翌朝、村は昨夜の騒ぎが嘘だったかのように静かだった。
夜のあいだに散らばった骨は、村人たちが怯えながらも集めて、広場の隅に積み上げている。祈り札は増え、家々の戸口には白布が新しく結ばれていた。誰もが平静を装ってはいるが、昨日までと同じ朝ではないことは、村を包む空気の硬さが物語っていた。
セレンは広場の端で、木桶の水で顔を洗った。
冷たい水が肌を打つたび、意識がはっきりしていく。森の奥で感じた“冷たい結びつき”は、昨夜のアンデッドたちと同質のものだった。ならば、あれは一度きりの異変ではない。この村の近くに、何かがある。
「昨夜は助かりました」
振り向くと、初老の男が立っていた。村のまとめ役らしい男だ。昨晩よりも疲れて見えるが、その目には確かな感謝があった。
「礼には及びません。皆さんが無事でよかったです」
「そう言ってくれるとありがたいが……あんた、本当に何者なんだ」
セレンは少しだけ目を細めた。
その問いに、どこまで答えるべきかはまだ決められない。
ジェダイ・ナイトだと名乗ったところで理解されるとも思えなかった。ライトセーバーひとつ取っても、この世界の者には見覚えのないものなのだろう。説明したところで、余計な混乱を招くだけだ。
「旅の者です」
「それだけで、あんなものを斬れるもんかね」
「……そうかもしれません」
男は苦く笑った。
「まあ、秘密の一つや二つ、旅人にはあるもんだろうさ。詮索はしない。ただ、あんたのおかげで助かったのは本当だ」
「ありがとうございます」
その時、村の入口の方から、馬のいななきと荒っぽい声が聞こえてきた。
「おーい! 誰かいるか!」
「水と飯くらい出せるだろ、この村!」
村人たちが一斉に顔を上げる。セレンもそちらを見た。
木柵の向こうから現れたのは、三人組の旅人だった。装備はばらばらだが、剣や杖を持っているあたり、ただの行商人ではないらしい。だが、どこかくたびれている。鎧には手入れの甘い傷が残り、外套には泥がつき、顔には疲労と苛立ちが滲んでいた。
先頭の男は大剣を背負った戦士風。無精髭を生やし、目つきが悪い。
その隣には、黄土色のローブを羽織った女。杖を持ってはいるが、神官というより旅慣れた術師のようだ。
最後に、弓を背負った痩せた若い男がいる。周囲を警戒する目つきだけは鋭かった。
三人は村へ入るなり、遠慮なく井戸へ向かった。
「ずいぶん荒れていますね」
セレンが呟くと、初老の男が小さく肩を竦めた。
「流れの冒険者だろう。最近はこういう手合いも多い。……だが、あいつらは少し変だな」
変、という言葉の意味はすぐに分かった。
大剣の男は桶の水を一気に煽ると、広場に積まれた骨を見て鼻で笑った。
「へえ、こんな辺境にも出たのかよ。死に損ないってやつが」
「教会騎士は?」
と、術師の女が聞く。
「来ちゃいねえよ」
村人が答えると、男はさらに露骨に顔をしかめた。
「だろうな。あいつらが辺境まで真面目に来るわけねえ」
その言い草に、村人の表情が微妙に硬くなる。信仰心があるからこそ、教会を悪く言われるのは面白くないのだろう。
だが、三人は構わず食糧や寝床の話を始めた。態度は大きいが、どこか焦りも見える。単に高慢なのではない。追い立てられるような疲労感がある。
「あなた方も、森の方から来たんですか?」
セレンが声をかけると、大剣の男がじろりとこちらを見た。
「誰だ、お前」
「旅の者です」
「……ふん。旅人、ね」
男は焼け焦げたローブを見て、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「見たところ、どっかの坊ちゃん剣士って感じでもねえな」
「言い方が悪いわよ、ダルク」
術師の女が呆れたように口を挟む。
「こっちは疲れてんだ。愛想まで求めるな」
弓の男が肩を竦める。
「まあ、間違っちゃいない。こっちもあんまり余裕はないしな」
三人はどうやら即席の徒党ではなく、それなりに長く組んでいるらしい。遠慮のない物言いに、妙な気安さがあった。
「森の奥は危険なんですか」
と、セレンは続けて問うた。
大剣の男――ダルクは苦々しげに舌打ちした。
「危険どころじゃねえよ。魔物は増えてるし、死体まで起き上がる。しかも、その原因を追ってる“勇者さま”ときたら、一人で突っ込んで勝手に場を引っかき回す」
村人たちがざわめく。
「勇者……?」
「本当に来ているのか?」
「やっぱり教会の……」
術師の女が、肩の力を抜いたまま吐き捨てるように言った。
「いるわよ。いるけど、あんなの勇者っていうより、火の玉ね。止まらないし、言うこと聞かないし、まっすぐすぎて見てるこっちが疲れる」
弓の男が苦笑する。
「でもまあ、強いのは本当だ。聖剣なんてのもあるしな」
「強いだけじゃどうにもなんねえって話だろ」
ダルクが吐き出すように言う。
「勇者だの聖剣だの言っても、結局は教会の都合だ。俺たちだって昔は、そういうのに付き合わされた口だしな」
元勇者一行。
セレンはその言葉を、口に出さずに理解した。
勇者がいない一行。もとは勇者と共にいた者たち。今は別れて、あるいは置き去りにされて、こうして流れている。
彼らの口ぶりには、単なる悪意だけではない。諦めと失望と、まだ切り捨てきれない未練が混じっていた。
「その勇者は、今も森に?」
セレンの問いに、三人は一瞬だけ黙った。
術師の女が答える。
「……たぶんね。今朝方、碧光の森の西で光が見えた。聖剣の光だったと思う」
「まさか、まだ一人で追ってんのかよ」
弓の男が顔をしかめる。
「あり得るわね。あの子、そういう子だもの」
あの子。
セレンは、その言い方に少しだけ引っかかった。
ただの制度としての“勇者”ではない。三人にとって、その存在はもっと具体的なのだ。腹立たしく、面倒で、それでも放っておけない誰か。
「なら、危険ですね」
と、セレンは静かに言った。
ダルクが鼻で笑う。
「やめとけ。あっちはオークの群れと、妙なのまで混じってる。素人が行ってどうにかなる場所じゃねえ」
その言葉を聞いた時には、セレンはもう森の西を見ていた。
場所は分かった。
十分だった。
フォースの流れの中で、鋭く燃えるような命の光が揺れている。まだ戦っている。ならば、一刻の猶予もない。
「……そうですか」
短くそれだけ答えると、セレンは地を蹴った。
「お、おい!」
背後で誰かが声を上げる。
「勝手にしろ! ただし死んでも知らねえぞ!」
「忠告、感謝します!」
それだけを返して、セレンはもう振り返らなかった。
村人たちの制止する声も、背後で何か言い争う元勇者一行の声も、すぐに遠ざかる。
碧光の森を駆ける。
木々の間を抜け、根を飛び越え、枝をくぐる。風が頬を打つ。フォースは道を示していた。西。さらに西。争いの中心へ。
やがて、森が大きく開ける場所へ出る。
そこは草の生えた広場のような地形で、倒木と岩が散在していた。そして、その中央で、ひとりの少女が剣を振るっていた。
白銀の刀身を持つ剣が、眩しいほどの輝きを帯びて魔物を斬り払う。赤みのある栗色の髪が揺れ、短いマントが翻る。小柄な体躯。だが踏み込みは鋭く、一撃ごとに前へ前へと押し込む意志があった。
名前すらまだ知らないはずなのに、“勇者”と呼ぶのが自然に思える姿。
――フィリア。
後にそう名乗ることになる少女は、なおも一人で魔物の群れに立ち向かっていた。
相手はゴブリンの群れだけではない。オークが二体。しかも、広場の端には、昨夜見たのと同じ冷たい結びつきを纏った影が揺らめいている。
まずい。
少女は強い。強いが、踏み込みが深すぎる。前へ出るたびに、背後の死角が増えていく。
「はあっ!」
聖剣が閃き、オークの棍棒を弾き飛ばす。続けざまに返した斬撃で、もう一体の肩口を裂く。華奢な体からは想像もつかないほど重い剣筋だった。
だが、その直後。
背後から、青白い影が音もなく伸びた。
フィリアはまだ気づいていない。
セレンは地を蹴った。
「伏せてください!」
少女が反射的に振り向く。驚きに目を見開く、その一瞬で十分だった。
青い光が、彼女の背後で起動する。
ライトセーバーがゴーストの腕を断ち、そのまま横薙ぎに見えない“結び目”を焼き切った。影は悲鳴のような音を残して霧散する。
「え……!?」
フィリアが息を呑む。
だが、立ち止まっている余裕はない。前方のオークが大剣を振りかぶっていた。
セレンは一歩前へ出て、その一撃を受け流す。角度を変える。重さを逸らす。オークの大剣が地面へ叩きつけられ、草と土が跳ねた。
「今です!」
「――っ、言われなくても!」
反発するような、だが澄んだ声だった。
少女――フィリアが飛び込む。聖剣が光を放ち、オークの剣を弾き、返す刃で胴を薙ぐ。オークが咆哮を上げて後退した。
続いてゴブリンたちが押し寄せる。
セレンが受ける。フィリアが斬る。
青い光が守り、聖なる光が切り開く。
一体を弾き、二体目の槍を焼き切り、その隙間を縫ってフィリアの聖剣が走る。最初は噛み合っていなかった呼吸が、ほんの数合で合い始める。セレンが作った一瞬の空白を、フィリアは迷わず切り裂いた。
そして最後に、残ったオークが怒声とともに真正面から突っ込んできた。
セレンが正面を受ける。
フィリアが横から踏み込む。
オークの大剣が振り下ろされる、その瞬間。
青い刃と、白銀の聖剣が、同時に交差した。
2つの光が重なる。
一つは静かで、透き通るような青。
一つは熱を帯びた、まっすぐな白。
交わった刹那、オークの大剣は両側から断ち切られた。続く衝撃に耐えきれず、巨体が膝をつく。残っていたゴブリンたちも、恐れをなして一斉に散った。
静寂が落ちる。
風が吹き、草が揺れる。広場には、まだ微かに光の残滓が漂っていた。
セレンはライトセーバーを構えたまま、隣に立つ少女を見る。
少女もまた、聖剣を下げずにこちらを見返していた。年の頃は、自分より少し下だろうか。瞳は琥珀色に近く、警戒と苛立ちと、助けられたことへの戸惑いが、全部そのまま浮かんでいる。
「……誰ですか、あなた」
最初の一言は、礼でも驚きでもなく、真っ直ぐな警戒だった。
セレンはわずかに息を整え、答える。
「通りすがりです」
「そんなわけないでしょう!」
即座に返ってきた声に、セレンはほんの少しだけ目を瞬かせた。
なるほど、と心の中で思う。
確かに、先ほどの三人が言っていた通りだ。
火の玉のようにまっすぐで、止まることを知らない。
少女は聖剣を向けたまま、じっとセレンを見ている。
だがその視線の奥には、敵意だけではないものもあった。
理解できないものを前にした戸惑い。
自分を助けた相手への、わずかな関心。
そしてセレンもまた、彼女から目を離せずにいた。
剣を振るう理由が、そのまま身体に宿っているような少女だった。
危ういほどにまっすぐで、眩しい。
森の奥で感じていた命の光の正体が、今ようやく分かった気がした。
少女が、もう一度問う。
「……あなた、何者?」
その問いに、セレンはすぐには答えられなかった。
青い光を消した森の中で、二人のあいだにはまだ、戦いの余韻と、言葉にならない熱だけが残っていた。