異世界現場監督の定時退勤プラン ~魔法が神秘? バカ言え、ただの設備不良(バグ)だ。物理法則と工学知識でファンタジーを完全論破(デバッグ)する~ 作:ゆばのくさ
今日から再開します。
煤けた天井。那由他オイルの焼ける独特の重い臭い。
学園の華やかな喧騒から隔離された地下の最奥――かつては備品室だった空き教室は、今や『佐藤工務店』の拠点として、およそ学園生活とは無縁の現場の空気に包まれていた。
季節は六月。入梅だ。
「……ご安全に」
拠点に足を踏み入れた俺は、作業台で待機していた凛とリリスに短く挨拶を交わした。プロの現場の朝は、一日の無事故を願うこの合言葉から始まる。
「ご安全に! 佐藤さん、ですが……見てくださいまし、この空気! 湿気で髪が巻いてしまいますわ。それに、このドロリとした重さ。まるで魔力が泥のように肌に張り付きますわね」
凛が扇子をパタパタと動かしながら、不機嫌そうに唇を尖らせる。
航の脳内では、即座に湿度による魔力回路の絶縁抵抗低下と、
さらに、労働衛生管理の観点からも、この不快指数を放置するのは三流の現場監督だ。
「リリス、局所空調魔法を展開しろ。目標湿度四〇パーセントだ」
「……了解。コンプレッサー、起動」
リリスが指を鳴らすと、拠点内の空気が急速に冷やされ、サラリとした空気に入れ替わる。
「ふぅ……生き返りましたわ」
「当然だ。劣悪な作業環境の維持は、
「ロマンもへったくれもありませんわね……」
呆れる凛を余所に、扉がノックされる。現れたのは事務官の榊恵麻だった。
「佐藤くん。また面白くない仕事を持ってきたわよ。地下B2からB5エリアの換気網、その全域清掃クエストよ」
榊が置いた書類に目を通す。予算は……驚くほど低い。
保守管理局の主任、バルドスが「魔物もいない安全なエリアだ。放っておけば魔力は自然に霧散する」と主張し、予算を従来の十分の一に削った結果だという。
「清掃、ですの? 佐藤さん、そんな地味な作業、今の私たちが受ける必要はありますの?」
「……いや、これは宝の山だ」
俺の言葉に、凛が目を丸くする。
「回収目標は
◇
地下二階、換気機械室前。
そこには「不真面目」や「無能」のレッテルを貼られ、罰則清掃を命じられたB組の学生たちが数名、不貞腐れた様子で杖を構えていた。
その中で一人、巨大な吸気グリルの前で立ち尽くしている少女がいた。俺の視線が、その小柄な背中に止まる。
新入生の文(アヤ)。成績は下から数えた方が早い落ちこぼれだ。
他の学生たちは、強力な火魔法や風魔法をパルス状に叩きつけ、ダクトにこびりついた煤を爆ぜさせて飛ばそうとしている。だが、煤はタール状に粘り、衝撃を吸収してびくともしない。
「おい、文! また立ち往生かよ。お前の魔法はトロすぎるんだよ。もっとこう、ドカンと一発撃てねえのか?」
周囲の揶揄を、少女は俯いて受け流している。
だが、俺の目は彼女の杖の先に釘付けになった。
「……凛、見ろ。あの子の魔法の流れを」
「え? ……あ、あら? 他の方々のように魔力が途切れたり、爆発したりしていませんわね。ただ静かに水が流れるように……」
文が放っている魔法は、非常に弱く、静かだった。だが、その波形は驚くほど平滑な
他の学生が火力を盛るために
初期の制御パラメータ設定が、清掃という瞬間的な
「そうだ。凛、お前の全力の威力が百だとして、あの子は十だ。だが、お前が数秒しか維持できない力を、あの子は息をするように永遠と垂れ流し続けられる。……使い所を間違えなければ、化けるぞ」
俺は彼女の横を通り過ぎる際、一言だけ投げかけた。
「……そのまま維持しろ。お前のその一定の熱量こそが、この後の工程で鍵になる」
文が驚いたように顔を上げたが、俺は振り返らずにダクトの点検口へと潜り込んだ。
◇
ダクトの内部は、地獄だった。
俺は自作の魔導風速計――微量な魔力熱源の冷却度合いから流速を割り出す、
「……設計値に対し、実測はわずか『0.2m/s』。微風にすらなっていない。九十六パーセント以上の閉塞だ。実質、地下エリアは窒息している」
凛がスクレイパーで壁面を削る。剥がれたのは、真っ黒なタール状の塊だ。
「これが魔導煤ですわね……。ですが佐藤さん、これなら火魔法で一気に焼き払えば……」
「作業工程を変更する。これより対象物を『粉塵爆発リスクのある可燃物』と再定義し、
俺の冷徹な声に、火魔法を構えていたB組の学生たちが凍り付く。
「この煤を不用意に燃やせば、浮遊した粉塵に引火して大爆発が起きる。この細長い空洞が巨大な火炎放射器と化して、俺たちを消し炭にするぞ」
俺は代替案を示す。
「物理的なスクレイパーによる粗削りと、霧状の水で煤を絡め取る湿式高圧洗浄に切り替える。……おい、そこのお前。文、と言ったか」
突然指名された文が、肩をビクッと跳ねさせた。
「お前のその静かな魔法を、水属性の
「わ、私に……? でも、私なんかじゃ、圧力が足りなくて……」
「水圧はリリスのノズルで稼ぐ。お前はただ、リリスのタンクへ一定の流れで水を注ぎ込み続けろ。……報酬は、この清掃クエストの達成評価だ。そこのサボっている連中の分も、お前の実績として俺が
明確な条件と対価の提示。それが『佐藤工務店』の契約(ビジネス)の基本だ。
「……や、やります!」
「よし。残りのB組の連中も、俺の目の届く後ろをついてこい。勝手な真似をして火花(ショート)を起こされたら困るからな」
俺は渋る彼らを半ば強制的に同行させ、さらに奥の機械室へと足を進めた。
◇
作業開始から数時間。地下五階、主排気ファン室まで到達した俺たちは、異質な
キィィィィィィ――。
耳を劈くような、高周波の金属摩擦音。
「……あ、あの、佐藤さん。ここ、すごく苦しそうです」
文がダクトの継ぎ目に手を触れ、顔を青くしている。
閉塞による
「……バルドスの野郎。予算をケチったんじゃない。確信犯だ」
「どういうことですの?」
「清掃不足で主ファンが壊れれば、地下に溜まった毒素が地上階まで逆流する。そうなれば管理局は『旧エリアの安全性不足』を理由にここを完全放棄できる。不祥事を放置したまま、新しい施設の予算をふんだくるための――『故意による損壊』だ」
このファンが止まれば、学園全体がパニックに陥る。
「これは清掃じゃない。緊急対応事案だ。……文、凛、リリス。定時までにこの心臓を再起動させる。お前たちの労働力を、一滴たりとも無駄にはさせないぞ」
「……了解です、マスター。……作業手順、確認」
リリスが無言で洗浄ガンの出力を上げる。
「わかりましたわ! バルドス主任の思惑通りにはさせませんことよ!」
凛が不敵に笑い、装甲付きの杖を構えた。
「これより、メインファン緊急オーバーホールのための
俺の声に、三人の顔つきが職人のそれに変わる。
「第一のリスクは『ベアリング焼き付き箇所の急激な冷却による熱応力破壊』。第二のリスクは『部品の破損による有毒魔力ガスの直撃』だ。
俺は端末に簡易図面を呼び出し、それぞれの役割を指差した。
「よし、俺が赤外線モニターで温度勾配を監視し、指示を出す。……指差し確認! 水源確保、よし! 冷却防護、よし! 打撃準備、よし! 監視体制、よし! ……ゼロ災で行こう、ヨシ!」
暗いダクトの奥。俺のヘルメットのヘッドライトが、不気味に淀んだ地下の完全な闇を鋭く切り裂いた。
これより、焼き付き寸前のベアリングを『冷却』と『打撃』で強制剥離する、決死の活線作業(ホットライン・ワーク)が始まる。
俺たちは完璧な布陣を敷いている……はずだった。
だが、俺たちよりもほんのコンマ数秒早く、この世界の「不備」が牙を剥いた。
キィィィィィィィィィィィィィィッ!!
ダクトの最深部から、鉄と鉄が摩擦熱で完全に溶接される瞬間の……耳を劈く断末魔が響き渡った。
◇
【学園裏掲示板(BBS)/スレッド:『佐藤工務店』の最新動向について】
1: 名無しの魔導士
聞いたか? B2〜B5の旧エリア、今日で完全閉鎖されるって噂だったのに、なんか佐藤のトコが全部綺麗にしたらしいぞ。
しかも、B組の「トロい」って虐められてた文とかいうやつを、いきなり最優先メンバーにご指名したとか。
2: 名無しの魔導士
マジ? あいつ魔法の威力ゼロだろ。何に使ったんだよ。
3: 名無しの魔導士
さあな……。でも、現場にいたB組の奴らが青ざめて言ってた。佐藤がダクトの中で「これからこの空洞を火炎放射器に変える」とか脅して、全員の魔法を封じたって。
その直後に、文の魔法だけを使って、見たこともない異端の儀式(湿式高圧洗浄とか呼んでたらしい)を始めたってよ。
4: 名無しの魔導士
ひえっ……。魔法を封じた暗闇の中で儀式って、絶対やばい事やってるだろ佐藤。
しかも「可燃物がどうこう」って、あいつ学園の地下を爆破でもする気だったのか?
5: 名無しの魔導士
バルドス主任、なんか顔面蒼白で教員室走ってたらしいぜ。佐藤が「ファンが壊れる寸前だった」とかいう謎の証拠(提出書類)を叩きつけたせいで、上の理事会から絞られてるらしい。
佐藤があの依頼を受けたのって、最初からバルドスを監査で刺すためだったんじゃないか……?
6: 名無しの魔導士
怖すぎる。あいつら、ただの工事のフリして、学園の空気すら裏から支配(コントロール)し始めてるだろ……。
来週は毎日更新予定です。