太陽が、まぶしかった。
空は、ひどく青かった。
雲ひとつない快晴で、視界のどこを見ても、嫌になるくらい明るい。
昼だった。
気づいたとき、幽鬼は交差点の真ん中に立っていた。
「……」
しばらく、動けなかった。
いや、正確には、動かなかった。
まずは状況を整理しようと思ったのだ。
状況整理は大事である。漫画でも映画でも、パニックになって走り出したやつから死ぬ。そういうものだ。
とはいえ、整理できる情報は少なかった。
まず、昼だった。
それも、かなりしっかり昼だった。
太陽は高い位置にあり、影は短い。
見上げるだけで目が痛い。
幽鬼は、昼間は基本寝ている。
夕方に起きる。
スマホを見る。
だらだらする。
夜になったら散歩する。
コンビニへ行く。
気が向けば何か買う。
明け方に眠る。
そんな、褒められたものではない生活を、ここしばらくずっと続けていた。
先月までは、一応アルバイトをしていた。
その頃は午後三時ぐらいには起きていたので、青空を見る機会もなくはなかった。
しかし、給料日を迎えた瞬間に出勤しなくなってからは話が違う。
俗に言うバックレである。
その結果、最近は太陽といえば夕焼けぐらいしか見ていない。
こんな真昼の太陽を見たのは、かなり久しぶりだった。
「……はて」
幽鬼は首をかしげた。
いつ、昼になったのだろう。
記憶を辿る。
昨夜、いつものように散歩をした。
コンビニに行った。
バックレたバイト先の近くは、さすがにまだ行きづらいので、少し離れた店まで足を伸ばした。
アイスを買った。
食べながら帰った。
そこまでは覚えている。
その後は?
思い出せない。
家に帰った記憶がない。
寝た記憶もない。
気づけばここにいた。
交差点のど真ん中に。
「夢……かな」
言ってみたものの、自分でもあまりそうは思えなかった。
一応、頬をつねる。
痛い。
かなり痛い。
夢ではないらしい。
確認できたのはいいとして、むしろ不安は増した。
現実なのか。
現実で、こんなことが起きているのか。
「えぇ……」
病気だろうか。
そういう可能性が頭をよぎる。
寝ている間に勝手に動き回る病気だとか、記憶が飛ぶ病気だとか、深夜にたまたま見たテレビ番組で紹介されていた気がする。
もちろん詳しくは知らない。
幽鬼の医学知識なんて、テレビの雑学コーナー程度のものだ。
だから、あくまで思いつきにすぎない。
たぶん違う。
でも、それ以外に説明がつかなかった。
少なくとも、今のところは。
そこでようやく、幽鬼は周囲を見る余裕を持った。
そして。
「……あれ」
小さく、声が漏れた。
おかしい。
明らかに、おかしかった。
交差点だった。
見覚えのない場所ではない。
むしろ、かなり見覚えがある。
大きな駅前の交差点。
ビルが並び、店が並び、人が溢れる場所。
本来なら、昼間はかなり混雑しているはずだった。
なのに。
誰もいない。
人がいなかった。
車もない。
自転車もない。
音がない。
街が、死んでいた。
あまりにも静かだった。
静かすぎて、自分の呼吸音が妙に大きく聞こえる。
ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。
これは、病気なんて話ではない。
何かが、決定的におかしかった。
「……」
どうしよう。
少し考えて、とりあえず幽鬼は家に帰ることにした。
家、といっても実家ではない。
持ち家でもない。
トチノキ荘。
古い木造アパートだ。
壁は薄く、廊下は軋み、冬は寒く夏は暑い。
かなりぼろい。
ただ、その代わり家賃は安かった。
大家のありがたい人生訓だか説教だかを定期的に聞かされるという、よく分からない条件つきではあるが、それを差し引いてもリーズナブルだった。
幽鬼ユウキの住処は、その一〇七号室である。
今いる場所から、そこそこ距離があった。
歩くしかない。
仕方なく歩き始める。
太陽は容赦がなかった。
じりじりと日差しが肌を焼く。
引きこもり特有の青白い肌には、刺激が強すぎた。
暑い。
ひたすら暑い。
汗が首筋を伝う。
服が張りつく。
「昼って、こんなに暑かったっけ……」
文明に甘やかされた夜型人間には、厳しい環境だった。
しばらく歩く。
十分。
十五分。
体感ではもっと長い。
その間も、誰ともすれ違わなかった。
車も通らない。
バイクの音もしない。
街は静かなままだった。
やがて、トチノキ荘まであと十分くらいという場所まで来たところで、幽鬼は足を止めた。
「……うーん」
考える。
そして。
帰るのをやめた。
理由の一つは、暑かったからだ。
でも、それ以上の理由があった。
この世界に対して、妙なわくわく感があった。
怖い。
不気味だ。
それは間違いない。
なのに、それ以上に。
非日常の匂いがした。
漫画とか映画とかゲームとか、そういうものの導入みたいだった。
少しだけ、心が躍っていた。
「……せっかくだし」
何がせっかくなのかは、自分でもよく分からない。
でも、帰るのは違う気がした。
視界の先に、ショッピングモールが見えた。
大型の施設だった。
かなり広い。
今日は日曜日だ。
本来なら、家族連れや学生や買い物客で賑わっているはずだった。
でも。
やっぱり、誰もいない。
駐車場にも車がない。
入口にも人影がない。
しん、と静まり返っている。
幽鬼は、そこでひとつ思いついた。
「……寝るか」
名案だった。
たぶん。
夢の中では、自分が夢を見ていると認識できない。
そんな話を聞いたことがある。
つまり、さっき頬をつねって痛かったことは、夢でない証拠にはならない。
ここはまだ夢かもしれない。
なら、話は簡単だった。
もう一度寝て、起きればいい。
夢なら覚める。
現実なら……まあ、そのとき考えよう。
「うん。合理的」
幽鬼はひとり頷いた。
ショッピングモールに入る。
自動ドアは、普通に開いた。
冷房が効いていた。
生き返る。
「おお……文明……」
思わず感動した。
館内も静かだった。
人はいない。
BGMも流れていない。
広い空間に、自分の足音だけが響く。
少し不気味だった。
だが、目的地は決まっている。
生活家具売り場。
ベッドがたくさん置いてある店だ。
幽鬼は汗臭い服のまま店内へ進んだ。
展示用ベッドが並んでいる。
高級そうなやつ。
ふかふかそうなやつ。
無駄に広いやつ。
選び放題だった。
「……これだな」
いちばんよさそうなベッドを選ぶ。
助走はつけない。
でも勢いよく。
幽鬼はベッドへ飛び込んだ。
ダイブ。
ぼふん、と身体が沈む。
「……あ、やばい」
気持ちいい。
かなり気持ちいい。
全身の力が抜けていく。
睡魔が、一気に押し寄せてきた。
「これ、買うといくらなんだろ……」
そんなことを考えながら。
幽鬼の意識は、ゆっくり沈んでいった。
「起きろ。ねぼすけ」
声がした。
すぐ近くからだった。
幽鬼は薄く目を開けた。
白かった。
目の前に、白い何かがいた。
「……」
寝起きの鈍い頭で、数秒かけて認識する。
人だった。
女の人だった。
しかも、ものすごく綺麗だった。
幽鬼は目をこすりながら、ゆっくり上体を起こした。
改めて見る。
やっぱり綺麗だった。
モデルとか女優とか、そういう次元の綺麗さではない気がした。
整いすぎていた。
顔立ちが、あまりにも完成されすぎている。
鼻筋はすっと通り、輪郭は鋭すぎず柔らかすぎず、均整が取れていた。
美人、という言葉で片づけるのが雑に思えるほどだった。
体つきもすごかった。
細い。
でも、細いだけではない。
彫刻みたいに完成されたシルエットだった。
余計なものが何ひとつない。
それでいて、どこか現実感がなかった。
なにより。
白かった。
肌が白い。
髪も白い。
まつげも白い。
瞳すら、白っぽく見えた。
服も白だった。
全体的に白い。
白で統一されていた。
幽鬼みたいな引きこもりの、不健康な青白さとはまるで違う。
もっと、根本的に色素がない感じだった。
生まれつき、人間の色を持っていないみたいな。
そんな白さだった。
「……」
幽鬼は思った。
雪女かな、と。
あるいは幽霊か。
いや、自分の名前が幽鬼なので幽霊呼ばわりは若干複雑なのだが。
白い女は、無表情にこちらを見下ろしていた。
「お前」
声は、意外と低かった。
落ち着いていて、感情が薄い。
「いつからここにいた」
「え」
幽鬼は少し焦った。
人がいた。
普通にいた。
というか、見つかった。
まずい。
かなりまずい。
勝手に店に入り、勝手にベッドで寝ていたのだ。
これ、普通に怒られるやつでは?
もしかして警備員か。
いや、私服警察かもしれない。
弁償とか言われるのだろうか。
そんな金はない。
「おー、起きたか」
別の声がした。
少し離れた場所からだった。
幽鬼はそちらを見る。
もう一人いた。
こっちは、そんなには白くなかった。
むしろ真逆だった。
雰囲気が悪い。
育ちの良くなさが、にじみ出ていた。
昔ヤンキーでした、というより、今もたぶんだいぶヤンキー寄りだ。
ただ一応、社会には適応してます、みたいな。
そんな感じだった。
元スケバンが更生しました、と言われたら少し納得する。
声も独特だった。
少し掠れている。
酒焼けしたみたいな声だった。
白い女とは、あまりにも対照的だった。
「よくこんな状況で寝れるよな」
呆れたように、その女は言った。
「大物か、ただのアホか、どっちだ?」
幽鬼は少し考えた。
そして、答えた。
「……後者寄りかもしれません」
ヤンキーっぽい女が吹き出した。
「正直でよろしい」
白い女は、表情ひとつ変えなかった。
ほかにも、人がいた。
いつの間に集まったのか、十人近くはいるだろうか。
男も女もいた。
年齢もばらばらだ。学生っぽいのもいれば、会社員っぽいのもいる。
全員、こちらを見ていた。
いや、正確には――
白いお姉さんと、元ヤンっぽいお姉さんと、ベッドに寝ていた幽鬼ユウキをまとめて見ていた。
「……」
なんだか急に、ものすごく恥ずかしくなってきた。
冷静に考えるまでもない。
知らないショッピングモールで、知らないベッドに寝ていたのだ。
しかも汗臭い服のまま、靴も履いたまま。
だいぶ終わっている。
「えっと……」
なにか言い訳をしようとして、やめた。
言い訳できる状況ではなかった。
そのときだった。
ピロン。
変な電子音が鳴った。
安っぽい。
しかし、妙に耳に残る音だった。
全員の動きが止まる。
ピロン、ピロン、と連続して鳴る。
音の発生源を探して、幽鬼は気づいた。
スマホだった。
白いお姉さんの手元。
元ヤンお姉さんの手元。
周囲の全員の手元。
そして。
「ほら」
元ヤンお姉さんが、幽鬼にスマホを投げてよこした。
慌てて受け取る。
見たことのない機種だった。
というか、そもそも誰のだこれ。
画面が光る。
機械音声が流れた。
エントリーを締め切りました。
ゲームを開始します。
場の空気が、一変した。
さっきまでざわついていた空間が、凍りついたみたいに静かになる。
幽鬼はスマホの画面を見た。
表示されていた文字を、読む。
参加者 10名
難易度 だいやのよん
ゲーム:すいっち
「……は?」
幽鬼は思わず声を漏らした。
だいやのよん。
すいっち。
意味がわからない。
ゲーム?
なんの?
スマホを持つ手が、じっとり汗ばむ。
その横で、元ヤンお姉さんが低く言った。
「始まったな」
白いお姉さんは、無表情のまま画面を見ていた。
周囲の連中も、誰ひとり笑っていない。
冗談や悪ふざけではないらしかった。
その空気だけで、十分だった。
ぞわり、と背筋が冷える。
さっき交差点で感じた違和感とは、比べものにならない。
もっと明確で、もっと嫌な予感だった。
幽鬼は乾いた喉を鳴らす。
「……これ、何なんですか」
誰に聞いたのか、自分でもわからなかった。
答えたのは、元ヤンお姉さんだった。
「ゲームだよ」
短く。
あまりにも短く。
そして、彼女は幽鬼を見た。
その目には、冗談の気配が一ミリもなかった。
「死ぬやつのな」
ピロン。
再び、電子音が鳴った。
画面が切り替わる。
ルールが表示された。
ルール:
10個のすいっちがあります。
正解のすいっちを押してください。
正解のすいっちを押した時点で、ゲームクリアです。
ただし。
間違ったすいっちを押すたび、
参加者のうち2名が、らんだむでゲームオーバーになります。
ピキ。
そのとき。
幽鬼の下から、妙な音がした。
「……え?」
次の瞬間だった。
ゴゴゴゴゴ、と鈍い音を立てて、ベッドが下から持ち上がった。
「うわっ!?」
幽鬼の体が傾く。
ベッドが急角度でせり上がり、そのまま幽鬼は転がされた。
「うわ、うわ、うわっ」
ごろっ。
どさっ。
床に投げ出される。
地味に痛い。
「いった……!」
何なんだ今の。
慌てて振り返る。
ベッドがあった場所。
そこから、巨大な黒い板がせり上がってきていた。
黒板。
そう呼ぶのが一番近い。
学校で見るような、あの黒板。
だが、サイズが異常だった。
横幅は十メートル以上ある。
「なんだ、これ……」
幽鬼は思わず呟く。
ぱっと見ただけでは、何を意味しているのかまるで分からない。
頭のいい人が好きそうなやつだった。
つまり、幽鬼の苦手分野だ。
そして。
その黒板の下部には。
黒板にまったく似つかわしくないものがついていた。
ボタンだ。
しかも十個。
クイズ番組の早押しボタンみたいな形だった。
押したらピンポーンとか鳴りそうな見た目をしている。
ただし。
こちらは、間違えたら二人死ぬらしい。
笑えない。
誰も近づかない。
近づけない。
十個のボタン。
十人の参加者。
静寂が落ちる。
嫌になるほど、静かだった。
最初に口を開いたのは、白いお姉さんだった。
彼女は黒板を見たまま、淡々と言った。
「なるほど」
静かな声だった。
なのに、やけによく通った。
「適当に押してもクリアできる可能性自体はあるからこの難易度か。まあ、妥当なところだろう。」
白いお姉さんが言った。