異世界現場監督の定時退勤プラン ~魔法が神秘? バカ言え、ただの設備不良(バグ)だ。物理法則と工学知識でファンタジーを完全論破(デバッグ)する~ 作:ゆばのくさ
大魔導灯・内部メンテナンス
黒煙と熱気が充満する垂直の穴を、 俺は梯子を一段ずつ踏みしめて登っていた。
「……温度80度超え。サウナより酷いな」
防毒マスクのフィルター越しでも、 焦げた油の臭いが鼻を突く。
耐熱作業着を着ていなければ、 今頃は低温火傷で皮膚が爛れていただろう。
視界は最悪。ヘッドライトの光が煙に乱反射して、 数メートル先も見通せない。
『ガガッ……侵入者……排除……』
頭上で機械的な音声が響いた。
煙の奥から現れたのは、 球体に手足が生えたような自律防衛システム――警備ゴーレムだ。
だが、 その動きはぎこちなく、 赤いセンサーアイが不規則に明滅している。
「 IDタグ提示。……くそ、 熱暴走で
俺はタグをかざすが、 ゴーレムは認識せずに魔力カッターを振り上げてきた。
正規の管理者であろうと、 熱で
「排除……排除……!」
「ご苦労なこった。だが、 今は相手をしている暇はない」
俺はカッターの一撃を、 手すりを蹴って紙一重で回避する。
すれ違いざま、 ゴーレムの背部にあるメンテナンスハッチをこじ開けた。
中には、 複雑な魔力配線が剥き出しになっている。
「
俺は懐から取り出した
『バチッ!』
「ガ……ガガ……」
ゴーレムの動きが停止し、 その場に崩れ落ちるようにスリープモードへ移行した。
論理回路をバイパスし、 強制的にシステムエラー停止の状態に落とし込んだのだ。
「
俺は動かなくなった鉄塊を跨ぎ、 さらに上層を目指した。
◇
地上80メートル。配管室。
そこは、灼熱の地獄だった。
直径1メートルはある巨大なパイプの
その供給元。
パイプの根元に、巨大なハンドルがついた
「……あった。あれが
俺は炎の熱に耐えながら、 バルブに近づく。
これを閉めれば、 燃料の供給が止まり、 火は消える。単純な話だ。
俺は牛皮手袋をはめた手で、 熱せられたハンドルを掴み、 渾身の力を込めて回そうとした。
「……ぐっ!!」
ビクともしない。
まるで溶接されたかのように、 ハンドルは微動だにしなかった。
「……硬い。熱膨張でボルトが
周囲の温度は数百度。
金属は熱で膨張する。
人間の腕力で回せるレベルではない。
「くそっ……! 魔法で冷やすか? いや、 ダメだ」
俺は即座にその思考を却下した。
こんな高温状態で急冷すれば、 金属疲労でバルブ自体が割れる。そうなればオイルが全量流出し、 大爆発だ。
潤滑油を差す? 火に油を注いでどうする。
必要なのは、魔法でも油でもない。
物理法則だ。
◇
俺は周囲を見回した。
火災の衝撃で崩落した足場の中に、 かつてのメンテナンス業者が置き忘れたであろう手頃な長さの単管パイプ(鉄パイプ)が転がっているのを見つけた。
長さ約2メートル。
「……使える」
俺はパイプを拾い上げ、 バルブのハンドルの隙間に深く差し込んだ。
さらに、腰のポーチから大型のハンマーを取り出す。
「やることは二つ。てこの原理(レバレッジ)によるトルクの増大。そして、
俺はハンマーを振り上げ、 バルブの
金属音が響く。
衝撃波を金属内部に走らせ、膨張して癒着した結晶構造に微細な隙間を作る。
「我に支点を与えよ……なんてな」
俺はパイプの端を掴み、 全体重をかけてぶら下がった。
ハンドルの半径は30センチ。パイプの長さは2メートル。
脳内シミュレートでは、今の俺の体重によるトルクは、仕様上の最大締付トルクの6倍を超える計算だ。これはもはや、
『ギ……』
嫌な音がした。錆と熱で癒着した金属が、 無理やり剥がされる音。
「動け……! 動けぇぇぇッ!!」
俺は足を壁にかけ、 背筋が軋むほどの力でパイプを押し込む。
ハンマーで叩く。回す。叩く。回す。
『ギギギ……ギャリッ!』
何かが砕ける音と共に、 ハンドルが回った。
「――とった!」
一度動き出せばこっちのものだ。
俺はパイプを外し、 ハンドルを両手でグルグルと回していく。
何十回転もさせ、 弁体(ゲート)が流路を完全に塞ぐ感触が手に伝わる。
『カコン』
全閉。
◇
バルブを閉めきった瞬間。
フランジからのオイルの噴出が止まった。
燃料を断たれた炎は、行き場を失い、またたく間に勢いを失っていく。
轟音が消え、黒煙が徐々に白い水蒸気へと変わっていく。
だが、プロの仕事はまだ終わらない。
俺はポケットから一枚のタグと南京錠を取り出し、 閉めたバルブのハンドルにチェーンで固定した。
タグには赤字でこう書かれている。
【操作禁止:閉鎖中(LOTO) 責任者:佐藤航】
誰かが誤ってバルブを開けないよう、 物理的に鍵をかける安全措置。
これを怠れば、 後から来た誰かが「あれ? 閉まってる」と開栓して再炎上するリスクがある。
「よし。
俺はマスクをずらし、 熱い空気を吐き出した。
ふと、 崩れた壁の隙間から外を見る。
東の空が白み始めていた。
「……日の出か。
俺は煤だらけの顔を袖で拭い、 ラダーを降り始めた。
塔の下に出ると、 教師や生徒たちが呆然と立ち尽くしていた。
見上げる先には、 黒く焦げ付いたものの、 完全に沈黙した大魔導灯。
奇跡のように消えた火災。
その中心を、 俺は一人の作業員として歩き抜ける。
英雄の凱旋ではない。ただの退勤だ。
◇
現場の隅。
規制線の外では、 祈るようにタワーを見上げていた凛とリリスが、 俺の姿を見つけるなり駆け寄ってきた。
「佐藤さん! 無事でしたのね……!」
「……(ぎゅっ)」
煤まみれの俺を見て、 凛は半泣きになり、リリスは無言で俺の作業着の裾を掴んだ。
彼女たちの顔も、煙と埃で汚れている。消火活動のサポートで、彼女たちなりに現場を守り抜いた証だ。
「……ああ。
俺はヘルメットを脱ぎ、二人を連れて規制線の外へと歩き出す。
遠くで榊恵麻が、何かを言いたげにこちらを見ていたが、今は無視だ。
今はただ、熱された筋肉を休ませ、喉の渇きを潤したい。
「さあ、帰るぞ。俺たちの
俺の言葉に、二人が安心感を吐き出すように頷いた。
背後では、朝日を浴びた大魔導灯が、今は静かに、そして誇らしげに眠っている。
現場監督の長い夜は、ようやく完遂の時を迎えた。
本日も一日ご安全に!