異世界現場監督の定時退勤プラン ~魔法が神秘? バカ言え、ただの設備不良(バグ)だ。物理法則と工学知識でファンタジーを完全論破(デバッグ)する~ 作:ゆばのくさ
教室の空気は、完全に澱んでいた。
新品の制服の匂いと、チョークの粉の匂い。それらを塗りつぶすように、教室の後方から漂ってくるのは、肌をチリチリと焼くようなコロナ放電の気配だ。
(……なんだ、あの非効率なレイアウトは)
俺、佐藤航は、割り当てられた自分の席――窓際の後ろから二番目――を前にして、眉間の皺を深くした。
俺の席に辿り着くための通路が、物理的には空いているのに、概念的に封鎖されている。
原因は、俺の後ろの席――教室の最奥に座る一人の少女。
リリス。
混沌の魔神の受肉体にして、白銀の髪と血のような赤目を持つシステム端末。
彼女は誰とも目を合わさず、ただ俯いているだけだ。
だが、彼女を中心とした半径2メートルの空間には、目に見えない
クラスメイトたちは本能的な恐怖で彼女を避け、教室の後方には不自然な
(一般的な教室の面積は64m^2。対して、彼女が展開する
彼女の席は窓際の
だが、
高圧設備に対する労働安全衛生上の
(コーナーから半径 4m の扇形面積は12.56m^2。……教室の有効面積の約20%が死んでる計算だ)
設計ミスもいいところだ。
だが、俺にとっての問題は、そこじゃない。
彼女の横を通らないと、俺の席に行けないことだ。迂回すればいいが、それは毎日数秒の
何より――。
(……計算上、昨日の試験で俺には『
アース役として介入した際、システムが混線して彼女の
このままダンジョンに行けば、俺はモンスターの波に飲まれて
300%の湧きは稼ぎにはいいが、ドロップ品を回収する時間も、魔力を回復する時間もない。
ずっと蛇口が全開の状態では、
必要なのは、任意のタイミングで敵の流入を遮断できる
俺の視線が、リリスの背中を捉える。
彼女の特性は「過保護なまでの拒絶」。つまり、敵を物理的にシャットアウトする
(……数式は立った。あの厄介な
彼女を攻略するのはロマンスではない。
生き残るためのプロセス制御だ。
◇
「……少し、空気が悪いですわね」
凛とした声が響いた。
クラス委員長的な立ち位置に収まりつつある少女、北条凛だ。
彼女は不愉快そうにリリスの方を見ると、カツカツと足音を立てて近づいていく。
「リリスさん。ここは教室です。そのような威圧的な魔力の垂れ流しは、マナー違反ではなくて?」
正論だ。だが、現場を知らないエリートの正論ほど、危険なものはない。
(止めておけ。あれは彼女の意志じゃない)
俺が心の中で警告するのと同時に、凛が不可視の境界線に足を踏み入れた。
『ブンッ!!』
空気が爆ぜる音。
リリスが顔を上げたわけでも、魔法を撃ったわけでもない。
ただ、凛の体が、見えない壁に弾かれたように数メートル後方へ吹き飛ばされた。
「くっ、……きゃぁっ!?」
凛はとっさに防御姿勢を取ったが、勢いを殺しきれずに床を滑り、無様に尻餅をつく。
Sランクの魔力強化された肉体を持つ生徒が、物理的な接触なしに吹き飛ばされたのだ。
教室中が凍りつく。
「……ッ、何ですの、今の!
凛が顔を真っ赤にして叫ぶ。
周囲の生徒たちは「魔神の呪いだ」「近寄ったら殺される」と囁き合う。
だが、俺の
(……違うな。あれは意思じゃない。『他者感情トリガー型の
リリスの周囲には常に高密度な
トリガーは他者の感情波形。
凛が持っていた正義感や好奇心、あるいは畏怖。それら強い感情のシグナルを検知し、滞留魔力を物理的な衝撃として
(
◇
「……はぁ」
俺はわざとらしく大きなため息をつくと、ポケットに両手を突っ込んで歩き出した。
「ちょ、ちょっと! あなた、何をする気ですの!?」
凛が床に座り込んだまま声を上げる。
俺は無視して、リリスの展開する警告区域へと足を向けた。
あれが感情に反応するセンサーなら、ひっかからないようにすればいい。
心を無にする? 禅の修行なんて必要ない。
俺たち社畜が、満員電車や修羅場の現場で無意識に行っている
(俺は人間じゃない。
思考を切り捨てる。
目の前にあるのは美少女でも魔神でもない。単なる通行の妨げになっている
俺は「目的地へ移動せよ」という電気信号に従って動く、有機的な部品になりきる。
一歩、領域に踏み込む。
肌がピリピリとする。高圧電線の至近距離にいるような重苦しい空気圧。
だが、それは環境であって攻撃ではない。
(……センサー反応なし(Null)。
俺の心拍数は平時のまま。
恐怖も、興味も、敵意もない。
防衛システムは俺を風や背景ノイズとして処理し、迎撃シーケンスを起動しない。
二歩、三歩。
クラスメイトたちが息を呑む気配がする。
俺はあくびを噛み殺しながら、殺気の充満する空間を、ただの未舗装の通路として通り抜けた。
◇
俺はリリスの机の真横に到達した。
彼女はまだ、俺に気づいていない。「どうせ弾き飛ばされる」と思って、目を閉じているからだ。
だが、いつまで経っても衝撃は来ない。
俺は彼女の足元を見た。
通学鞄が、通路にはみ出している。
「……おい」
俺は短く声をかけると、つま先でその鞄を『トン』と押し戻した。
「ここは通路だ。私物を広げるな。『
「……え?」
リリスが弾かれたように顔を上げる。
燃えるような赤色の瞳が、至近距離にある俺の顔を捉え――見開かれた。
「嘘……私の
彼女の防衛システムが、俺を敵として認識していない。
当然だ。俺にとって彼女は片付けるべき施工ミスと同義だからだ。
だが、
彼女の瞳の中で、急速に光が変質していく。
孤独という暗闇の中に、狂信的なステータス・ランプが全点灯する。
「……初めて。私を怖がらなかった人。私の力を……無視して入ってきた人」
(……ん? なんか
俺は一瞬、背筋に寒気を感じたが、そのまま自分の席に座った。
とりあえず、これで
彼女の
だが、俺は気づいていなかった。
リリスが自分の胸を強く抑え、熱っぽい吐息を漏らしながら、俺の背中を
「……見つけた。私の……
◇
休み時間。
案の定、北条凛が俺の席に詰め寄ってきた。
「あなた、何をしたの? 理論上、あそこで無傷なのはあり得ませんわ!」
「……ただ歩いただけだ。お前が過剰に意識しすぎなんだよ。センサーが誤作動するだろ」
「誤作動!? 魔法を測定機器みたいに言わないでください!」
ギャーギャーと騒ぐ凛を適当にあしらっていると、ホームルームの担任が入ってきた。
「えー、これからの実技演習に向けて、
その瞬間だった。
ガタッ、と後ろの席が鳴った。
振り返る間もなく、俺の制服の裾が何者かに強く掴まれる。
「……組む」
リリスだった。
彼女は俺の背中に額を押し付けるようにして、 服を握りしめている。
周囲に向けられていた「拒絶の嵐」は消えていないが、俺に対してだけは、まるでセキュリティ認証を通過した重要端末のように無防備だ。
「……私、あなたと組む。……
拒否権はないらしい。
まあいい。元よりそのつもりだ。これで
あとは、残りの一枠だが――。
「……仕方ありませんわね」
北条凛が、腕を組んで俺たちの前に立った。
その顔には「悔しいけど、あなたのロジックには興味があります」と書いてある。
こいつは面倒だが、
「Dランクのあなたと、制御不能のリリスさん。誰かが
俺は天井を仰いだ。
脳内の「
- Front (Tank / Valve): リリス(絶対防御・メンタル不安定・対人拒否仕様)
- Attacker (DPS): 北条凛(高火力・理論偏重・現場経験不足)
- Support / Manager: 佐藤航(施工管理・PID制御・胃痛要員)
- Global Environment: エスティアの呪い(敵リポップ率300%)
(……最強の盾と矛。そして制御不能のバグ持ち案件。完璧な布陣だが、胃のコーティングを厚くしないと一週間持たないぞ、これ)
「……言っておくが」
俺は二人に告げた。
「俺の方針は一つだ。『安全第一』。それから『定時退勤』。これに従えないなら解散だ。いいな?」
「……(コクコク)」リリスが激しく頷く。
「ふん、お手並み拝見ですわ」凛が鼻を鳴らす。
こうして、学園内最悪にして最強のトラブルメーカー・チーム――通称「佐藤工務店」が爆誕した。
俺の「安定した学園生活」に向けた
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### 【学園内掲示板:雑談スレッド Part 1485】
1 : **名無しの平社員候補**
【悲報】リリス、ついに陥落。
5 : **名無しの受験生**
おい、あの「接近限界距離」を普通に歩いて抜けた奴がいるってマジ?
12 : **魔法学科B組**
マジ。俺見たよ。あいつ、リリスの鞄がつま先でちょっと触れたからって「5Sがなってない」って説教してたぞ。
リリス、顔真っ赤にしてプルプルしてた。
15 : **名無しの平社員候補**
「5S」ってどこの専門用語だよww
つーか、その佐藤ってDランクだろ? 何なんだよあいつのメンタル。
24 : **現場志望**
解析班の報告書回ってきたけど、佐藤が歩いてる間の脳波、完全に「睡眠中」と変わらなかったらしい。
無我の境地とかじゃなくて、単なる「完全な無関心」。
32 : **名無しの平社員候補**
こわ。魔神相手に「ただの障害物」扱いかよ。
41 : **名無しの生徒**
速報:リリスと北条凛が同じパーティを組んだ模様。
リーダーは例のDランク、佐藤。
45 : **名無しの平社員候補**
誰が呼んだか「佐藤工務店」。
学園の平和(と校舎の耐久性)が、終わったな。
50 : **名無しの平社員候補**
あいつ、パーティ組まされた直後に
「残業代出るんですか?」
って聞いて担任を困惑させてたぞ。
大物すぎる。
今日も一日ご安全に!