異世界現場監督の定時退勤プラン ~魔法が神秘? バカ言え、ただの設備不良(バグ)だ。物理法則と工学知識でファンタジーを完全論破(デバッグ)する~ 作:ゆばのくさ
王立魔導学園、保守管理局主任室。
磨き上げられた高級魔導木材のデスクの上には、一切の塵も許さないような潔癖な装飾が並んでいる。そのデスクを挟み、管理主任のバルドスは、不気味なほど冷徹で、かつ確信に満ちた勝利者の顔で座っていた。
「……それで? 大口を叩いた清掃は無残に失敗し、最深部の主排気ファンは経年劣化による
バルドスの声には、隠しきれない歓喜の震えが混じっていた。
予算を極限まで削り、面倒な清掃を部外者の学生に押し付け、想定内の事故に見せかけて老朽エリアを永久放棄する。その後に控える、新型設備導入に伴う莫大な予算請求と、業者からの
「期待に応えられず申し訳ないと思うよ、管理主任。……だが、あなたの期待と俺の
俺は、煤と汗で汚れたカバンから、一冊の分厚いバインダーを取り出した。
「……これが今回の『吸気ダクトおよび主ファン室・保守整備完了報告書』だ。……控えは既に榊事務官に回してある」
ドサリ、という重たい音がデスクに響く。バルドスは嘲笑を浮かべたまま、震える手でその表紙をめくった。
そこには、彼が期待していた泣き言や言い訳など一行もなかった。
並んでいたのは、超広角カメラで撮影された、一点の煤も残っていない鏡面のようなダクト内部の写真。主軸ベアリングの摩耗をマイクロミクロン単位で算出した計測表。そして、緊急停止の原因となった「注油怠慢による熱焼損」の証拠データと、それを俺たちが
「規定予算内での清掃、および主ファンの緊急オーバーホールは完了済みだ。遅延ゼロ。事故ゼロ。……現在の地下五階の換気効率は、設計値を上回る九八・五パーセントを記録。……バルドス主任。これで、このエリアを放棄する
「ば、馬鹿なッ! あんな、あんな今にも爆発しそうだった熱気が、どうして……! 魔力サージによる連鎖爆発が、確実に起きるはずだったんだ! あんな鉄のゴミが、回るはずがない……!」
「物理的な熱力学の法則に従っただけだ。……あなたの想定していた『限界を超えた魔法の連打』ではなく、ベルヌーイの定理に基づいた流体制御。……お前が現場を捨てて安全な部屋で茶をしばいている間に、俺たちは物理という神にも背かない絶対の理で、そのゴミを生き返らせたんだよ」
俺の声は、バルドスの喉元に突きつけられた冷たいナイフのように鋭く研ぎ澄まされていた。
「……なお、ここに添付したベアリングの腐食サンプルだが、明らかに意図的に注油スケジュールが改竄された形跡がある。……このインフラ破壊工作の疑義、
バルドスの顔面が、不健康な青白さを通り越して、腐りかけた土のような色に変貌していく。
「……さ、佐藤、くん。いや、佐藤殿。……これ、は……、何かの手続き上の、ミスで……。私は、ただ、学園の安全を第一に……」
「これ以上、俺の
ドアの影で静かに控えていた榊恵麻が、冷徹な微笑を浮かべて一歩前に出た。彼女の手には、勝利の象徴たる事務局長の公印が握られていた。
「ええ。文句のつけようのない、
主任室を後にした俺の背後で、ガタンッという、椅子が倒れ何かが崩れ落ちる音が響いた。
神秘という名の利権にしがみつき、現場の悲鳴を無視し続けた官僚の、無様で哀れな失墜の号砲だった。
◇
その日の深夜。拠点の空き教室。
窓の外では満月が輝き、地下の熱気とは対照的な涼しげな風が、汚れた窓ガラスを叩いている。
俺は凛とリリス、そして今回の作業で
振る舞われたのは、学食のタイムセールで手に入れた安い茶菓子と、リリスが適温に過熱した淹れたてのインスタントコーヒー。だが、今の俺には、どんな宮廷料理よりも贅沢なご馳走に感じられた。
「……文。今回、お前が最期まで供給し続けた一定の魔力があったからこそ、ベルヌーイ・ハックという曲芸のような工法が成立した。……お前のその、誰にも注目されない退屈なほど一定な力は、決して欠陥などじゃない。……あらゆるシステムを根底から支える、
「……は、はい。……ありがとうございます……佐藤さん。……私、魔法で何かを壊すことばかり教わって……。でも、こうして誰かの呼吸を守るために魔法を使えるなんて、思ってもみませんでした……。私、自分のことが、少しだけ好きになれた気がします」
文は俯きながらも、その目には確かな自負と、新米エンジニアとしての矜持が宿っていた。
彼女にはこれから、俺が自作する予定の新型魔導計器の
「……さて。リリス。回収した副産物の精製状況を報告しろ」
「……マスター。ダクト深層より回収した高密度
リリスが、机の上に黒真珠のように輝く小さなバイアル瓶を並べる。
地下の淀みを吸い上げ、俺たちが命を懸けてこそぎ取ってきた、本来なら
だが、俺の前世の知識というフィルターを通せば、それはこの世界のどんな高価な魔石よりも価値のある、最高級の
「……これを待っていた。これで、あのボロい中古試験機を全バラして直すための、特殊材料が揃ったな」
「……中古試験機? 佐藤さん、また何か、ろくでもないことを企んでいますの?」
凛が、口の周りにクッキーの粉をつけたまま、不適な笑みを浮かべて俺を見た。彼女もまた、この現場という名の麻薬に侵され始めているらしい。
「企むんじゃない。……現場監督として、システムの最大
翌朝。
榊が持ってきた新しい案件。
それは学園の真の心臓部――第十四地下動力プラントの異常調査。
報酬の欄には、これまでとは桁の違う数字と、そして一条葵の名前が記されていた。
「……十八歳。この世界じゃ、
俺は、黒い魔導煤でコーティングされたばかりの新型マルチテスターを腰のホルスターに叩き込んだ。
「……佐藤工務店、二〇二六年度・第二期定期点検。……開始する。……全系、ご安全に!」
俺の言葉に、リリス、凛が、力強く、そして誇らしげに右手を挙げた。
魔法が神秘として腐敗していくこの学園で、現場監督のエンジニアリング・サーガは、より深く、より厄介な「学園の心臓」へと、そのメスを入れようとしていた。
文は一旦離脱します。