今際の国で飯を食う。   作:有栖結華

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たいざいふつかめ(くらぶのに)(1)

「おい、馬鹿弟子。昨日のことなのに、なんで覚えてないんだ」

 

幽鬼は正座させられていた。

床の上で、ぴしっと。

実に行儀よく。

正座なんてものを最後にしたのはいつだろう。

小さいころ、親戚か誰かに説教を食らったとき以来かもしれない。

少なくとも、近年の記憶にはない。

足が痛い。

めちゃくちゃ痛い。

まだ一時間も経っていないはずだった。

だが体感では二時間。

いや、三時間でもおかしくない。

正座というのは恐ろしい。

時間の流れそのものを歪める。

ここは白士のマンションだった。

高層マンション、とまではいかないが、幽鬼の住んでいたトチノキ荘とは比較するのも失礼なレベルの住環境だった。

綺麗。

広い。

臭くない。

床が抜けない。

壁が薄くない。

すごい。

人間ってこういう場所に住めるんだ、と幽鬼は思った。

師匠。

それが、白士のことだった。

昨日出会ったばかりの、真っ白なお姉さん。

髪も白い。

肌も白い。

服も白い。

ついでに性格は厳しい。

かなり厳しい。

いや、厳しいというか怖い。

今、幽鬼は人生でも数えるほどしか経験のないことをしていた。

勉強である。

座学だった。

過去に実際に行われたゲームを振り返り、攻略法を学ぶ。

今後のゲームを生き残るための知識を身につける。

理屈はわかる。

わかるのだが。

しんどい。

あまりにも、しんどい。

最初は昨日のゲーム――

だいやのよん、「すいっち」の振り返りだった。

それだけなのに。

すでに何度も怒られた。

何度も頭を小突かれた。

何度も呆れられた。

「なんでそこでそうなる」

「だから違う」

「お前、本当に見てたのか」

散々だった。

ひどい。

理不尽だ。

あとで答えを教えてもらったとはいえ、体感五分で終わったゲームの細部なんて覚えているわけがない。

寝ていたのだ。

起きたらゲームが始まっていた。

転がされた。

終わった。

以上。

そんな情報量しかない。

それに、今さら少し勉強したところで何が変わるというのか。

昨日のゲームだって、幽鬼にはいまだによくわかっていない。

太陽系。

カレンダー。

地球。

白士が説明してくれた単語だけはなんとなく覚えている。

覚えているが。

だから何だというのか。

あの黒板の情報から、どうしてそんな話になるのか。

幽鬼にはさっぱりだった。

「いや、だって」

幽鬼は反論した。

「わかるわけなくないですか」

白士の眉がぴくりと動いた。

あ、まずい。

と思ったときには遅かった。

こつん。

額に指が飛んできた。

地味に痛い。

「痛っ」

「わかるやつはわかる」

白士は冷たく言った。

「少なくとも私は三十秒で解いた」

「それ基準にされても困るんですけど……」

「甘えるな」

即答だった。

容赦がない。

白士は腕を組んだ。

「ゲームは、お前に合わせて難易度を下げてはくれない」

「……」

「わからないなら考えろ。考えてもわからないなら、観察しろ。観察してもわからないなら、せめて覚えろ」

白士の視線が、真っ直ぐ幽鬼を射抜く。

「生き残りたいならな」

その一言で、幽鬼は黙った。

冗談ではない。

脅しでもない。

この人は、本気で言っている。

勉強しなければ死ぬ。

理解できなければ死ぬ。

昨日、白士が言った言葉が頭をよぎった。

——理解できないやつから死ぬ。

「……」

幽鬼は思った。

自分は、もしかするととんでもない場所に来てしまっただけではなく、

とんでもない師匠に捕まってしまったのかもしれない、と。

 

夕方になった。

座学は、ゲームが終わって白士のマンションに泊まった翌朝から、ずっと続いていた。

本当に、ずっとだ。

朝。

昼。

そして夕方。

人間って、こんなに長時間勉強できる生き物だったのか、と幽鬼は思った。

少なくとも自分は違う。

もう頭がぱんぱんだった。

いや、ぱんぱんですらないかもしれない。

ぱんぱんなら、まだ中身が詰まっている。

幽鬼の場合、明らかに漏れていた。

せっかく押し込まれた知識が、頭の反対側からだばだば流出している感覚がある。

入っている気がしない。

もっとも、そんなことを口に出そうものなら。

鉄拳制裁が飛んでくる。

しかも現代では珍しいタイプのやつだ。

躾に暴力を躊躇しない、昭和の教師みたいなやつ。

実際、すでに何度も小突かれている。

地味に痛い。

なので幽鬼は、せめて顔だけでも真面目そうに見せることにした。

きりっ。

と。

私はちゃんと学んでいます。

優等生です。

真剣です。

そう言わんばかりの顔を作る。

中身は完全に死んでいる。

「何変な顔してるんだ」

白士が言った。

ばれた。

一瞬でばれた。

「行くぞ」

「……行くって、どこにです?」

幽鬼は重たい首を上げた。

白士は当然のように答えた。

「ゲームだ」

「え」

あまりにも突然だった。

ゲーム。

また?

今日?

今から?

幽鬼の思考が停止する。

白士は気にせず続けた。

「こないだのは、私がほとんどやってしまったからな」

白士は腕を組んだ。

「お前が本番で役に立つか、テストしてやる」

嫌すぎる。

ものすごく嫌だった。

テスト。

その響きだけで、胃が痛かった。

試験。

しかも命懸けだ。

落第したら死ぬタイプの試験である。

普通に最悪だった。

幽鬼は、一瞬、本気で考えた。

逃げよう。

バックレよう。

今すぐここから逃げ出して、どこか遠くへ行こう。

昨日、コンビニを避けたみたいに、この人も避ければいいんじゃないか。

そもそもなんなんだ、この人は。

昨日会ったばかりだぞ。

昨日会ったばかりの相手に、弟子扱いされて、師匠と呼ばされて、朝から晩まで座学させられて、間違えるたびに怒鳴られて、頭を小突かれて、挙げ句の果てに実地試験。

ブラック企業でも、もう少し段階を踏むんじゃないだろうか。

「何ぼーっとしてる」

白士が振り返った。

「置いていくぞ」

「……」

理不尽だ。

あまりにも理不尽だった。

こんなもの、横暴以外の何物でもない。

人権とは何なのか。

自由意志とは何なのか。

憲法は何を守っているのか。

いろいろ考えた。

考えたが。

思っただけだった。

結局、幽鬼は立ち上がった。

白士のあとを、とぼとぼついていく。

なぜか。

理由は、簡単だった。

もう、体が理解し始めていたからだ。

逆らうほうが面倒だと。

逃げても、たぶん捕まる。

そして捕まったあと、余計にひどい目に遭う。

だったら最初から従ったほうが、まだ被害が少ない。

情けない話だった。

心の底から情けない。

だが、生きるというのは、たぶんそういうことでもある。

勝てない相手に逆らわない。

やばいやつには近づかない。

無理なら従う。

人類が長い歴史の中で培ってきた、生存戦略の基本だ。

幽鬼は、その基本に忠実だった。

「遅い」

白士が言う。

「すみません」

反射で謝ってしまった。

謝った瞬間、幽鬼は思った。

終わってる。

何が終わってるって、自分が終わってる。

昨日会ったばかりの女に、もう完全に調教され始めている。

まずい。

これは非常にまずい。

犬でももう少し抵抗する気がする。

「何ぶつぶつ言ってる」

「いえ、何でもありません」

「そうか」

白士は、興味なさそうに前を向いた。

助かった。

……いや、助かっていない。

何も解決していない。

ただ、変なことを口走って余計に怒られる未来を回避しただけだ。

その後、幽鬼たちは墨家と合流した。

墨家は壁にもたれかかって待っていた。

「遅かったな」

「馬鹿弟子の準備が遅い」

「なるほどな」

何がなるほどなんだ。

幽鬼は心の中でだけ突っ込んだ。

もう口には出さない。

余計なことを言って得した記憶がないからだ。

三人で歩く。

しばらくして、目的地が見えてきた。

光っている建物だった。

夜の街の中で、そこだけ妙に明るい。

看板には、大きく塾名が書かれていた。

学習塾。

「……」

嫌な予感しかしなかった。

また勉強なのか。

まだ座学のダメージが抜けていないのだが。

頭が、物理的に重い。

脳みそが疲労でむくんでいる気さえする。

もし今回も勉強系だったらどうしよう。

いや、どうしようもないのだが。

どうしようもないからこそ、どうしようと思った。

どさくさに紛れて。

この師匠を。

やってしまうか。

幽鬼はちらりと白士を見た。

白い。

相変わらず全部白い。

横顔はきれいだった。

とてもきれいだった。

だからこそ余計に怖い。

そして強い。

圧倒的に強い。

無理だな。

一秒で結論が出た。

仮に不意打ちが成功しても、その後がない。

墨家もいる。

逃げられない。

計画倒れもいいところだった。

学習塾は九階建てだった。

相場は分からない。

だが、幽鬼でもなんとなく分かった。

大きい。

かなり大きい部類の建物だ。

駅前にある進学校向けの塾。

そんな雰囲気だった。

ガラス張りの入口から、中の様子が少し見える。

人影があった。

一人、二人じゃない。

何人かいる。

参加者だろうか。

すでに待機しているらしい。

幽鬼は少し楽観的に考えていた。

知らない場所で、知らないゲームをする。

それでも、師匠と墨家がいる。

この二人がいれば、たぶん何とかなる。

昨日だって、そうだった。

自分はほとんど何もしていないのに、生き残れた。

今回も、たぶん。

そう思っていた。

フォン。

電子音が鳴った。

心臓が跳ねる。

来た。

ゲーム開始の合図だ。

「そこにあるスマホを忘れずに持っていくんだ」

ちょっと離れた位置から師匠の声がした。

 

スマホが置いてあった。

幽鬼は一台を手に取った。

 

あれ?

 

幽鬼は違和感を覚え、後ろを振り返ったみた。

白士と墨家が、動かない。

入口の前。

建物に入る直前。

ちょうど、ゲーム会場の境界線ぎりぎりの位置で止まっていた。

一歩も、中へ入ろうとしない。

「……?」

嫌な予感がした。

ものすごく嫌な予感だった。

「……何してるんですか?」

幽鬼は聞いた。

白士は、いつもの無表情でこちらを見た。

「言っただろう」

淡々と。

何でもないことのように。

「実戦で使えるか、テストすると」

一瞬、意味が分からなかった。

理解が、遅れた。

そして。

次の言葉で、完全に理解した。

「まさか」

白士が言う。

「私たちがいるなら楽勝だと思っていたのか?」

頭が真っ白になった。

は?

いや。

は?

何を言っているんだ、この人は。

何を、言っている?

「え……」

自分一人をゲームに放り込もうとしている。

「ちょ、ちょっと待ってください」

幽鬼の声が裏返った。

「聞いてないんですけど!?」

「今言った」

「そういう問題じゃないですよね!?」

墨家が、くくっと笑った。

「頑張れよ、幽鬼。生きてたらまた会おう」

他人事だった。

完全に他人事だった。

最悪だ。

最悪すぎる。

エントリーを締め切りました。

機械的なアナウンスが、静かな夜に響く。

その瞬間。

背後で、重い音がした。

ゴウン。

入口の扉が、閉まり始めていた。

「え」

幽鬼は振り返る。

閉まる。

まずい。

まずいまずいまずい。

「師匠!?」

白士は、外にいた。

一歩も動かない。

ただ、こちらを見ていた。

「生きて戻ってこい」

それだけ言った。

ゴウン。

扉が、閉まった。

完全に。

幽鬼は、一人になった。

 

アナウンスが鳴った。

 

ゲームを開始します

難易度 くらぶのに

ゲーム:「いどうきょうしつ」

ルール:

今日はいどうきょうしつになりました。

スマホに表示される自分の教室に制限時間内に入りましょう。

 

 

 

 

 

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