今際の国で飯を食う。   作:有栖結華

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たいざいここのかめ?(はあとのじゅう)(3)

私が白士と出会ったのは、初日の最初のゲームだった。

すぺえどのきゅう。

『かんらんしゃ』。

崩壊する観覧車から脱出するゲームだった。

私と白士は、同じゴンドラに乗っていた。

いや。

正確には、私が白士についていった。

一目でわかった。

この人は、並の人間じゃない。

他の人にはわからなかったと思う。

でも、私にはわかった。

誰が強くて、誰が弱いのか。

そういうものを見分けることには、自信があった。

だから、私は白士の乗っているゴンドラに乗った。

ゲームが始まったのは、私たちのゴンドラが観覧車の頂上に来たときだった。

数秒後。

隣のゴンドラが、真っ逆さまに落ちていった。

そこには確か、人がいた。

私と同じくらいの年齢に見える女。

その女は、五歳くらいの子供を連れていた。

二人まとめて落ちていった。

キイ。

キイ。

キイ。

錆びついた金属が軋む音が、周囲から聞こえていた。

そのときには、もうわかっていた。

ここがどういう場所なのか。

周囲にいる人間。

漂っている空気。

そして、今目の前で起きたこと。

これが、ただの夢なんかじゃない。

本当に起きていることなんだ。

そう思った。

ガシャン。

隣から音がした。

鍵のかかった扉を、誰かが壊した音だった。

白士だった。

「行くぞ」

それだけ言って、白士は観覧車の骨組みにしがみついた。

そして、慎重に下へ降りていった。

私も追った。

ゴンドラが落ちた。

ネジが落ちた。

骨組みが落ちた。

しまいには、爆発まで起きた。

それでも。

何とか下まで降りることができた。

地面に足をつけてから、私は上を見上げた。

観覧車は、もう観覧車と呼べるような姿をしていなかった。

そして。

私たち以外に、生き残った人間はいなかったようだった。

 

 

 

 

 

 

こんな人間は、生きてきて一度も見たことがなかった。

少なくとも。

それまでの私の周りには、こんな人間はいなかった。

私の家は、普通の家庭ではなかった。

父親は家にいることが少なかった。

母親も、私のことを気にかけているのかいないのか、よくわからなかった。

喧嘩の声は珍しくなかった。

物が壊れる音も、珍しくなかった。

だから、家にいて安心できるという感覚が、私にはあまりなかった。

学校も似たようなものだった。

授業中に騒ぐ人間がいる。

教師に食ってかかる人間がいる。

廊下で喧嘩をしている人間もいた。

誰かが問題を起こしても、しばらくすれば別の誰かが問題を起こす。

そんな場所だった。

同級生の中には、変なものに手を出している人間もいた。

放課後になると、どこかへ集まって。

何をしているのかは、聞かなくてもだいたいわかった。

独特な臭いがすることもあった。

でも、私は特に興味がなかった。

そんなものをやったところで、何かが変わるわけでもない。

そう思っていた。

実際、一度くらい試したこともある。

けれど。

私には、よくわからなかった。

楽しいわけでもない。

苦しいわけでもない。

ただ、周りの人間が妙に夢中になっているのだけが不思議だった。

その頃の私は、それを馬鹿なことだと思っていた。

自分は、あの人たちとは違う。

そう思っていた。

 

 

 

今になって考えれば。

たぶん、私は何もわかっていなかった。

「墨家」

白士に呼ばれて、私は顔を上げた。

「どうした?」

「いや」

何でもない。

そう答えようとして、やめた。

目の前にいるのは、あのときの白士と同じ人間だった。

強い。

今でも、それだけはわかる。

私が初めて会ったとき。

観覧車から平然と降りていったとき。

あの人は、周りの人間とは何かが違っていた。

それは、今でも変わっていない。

むしろ。

前よりも、はっきりわかるようになった。

白士は、この世界で生き残るために必要なものを、ほとんど全部持っている。

判断力。

身体能力。

経験。

そして、何より。

怖くなっても、進むことができる。

だから私は、白士についていった。

最初から。

ずっと。

この人についていけば、帰れると思っていた。

この世界に来たばかりの頃は、それだけでよかった。

十日。

二十日。

三十日。

ゲームを一つクリアするたびに、少しずつ先が見えてくる気がした。

でも。

白士は帰っていない。

白士は九十六日経っても。

帰っていない。

それだけだった。

私は白士よりずっと弱い。

だから、私が帰れないのは仕方がないと思えた。

私より強い人間なら帰れる。

そう思っていた。

でも。

白士でも帰れないのなら。

私は、いつまでここにいればいいんだろう。

そんなことを考えるようになったのは、いつからだっただろう。

「ここ、結構いいところだよね」

声がした。

小さな女だった。

あの時の自分にそっくりな女がいた。

彼女はベッドに寝転がっていた。

「何が?」

「ここ」

女は両手を広げた。

「だって、食べ物もあるし。寝るところもあるし。お風呂もある」

確かに。

全部ある。

食べ物はなくならない。

水もある。

服もある。

本もある。

遊ぶ場所まである。

危険な場所も、今のところ見つかっていない。

「ゲームだって、何日経っても終わらないし」

女は笑った。

「だったら、ずっとここにいればいいんじゃない?」

私は何も言わなかった。

ずっと。

その言葉だけが、頭に残った。

ずっと。

それは、嫌だった。

そう思うはずだった。

なのに。

少しだけ。

ほんの少しだけ。

それも悪くないと思ってしまった。

ベッドは柔らかい。

部屋は暖かい。

食事は薄味で、特別おいしくもない。

でも、まずくもない。

何かを頑張らなくてもいい。

何かを考えなくてもいい。

ここにいれば、少なくとも死ぬことはない。

ゲームを探さなくてもいい。

帰る方法を考えなくてもいい。

白士についていかなくてもいい。

そう考えたところで。

私は、自分で自分が嫌になった。

昔。

私は、そういう人たちを馬鹿にしていた。

学校で、何かに縋っている人たち。

これをやれば楽になる。

これをやれば楽しい。

そんなことを言っている人たち。

私は、そんなものに意味があるとは思わなかった。

楽しいわけじゃない。

問題が解決するわけでもない。

それなのに、どうしてそんなものに夢中になるのか。

ずっと、そう思っていた。

でも。

今なら。

少しだけ、わかる。

本当に幸せになれるわけじゃなくても。

ここから出られるわけじゃなくても。

何も変わらなくても。

「もしかしたら、ここにいればいいのかもしれない」

そう思えるだけで。

人間は、少しだけ楽になれる。

そして。

その「少しだけ」がなくなったら。

たぶん、人間はもっと苦しくなる。

「墨家?」

また、白士の声がした。

私は白士を見る。

「何でもない」

今度は、ちゃんと答えた。

白士は少しだけ私を見ていた。

それから、前を向いた。

私は、その背中を見る。

昔から変わらない背中だった。

ずっと、私の前にいる。

だから。

私は、その背中を追いかければよかった。

今までは。

でも。

今は違う。

私はもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

白士についていけば帰れるとは、思えなくなっていた。

幽鬼が食堂に戻ってきた。

「一緒に探検しよう」

とのことだ。

ちょうどよかったと思った。

少し歩きたかったんだ。

腹ごなしに、ちょっと運動するのも悪くないだろう。

「いいよ」

私は立ち上がった。

幽鬼は、もう食堂を出ようとしていた。

相変わらず、せっかちな奴だ。

私と白士は、その後ろを歩く。

食堂を出る。

廊下を歩く。

と言っても、廊下と呼べるほど長いものではない。

中央の部屋を経由して、別の部屋へ行く。

それだけだ。

この施設は、変な作りをしている。

大きな部屋がいくつもあって、それぞれが中央の部屋につながっている。

まるで。

子供が遊ぶためだけに作られた場所みたいだった。

「墨家さん」

「何?」

「さっき、何か考えてました?」

「別に」

「そう」

幽鬼は、それ以上聞かなかった。

こういうところは楽だった。

余計なことを聞かない。

聞いても、必要以上に踏み込まない。

白士を見る。

白士は何も言わず、幽鬼の後ろを歩いている。

いつも通りだった。

何を考えているのか、よくわからない。

それも、いつも通りだった。

私たちは中央の部屋に戻ってきた。

相変わらず、ベッドが並んでいる。

その向こうには、巨大な遊具。

壁際には、おもちゃ。

天井からは、ゆっくりと何かが回っている。

ここにいると、時間の感覚がおかしくなる。

昼なのか。

夜なのか。

何日目なのか。

そういうことを考えなくてもいい。

時計を見る必要もない。

ゲームを探す必要もない。

ただ、ここで寝て。

起きて。

食べて。

また寝る。

それだけでもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこから見る?」

幽鬼が聞いた。

「どこでもいいよ」

「じゃあ、あっち」

幽鬼が指を向ける。

そこには、ジャングルジムがあった。

私はそれを見た。

子供の頃。

こういう遊具で遊んだことがあった。

……たぶん。

あまり覚えていない。

私は幽鬼の後ろについて歩き出した。

白士もついてくる。

三人で、ジャングルジムへ向かう。

その途中。

一人の男と目が合った。

男は、ベッドに寝転がっていた。

こちらを見ていた。

私は視線を外す。

少し歩く。

別の女がいた。

その女も、こちらを見ていた。

私と目が合うと、すぐに本へ視線を戻した。

偶然。

そういうこともある。

この部屋には、たくさんの人が近くにいる。

その全員がこちらを見ない方がおかしい。

……でも。

何かがおかしい。

私は歩きながら、周囲を見る。

ベッド。

おもちゃ。

遊具。

人。

また人。

どこを見ても、誰かがいる。

そして。

誰かが、こちらを見ている。

ジャングルジムの前まで来た。

「登ってみようかな」

幽鬼が言った。

「子供じゃないんだから」

「探検だからいいでしょ」

「そういうもの?」

「そういうもの」

幽鬼はジャングルジムに手をかけた。

私は周囲を見た。

さっきの男。

まだこちらを見ている。

本を読んでいた女。

今度は本を読んでいない。

別の場所にいる二人組も、何か話しながらこちらを見ている。

私は、そこでようやく気づいた。

見られている。

私たちは、ずっと見られていた。

たぶん。

私だけじゃない。

幽鬼も。

白士も。

けれど。

二人は気づいていないようだった。

いや。

白士はわからない。

あの人は、何を考えているのかよくわからない。

私は、もう一度周囲を見る。

誰も近づいてこない。

誰も話しかけてこない。

邪魔もしない。

ただ見ている。

それが、かえって気味が悪かった。

普通なら。

少なくとも。

何かしらの反応があるはずだ。

でも。

誰も何もしない。

私たちが何をしているのか。

どこまで調べるのか。

どこで諦めるのか。

それを待っているように見えた。

……まるで。

 

 

 

 

私たちが諦めることを、最初から知っているみたいだった。

そう思った、そのとき。

「……あいつが、白士か」

背後から、声がした。

振り返る。

さっきまで、そこには誰もいなかったはずなのに。

男が立っていた。

いや。

一人じゃない。

その後ろに、もう二人いる。

さらに、その後ろにも。

いつの間に。

「おい」

男が白士を見る。

「お前が、白士か」

白士は振り返った。

「……そうだけど」

その返事を聞いた瞬間。

男が走り出した。

「白士!」

私は叫んだ。

男の拳が飛んでくる。

白士は、それを避けた。

そして。

男の腕を掴む。

「何のつもりだ」

「死ね!」

別の男が横から飛び込んできた。

白士はそちらを見る。

一歩下がる。

拳が空を切った。

そのまま、最初の男を投げ飛ばす。

床に身体が叩きつけられた。

「……何なんだよ」

白士が言う。

困惑している。

本当に、何もわかっていないようだった。

でも。

周りの人間は、違った。

誰も驚いていない。

逃げてもいない。

助けようともしない。

ただ。

見ている。

「こいつが白士だ」

誰かが言った。

「九十五日生きてるっていう」

「本当に?」

「そうらしい」

「だったら……」

その先は、聞き取れなかった。

でも。

十分だった。

私は理解した。

昨日。

幽鬼が話していたこと。

白士が九十五日、生きていること。

それが。

広まっている。

私は幽鬼を見る。

幽鬼は、ジャングルジムの前に立ったまま、状況を理解できていない顔をしていた。

「墨家さん」

「……何?」

「どうして、この人たち……」

「知らない」

私は答えた。

けれど。

本当は、少しだけわかっていた。

この人たちは。

私たちが諦めるのを待っていた。

ここから出ようとしないなら。

何もしない。

ここで食べて。

寝て。

遊んで。

そのうち、この場所に慣れて。

諦める。

それなら。

何も問題はない。

でも。

白士は違う。

九十五日も生きている。

それだけ長く生きている人間なら。

もしかしたら。

本当に帰れるのかもしれない。

そう思わせるには。

十分すぎる数字だった。

だから。

怖いのだ。

「お前がいると、みんなが帰れると思うだろ!」

誰かが叫んだ。

その言葉を聞いて。

私は、妙に納得した。

帰れる。

その可能性がある。

その可能性を。

この人たちは、望んでいない。

正確には。

望みたくない。

ここにいた方が楽だから。

ここなら。

何もしなくていい。

何も考えなくていい。

外のことを考えなくていい。

だから。

帰れるかもしれない人間が。

邪魔なのだ。

白士は、周囲を見た。

いつの間にか。

人が増えている。

さっきまで遠くにいた人たちまで。

こちらを囲むように集まってきていた。

「……そういうことか」

白士が呟いた。

その声は。

妙に静かだった。

「何が?」

幽鬼が聞く。

白士は答えなかった。

ただ。

拳を握った。

私は。

その横顔を見ていた。

そして。

思った。

ここから出るためには。

この人たちを。

倒さなければならないのかもしれない。

そのとき。

最初に殴りかかってきた男が。

もう一度、白士へ飛びかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

あのとき。

私は。

何も考えていなかった。

少し前のことだ。

私は一人で施設の中を歩いていた。

特に目的はない。

暇だったから。

それだけだった。

その途中で。

一人の参加者に話しかけられた。

「君たち、三人で行動してるの?」

「うん」

「白士っていう人と?」

「うん」

「あと、もう一人いたよね」

「墨家さん」

「そう。その人」

私は頷いた。

相手は。

いくつか質問してきた。

どこから来たのか。

いつから一緒にいるのか。

何日くらいこのゲームにいるのか。

私は。

聞かれたことに答えた。

特に変だとは思わなかった。

聞かれたから。

答えただけだ。

私は。

こういうことが苦手だった。

人と話すこと。

相手が何を知りたいのか。

何を言ってはいけないのか。

どこまで話していいのか。

そういうことを。

私は、あまり考えたことがなかった。

白士と出会うまでは。

そもそも。

人とまともに話す必要がなかった。

だから。

そのときも。

相手が質問するたびに。

私は答えた。

「白士って、強いの?」

「たぶん」

「どのくらい生きてるの?」

「九十五日」

「……九十五日?」

「うん」

「そんなに?」

「そうみたい」

私は。

そこで初めて。

相手が少し驚いたことに気づいた。

でも。

なぜ驚いたのかまでは。

わからなかった。

九十五日。

それは。

ただの数字だった。

白士が。

それだけ長く生きている。

それだけの話だと思っていた。

「へえ……」

相手は。

少し黙った。

それから。

「じゃあ、本当に帰れるかもしれないね」

そう言った。

私は。

意味がよくわからなかった。

帰る。

その言葉なら。

わかる。

でも。

どうして白士の生存日数を聞いて。

そんな話になるのか。

私は知らなかった。

そのときの私は。

ただ。

聞かれたから答えただけだった。

それが。

よくなかった。

白士は。

人と話すときは、自分のことを話した方がいいと言っていた。

自分の情報を出せば。

相手も情報を出してくれる。

そうすれば。

相手との信頼関係を作れる。

ゲームをクリアするためにも。

コミュニケーションは大切だ。

そう教えてくれた。

だから。

私は。

質問に答えた。

白士の教えを。

ちゃんと守ったつもりだった。

でも。

私は。

一つだけ知らなかった。

自分の情報を話すことと。

話していい情報を判断することは。

別のことだった。

私は。

それを知らなかった。

だから。

聞かれるままに。

話してしまった。

白士が九十五日生きていることも。

墨家さんと一緒に行動していることも。

私たちが。

ここから出ようとしていることも。

どこまで話したのか。

そのときの私は。

覚えていない。

覚えていないというより。

気にしていなかった。

言ってはいけないことがある。

そんなことすら。

考えていなかった。

そして。

その話は。

私の知らないところで。

広がっていった。

 

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