首なき騎士は、音もなく門の奥から現れた。
闇の中から滲み出るように、その巨体が石段の上へ姿を見せる。全身を覆う甲冑は黒ずみ、かつては銀であったのかもしれない装飾は、今や煤けた鈍色へと変わっていた。胸には祠の紋章と同じ意匠が刻まれている。だが、その首から上だけが、ぽっかりと空白だった。
あるべき場所に頭がない。
それでも騎士は立っていた。
長大な剣を片手で引きずり、その剣先が石を削るたび、不快な音が森の静寂を裂いていく。
フィリアが小さく息を呑む。
「……これが、祠を守ってた騎士……?」
答えるものはない。
代わりに、首のない胴から黒い靄が立ち昇り、空洞の首元に青白い火が瞬いた。昨夜のアンデッドとは比べものにならない。冷たいのに重い。死者を無理やり現世へ縫い留める、深く濁った結びつき。
セレンは、皮膚の下を這うような違和感を覚えた。
「フィリア」
「……うん」
「これは、ただのアンデッドではありません」
「それは、私にも分かる」
言葉は短い。だが、強く突き放すような響きはなかった。
緊張の中で、フィリアもまた状況を正しく見ている。ただ、それを長く言葉にする余裕がないだけだった。
首なき騎士――デュラハンは、二人を“見た”。
頭がない以上、視線が合うはずもない。だが確かに、見られている。
侵入者か。試練を受ける者か。あるいは、排除すべき敵か。
次の瞬間、その巨体が信じ難い速さで踏み込んだ。
「っ!」
振り下ろされた大剣を、セレンは咄嗟にライトセーバーで受けた。
青い刃と、黒ずんだ長剣がぶつかり合う。
その瞬間、セレンの表情が初めて揺れた。
「……切れない?」
本来なら、金属の剣など受けた時点で焼き切れている。
少なくとも、こうして真っ向から拮抗すること自体があり得ない。
だが、デュラハンの剣は砕けなかった。
刃の周囲を覆う黒い靄が、青い光を拒むように軋み、呪いそのものが剣を現世へ繋ぎ止めている。
重い。速い。
セレンは反射的にフォースへ意識を沈めた。
本来なら、相手の動きは刃より先に見える。
踏み込み、重心、殺意の向き。戦場では、その僅かな先読みこそが生死を分ける。
だが、この騎士は違った。
異世界に満ちる力の流れは、フォースに似て非なる揺らぎを帯びている。読めないわけではない。だが、慣れ親しんだ戦場よりも感覚が半拍だけ鈍る。
その上で、このデュラハンは剣士としてあまりに手練れだった。
先読みだけでは足りない。
経験と技、その両方で受けなければ、この場は凌げない。
石段を砕きながら押し込まれ、セレンは数歩後退した。
「セレン!」
フィリアが横から飛び込む。聖剣の白光が一閃し、デュラハンの脇腹を狙う。だが騎士は半歩だけ身を捻り、その斬撃を甲冑で受けた。鈍い金属音。浅い。
「硬い……!」
フィリアが歯を食いしばる。
デュラハンはそのまま反転した。首がないはずなのに、迷いなくフィリアの位置を捉え、返す刃で横薙ぎに払ってくる。
速い。
フィリアが受ける。白銀の刀身と黒い長剣が激突し、火花が散った。だが力負けする。小柄な身体が弾き飛ばされ、石畳の上を滑った。
「フィリア!」
セレンがフォースで衝撃を緩める。完全には防げない。だが、彼女の背が門柱に叩きつけられる前に勢いだけは逸らせた。
デュラハンが追う。
セレンは割って入った。青い刃を縦に立て、斬り下ろしを正面から受ける。今度は真正面からではなく、角度をつける。流す。だが、それでも重い。腕の骨まで軋むようだった。
ソレス。
受け、逸らし、待つ剣。
それでも、この相手は受けるだけで削られていく。技量がある。力もある。死してなお騎士であることを忘れていない。
「……厄介ですね」
デュラハンは答えず、続けざまに剣を返してくる。下から掬い上げるような一撃。セレンは後方へ跳んでかわすが、黒い刃圧がローブの裾を裂いた。
その一瞬を狙って、フィリアが再び踏み込む。
「はあっ!」
今度は真正面からではない。低く潜り、膝を狙う。聖剣が光を放ち、甲冑の継ぎ目を正確に裂く。デュラハンの片膝が僅かに揺れた。
そこへセレンが続く。
青い刃で首元を払う――が、空を切る。
その瞬間、嫌な予感がした。
首を断てば終わる。
少なくとも、生きた相手ならそれで決着はつく。
だが、それはセレンが好む答えではなかった。
必要とあればそうするしかないと知っていても、できる限り選びたくはない。
まして、目の前の騎士には最初から首がない。
その異様さに、セレンの思考が一瞬だけ引っかかった。
ジェダイとして積み重ねてきた戦いの感覚が、その一点だけ空を切る。
――形に囚われるな、セレン。
不意に、マスター・ヨルの声が脳裏に蘇った。
――相手を倒す時、お前が見るべきは肉体じゃない。
何がそれを動かしているのかだ。
セレンは、はっと息を呑んだ。
「下がってください!」
叫ぶと同時に、デュラハンの空洞の首元から黒い霧が噴き出した。刃ではない。だが明確な殺意を持った瘴気の奔流。フィリアが聖剣を掲げて正面から受けるが、完全には防ぎきれず、押し戻される。
セレンも腕を上げ、フォースで衝撃を逸らした。黒い霧が肌を撫でるだけで、ぞわりとした冷気が骨の内側へ染み込んでくる。
「これ……っ、剣だけじゃない!」
「ええ。呪いそのものを纏っています」
フィリアが息を整えながら立ち上がる。だが、顔色は明らかに悪かった。
セレンはデュラハンを見据えたまま、短く言った。
「無理はしないでください」
「無理しないで勝てる相手に見える?」
「見えません」
「なら同じでしょ」
返ってきた声には、まだ火があった。
だが、いつものような勢い一辺倒ではない。強敵だと、彼女も理解している。
デュラハンが再び剣を構える。
その動きに、セレンはほんの一瞬、引っかかりを覚えた。
甲冑の胸。祠の紋章。首のない空洞。そして、剣筋の正確さ。
ただ暴れているわけではない。
守るために戦った者の剣が、そのまま歪んで残っている。
「フィリア」
「なに」
「この騎士、祠の番人だったという伝承は本当かもしれません」
「……そんなの、見れば分かる」
フィリアは聖剣を強く握り直した。
「でも、だからってこのままにできるわけじゃない」
「ええ」
セレンは頷いた。
「問題は、倒し方です」
デュラハンが踏み込む。
セレンが正面で受ける。重さを逸らす。フィリアが横から斬り込む。だがデュラハンは、こちらの連携にすら対応してきた。まるで生前の戦闘経験がそのまま残っているかのように。
フィリアの斬撃が甲冑を削る。セレンの刃が肩の継ぎ目を断つ。だが、致命には届かない。黒い霧が傷口を覆い、すぐに形を繋ぎ直してしまう。
「再生してる……!」
「いえ、違います」
セレンは息を切らしながらも目を離さない。
「これは、繋がっているんです」
「繋がってる?」
「首と胴、騎士と祠、誓いと呪い。その全部がまだ断ち切られていない」
デュラハンの大剣が振り下ろされる。セレンは受け流しきれず、ついに膝をついた。腕が痺れる。今までなら余裕を持って外せた軌道なのに、完全に押し込まれた。
「セレン!」
フィリアが割って入る。聖剣と大剣がぶつかり合う。火花が弾ける。だが彼女一人でも止めきれない。白い刃がじりじりと押されていく。
その時だった。
デュラハンの空洞の首元から、かすかに何かが聞こえた気がした。
声ではない。言葉でもない。
ただ、長い時間をかけて擦り切れた願いの残響のようなもの。
守る。
置かない。
退かない。
フォースが、その歪んだ残留思念を拾う。
「……そういうことですか」
セレンは歯を食いしばって立ち上がった。
「フィリア!」
「なに!」
「これは排除ではありません!」
「は!?」
「解放するんです!」
その言葉に、フィリアの目が揺れた。
勇者に仕えた騎士。最後まで剣を置かなかった守護者。
それがこんな姿で祠に縛られているのだとしたら――。
「……っ」
フィリアの表情に、迷いが走る。
それは当然だった。ただの怪物ならまだいい。だがこれは、かつて誰かを守った騎士の成れの果てだ。
「こんなの……」
フィリアの声が掠れる。
「こんなの、勇者に仕えた騎士の終わり方じゃない」
デュラハンが吼えるように霧を噴き出した。フィリアの言葉に応じるように、祠の門柱が鈍く光る。
セレンはその瞬間を見逃さなかった。
「核は祠と繋がっています! 聖剣で道を開いてください!」
「道?」
「呪いを裂くんです。僕が縁を断ちます!」
フィリアは一瞬だけ、セレンを見る。
いつもより余裕のない顔。呼吸も荒い。腕も震えている。
それでも、その目だけは静かだった。
信じろ、と。
言葉にしなくても、そう告げていた。
「……分かった!」
フィリアが踏み込む。
聖剣が、これまでで最も強く光を帯びた。白銀の刀身が眩く輝き、その軌跡が闇を裂く。
「はあああっ!」
正面からの一撃。
デュラハンが受ける。激突。
だが今までと違う。フィリアの剣は甲冑を断つためではなく、その奥にある“呪い”を暴くために振るわれていた。
白い光がデュラハンの胸元を貫く。祠の紋章が悲鳴を上げるように明滅し、黒い霧の奥で、絡みつく鎖のようなものが浮かび上がった。
「セレン!」
「はい!」
セレンが駆ける。
デュラハンの剣が横薙ぎに来る。受ける。流す。半歩入る。
ソレスのすべてを一瞬に込める。
見えた。
首を失った騎士に無理やり絡みつき、祠と縫い留めている黒い縁。誓いそのものを呪いへ変えてしまった、不自然な結びつき。
「――還ってください」
青い刃が、白い光の裂け目へ突き立つ。
フォースが奔る。
生命の流れに逆らう縁を断ち切る。
首と胴。騎士と祠。誓いと死。歪んだすべてを、一閃で切り分ける。
デュラハンの巨体が、びくりと止まった。
黒い霧が、裂ける。
そしてその中から、一瞬だけ、本来の姿が見えた気がした。
白い甲冑を纏った、首のある騎士。
膝をつき、剣を捧げるようにして、静かに頭を垂れる影。
フィリアが息を呑む。
セレンもまた、胸の奥に微かな安堵を覚えた。
次の瞬間、デュラハンの身体は音もなく崩れ落ちた。
甲冑は乾いた音を立てて石段に散り、黒い霧は風に溶けて消えていく。
残ったのは、祠の門前に落ちた一本の古剣だけだった。
静寂が戻る。
フィリアはその場に立ち尽くしていた。聖剣はまだ淡く光っているが、もう先ほどのような激しさはない。
「……終わった」
「ええ」
セレンも呼吸を整えながら答える。だが、腕は重かった。今までで一番きつい戦いだった。受け切れたのは紙一重だ。もしフィリアがいなければ、勝てていたとは思えない。
フィリアがゆっくりと、崩れた甲冑の前へ歩み寄る。
「守ってたんだよね」
誰に向けるでもなく、彼女は呟く。
「最後まで」
返る声はない。
それでもフィリアは、聖剣を胸の前で静かに立てた。
祈るような、見送るような仕草だった。
セレンは少し離れた場所から、その背を見つめる。
彼女の中で今、勇者という言葉の意味が、少しだけ変わったのかもしれないと思った。
やがて、祠が低く震えた。
二人が顔を上げる。
門の向こう、これまで闇に沈んでいた石壁の紋様が、淡い光を帯びて浮かび上がっていた。聖剣に呼応しているのか、それともデュラハンの呪縛が解けたことで、本来の機能を取り戻し始めたのか。
「開く……?」
フィリアが身を固くする。
だが、完全には開かなかった。
奥へ続く石扉は、わずかに震えただけで止まる。まるで、まだ何かが足りないと言うように。
それでも、扉の隙間の向こうには確かに何かがあった。
冷たくはない。むしろ、長い眠りの底から微かに呼びかけるような気配。
セレンは目を細める。
「何かが、まだ奥にあります」
「私も感じる」
フィリアは聖剣を見下ろした。
「でも、今は入れない」
その声音には、悔しさよりも確信があった。
終わっていない。けれど、今ここで無理に踏み込むべきではない。彼女もそれを理解している。
デュラハンとの戦いで、二人とも消耗していた。これ以上進めば、何が待っていようと対処しきれないだろう。
「一度戻りましょう」
セレンが言う。
「祠についても、この騎士についても、調べる必要があります」
「……うん」
フィリアは頷いたあと、ふとセレンの方を見る。
「さっき」
「はい」
「助かった」
言葉を選ぶような間があった。
「一人だったら、たぶん無理だった」
セレンは少しだけ沈黙したあと、答えた。
「こちらも同じです」
「え?」
「あなたがいなければ、断ち切れなかった」
フィリアの目がわずかに見開かれる。
たぶん、同じ重さで返ってくるとは思っていなかったのだろう。
「……そう」
それだけ言って、彼女は少しだけ視線を逸らした。
「なら、引き分けってことにしとく」
セレンはわずかに目を細めた。
「そうかもしれません」
フィリアは崩れた甲冑の前で一度だけ振り返り、それから石段を下り始める。
セレンもその後に続いた。
碧光の森は相変わらず静かだった。
だが先ほどまでの静けさとは違う。何かが終わり、何かが残されたあとの、澄んだ静寂だ。
勇者を守った騎士。
その成れの果てと刃を交えたことは、フィリアの胸に深く残るだろう。
そしてセレンにとってもまた、あれはただのアンデッドではなかった。
死してなお誓いに縛られる姿は、あまりにも痛ましく、それでいてどこか他人事ではない。
石段を下りながら、フィリアがぽつりと言った。
「さっきの、解放するんです、って言った時」
彼女は前を向いたまま続ける。
「ちょっとだけ、信じてよかったって思った」
セレンは、その背を見つめた。
まっすぐだ、と思う。
危ういほどに。眩しいほどに。
疑う時も、怒る時も、剣を振るう時も、フィリアはいつも正面から向き合ってくる。
だからこそ、言葉を濁したままでいるのは、少しだけ違う気がした。
「……ジェダイ・ナイト」
フィリアが足を止める。
「え?」
「僕は、そう呼ばれていました」
セレンは静かに言った。
「まだ、なりたてでしたが」
フィリアは振り返る。
聞き慣れない言葉に戸惑っているのは明らかだった。だが、茶化すような色はない。
「ジェダイ……?」
「あなたにとっての“勇者”に、少し近いのかもしれません」
セレンは少しだけ視線を伏せた。
「少なくとも、僕にとっては大事な名前です」
フィリアはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「私はそれ、知らない」
それから、少しだけ言いにくそうに続ける。
「でも、あなたにとって大事なことなんだっていうのは分かる」
セレンは彼女を見た。
フィリアはほんの少しだけ視線を逸らす。
「だから……ありがと」
そして、いつものように少しだけぶっきらぼうに言った。
「一応、感謝しておく」
その言葉に、セレンはほんのわずかに目を細めた。
「どういたしまして」
フィリアは小さく鼻を鳴らした。
「相変わらず、落ち着いてるね」
「そう見えるだけです」
「……見えるだけなんだ」
それ以上は言わなかった。
だが、二人の間にあった張りつめた距離は、確かに少しだけ変わっていた。
まだ互いに知らないことの方が多い。正体も過去も、全部は話していない。
それでも、あの祠の前で同じ窮地を越えたことだけは、言葉以上に確かなものとして残っている。
森の出口へ向かう途中、フィリアが一度だけ振り返って祠の方を見た。
「また来る」
それは誓いのように聞こえた。
「ええ」
セレンも頷く。
「その時は、奥まで行きましょう」
フィリアは短く頷き返した。
碧門の祠は、まだ終わっていない。
だが二人にとって、この戦いは確かに一つの始まりだった。