今際の国で飯を食う。   作:有栖結華

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すぺえどのなな(4)

(21/22)

飛行機の扉が、ゆっくりと開いた。

重たい金属音が、静かな機内に響く。

外は、やっぱり暗かった。

ただ暗いだけじゃない。

光そのものが、ほとんど存在していない。

見える光といえば、機体に取り付けられた赤い衝突防止灯が、一定間隔で点滅しているくらいだった。

赤い光が、機体を照らす。

数秒ごとに、明るくなって。

また、闇に沈む。

その繰り返し。

私は搭乗口から、そっと身を乗り出した。

周囲を見回す。

けれど、搭乗したときに使ったスロープは、もうどこにもなかった。

下を見る。

思ったより、高い。

飛び降りれば怪我をしそうな高さだった。

どうやって降りればいいのか分からず、一瞬、足が止まる。

「……あれ」

藍里さんが、小さく声を漏らした。

視線を追う。

飛行機の真下。

そこに、大きなクッションが置かれていた。

黒い地面の上に、不自然なくらいぽつんと。

まるで、最初からそこに用意されていたみたいに。

いつからあったのかは、分からない。

誰も、それについて何も言わなかった。

言う余裕が、なかったのかもしれない。

あるいは――今さら、そんなことを気にする段階でもなかったのか。

「……降りよう」

幽鬼さんが、短く言った。

その声で、全員が動いた。

私たちは、順番に飛行機を降りた。

幽鬼さん。

永世さん。

藍里さん。

そして、最後に私。

搭乗口の縁に手をかける。

一瞬、足がすくんだ。

でも、飛ぶしかない。

意を決して、飛び降りる。

体が、ふわりと浮く。

ほんの一瞬だけ。

次の瞬間――

ポスッ。

鈍い衝撃が、足から全身へ伝わった。

思っていたより、ずっと硬い。

柔らかいというより、衝撃を多少吸ってくれる程度だった。

着地した瞬間、傷ついた膝裏に鋭い痛みが走る。

「っ……」

思わず、息が漏れた。

切れた場所が、また開いたのかもしれない。

熱を持つような痛みが、じわりと広がっていく。

膝裏だけじゃない。

腕も。肩も。背中も。

体のあちこちが、じんじんと痛んでいた。

今まで張り詰めていたせいで、感じていなかっただけなのかもしれない。

外の空気は、冷たかった。

肌に触れるたび、細かな傷がひりつく。

痛い。

寒い。

疲れた。

そんな当たり前の感覚が、ようやく戻ってきた。

さっきまで、あれほど張り詰めていた空間が、嘘みたいに静かだった。

誰も、すぐには動かなかった。

動けなかった、のほうが正しいかもしれない。

ただ、無言で前を見ていた。

誰も喋らない。

荒い呼吸だけが、静かな空間に残っていた。

「……終わった、のか」

幽鬼さんが、小さく呟く。

その声を聞いて、ようやく実感が湧いた。

終わった。

スペードの7――ふらいと。

私たちは、生きて地上へ戻ってきた。

真熊さんを除いて。

その事実を思った瞬間、胸の奥が重くなる。

視線が、無意識に飛行機へ向いた。

真っ暗な機体。

閉じかけた扉。

そこに、もう真熊さんはいない。

ほんの少し前まで、同じ場所で話していたのに。

同じ場所で、一緒にゲームをしていたのに。

最後には、殺し合っていた。

……まだ、実感がなかった。

クッションから降りる。

足が、地面に触れた。

硬い。

冷たい。

その感触が、ひどく現実的だった。

助かった。

生き残った。

その事実だけが、ひどく重かった。

 

 

(14/22)

 

後になって、ようやく分かった。

あの飛行機の中で、何が起きていたのか。

真熊さんだけ、最初から私たちとは違うルールで、このゲームに参加していた。

おそらく、クリア条件はこうだった。

一定時間、飛行機を飛ばし続けること。

その後、飛行機を墜落させるか、あるいは他の参加者を全滅させること。

そして最後に、自分だけがコックピットへ入り、生き残ること。

――そういうゲームだった。

今なら分かる。

幽鬼さんも。

永世さんも。

藍里さんも。

たぶん、ずっと前から気づいていた。

少なくとも、可能性としてはかなり強く疑っていたはずだ。

修理キット。

窓の破損。

増えていた包丁。

どれも、タイミングが出来すぎていた。

あまりにも都合がよすぎた。

事前に仕掛けられたギミックだけでは、説明がつかない。

まるで、誰かがこちらの様子を見ながら、その場その場で必要なものを用意しているみたいだった。

そんなことができる立場の人間なんて、限られている。

そして――

真熊さん自身も、おそらく気づいていた。

自分が疑われていることに。

みんなが、薄々察していることに。

それでも、誰も口にしなかった。

口にした瞬間、終わるからだ。

その瞬間、疑いは敵意に変わる。

もう、それまでみたいに協力はできない。

戦うしかなくなる。

でも、問題はいくつもあった。

本当に、真熊さんが敵なのか。

まだ断定できるのか。

もし違ったら、どうするのか。

そして――もし本当に敵だったとして。

勝てるのか。

真熊さんは、この中で誰よりも強かった。

真正面から戦って、勝てる相手じゃない。

四人で協力すれば倒せるのか。

倒せたとして、その後どうするのか。

飛行機は、誰が着陸させるのか。

何も分からなかった。

情報が、足りなかった。

だから全員、あえて触れなかった。

もっと情報が増えるまで。

もっと確信が持てるまで。

できるなら、戦わずに済む可能性を探るために。

静かに。

ぎりぎりまで、均衡を保ちながら。

様子を見ていた。

その空気を読めていなかったのは――私だけだった。

私は、みんなが黙っていたことを、そのまま口にしてしまった。

修理キットの違和感を。

タイミングの不自然さを。

何も知らないまま。

ただ、おかしいと思ったから。

ただ、それを言わなきゃいけない気がしたから。

口にしてしまった。

あの瞬間。

飛行機の中にあった、かろうじて保たれていた均衡は――壊れた。

 

(16/22)

 

真熊さんは、強かった。

間違いなく、この場で一番強かった。

力も。

速さも。

判断力も。

たぶん、全部。

正面から戦っていたら、誰も勝てなかったと思う。

少なくとも、私はそう思った。

実際、戦いが始まった瞬間に、それはすぐ分かった。

速かった。

あまりにも、速かった。

狭い機内だというのに、真熊さんの動きにはほとんど無駄がなかった。

包丁を投げた直後には、もう次の動きに入っていた。

躊躇も、迷いもない。

最初から、こうなる可能性を考えていた人の動きだった。

でも――

場所が悪かった。

飛行機の中は、狭い。

座席が並び、通路は細い。

自由に動き回れる空間じゃない。

大きく踏み込むことも、距離を取ることも難しい。

真熊さんみたいに、圧倒的な身体能力で押し切るタイプには、あまりにも窮屈すぎる場所だった。

本来なら、もっと広い場所でこそ真価を発揮する人だったと思う。

距離を支配して。

速度で圧倒して。

真正面から、全部ねじ伏せる。

そういう強さ。

でも、この場所では違った。

座席が邪魔をする。

通路が動きを制限する。

逃げ場も、攻める角度も限られる。

そして何より――人数差が、そのまま不利になった。

四対一。

しかも全員が、同じ結論に辿り着いていた。

真熊さんが、敵だと。

もう、迷いはなかった。

勝負は――意外なほど、あっさり終わった。

長くは続かなかった。

ほんの数十秒だったのかもしれない。

あるいは、もっと短かったのかもしれない。

気づいたときには、全部終わっていた。

真熊さんは、死んでいた。

大きな体が、座席の間に崩れ落ちていた。

あれほど大きかった背中が、もう動かなかった。

ほんの少し前まで、誰よりも危険だった人が。

もう、ただの動かない肉の塊になっていた。

それが、ひどく現実味のない光景に見えた。

 

 

(17/22)

 

真熊さんの死体を調べたのは、幽鬼さんだった。

誰も止めなかった。

止める理由もなかった。

戦いが終わった直後の機内には、奇妙な静けさがあった。

ついさっきまで殺し合いをしていたとは思えないほど、静かだった。

荒い呼吸だけが、細く残っていた。

幽鬼さんは、しゃがみ込む。

無言のまま、真熊さんの服を探った。

やがて。

「……あった」

低い声。

服の内側から取り出されたのは、小さなタブレットだった。

それを見た瞬間、全員が理解した。

これだ。

このゲームの中枢。

ずっと私たちを振り回してきたもの。

修理キットも。

包丁も。

窓が割れた後の不自然な展開も。

全部、これで説明がつく。

幽鬼さんが画面を操作する。

ロックはかかっていなかった。

あまりにも、あっさり開いた。

画面には、複数の項目が並んでいた。

飛行制御。

ギミック管理。

コックピットロック。

ほかにも細かな設定項目がいくつもあったが、見るまでもなかった。

十分だった。

真熊さんが、このゲームの管理側に近い立場だったこと。

少なくとも、私たちとは違うルールで動いていたこと。

それが、はっきりした。

誰も、何も言わなかった。

言う必要がなかった。

全部、答え合わせみたいなものだった。

 

(18/22)

「……一応、開けるか」

幽鬼さんが言った。

誰も反対しなかった。

タブレットを操作する。

コックピットロック。

解除。

短い電子音が鳴った。

その直後。

今まで固く閉ざされていた金属扉が、静かに開いた。

重たい音を立てながら、ゆっくりと。

全員が、無意識に身構えていた。

何かあるかもしれないと思った。

最後の罠とか。

真熊さんが用意した保険とか。

でも、何もなかった。

中にあったのは、ただの操縦席だった。

計器類。

操縦桿。

無数のスイッチ。

少なくとも、見た目は普通だった。

普通すぎるほどに。

それが逆に、不気味だった。

 

(19/22)

 

その後の着陸は、驚くほど静かだった。

大きなトラブルは、もう何ひとつ起きなかった。

幽鬼さんと永世さんが、コックピット内を一通り調べた。

藍里さんも、機内に見落としがないか確認していた。

私も、一応探した。

何かまだ残っているんじゃないかと思ったからだ。

最後の仕掛けとか。

隠されたギミックとか。

でも、何も見つからなかった。

何も起きなかった。

それが逆に、ひどく現実味がなかった。

あれだけ張り詰めていた空間が、急に空っぽになったみたいだった。

緊張が切れたのだと思う。

しばらくすると、みんな動かなくなった。

調べるのにも、疲れたのだろう。

いつの間にか、全員が座り込んでいた。

座席に。

床に。

壁にもたれて。

まるで、魂でも抜けたみたいに。

誰も喋らなかった。

喋る気力すら、残っていなかった。

飛行機だけが、静かに飛び続けていた。

やがて。

少しずつ、高度が下がり始めた。

機体が、ゆっくり傾く。

地面が近づいてくる。

振動が増える。

誰も何も言わないまま、その感覚だけを受け止めていた。

そして。

ゴトッ、と。

鈍い衝撃。

続いて、タイヤが地面を擦る音。

機体が揺れる。

長く、低い振動。

それも、やがて止まった。

飛行機は、着陸した。

あまりにも、あっさりと。

拍子抜けするほど、静かに。

それで終わりだった。

 

(22/22)

 

空港を出た頃には、空は少し白み始めていた。

長い夜が、ようやく終わろうとしていた。

けれど、私たちの空気は重いままだった。

誰も、あまり喋らない。

無事に生還したはずなのに、達成感のようなものは薄かった。

解散。

そういう空気になったときだった。

「……幽鬼さん」

永世さんが口を開いた。

「少し、二人で話せますか」

その声音は、いつもよりわずかに硬かった。

玉藻は、何も言わなかった。

ただ空気を読んで、先に帰るとその場を離れてくれた。

気遣いだった。

残されたのは、私と永世さんだけ。

少しの沈黙。

やがて、永世さんが静かに言った。

「……本当に覚えていませんか?」

一拍置いて。

「真熊さんのこと」

私は、少し考えた。

でも、答えは変わらない。

「……覚えていない」

正直に答える。

「やっぱり、どこかのゲームで会ってたんだね」

少し間を置いて、聞いた。

「永世さんも、そうなの?」

永世さんは、静かに首を横に振った。

「いえ」

短く答える。

「同じゲームに参加したのは、今回が初めてです」

そして。

「真熊さんも、私も」

知り合いだった。

……らしい。

そう理解はできる。

でも、妙だった。

自分のことのはずなのに。

まるで、他人の話を聞いているみたいだった。

遠い場所で起きた出来事を、後から聞かされているような。

現実感がない。

記憶がないだけで、こんなにも感覚は変わるのか。

永世さんが、再び口を開いた。

「……実は」

少しだけ迷うような間。

「私の師匠は、白士さんです」

その名前を聞いた瞬間。

胸の奥が、わずかにざわついた。

知らないはずなのに。

まるで、どこか深いところが反応したみたいだった。

「……じゃあ」

私は、ゆっくり言った。

「師匠つながりで話を聞いたのか」

少し考える。

「あるいは……直接会ってたのかもしれないね」

自分で言いながら、不思議だった。

自然に言葉が出た。

まるで、本当にそうだったみたいに。

「多分……私は」

そこで言葉が止まる。

やはり。

私の師匠は、白士という人らしい。

いつからだろう。

私は、この国にいたのだろうか。

いつからだろう。

ゲームに参加していたのは。

分からない。

思い出せない。

記憶は、霧の向こう側だった。

でも。

確かにそこに、何かがある。

そんな気がした。

 

「おかえりなさい。幽鬼さん」

幽鬼は帰ってきた。

ようやく。

本当に、ようやくだった。

今回は、あまりにも長かった。

日が落ちてから始まり。

終わった頃には、空が白み始めていた。

時計が一周以上するほどの長時間。

これまで経験したゲームの中でも、かなり長い部類だった。

肉体的な疲労は、当然ある。

全身が痛い。

切り傷も打撲も、主張するように存在感を放っていた。

膝裏はまだひりひりするし、腕も肩も重い。

徹夜明けでもある。

普通なら、もう立ったままでも眠れそうな状態のはずだった。

でも、不思議なことに眠気はなかった。

妙に頭だけが冴えていた。

疲労で感覚がおかしくなっているのかもしれない。

部屋の中には、やわらかな湯気が立っていた。

玉藻が、スープを作ってくれていた。

鍋から立ち上る湯気が、静かに揺れている。

優しい香りだった。

野菜と、コンソメだろうか。

胃に負担の少なそうな、温かい匂い。

「ちょうどできたところです」

玉藻が、小さく微笑む。

「今日は、かなり大変だったでしょうから」

「……うん」

短く答える。

椅子に座った瞬間、どっと体が重くなった。

玉藻が器を差し出してくる。

幽鬼はそれを両手で受け取った。

じんわりと熱が伝わる。

冷えた指先が、少しだけ戻ってくる気がした。

一口飲む。

温かかった。

喉を通って、熱がゆっくり落ちていく。

胃に届く。

その感覚を認識した瞬間だった。

急に。

本当に急に、眠気が襲ってきた。

さっきまで、少しも眠くなかったのに。

まるで、ずっと張り詰めていた何かが切れたみたいに。

意識が、ふっと沈む。

そのときだった。

不意に、声が聞こえた。

 

『死にぞこないが、お前ら一体何なんだ』

『何がしたいんだ、お前たちは』

 

知らない声だった。

……いや。

知らない、はずだった。

低く、鋭い声。

怒りとも、苛立ちともつかない声音。

その声を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。

頭の奥が、鈍く痛む。

何かを思い出しかける。

暗い場所。

冷たい空気。

誰かの背中。

血の匂い。

断片だけが、浮かぶ。

でも、それ以上は続かない。

霧がかかったみたいに、先が見えない。

誰の声だったのか。

いつの記憶なのか。

何ひとつ分からない。

ただ。

その言葉だけが、妙に鮮明だった。

「……幽鬼さん?」

玉藻の声で、意識が戻る。

顔を上げる。

玉藻が、心配そうにこちらを見ていた。

少し不安そうな顔だった。

口に合わなかったのだろうか、みたいな表情でもある。

「……いや」

幽鬼は小さく首を振った。

「なんでもないよ」

少し間を置いて、聞き返す。

「玉藻こそ、大丈夫?」

視線を落とす。

「ケガ、してたよね」

玉藻は自分の腕を見た。

包帯が巻かれている。

けれど、本人はあまり気にしていない様子だった。

「大丈夫です」

穏やかな声で言う。

「たいしたケガじゃありません」

そう言って、玉藻は少しだけ笑った。

「幽鬼さんのほうが、ずっとひどそうです」

「そうかな」

「そうです」

即答だった。

少しだけ、空気がやわらぐ。

玉藻が片付けをしている音が、遠くで聞こえる。

食器の触れ合う、小さな音。

それだけの、静かな部屋だった。

なのに、幽鬼の意識はそこになかった。

真熊。

死ぬ瞬間の顔が、脳裏に浮かぶ。

血まみれで。

倒れる直前で。

それでも、こちらを睨んでいた目。

そして。

今になって、急に。

あのとき聞き取れなかった言葉が、鮮明に蘇った。

『お前は、そんなもんか』

低い声だった。

嘲るようでいて、どこか失望しているような声音。

『白士がかわいそうでしかたがねえよ』

白士。

その名前を聞いた瞬間。

どくん、と心臓が鳴った。

視界が揺れる。

頭の奥で、何かが軋む。

思い出したくないのか。

思い出せなかっただけなのか。

分からない。

ただ——

鍵が、外れた。

 

 

 

気づいたとき、幽鬼ユウキは見知らぬ交差点に立っていた。

車はない。

人もいない。

音もない。

 

これが。

幽鬼の、今際の国滞在一日目だった。

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