買い物を開始します
制限時間10分
09:59
幽鬼はまず店の中を見回した。
紅野が落としたカゴ。
倒れた体。
そしてレジ。
幽鬼はゆっくり歩いてレジの前に立つ。
画面がまだ点いていた。
紅野の会計が、そのまま残っている。
合計 10000円
幽鬼は紅野のカゴを見る。
鍋。
フライパン。
タオル。
洗剤。
幽鬼は小さく計算した。
チラシの値段。
それを足す。
――二万円。
幽鬼は小さくうなずいた。
「……なるほど」
青井が聞く。
「な、何かわかったんですか……?」
幽鬼はレジ画面を指した。
「紅野の計算は合ってた」
「チラシの値段で二万円」
金子が言う。
「でも表示は一万円だ」
幽鬼はうなずく。
「値段が変わった」
幽鬼はレジの横を見る。
そこに小さなゴミ箱があった。
中に紙が一枚だけ入っている。
くしゃくしゃに丸められている。
幽鬼はそれを拾って広げた。
書かれていた文字。
店内キャンペーン開催中
対象商品
半額
幽鬼は棚の方を見る。
よく見ると、端に小さなポップが貼られていた。
対象商品。
半額。
かなり目立たない。
意識して見ないと気づかない。
幽鬼は言った。
「この店」
「値札が嘘」
「チラシが正しい値段」
金子がうなずく。
「それで紅野は選び直した」
幽鬼は続けた。
「でももう一段ある」
紙を軽く振る。
「半額キャンペーン」
青井が言う。
「じゃ、じゃあ……」
幽鬼はレジ画面を見る。
10000円
そして紅野の商品。
幽鬼は紅野がレジ前に置きっぱなしにした商品を手に取り、再度購入の準備をする。
鍋、フライパン、タオル、洗剤...
同じものをそれぞれ倍の個数ずつ追加して、計算通り二万円になるように整える。
店内を隅々まで確認した。
他にキャンペーンや割引は見当たらない。
問題はない。
幽鬼はレジに向かい、慎重に商品を通す。
ピッ
ピッ
ピッ
ピッ
レジが計算する。
数秒。
表示された金額。
20000円
沈黙。
そして。
買い物成功
(12/23)
レーザーは落ちない。
青井がその場に座り込んだ。
「よ、よかった……」
金子も息を吐いた。
幽鬼はレジから離れる。
それから紅野のそばにしゃがんだ。
少しだけ黙る。
「……惜しかったね」
幽鬼は紅野の死体の下をまさぐり、財布を拾う。
財布を取り出す。
中を確認する。
ゲーム用の紙幣。
幽鬼はそれを自分のポケットに入れた。
青井が小さく息を呑んだ。
「そ、それ……」
幽鬼は立ち上がり、淡々と説明する。
「うん……紅野さんが払った二万円は、レジから特に返却されたりはしなかったよ」
青井の目は紅野の死体と、平然と紙幣をポケットに収める幽鬼に向いた。
胸の奥がざわつく。
自分の口から出そうとした言葉は、
「死んだのに、そんなこと……」
だが、思い留まった。
幽鬼は紅野の購入の話をしているだけで、死そのものを軽んじているわけではない。
頭ではそう理解しようとしても、心はざわつき続ける。
人が目の前で死んだという事実と、幽鬼の落ち着き――
その奇妙な光景に、青井は息を詰まらせた。
スマートフォンが鳴る。
買い物完了
次の店を案内します
4F 食品売り場
(13/23)
桃乃が言う。
「……まだあるんですか」
幽鬼はスマホを見る。
それからポケットにしまった。
「あるみたい」
幽鬼は歩き出す。
「行こう」
「まだゲームは続いてる」
四つ目の店の前で、幽鬼は足を止めた。
まだ代表をやっていない者が二人いる。
青井と、黒糖だ。
幽鬼は言った。
「……次、青井さんでいいかな」
誰も反対しなかった。
全員が思っていた。
──まだやってないよね。
青井は小さくうつむいた。
「……はい」
青井自身もわかっていた。
まだ買い物をしていないのは、自分と黒糖だけだ。
そしてもう一つ。
店は五つ。
これは四つ目。
ここで自分がやれば、おそらく最後の店は黒糖さんだ。
最後が一番難しい可能性が高い。
だから今やる。
「……行きます」
青井はそう言って店に入った。
買い物を開始します
最低購入金額は100000円です
店は広かった。
棚が迷路のように並び、奥はほとんど見えない。
入口から見えるのは手前だけで、青井の姿もすぐ棚の陰に隠れてしまう。
「見えてますか……?」
青井の声が聞こえた。
「手前だけね」
幽鬼が答える。
「奥は見えない」
「……はい」
青井はゆっくり歩きながら店内を見渡した。
レジの横に、小さな棚があった。
そこにはガムが一つだけ置いてある。
値札を見る。
200000円。
青井は思わず眉をひそめた。
──ふざけてる。
ガムが二十万円。
明らかな嫌がらせだった。
そして床に目を落とす。
そこで足が止まった。
「……床」
「どうした?」
「色が……違います」
タイルの色が、不自然なのだ。
タイルは今、青井が踏んでいる白色のものとそれとは別に茶色のものがある
普通、お店の床はある程度、規則的な模様になっている。
しかし今回はあまりにも露骨なのだ。明らかに人の意図のある配列になっているのだ。
まるで白い床で一本道を作っているように、茶色の床ばかりで、白い床が細い平均台の一本道のように床が配置されている。
商品棚自体はたくさんあるのに、その商品を取ろうと思うと、絶対に茶色の床を踏む必要があるのだ。
青井はしばらく床を見つめた。
「……罠、だと思います」
青井が言った。
「落とし穴とか……そういうのがあるんだと思います」
幽鬼はうなずいた。
「だろうね」
青井はその白い一本道を進んだ。
かなり遠回りだった。
棚の奥へ行く。
そして足が止まる。
「……ありました」
「酒?」
「はい」
酒瓶が並んでいた。
十本だけ。
「……一万円です」
今回の最低購入金額は十万円。
つまり、この酒を十本買えばいい。
青井は二本持った。
その瞬間だった。
(14/23)
――ゴゴゴゴッ
大きな音が響いた。
青井が振り向く。
さっきまで通っていた白い床が崩れていく。
棚も一緒に落ちていた。
商品棚ごと、床が抜けていく。
青井は一瞬で理解した。
崩れていない床。
それは──
さっき自分が怪しんで避けていた、茶色の床だった。
自分のいる床も落ちようとしていた。
青井は酒を抱えたまま、とっさに茶色の床へ飛び移った。
着地する。
床は崩れない。
つまり。
最初に怪しんでいた床は落とし穴ではなく、安全な床だった。
もし最初から何も考えず、近くの棚の商品を取っていれば。
比較的簡単に終わっていた。
しかしもう遅い。
棚はほとんど落ちてしまった。
残っているのは一本道と、酒の棚だけだった。
青井は黙って歩いた。
酒を二本持って運ぶ。
レジに置く。
また戻る。
それを繰り返す。
七本。
八本。
残り2分
そして最後の二本を運ぶとき。
レジのすぐ目の前で。
青井の足が滑った。
(15/23)
「……っ」
体が傾く。
落ちかける。
とっさに踏みとどまる。
しかし。
ガシャッ
酒瓶が落ちた。
割れた。
床に酒が広がる。
青井は動かなかった。
残りは手に持っている割れてない一本。
酒を持って行っても合計90000円。
十万円に届かない。
青井は思った。
──詰んだ。
「……すみません」
小さく言った。
そのときだった。
「青井さん」
金子が叫んだ。
「レジ横のガム!」
青井は顔を上げる。
レジの横を見る。
あのガムが、まだそこにある。
200000円。
さっき見た、あの馬鹿げた値段。
青井は理解した。
──詰み防止だ。
酒を割る可能性を考えて、ここに置かれていた。
青井は酒を捨てて、急いでガムを掴む。
レジに置く。
金額が十万円を越える。
しかし。
財布には十万円しかない。
「……あ」
払えない。
(16/23)
そのとき。
「青井さん」
金子の声。
財布が飛んできた。
青井は反射的に受け取る。
「払って」
青井は一瞬だけ止まり。
すぐにレジへ向き直った。
金を入れる。
レジが音を立てた。
そして。
クリアの電子音が鳴った。
青井はしばらくその場で立ち尽くしていた。
(17/23)
やがて、青井は小さくつぶやいた。
「……終わりました」
店を出た青井は、まだ顔色が少し悪い。
だが、確かに生きている。
青井は肩を震わせ、泣き出した。
「ごめんなさい……じゅう…十万円も…」
幽鬼は青井を軽く抱きしめる。
「だいじょうぶ。それより、青井が助かってよかった」
桃乃は何か言いたげに口をもごもごさせる。
不安が勝ってしまい、思わず口に出した。
「……でも大丈夫なんですか。皆さんあえて触れないようにしてるんでしょうけど、現状12万円無駄にしてるんですよ。最後のお店の最低購入金額が、例えば474000円……最初からすべて最低購入金額ぴったりで買い続けないと、最後で詰んでしまう可能性があるんじゃないんですか」
空気が一瞬、固まる。
言い出せなかったことを、桃乃が口にしてしまったのだ。
幽鬼は答える。
「かもね。でも、私はそうはならない可能性のほうが高いと思う。ここまでで購入失敗や欠員が出ることは想定内だと思うし、多少のミスは問題ないように設計されている可能性が高い」
幽鬼の頭の中は別のことに向いていた。
金子が財布を投げたことについて
そもそも、ルールには「他人にお金を渡してはいけない」とは書かれていない。
極端な話、代表者が全員分のお金を持って買い物する方法もあっただろう。
そうすれば、今回のような危機も最初から防げる。
しかし、幽鬼はそれを提案しなかった。
理由は単純。
金そのものを物理的に失う危険があるからだ。
落とし穴、炎、水――
財布ごと失えば、その時点でゲーム終了になるリスク。
さらに、人間的な問題もある。
代表者が金を持ち逃げしたり、他の参加者から金を奪って、言うことを聞かないと札を破り捨てるぞと脅したり、最悪の場合人を殺したりする可能性もゼロではない。
つまり、全員を人質にされれば、ゲームは簡単に破綻する。
だから幽鬼は、あえて財布を分けた。
リスクを分散するために。
今回に限れば、それが裏目になりかけた。
だが、助かった。
金子がとっさに気づき、幽鬼の財布を奪い取り、投げて、青井は受け取った。
結果として、協力で解決したのだ。
幽鬼は思う。
今回のメンバーは、幸運にも比較的友好的だ。
もしもっと疑心暗鬼の強い人間や、極端な人間がいれば、ここまで順調にはいかなかっただろう。
そして、幽鬼はもう一つ、奇妙なことを思い出していた。
この世界では、高難易度のゲームほど、妙な行動をする人間が現れる。
自分の生存のためではなく、むしろプレイヤー全員を全滅させるかのような行動――
協力すれば助かるのに、わざと邪魔をする、必要のない裏切り、意味のない破壊。
まるで、自分の死よりもゲームの破綻を望んでいるかのように。
理由はわからない。
だが、この世界で生きていると、頭がおかしくなっても不思議ではない。
幽鬼は静かに青井を見つめる。
そして思う。
――まだ四つ目。
残りは一つ。
だが、最後が一番危ない。
青井が幽鬼に財布を返した後、幽鬼たちはスマホの案内にしたがい最後の店へ向かった
(18/23)
五つ目。
入口の看板には、何も書かれていない。
ただ静かに、そこにあるだけだった。
「……残り一つ」
誰かが言った。
声は小さかった。
だが全員が、その言葉の意味を理解していた。
ここまで来た。
あと一つ。
それをクリアすれば、生き残る。
幽鬼はゆっくりと口を開いた。
「最後は――」
そこで言葉を止めた。
視線を動かす。
まだ代表をやっていない人物。
黒糖。
壁にもたれていたが、わずかに顔を上げた。
そして、苦笑した。
「……ですよね」
逃げ場はない。
黒糖はゆっくり壁から離れた。
「はいはい」
肩を回しながら、店の入口を見る。
「最後の買い物係は、私ってことですね」
軽い口調だった。
だが、その目は少しだけ細くなっていた。
幽鬼はその表情を見て、ほんのわずかに違和感を覚えた。
それが何なのか。
その時は、まだわからなかった。
黒糖はゆっくりと店の前まで歩いた。
宝石店。
ショーケースが並び、ライトに照らされた三つの宝石が静かに輝いていた。
値札は見えないが、想像はつく。
簡単なゲームとは思えない。
黒糖はしばらく店内を眺めていた。
「……宝石か」
小さく言う。
そして、肩をすくめた。
「まあ、最後ですしね。一番難しいんでしょう」
軽く笑う。
そのまま一歩、前へ出る。
店の入口に足をかける。
誰も何も言わない。
これでいい。
代表は黒糖だ。
そう思った、その瞬間だった。
黒糖が振り向いた。
そして。
蹴った。
「え?」
青井の体が吹き飛んだ。
完全に不意だった。
防御もできない。
青井はそのまま、店の中へと転がり込んだ。
床を滑る。
ショーケースの前で止まる。
一瞬、全員が固まった。
幽鬼の思考が止まる。
何が起きたのか理解できない。
そして。
店内の天井から、無機質な電子音が流れた。
買い物を開始します
最低購入金額は1円です
(19/23)