異世界現場監督の定時退勤プラン ~魔法が神秘? バカ言え、ただの設備不良(バグ)だ。物理法則と工学知識でファンタジーを完全論破(デバッグ)する~ 作:ゆばのくさ
学園運営局、事務局棟の一角。
豪奢なルーン彫刻が施されたマホガニーの机、そして魔法の残り香が漂う応接室で、榊 恵麻は、目の前に差し出されたクリップで無骨に留められたA4用紙の束を凝視したまま、彫像のように凍りついていた。
「……何、これ。何なの、この……緻密すぎる不気味な紙束は」
「昨日実施した、女子寮地下排水システムの緊急保守作業に関する
俺の声は、高級な絨毯に吸い込まれるように低く響いた。
榊は震える指先で、その厚みのある報告書をめくった。そこには、この世界の魔法使いが愛好するような、情緒的で詩的な叙事詩など一行も書かれていない。
代わりに並んでいるのは、CADソフトウェアで描かれたかのような精密な配管系統図。摩耗や腐食の度合いを色分けした多角的なグラフ。そして、詰まりの決定的な主導因となった
「な、なによこれ……。専門用語に対する三百以上の
「身に覚えはないな。だが、現場の基本は再現性と透明性だ。……証拠のない解決はただのラッキーパンチであり、そんなものはプロの仕事とは呼ばない」
俺は煤とオイルの臭いが染み付いたツナギのまま、最高級のふかふかしたソファに深く腰掛けた。
隣では、凛が背筋をピンと伸ばして座り、「これがプロの現場監督の仕事ですわ」と言わんばかりの誇らしげな笑みを浮かべている。リリスは、作業着のポケットに工具を出し入れして、パタパタと感触を確かめていた。
「報告書の末尾をよく読んでくれ。閉塞の主原因——すなわち、管理不足による劣化ではなく、特定の教員による『低レベル魔導機材の不法投棄』の動かぬ証拠を添付しておいた。……榊さん、アンタの仕事は、これを持って理事会に乗り込み、上層部の腐り果てた
榊は、その不穏極まりない記述——バルドス主任の名を暗に示唆する証拠——に目を通すと、一瞬だけ野心家らしい瞳に深淵のような暗い悦びを宿した。彼女の口角が、獲物を見つけた狩人のように吊り上がる。
「……ふふ、あいつら。……これで、長年の予算流用と廃棄物処理法違反を、公式に突きつけることができるわ。……いい、最高にいいわよ、佐藤くん。期待以上の
その時、応接室の硬い扉が、礼儀を欠いた暴力的な勢いで開かれた。
「榊事務官! 聞いておれば、不潔な学生風情を地下の重要配管に勝手に入れ、あまつさえ故障の原因が我らの怠慢であるかのようなデマを流布しているとか……。それは我ら、正統なる学園管理者の神聖な管轄を冒涜し、侵す大罪ですぞ……!!」
現れたのは、白い豪華な法衣に身を包んだ、恰幅が良すぎる男。
彼は顔を真っ赤にし、脂肪の乗った顎を震わせながら怒鳴り散らしていた。だが、彼の不運は、相手が現場と証拠を唯一の真実とする俺と、その武器を手に入れた榊であることだった。
榊は、バルドスが言い終わる前に、報告書の束を机の上に――「ドォォォォン!!」と重厚な音を立てて叩きつけた。
「バルドス主任。……その神聖な管轄下にある現場で、なぜ女子寮中のトイレが逆流し、なぜ彼らが配管から引き上げたのは、貴方の署名が入った教員用機材の不法投棄ゴミだったのかしら? ……ああ、言い訳は不要よ。詳細はこの報告書に、一ミクロンも言い逃れできない証拠付きで記載してありますから」
バルドスの顔が、沸騰したトマトから一瞬で、三日放置された死体のような土気色へと変わった。
榊は勝利を確信した冷酷な笑みを浮かべ、俺を立てるように片手を差し出した。
「バルドス先生。彼は、私が個人的に雇用した特命保守コンサルタントです。……正規の契約に基づき、彼らの調査活動への干渉は、今後一切私が許さない。……さあ、顔を洗って、次の定例会までに弁解の原稿でも書いていらっしゃい」
バルドスは這々の体で、腰を抜かしそうになりながら応接室を逃げ出した。その後ろ姿を見送ることもせず、榊は深い溜息をついて、俺に小さな赤い水晶体——事務局検収印を差し出した。
報告書の最終ページ。そこに鮮やかな魔導の印影が刻まれる。
「……はい、中間検収、完了よ。……報酬は、今回の作業難易度を考慮して当初の倍、S級魔石三つ。それと、これを持っていきなさい。……学内学食の、上位教員・事務員専用エリアの無制限パスよ」
「……リリスの食糧調達環境が劇的に改善されるな。……助かる。これで工期の遅れを取り戻せる」
俺が立ち上がると、榊は少しだけ寂しそうな、それでいて何かを期待するような潤んだ瞳で俺を見送った。
「佐藤くん。……次も、無理を言っていいかしら? この学園のシステム、貴方がいないと、もう明日には音を立てて崩れ落ちそうな気がするのよ。貴方の現場監督としての目が、今の私には……必要なの」
「……あいにく、俺は一人の作業員だ。だが、正当な対価(コスト)を払う気があるなら、いつでも呼べ。……定時内なら対応してやる」
拠点へと戻る夕暮れの廊下。凛が、抑えきれない興奮で俺の袖をぐいぐいと引いた。
「佐藤さん! あの恐ろしい事務官様をすっかり手懐けてしまうなんて、さすがは佐藤工務店の社長ですわ! ……ふふ、これで
「勝手に社長にするなと言っただろう。俺はただの自営業者……いや、現場モグラだ。……だが、そうだな。……次はもっと、作業の安全性を高めるための保護具体系を整備したいところだ」
その夜、学園の匿名掲示板スレッドは、未だかつてない勢いで加速していた。
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### 【現場モグラ】佐藤工務店の安全第一を称えよう Part 3
1 : 名無しの受験生
おい、女子寮の下でバルドス主任が泣きながら走っていくのを見た奴いないか?
その直後、排水溝から虹色の水(浄化水)が溢れ出してきたんだが。
5 : 現場保守員(Bランク)
掲示板の噂はマジだったな。
事務局に提出された『報告書』のコピーを見せてもらったが、あれはやばい。
魔法の
あいつら、魔法の使い道を根本から間違えてるんじゃないか?
12 : 匿名魔法使い
佐藤……あいつ、去り際に「神秘の前に掃除をしろ」って言ったらしいぞ。
痺れるな。俺、明日から自分の部屋の埃、全部掃除することに決めたわ。
45 : 学園の良心(自称)
佐藤工務店、メンバー募集してないのかな。
最近、無駄に強い魔法を放って寿命を削るのがアホらしくなってきたよ。
ああいう、数字で自分を管理してくれる場所(現場)が、僕らには必要なんじゃないか?
68 : 名無しの受験生
>>45
お前みたいな甘ちゃんに、あの「安全第一」の地獄は耐えられないだろ。
ご安全に!
69 : 名無しの受験生
ご安全に!
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掲示板の書き込みなど意に介さず、俺は翌日の現場に備えて、リリスが研いでくれたノズルの精度をチェックしていた。
次はどの異物を排除し、どの寿命を延ばすべきか。
俺の戦いは、まだ始まったばかりだ。
読者の皆様、いつも当工務店の現場(本作品)をご視察いただき、厚く御礼申し上げます。
現場監督のゆばのくさです。
さて、現在進行中の『第14地下動力プラント・オーバーホールおよびコンプライアンス是正工事』が無事に検収完了(第14話)いたしましたことをご報告いたします。
これに伴い、当工務店は労働安全衛生法および作業員の疲労回復(SAN値回復)の観点から、以下の期間においてGW長期休暇(完全週休・有給消化)に入らせていただきます。
【休業期間】
4月28日〜5月6日(※GW明けより、次期工事『地下換気ダクト全域清掃』を着工予定)
休業中は、機材のメンテナンスおよび次期工程表(プロット)の策定に専念いたします。
休暇明けの5月7日より、通常営業(月・金更新)を再開いたします。
※5月11日の週のみ、毎日営業します。
読者の皆様におかれましても、休暇中のご安全とご健康をお祈り申し上げます。
なお、当工務店は現在、複数の並行世界(プラットフォーム)にて同時施工を行っております。
休業期間中の暇つぶしとして、他現場(なろう版・カクヨム版)の視察もご検討いただけますと幸いです。
それでは皆様、休暇明けも変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
本日も、ご安全に!