スマホの表示が切り替わった。
9-5に移動してください
3:00
2:59
2:58
数字が減っていく。
カウントダウン。
なるほど、時間制限つきというやつか――と、そこまで理解したところで、幽鬼は前方を見た。
人が、ごった返していた。
参加者たちが、一斉に建物の中へなだれ込んでいる。
押し合い、ぶつかり合い、我先にと進んでいく。
幽鬼はもう一度、自分のスマホを見る。
9-5に移動してください
2:47
9-5。
……たぶん、九階五号室。
トチノキ荘もそうだ。
最初の数字が階数、後ろが部屋番号。
だとしたら、九階。
最上階だ。
その瞬間、幽鬼の血の気が引いた。
遠い。
しかも、前方には長蛇の列。
階段はひとつしかない。
しかも細い。
人ひとりが横向きになって、なんとか通れる程度の幅しかない。
異様に狭い螺旋階段だった。
どう考えても、おかしい。
こんな人数が、三分で全員移動できる構造じゃない。
わざとか。
ゲーム用にこうしたのか。
それとも元からこういう建物なのか。
どちらでもよかった。
重要なのは、ひとつだけだ。
このままだと、間に合わない。
2:18
幽鬼は考えた。
割り込む?
いや、甘い。
こんな渋滞、数人抜いた程度でどうにもならない。
前の連中が、全員邪魔だ。
それに――
このゲームで、他人と協力する必要はあるのか?
ルールを見る限り、ない。
全員で同じ部屋を目指すわけでもない。
助け合う理由がない。
むしろ、全員ライバルだ。
他人が遅れようが。
死のうが。
自分には関係ない。
なら。
遠慮する理由もなかった。
幽鬼は、一番近くにいた男の背中を思いきり殴った。
「がっ!?」
男が前につんのめる。
そのまま、前列に突っ込んだ。
悲鳴。
罵声。
押されてバランスを崩した何人かが、将棋倒しみたいに崩れていく。
「な、何して――」
聞かない。
邪魔だった。
ただ、それだけだった。
倒れた人間を踏み越える。
次。
またひとり、押す。
殴る。
蹴る。
前へ。
前へ。
前へ。
視線を感じた。
信じられないものを見るような目。
何やってるんだ、こいつ。
そんな目だった。
幽鬼は思う。
いや、何って。
決まってるだろ。
生き残るためだ。
こんなの、当たり前じゃないか。
階段を、一段飛ばしで駆け上がる。
後ろから怒鳴り声が聞こえた。
前からも聞こえた。
でも、気にしない。
気にしている余裕なんてない。
幽鬼は、九階にたどり着いた。
ここまで全力で走ったせいで、呼吸が荒い。
スマホを見る。
1:01
思ったより時間を食った。
だが、まだ一分ある。
階段を一階ぶん上るだけならともかく、一階から九階までだ。
それを考えれば、むしろ十分すぎる。
ここから部屋に入るだけなら、間に合う。
……ただし。
何もなければ、だ。
幽鬼は足を止めた。
一応、警戒する。
トラップがあるかもしれない。
ここまで散々走らせておいて、最後だけ何もないとは思えなかった。
足元を見る。
床。
異常なし。
頭上を見る。
照明。
特に変化なし。
壁。
違和感なし。
慎重に、慎重に進む。
九階フロアは静かだった。
下の階で響いていた怒号や悲鳴が、嘘みたいに遠い。
部屋は五つ。
廊下に沿って、均等に並んでいる。
奥を見る。
ドアの上に、プレートがあった。
学校の教室で見るような、プラスチック製の安っぽいやつだ。
正式名称は知らない。
そこに書かれていた。
9-5
間違いない。
幽鬼は、9-5の教室へ入った。
スマホを見る。
0:30
三十秒。
十分だ。
一階から九階。
いちばん遠い階層ですら、少し余るくらい。
なら、このゲーム。
思ったより簡単なのかもしれない。
……いや。
たぶん、これで終わりじゃない。
こういうのは、一回で終わるほうが不自然だ。
何回か移動させられるとか。
あるいは、ここから別のゲームが始まるとか。
そんなところだろう。
そういえば、難易度は――
クラブの2。
難易度2。
幽鬼は考える。
もし本当に難易度2なら。
こんなものなのかもしれない。
だったら、楽勝だ。
というか。
このゲームに、協力要素なんて最初からない。
早く着いたやつが勝つ。
遅れたやつが負ける。
ただ、それだけだ。
スマホのタイマーが。
0:00になった。
電子音が鳴る。
スマホの画面が切り替わった。
次の移動教室です。
8-1に移動してください。
3:00
……なるほど。
幽鬼は思った。
やっぱり、一回では終わらない。
移動教室。
文字通り、何度も移動させるゲームらしい。
でも。
楽勝だった。
8-1。
ひとつ下の階に降りるだけだ。
九階から八階。
さっきの一階から九階に比べれば、散歩みたいなものだった。
ちょっと疲れた。
ここで休憩してからでも、余裕で間に合う。
三分もあるのだから。
……とはいえ。
休むなら、移動してからでもいい。
幽鬼は教室を出た。
さっきまでの必死さが嘘みたいに、足取りは軽い。
ゆっくり歩く。
余裕たっぷりだった。
普段なら雑に開け閉めしているドアを、妙に丁寧に閉める。
ガチャ。
カタン。
静かな音が廊下に響いた。
そのとき。
ふと、幽鬼は上を見た。
なんとなく。
本当に、なんとなく。
違和感があった。
視線が止まる。
ドアの上。
部屋番号のプレート。
さっきまで、そこにあった文字は――
9-5
だった。
間違えるはずがない。
自分が入った教室だ。
確認もした。
何度も見た。
なのに。
今、そこに書かれていたのは。
1-3
だった。
「…………は?」
幽鬼の思考が止まった。