異世界ジェダイ ~光の刃と聖なる剣~   作:三月MOUSE

19 / 20
エピソード19:大蛇の影

東の船着き場へ向かう道は、蒼港の表通りから大きく外れていた。

 

夕暮れの光はまだ港の空に残っている。だが、倉庫の影と細い路地が重なり合う場所では、その光も薄く、潮風さえどこか淀んで感じられた。

 

セレンとフィリアは、子どもたちの後を距離を取って追っていた。

 

青霊草の包みを抱えた少年。

その後ろを歩く、痩せた子どもたち。

首元に巻かれた細い革紐。

 

彼らは誰も大きな声を出さない。泣きそうな顔をしている子もいたが、それでも泣かなかった。泣けば叱られると知っている子どもの沈黙だった。

 

フィリアは奥歯を噛みしめる。

 

「……酷い」

 

短い言葉だった。

だが、その中に怒りが滲んでいた。

 

セレンは答えなかった。

 

彼の視線は、子どもたちの先にいる男たちへ向いている。先ほどの細身の男だけではない。路地の奥には、荷運びに紛れた見張りが数人。腰に短剣を下げ、ところどころに蛇のような黒い印を入れた木札を持っている。

 

勇者一行に気づかれた。

そう判断したのだろう。

 

彼らの動きは、明らかに慌ただしくなっていた。

 

「移してる」

フィリアが小声で言う。

「どこか別の場所へ」

 

「ええ」

 

セレンも頷く。

 

木箱が運び出されている。中身はすべて青霊草とは限らないが、同じ形の薬草箱がいくつか混じっていた。子どもたちもまた、荷物のように急かされ、東の船着き場へ向かっている。

 

その光景に、胸の奥がきしむ。

 

怒り。

恐れ。

そして、遠い記憶。

 

セレンは息を整えようとした。

 

怒りに呑まれるな。

恐れに呑まれるな。

マスター・ヨルの声を、心の中で探す。

 

だが、目の前の子どもたちの背中は、あまりにも小さかった。

 

先頭の少年が、足をもつれさせた。

 

抱えていた包みがずれ、青霊草の葉が数枚こぼれる。彼は慌てて拾おうとしたが、後ろから来た男が苛立ったように舌打ちした。

 

「何をしてる」

 

「ごめんなさい、すぐ――」

 

言い終える前に、男の手が少年の頬を打った。

 

乾いた音が、路地に響く。

 

フィリアが息を呑み、半歩前へ出る。

 

だが、セレンの方が先に動きかけていた。

 

「セレン」

 

フィリアの声で、彼はかろうじて足を止めた。

 

少年は頬を押さえながら、涙をこらえて青霊草を拾う。周りの子どもたちは見ているだけだった。助けたいのに、動けない。動けば次は自分が打たれると知っている目だった。

 

セレンの拳が震える。

 

見ていろ。

まだだ。

奥にいる子どもたちもいる。

全員を助けるために、今は見極める。

 

自分にそう言い聞かせる。

 

だが、男はさらに苛立ったように少年の襟を掴んだ。

 

「お前らは、言われた通りに動いてりゃいいんだよ。飯を食わせてもらってるだけありがたいと思え」

 

その言葉に、セレンの胸の奥で何かが熱くなった。

 

飯。

働く。

ありがたいと思え。

 

かつて聞いたことのある言葉。

子どもの命を、物と同じように扱う声。

 

そこへ、最年少らしい小さな子どもが転んだ。膝を打ったのか、かすかな声を上げる。

 

見張りの男が顔をしかめ、そちらへ歩いた。

 

「またか」

 

男の手が上がる。

 

だが、その前に一人の少女が飛び出した。

子どもたちの中では少し年上に見える、痩せた少女だった。彼女は最年少の子どもを抱えるように庇い、自分の背を男へ向ける。

 

「この子、歩けます」

少女は震える声で言った。

「私が連れていきます。だから――」

 

「黙れ」

 

男は腰から鞭を抜いた。

 

革が空気を裂く音が、細く鳴る。

 

――その瞬間、セレンの中で、何かが切れた。

 

「セレン!」

 

フィリアも飛び出そうとした。

だが、セレンの方が速かった。

 

青い光が、夕闇に走る。

 

ライトセーバーの刃が一瞬で伸び、鞭を振り上げた男の前へ滑り込む。男が驚いて振り向くより早く、青い刃が閃いた。

 

鞭が宙で断たれる。

続いて、それを握っていた腕が、力を失って落ちた。

 

男の悲鳴が、倉庫街に響いた。

 

セレンは、男と子どもたちの間に立っていた。

 

青い刃が低く唸る。

その光に照らされたセレンの顔は、ひどく静かだった。

静かすぎて、怒っていることがかえって分かる顔だった。

 

「その子から離れてください」

 

声は穏やかだった。

だが、誰もその穏やかさを優しさとは受け取らなかった。

 

見張りたちが一斉に動く。

誰かが笛を鳴らした。短く、鋭い音が港の影に響き渡る。

 

フィリアもすぐに駆けつけ、少女と最年少の子どもの前に立った。

 

「こっちへ!」

 

少女は一瞬だけ迷った。

だが、フィリアの声に弾かれたように頷き、最年少の子を抱えて後ろへ下がる。

 

他の子どもたちも動き出しかけた。

しかし、倉庫の奥から男たちが飛び出してくる。

 

「何してやがる!」

 

「勇者だ!」

 

「青い剣の奴もいるぞ!」

 

混乱が一気に広がった。

 

フィリアは聖剣を抜き、子どもたちへ向かう男の短剣を弾き飛ばす。聖剣の光が夕暮れの陰を裂き、相手を押し戻した。

 

「子どもたちに触るな!」

 

その声は、怒りに満ちていた。

だが、セレンとは違う。

フィリアの怒りは前へ進むための炎であり、目の前を見失ってはいなかった。

 

セレンは数人の男を退ける。

ライトセーバーを振るうたび、相手の武器が切り落とされ、木箱が裂け、地面に火花が散った。だが、彼の動きにはいつものような受け流しの余裕が少ない。

 

ソレスの守りではない。

押し込み、断ち、相手を退ける剣。

 

フィリアはそれを横目で見て、胸の奥がざわついた。

 

「セレン、深追いしない!」

 

声を飛ばす。

 

セレンは一瞬だけ止まった。

その隙に、倉庫の奥から低い音が響いた。

 

鎖を引きずるような音。

 

ぎしり。

ぎしり。

濡れた何かが石の床を擦る音。

 

男たちの何人かが顔色を変える。

 

「おい、まさか今出すのか」

 

「止められるかよ! 勇者がいるんだぞ!」

 

フィリアが眉を寄せる。

 

「何……?」

 

次の瞬間、倉庫の奥の鉄扉が大きく揺れた。

 

内側から何かがぶつかったような轟音。

続いて、太い鎖が弾ける音。

 

扉の隙間から、ぬめるような黒い影が現れた。

 

巨大な蛇だった。

 

ただの蛇ではない。

人の胴ほどもある太い体。黒緑の鱗。濡れた刃のように光る牙。頭部には古傷が走り、首元には無理やり打ち込まれた鎖の輪が食い込んでいる。

 

黄色く濁った目が、夕闇の中でぎょろりと動いた。

 

フィリアは思わず息を呑む。

 

「大蛇……!」

 

蛇は低く喉を鳴らし、倉庫の床を這い出てくる。

それだけで、周囲の男たちさえ一歩下がった。

 

セレンは動かなかった。

 

いや、動けなかった。

 

青いライトセーバーは握っている。

構えも崩れていない。

だが、その肩がわずかに強張っている。

 

フォースの流れが乱れる。

怒りで熱くなっていた胸の奥に、今度は冷たい恐怖が滑り込んできた。

 

蛇。

 

濡れた鱗。

閉じない目。

這うように近づく巨体。

 

それは、ただの魔物の姿ではなかった。

 

砂と油の匂い。

鉄の首輪。

暗い檻。

子どもたちを番号で呼ぶ声。

そして、奥の玉座に沈む、巨大な蛇じみた支配者の影。

 

粘つく笑い声が、記憶の底から這い上がってくる。

 

あれは蛇ではない。

そう分かっている。

分かっているのに、身体が先に思い出してしまう。

 

呼吸が浅くなる。

 

「セレン?」

 

フィリアが気づいた。

 

セレンは答えようとした。

だが、喉がうまく動かなかった。

 

大蛇が頭を持ち上げる。

その視線が、フィリアの後ろにいる子どもたちへ向いた。

 

「まずい」

 

フィリアは即座に判断した。

 

このまま戦えば、子どもたちが巻き込まれる。

セレンは明らかに本調子ではない。

敵の数も多く、場所も悪い。

 

以前の自分なら、ここで突っ込んでいたかもしれない。

だが、今は違う。

 

「退く!」

 

フィリアの声が響いた。

 

セレンがようやく彼女を見る。

 

「ですが、子どもたちが――」

 

「全員助けるために退くの!」

 

フィリアは少女と最年少の子どもを押し出すようにして、路地の出口へ向かわせる。

 

「走って! こっち!」

 

リーダー格の少女は一瞬だけ他の子どもたちを見た。

まだ倉庫の奥に残されている子がいる。連れていかれた子もいる。

 

だから動けなかった。

 

フィリアはその少女の肩を掴む。

 

「今は生きて。戻るから」

 

少女の目が揺れる。

 

「本当に……?」

 

「本当に」

 

フィリアは迷わず言った。

 

「勇者だから」

 

その言葉は、飾りではなかった。

誰かに与えられた名でもない。

今この場で、目の前の子どもを立たせるための言葉だった。

 

少女は唇を噛み、最年少の子を抱えて走り出す。

 

大蛇が動いた。

 

黒い影が地面を滑り、想像以上の速さで迫る。フィリアは聖剣を振るい、蛇の進路へ光の刃を叩きつけた。

 

硬い鱗が火花を散らす。

 

「硬っ……!」

 

切れない。

だが、怯ませることはできた。

 

「セレン!」

 

フィリアの声が飛ぶ。

 

セレンは一瞬遅れて動いた。ライトセーバーを構え、大蛇の顔の前へ青い刃を走らせる。蛇は熱を嫌ったのか、頭を引いた。

 

だが、セレンの足はまだ硬い。

 

フィリアはそれを見逃さなかった。

 

「今は逃げる! いいね!」

 

「……ええ」

 

セレンは短く答えた。

 

悔しさが滲んだ声だった。

 

フィリアは子どもたちを先に走らせ、セレンと共に後退する。追ってくる男たちには石箱を蹴り倒し、聖剣の光で牽制した。セレンもライトセーバーで吊り鎖を斬り、積み上がっていた空箱を崩して路地を塞ぐ。

 

大蛇がその向こうで大きく身をくねらせた。

木箱が砕ける音。男たちの怒号。子どもたちの泣き声。

 

そのすべてを背に、二人は路地を駆け抜けた。

 

 

 

港の外れにある廃船小屋へ辿り着いた頃には、空は濃い紫に沈みかけていた。

 

フィリアは連れてきた二人の子どもを奥へ座らせる。リーダー格の少女と、最年少の子ども。どちらも震えていたが、大きな怪我はない。

 

セレンは入口に立ち、外の気配を探っていた。

 

追手はまだ近くにはいない。

だが、完全に撒いたわけでもない。

 

ライトセーバーはすでに消している。

それでも、手の中の柄が妙に重く感じた。

 

男の腕を斬った瞬間の感触が、まだ残っている。

 

守るためだった。

そう言える。

 

だが本当に、それだけだったのか。

 

怒りはなかったか。

あの鞭を見た瞬間、自分は何を思ったのか。

 

「セレン」

 

フィリアが近づいてくる。

 

セレンは振り向かなかった。

 

「すみません」

先に出た言葉は、それだった。

 

「何に?」

 

「冷静ではありませんでした」

 

フィリアはすぐには返事をしなかった。

 

少しして、隣に立つ。

 

「うん」

彼女は正直に言った。

「そう見えた」

 

その答えは優しくはなかった。

だが、責めるためのものでもなかった。

 

「でも、あの子を守ったのも本当」

フィリアは続ける。

「だから、今ここで全部間違いだったとは言わない」

 

セレンはゆっくりと目を伏せた。

 

「……ありがとうございます」

 

「お礼じゃなくて」

フィリアは少しだけ眉を寄せる。

「次、ちゃんと助けるために必要な話をしてるの」

 

その言い方に、セレンはほんの少しだけ視線を上げた。

 

フィリアは変わった。

少し前までなら、怒りのままに突っ込んでいたはずの少女が、今は自分を止め、撤退を選び、次を見ている。

 

そのことが、今のセレンには痛いほど分かった。

 

「……あなたに止められるとは思いませんでした」

 

「私も、止める側になるとは思わなかった」

 

フィリアは小さく息を吐く。

 

「でも、今度は私が止める番だったんでしょ」

 

セレンは答えなかった。

 

ただ、静かに頷いた。

 

廃船小屋の奥で、リーダー格の少女がこちらを見ていた。まだ警戒している。だが、その目の奥には、ほんのわずかな期待も混じっていた。

 

フィリアは彼女の前にしゃがみ込む。

 

「名前、聞いてもいい?」

 

少女はしばらく黙っていた。

やがて、小さな声で答える。

 

「……ラン」

 

「ラン」

フィリアはその名を繰り返した。

「私はフィリア。こっちはセレン」

 

ランはセレンを見て、少しだけ身を縮めた。

 

青い剣の光を見たからだろう。

男の腕を斬ったところも見ている。

 

セレンは距離を取ったまま、静かに膝をついた。

 

「怖がらせてしまいましたね」

声を抑えて言う。

「すみません」

 

ランは答えない。

けれど、視線を逸らさなかった。

 

最年少の子が、ランの服を掴んで震えている。

 

フィリアは二人へそっと水袋を差し出した。

 

「大丈夫。今は追ってこない」

 

「……戻るの?」

ランが聞いた。

 

フィリアは頷いた。

 

「戻る」

 

「みんな、まだ……」

 

「分かってる」

フィリアの声は強かった。

「みんな助ける。青霊草も取り戻す」

 

ランの目が揺れる。

 

「でも、蛇がいる」

 

その言葉に、セレンの指がわずかに動いた。

 

フィリアはそれに気づいたが、今は触れなかった。

 

「うん」

彼女はランへ向けて言う。

「だから、ちゃんと考えてから行く。もう無茶に飛び込まない」

 

ランは信じ切れていない顔をしていた。

当然だろう。

この子たちは、大人の言葉に何度も裏切られてきたはずだ。

 

セレンは静かに言った。

 

「必ず、助けます」

 

ランが彼を見る。

 

セレンは続けた。

 

「今度は、見失いません」

 

それが誰に向けた言葉なのか、フィリアには少しだけ分かった気がした。

 

外では、蒼港の夜が始まっている。

表通りには灯がともり、酒場の歌声が風に乗って聞こえる。

だが、その明るさの裏で、子どもたちはまだ檻の中にいる。

 

そして、巨大な蛇がその檻の前に横たわっている。

 

セレンは夜の港を見つめ、静かに息を整えた。

 

怒りに呑まれるためではなく。

恐れに屈するためでもなく。

 

今度こそ、救うために。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。