方」

 

フィリアが続ける。

 

セレンは頷いた。

 

「ええ。必ず助けます」

 

「うん」

フィリアも頷く。

「必ず」

 

 

 

倉庫の裏では、細身の男が子どもたちへ短く指示を出していた。

 

「今夜、東の船着き場だ。遅れるな」

 

「でも、あそこは……」

 

「口答えするな」

 

少年が肩を震わせる。

 

男は小さな木札を投げた。そこには、蛇のように曲がった黒い印が刻まれている。

 

「それを見せれば通れる。余計なことはするな。次に失敗したら、飯は抜きだ」

 

それだけ言って、男は路地の奥へ消えた。

 

子どもたちはしばらく動かなかった。

やがて、一人が泣きそうな声で言う。

 

「もう嫌だ」

 

「静かにして」

 

「東に行ったら、戻れないって」

 

「黙って」

 

少年は包みを抱え直し、無理やり皆を立たせようとした。

自分も怖いはずなのに、年下の子を先に歩かせている。

 

セレンはその姿から目を離せなかった。

 

自分も、かつて誰かにそうしてもらった。

 

記憶の中の少女はいつも、年下の子を先に逃がした。

自分が怖くないわけではなかったはずだ。

それでも笑った。大丈夫だと言った。

 

そして最後に、戻ってこなかった。

 

セレンの拳が震える。

 

フィリアはそれを見て、静かに隣へ立った。

 

「大丈夫」

 

「……何がですか」

 

「一人で背負わなくていいってこと」

 

セレンは彼女を見る。

 

フィリアは路地の奥を睨んだまま、言った。

 

「あの子たちを助ける。青霊草も取り戻す。どっちもやる」

 

「簡単ではありません」

 

「知ってる」

フィリアは少しだけ口元を引き結ぶ。

「だから、二人で考えるんでしょ」

 

その言葉に、セレンはほんの少しだけ目を細めた。

 

「ええ」

静かに答える。

「二人で」

 

路地の向こうで、子どもたちが東へ向かって歩き始める。

 

セレンとフィリアは、距離を取ってその後を追った。

 

蒼港の空は、夕方へ近づいていた。

表通りにはまだ光が満ち、人々の声が溢れている。

だが、路地の奥へ進むほど、その光は細くなっていく。

 

檻の匂いがする。

 

鉄の匂い。汗の匂い。諦めの匂い。

そして、子どもたちの小さな命が、誰かの都合で荷物のように扱われている匂い。

 

セレンはそれを知っていた。

知りたくなかったのに、知っていた。

 

だからこそ、今度は見失わない。

 

フィリアが隣で小さく言う。

 

「セレン」

 

「はい」

 

「行こう。でも、ちゃんと助けるために」

 

「ええ」

 

青い光はまだ抜かない。

聖剣もまだ鞘の中にある。

 

だが二人の歩幅は、確かに揃っていた。

 

蒼港の裏側に、消えた青霊草と、檻の中の子どもたちへ続く道が口を開けている。

 

セレンは静かに息を整えた。

 

怒りに呑まれるためではなく。

救うために。

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