異世界ジェダイ ~光の刃と聖なる剣~   作:三月MOUSE

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エピソード20:闇市の夜

廃船小屋の中には、潮と古い木材の匂いが染みついていた。

 

壁の隙間から夜風が入り込み、破れた帆布をかすかに揺らしている。外では港の灯がともり始め、表通りの酒場からは笑い声と歌が聞こえていた。

 

けれど、ここにいる二人の子どもにとって、その明るさはひどく遠いものだった。

 

リーダー格の少女――ランは、壁際で膝を抱えている。まだ警戒を解いていない。最年少の少年は彼女の隣に座り、小さな手で彼女の服の裾を掴んでいた。

 

フィリアは荷袋から干し肉と硬いパンを取り出し、二人の前へ置いた。

 

「食べて」

なるべく柔らかく言う。

「毒なんて入ってないから」

 

少年は食べ物を見つめたまま動かなかった。

だが、喉が小さく鳴る。

 

ランが先に手を伸ばし、パンを少しだけ千切って自分の口に入れた。しばらく噛んでから、少年へ頷く。

 

「大丈夫」

 

その言葉を合図に、少年は震える手でパンを取った。

一口食べる。

次の瞬間、彼は押し込むようにそれを口へ運び始めた。

 

「ゆっくり」

フィリアが慌てて水袋を差し出す。

「喉に詰まるから」

 

少年は頷いたが、それでも手は止まらなかった。

 

セレンはその姿を少し離れた場所から見ていた。

 

空腹の子どもが、食べ物を前にしてもすぐには手を伸ばせない。

食べていいのか確かめなければならない。

年上の子が先に毒見のようなことをしてから、ようやく口にする。

 

それがどういう暮らしを意味するのか、彼は知っていた。

 

知りたくなかったのに、知っていた。

 

「セレン」

 

フィリアが静かに呼んだ。

 

セレンは瞬きをして、意識を戻す。

 

「はい」

 

「聞いてもいいかな」

フィリアはランの方を見る。

「無理にとは言わない。でも、みんなを助けるために知りたい」

 

ランはパンを握ったまま、しばらく黙っていた。

 

警戒。恐怖。

それから、わずかな迷い。

 

「……本当に、戻るの」

 

小さな声だった。

 

フィリアはまっすぐ頷いた。

 

「戻る」

「蛇がいる」

「知ってる」

「大人たちもいっぱいいる」

「それも知ってる」

「じゃあ、なんで」

 

ランの声が、少しだけ震えた。

 

「なんで、そんなこと言えるの」

 

フィリアはすぐには答えなかった。

軽い言葉で安心させても、この子には届かない。

そう分かっている顔だった。

 

「私は勇者だから」

やがて、彼女は言った。

「でも、勇者だから何でもできるって意味じゃない」

 

ランが顔を上げる。

 

「一人じゃ無理なこともある。失敗することもある。だから、今はちゃんと考えてから行く」

フィリアはセレンを一度だけ見た。

「今度は、助けるために戻る」

 

ランはその言葉を聞いて、しばらく黙っていた。

 

やがて、少しずつ話し始める。

 

「……東の船着き場の下に、古い荷捌き場がある」

「地下?」

フィリアが聞く。

 

「うん。昔使ってた場所。今は表の人たちはあんまり行かない」

ランは膝の上で拳を握った。

「夜になると、そこに人が集まる。薬草とか、魔物の牙とか、盗んだものとか……あと、子ども」

 

最後の言葉だけ、少し詰まった。

 

セレンの目が静かに細くなる。

 

「君たちは、そこで働かされているのですか」

 

ランはセレンを警戒するように見た。

だが、彼が距離を取ったまま話していることに気づいたのか、少しだけ頷く。

 

「荷物を運ぶ。盗む。見張りをすり抜ける。大人が入れないところに入る」

「青霊草も?」

「うん」

ランは俯く。

「第三倉庫から、少しずつ出せって言われた。箱ごと運べる時もあるけど、見つかりそうな時は中身だけ抜く」

 

「誰に命令されてるの」

 

フィリアの声は低かった。

 

「バルド」

ランはその名を口にするのを嫌がるように言った。

「奴隷商バルド。黒い蛇の札を持ってる人たちの親玉」

 

フィリアの拳が握られる。

 

「奴隷商……」

 

セレンは何も言わなかった。

ただ、呼吸を深く整える。

 

怒りに触れる。

だが、呑まれないように。

 

「そのバルドという男が、青霊草を集めているのですか」

 

「たぶん」

ランは頷く。

「でも、バルドだけじゃない。もっと偉い買い手がいるって。白い封蝋の手紙を持った使いが来てから、急に薬草を集め始めた」

 

「白い封蝋……」

 

フィリアが呟く。

 

教会を思わせる色だ。

だが、それだけで決めつけるには早い。

 

セレンもそれ以上は踏み込まず、続けて尋ねた。

 

「他の子どもたちは、今どこに」

 

「今夜、地下の闇市に集められる。明け方前に船へ乗せるって」

ランは最年少の少年の頭をそっと撫でる。

「戻れない子もいる。奥に入れられた子は、だいたい戻ってこない」

 

沈黙が落ちた。

 

フィリアの表情から、迷いが消えていく。

 

「セレン」

「ええ」

セレンは頷く。

「今夜です」

 

「行こう」

フィリアは立ち上がりかける。

 

その肩を、今度はセレンが静かに制した。

 

フィリアは一瞬だけ彼を見た。

だが、すぐに小さく息を吐く。

 

「分かってる」

彼女は言った。

「準備してから。ちゃんと助けるために」

 

「ええ」

 

ランが不安そうに二人を見る。

 

「……私も行く」

「だめ」

フィリアは即答した。

「あなたはここにいて」

 

「でも、みんなの場所、分からないでしょ」

「道案内は必要ありません」

セレンが静かに言った。

 

彼は床に置かれていた黒い蛇印の木札を見た。先ほど男が投げたものだ。ランが逃げる途中で握りしめていたらしい。

 

「これを使います」

「それを見せれば、入口は通れる」

ランは小さく言う。

「でも、奥にいる大人たちは顔を覚えてる。すぐばれる」

 

「長居はしません」

セレンは答えた。

「子どもたちの場所、青霊草の場所、逃げ道。それを見極めます」

 

「蛇は?」

 

ランの声が震えた。

 

セレンの指がわずかに止まる。

 

黒緑の鱗。

閉じない目。

玉座に沈む、巨大な蛇じみた影。

 

記憶が戻りかける。

 

フィリアが、少しだけ前へ出た。

 

「蛇は、私たちが相手をする」

「でも」

「大丈夫」

フィリアは強く言った。

「今度は、逃げるためじゃなくて、助けるために戦う」

 

セレンはその横顔を見る。

 

怖くないわけではない。

だが、今はその怖さを否定しなくていいのだと思えた。

 

「……ええ」

彼は静かに続ける。

「今度は、止まりません」

 

 

 

夜の蒼港は、昼とは別の顔をしていた。

 

表通りには灯が並び、酒場からは笑い声が溢れている。船乗りたちは杯を掲げ、商人たちは昼の取引の続きを低い声で交わしている。どこも賑やかで、どこも明るい。

 

その明るさの隙間を縫うように、セレンとフィリアは東の船着き場へ向かった。

 

黒い蛇印の木札は、セレンが持っている。フィリアは外套を羽織り、聖剣が目立ちすぎないよう布で覆っていた。セレンもライトセーバーの柄をローブの内側へ隠す。

 

それでも、二人が普通の客に見えるかと言えば難しい。

だが、蒼港の夜は奇妙な者が多すぎた。

 

港の端、朽ちかけた船着き場の下に、古い石段があった。潮で濡れた階段を降りると、地下の空間へ続いている。

 

入口には、男が二人立っていた。

 

「札」

 

短い声。

 

セレンは黒い蛇印の木札を見せる。

 

男はそれを確認し、フィリアを一瞥した。

 

「二人か」

「ええ」

セレンは静かに答えた。

 

男はそれ以上聞かず、顎で奥を示した。

 

地下へ進むほど、空気は重くなった。

 

潮と黴の匂い。

魔物の皮をなめしたような臭気。

香辛料で誤魔化した腐臭。

そして、鉄の匂い。

 

やがて、広い地下空間へ出た。

 

そこには、闇市があった。

 

古い荷捌き場を改造した空間に、粗末な露店と木箱が並んでいる。魔物の牙、奇妙な薬瓶、禁制品らしい巻物、見慣れない金属片。表の市場よりも声は低く、笑いも少ない。

 

そして奥の方には、子どもたちがいた。

 

檻ではない。

だが、壁際に固められ、数人の男に見張られている。

首元には、細い革紐。

 

荷物と同じ扱いだった。

 

フィリアの表情が険しくなる。

 

「落ち着いて」

セレンが小声で言う。

 

「分かってる」

フィリアも小さく返す。

「あなたもね」

 

その言葉に、セレンは一瞬だけ黙った。

 

「……ええ」

 

二人は人混みに紛れながら、周囲を確認していく。

 

出口は三つ。

正面の石段。

奥の船着き場へ続く大きな扉。

そして、横の細い通路。

 

青霊草の箱は、奥の倉庫側に積まれていた。翠都へ送られるはずだった印が削られ、別の焼き印を押されている。ランの話は正しかった。

 

その隣に、布をかけられた大きな荷があった。

 

人の背丈ほどの細長い形。

木箱ではない。

石か金属を包んだような重さがある。

 

商人らしき男たちが、その前で低い声を交わしていた。

 

「例の人形、動くのか」

「動かねえよ。だから高く売れるんだ」

「動かないのに?」

「古代遺跡から引き上げた品だ。買い手はいる。特に、最近は“変わったもの”を欲しがる連中が多い」

 

セレンはその言葉を聞き留めた。

 

古代遺跡。

動かない人形。

 

今は追うべきものではない。

だが、無視できる話でもなかった。

 

フィリアも同じように聞いていたらしい。視線だけをセレンへ向ける。

 

セレンは小さく頷いた。

 

その時、奥の壇上に一人の男が現れた。

 

太った体を派手な外套で包み、指にはいくつもの指輪をつけている。顔には笑みを浮かべているが、目は笑っていない。首からは、黒い蛇印の金具が下がっている。

 

奴隷商バルド。

 

名乗らずとも、そう分かった。

 

「さて」

バルドは両手を広げる。

「今夜の荷は上物だ。青霊草は予定より少ないが、代わりに良い子どもが揃っている」

 

子どもを見て、荷と言った。

 

セレンの視界が、またわずかに狭まる。

 

だが、今回はすぐにフィリアが横にいた。

 

「セレン」

 

小さな声。

 

「見ています」

 

「うん」

フィリアは聖剣の柄へ手を添えた。

「私も」

 

バルドが続ける。

 

「そして目玉はこいつだ」

 

男たちが布を取り払う。

 

現れたのは、少女の形をした古い人形だった。

 

石とも金属ともつかない白い素材。閉じた瞳。胸元に古い紋様。関節は人間のように精巧だが、生気はない。眠っているというより、動くことを忘れたように静かだった。

 

闇市の客たちがざわめく。

 

「蒼海沖の古い遺跡から引き上げた品だ」

バルドが得意げに言う。

「動きはしないが、古代の守り人形だという話もある。買い手はすでについているが、今夜は見せ物として出してやろう」

 

フィリアが小声で言う。

 

「……あれ」

 

「ええ」

セレンも目を細める。

「ただの人形には見えません」

 

フォースの中で、かすかな違和感があった。

生きてはいない。

だが、完全な物でもない。

 

まるで、深い底で小さな火が眠っているような感覚。

 

その時、バルドが手を叩いた。

 

「では、まず子どもからだ。船に乗せる前に、買い手の確認を済ませる」

 

見張りたちが子どもたちを立たせる。

 

小さな泣き声が漏れた。

 

フィリアが一歩出た。

 

セレンは止めなかった。

 

彼女は振り返り、セレンを見る。

 

セレンも頷く。

 

今度は、二人で動く。

 

「やめなさい」

 

フィリアの声が、地下空間に響いた。

 

闇市が静まり返る。

 

バルドがゆっくりこちらを見る。

 

「何者だ」

 

フィリアは外套を払った。

聖剣の柄が光を受ける。

 

「勇者フィリア」

 

ざわめきが走る。

 

次の瞬間、バルドの顔が歪んだ。

 

「勇者だと?」

 

「その子たちを解放して。青霊草も返してもらう」

フィリアは聖剣を抜く。

「できるなら、穏便に」

 

バルドは一瞬呆けたような顔をし、すぐに笑い出した。

 

「穏便に? 闇市へ踏み込んでおいて、穏便にだと?」

手を振る。

「捕まえろ!」

 

男たちが一斉に動いた。

 

フィリアは前へ出る。

聖剣が光を帯び、最初の男の剣を弾き飛ばした。返す刃で木箱を叩き割り、子どもたちへ向かう道を開く。

 

「走って! 横の通路へ!」

 

子どもたちは動けない。

恐怖で足がすくんでいる。

 

その前へ、セレンが入った。

 

ライトセーバーが青く灯る。

 

短剣。棍棒。槍。

向かってくる武器を、彼は受け流し、弾き、必要な部分だけを斬り落とす。

 

その時、奥の露店の影から、術師らしい男が杖を掲げた。

 

「焼けろ!」

 

赤い火球が、子どもたちの逃げ道へ向かって放たれる。

 

フィリアが振り向くより早く、セレンが一歩踏み込んだ。

青い刃が弧を描き、火球の軌道を斜めに逸らす。爆ぜた炎が壁際の木箱を焦がし、熱風が地下空間に広がった。

 

続けざまに二発目が来る。

 

セレンは左手を軽くかざした。

フォースの流れが火球の勢いを受け止め、わずかに軌道を歪める。そこへライトセーバーを重ねるように振るうと、炎は青い光に弾かれ、天井近くで砕け散った。

 

子どもたちへは、届かない。

 

「……何だ、今の」

 

術師の男が呆然と呟く。

 

セレンは青い刃を構えたまま、静かに告げた。

 

「その先には行かせません」

 

今度は、押し込む剣ではない。

 

守りの剣。

ソレス。

 

青い刃は相手を断つためだけではなく、子どもたちへ届くすべての危険を逸らすために動いていた。

 

怒りはある。

消えてはいない。

だが、今はその怒りが視界を塞いでいない。

 

「こちらへ」

セレンは子どもたちへ声をかける。

「走れますか」

 

一人が頷く。

別の子が泣きながら立ち上がる。

 

フィリアが横の通路を塞いでいた男を蹴り飛ばし、道を作る。

 

「行って!」

 

子どもたちが走り出す。

 

その瞬間、奥の大扉が揺れた。

 

バルドが叫ぶ。

 

「黒鱗を出せ!」

 

男たちの何人かが顔色を変える。

 

「旦那、ここで出したら市場まで――」

 

「構わん! 勇者を食わせろ!」

 

鉄の鎖が外れる音がした。

 

地下空間の奥から、黒緑の大蛇が姿を現す。

昨日見たものと同じ、いや、地下の薄闇で見るそれはさらに巨大に見えた。首輪に食い込んだ鎖を引きずり、黄色い目で周囲を睨む。

 

子どもたちが悲鳴を上げる。

 

セレンの呼吸が、一瞬止まった。

 

蛇。

 

砂と油の匂い。

玉座の影。

粘つく笑い声。

 

身体が、覚えている。

 

だが、隣からフィリアの声がした。

 

「怖いなら、私が前に出る」

 

セレンは彼女を見る。

 

フィリアは大蛇を睨んだまま、言った。

 

「でも、あなたも来るんでしょ」

 

まっすぐな声だった。

 

セレンは息を吸う。

震えを消すことはできない。

恐怖がなくなったわけでもない。

 

だが、止まる理由にはしない。

 

「……ええ」

青い刃を構え直す。

「今度は、止まりません」

 

大蛇が飛びかかった。

 

フィリアが正面から受ける。聖剣の光が鱗に弾かれ、火花が散った。衝撃で足が滑るが、彼女は踏みとどまる。

 

「重い……!」

 

セレンは横へ回り込んだ。

大蛇の尾が薙ぎ払われる。彼は身を沈め、フォースで崩れた木箱を引き寄せる。箱が蛇の視界を一瞬遮る。

 

大蛇がそれを砕く。

 

「セレン!」

 

「鎖を使います!」

 

蛇の首輪から伸びた太い鎖。

それはまだ床の固定具に半ば繋がっていた。

 

セレンはフォースへ意識を集中する。怒りではなく、流れを見る。鎖の重み、床の金具、蛇の動き、フィリアの位置。

 

鎖が跳ね上がった。

 

大蛇が身をくねらせる。

フィリアがそこへ聖剣を叩き込み、蛇の頭を横へ逸らす。

 

「今!」

 

セレンは鎖を大きく引いた。

鎖が蛇の胴に巻きつき、動きを一瞬だけ縛る。

 

大蛇が暴れ、床石が砕ける。

 

バルドが悲鳴じみた声を上げた。

 

「何をしている! 殺せ!」

 

だが、もう遅い。

 

フィリアが踏み込む。聖剣の光が強くなる。

セレンも反対側から走った。

 

大蛇の鱗は硬い。

正面からでは切れない。

 

だが、鎖に引かれて首が反った一瞬、喉元の白い柔らかな部分が露わになる。

 

フィリアとセレンの視線が合った。

 

言葉はいらなかった。

 

聖剣の光が、喉元を押さえ込む。

青いライトセーバーが、その下を一直線に走った。

 

大蛇が身を震わせる。

 

巨大な体が大きくうねり、闇市の屋台を巻き込みながら崩れ落ちた。地面が揺れ、埃と潮の匂いが舞い上がる。

 

しばらくして、動きが止まった。

 

セレンはライトセーバーを構えたまま、荒く息を吐いた。

 

まだ恐怖は消えていない。

だが、止まらなかった。

 

フィリアが隣へ来る。

 

「やったね」

 

「ええ」

セレンは短く答えた。

「あなたのおかげです」

 

「二人で、でしょ」

 

フィリアはそう言って、少しだけ笑った。

 

その笑顔に、セレンはようやく呼吸が戻ってくるのを感じた。

 

 

 

大蛇が倒れたことで、闇市の秩序は崩れた。

 

客たちは逃げ、見張りたちは散り散りになり、残った者も武器を捨てて膝をつく。フィリアが聖剣を掲げて出口を示し、セレンは子どもたちを誘導した。

 

ランと最年少の少年も、廃船小屋から動いていた。

約束を破ったわけではない。通路の奥で待ち、逃げてくる子どもたちを受け止めていたのだ。

 

「ラン!」

 

子どもたちの一人が彼女へ飛びつく。

 

ランは泣きそうな顔で、その子を抱きしめた。

 

「よかった……」

 

フィリアはそれを見て、小さく息を吐く。

 

助かった命が、ここにある。

まだ全部ではないかもしれない。

でも、今は確かにここにある。

 

一方で、セレンはバルドを見つけていた。

 

奴隷商バルドは倒れた屋台の陰で逃げようとしていた。指輪だらけの手で帳簿を抱え、這うように出口へ向かっている。

 

セレンはその前へ立った。

 

「どちらへ」

 

バルドの顔が引きつる。

 

「ま、待て。金ならある。薬草も返す。子どもも好きに――」

 

言い終わる前に、フィリアの聖剣が床を叩いた。

 

「黙って」

声が低い。

「それ以上、その子たちを物みたいに言ったら、私も冷静でいられる自信がない」

 

バルドは口を閉じた。

 

セレンは彼が抱えていた帳簿を取り上げる。

 

中には、青霊草の取引記録、子どもたちの人数、運び先、買い手らしき記号が並んでいた。名前は伏せられている。だが、いくつかのページには白い封蝋の印が押されていた。

 

完全な証拠ではない。

だが、蒼港の裏だけで終わる話ではないことは分かった。

 

「この買い手は誰ですか」

 

セレンが問う。

 

バルドは青ざめた顔で首を振る。

 

「知らねえ。本当に知らねえんだ。向こうは名前を出さない。使いが来るだけだ」

「青霊草を買い集めたのも、その使いですか」

 

「そうだ。薬草も、子どもも、珍しい品も……最近は何でも集めろって」

「珍しい品?」

フィリアが反応する。

 

バルドはちらりと、布をかけ直されかけている古代人形の方を見た。

 

「あれだ。海底遺跡から出た、動かない人形」

震える声で言う。

「妙な品だろ。だが、買い手は高く買うと言った。薬草よりも、あれに興味があるみたいだった」

 

セレンは古代人形へ視線を向ける。

 

閉じた瞳。

白い素材。

胸元の古い紋様。

 

そして、フォースの奥でかすかに揺れる、小さな火のような違和感。

 

「……動かない人形」

 

フィリアもそれを見つめていた。

 

「ただの品じゃなさそうだね」

 

「ええ」

セレンは頷く。

「詳しく調べる必要があります」

 

外から足音が近づいてくる。

 

商人組合と教会支部へ、逃げた客か子どもたちの誰かが知らせたのだろう。複数の騎士の声が響き、闇市の入口が明るく照らされ始めた。

 

フィリアは聖剣を収め、子どもたちの方へ歩いた。

 

「もう大丈夫」

彼女は言う。

「みんな、外へ出よう」

 

子どもたちはまだ怯えていた。

けれど、ランが最初に頷いた。

 

「……うん」

 

それを合図に、小さな足音が少しずつ動き出す。

 

セレンはその背を見守った。

 

怒りに呑まれずに済んだわけではない。

恐怖を克服したわけでもない。

だが、止まらずに救えた。

 

フィリアが隣に戻ってくる。

 

「セレン」

 

「はい」

 

「怖かった?」

 

少しだけ迷った末の問いだった。

 

セレンは正直に答えた。

 

「怖かったです」

 

フィリアは小さく頷く。

 

「でも、来てくれた」

 

「ええ」

セレンは青い刃の柄へ手を置いた。

「一人では、止まっていたかもしれません」

 

「じゃあ、私がいてよかったね」

 

少しだけ冗談めかした言い方だった。

だが、その奥には確かな気遣いがあった。

 

セレンはほんの少しだけ目を細める。

 

「ええ」

静かに答える。

「本当に」

 

フィリアは一瞬、言葉を失ったように目を瞬いた。

それから、少しだけ視線を逸らす。

 

「……そういうの、急に素直に言うんだから」

 

「……慣れないことをしました」

 

「それ、便利に使ってない?」

 

セレンは答えなかった。

ただ、わずかに笑った。

 

闇市の奥では、騎士たちがバルドを拘束し、商人組合の者たちが青霊草の箱を確認している。薬草はすべてではないが、確かに戻ってきた。

 

だが、まだ終わりではない。

 

白い封蝋の買い手。

青霊草を止めた者。

そして、古代遺跡から引き上げられた動かない人形。

 

蒼港の夜は、ひとつの闇市を暴いただけでは終わらない。

 

セレンは古代人形の閉じた瞳を見つめる。

 

それはただの物のはずなのに、どこかで誰かが眠っているように感じられた。

 

遠く、港の鐘が夜を告げる。

 

奴隷商の夜は終わった。

だが、眠る人形の謎が、二人の前に新たな扉を開こうとしていた。




20話まで読んでいただきありがとうございます、見てくださるだけでも嬉しく、さらにお気に入りやコメントまで頂ける皆様のお陰で続けることができております。

めったに書かないあとがきですが、この場を借りて皆様に感謝の気持ちと、宣伝をさせていただきたいと存じます。

「マンダロリアン&グローグー」はいいぞ…
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