異世界現場監督の定時退勤プラン ~魔法が神秘? バカ言え、ただの設備不良(バグ)だ。物理法則と工学知識でファンタジーを完全論破(デバッグ)する~ 作:ゆばのくさ
一条葵という生徒は、学園という巨大な
「葵さん、今日の第十四プラント・第一回路の魔導調整、九九・八パーセントの安定度ですわ! 貴女が杖を振るうと、荒ぶっていた魔力がまるで春の小川のように澄んでいく……。これなら、今年の冬の学園祭の予算も安泰ね」
「ふふ、ありがとう。みんなのお役に立てて、本当に嬉しいわ」
当時十五歳だった彼女にとって、魔法は祈る必要すらない、呼吸と同じくらい自然で確実な現象だった。
意識を回路に向ければ、魔力の奔流が彼女の意思に従って、パズルのピースが嵌まるように
彼女は、学園の
(私は、一生この平和を守り続けるんだ。私に直せない不具合なんて、この世界に一つだって存在しない。……だって、私は『一条葵』なんだから)
若さゆえの、そして圧倒的な才能ゆえの、絶対的な確信。
学園中から至宝と持てはやされ、将来は国の中枢を担う魔導エンジニアとして、輝かしい未来が約束されていると、誰もが――彼女自身さえも――信じて疑わなかった。
その頃の彼女にとって、世界は思い通りに動く、美しく完成された模型庭園のようなものだった。
だが、その全能感は、十八歳の誕生日の数日後――システム側の冷酷な
最初の異変は、なんの変哲もない小型魔導ランプの定期点検中に発生した。
精神から送られる指令に対し、指先から放出される
これまで意図した通りに、流れるプールのようにスムーズに流れていた力が、指先の末端で、予期せぬ「跳ね」を見せた。
「……っ!? おかしいわ……。精神の集中はいつも通りなのに、なんで火花が?」
一瞬のショート。それ自体は些細な故障だった。
しかし、その恐ろしいズレは日を追うごとに、より深く、より広範に、そしてより回復不能な形で彼女の全身を蝕んでいった。
昨日までできていたことが、今日はできない。原因がわからないまま、自分の体が自分のものではない何かに書き換えられていくような、底知れない恐怖。
意識を集中すればするほど、かつての感覚が正解を求めてのたうち回り、それがさらなる歪みとなって回路を焼き切っていく。
焦れば焦るほど、自己嫌悪という名の深刻な精神ノイズが
かつて彼女を至宝と持てはやした大人たちは、いつしか彼女の前を通り過ぎる際、隠そうともしない憐れみ、あるいは使い物にならなくなった
学園という巨大な組織にとって、出力の安定しないサポーターは、保護の対象ではなく
「一条葵も、もう十八か。……やはり『二十二歳の断絶』に向けた、避けられない劣化というわけだ」
保守管理局主任のバルドス。彼はかつて葵に媚びを売っていた男だが、今は葵の震える手元を一瞥し、鼻で笑って報告書を机に叩きつけた。
「一条、学生としての君の価値はもう終わりだ。神――エスティア様に見放され、君の中の神秘は腐り始めたんだよ。そんな震える手で、これ以上この学園の神聖なインフラを汚さないでくれ。大人しく地下の老朽プラントへ行きなさい。そこで最後の一粒まで魔力を使い切って、ひっそりと消えるのが、君のような失敗作に与えられた最後の義務だ」
人としての尊厳すら踏みにじるような言葉。
かつての友人たちが、パーティ名簿から彼女の名前を無言で消していくのを、彼女はただ見ていることしかできなかった。
彼女に残されたのは、油に塗れ、錆びた歯車が悲鳴を上げる、孤独で薄暗い地下の防衛地点だけだった。毎日、自分の回路がバチバチと火花を上げ、視界がノイズで埋め尽くされていく。
(……助けて。誰か……。私のこの、自分でも制御できない壊れかけの力を、誰か……止めてよっ! 苦しい、熱いっ! 私が私じゃなくなっていくのが、こんなに怖いなんて……!)
彼女の魂の悲鳴は、地下の重苦しい湿気と巨大タービンの唸りにかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
――あの日。
煤まみれのヘルメットを被り、「ご安全に」などという奇妙な挨拶と共に現れた、感情をどこかに置き忘れてきたような目をした後輩が、目の前に現れるまでは。
◇
現在。地下プラント、魔導回路・第一区画。
ここは常に高密度の魔力が循環し、熱気とオゾン臭が充満する過酷なエリアだ。
周囲には誰もいない。かつて彼女をチヤホヤしていた仲間たちは、プラントの出力が不安定になった途端、責任を彼女一人に押し付けて逃げ去ってしまったからだ。
巨大なタービンの前で、葵は一人、暴走しかけている魔力を必死に抑え込もうとして孤立していた。
そこへ駆けつけたのが、俺たちだ。
リリスが張った霧状の
「安心しろ。君は壊れているんじゃない。単に
俺はカバンから
葵の体からは、制御を失った野放しの魔導エネルギーが、青白い静電破壊のような音を立てて漏れ出している。
(波形を見る限り、周期的な
「あの、佐藤くん? 何を、しているの? それ、ただの黒い、布テープじゃ……」
俺の声は、自分でも驚くほど冷徹に響いた。だが、ここで一ミリでも集中を欠けば、この現場は文字通りの死の現場に変わる。
俺は凛とリリスへ、視線だけで最終確認を飛ばした。
彼女たちは既に
「周囲の魔力密度、良し! 障壁の強度、良し! ……一条葵の魔力出力……
「「了解ですわ(了解)!」」
二人の表情が、戦い慣れた戦士から、一つの事故も許さないプロの補佐官へと切り替わった。
俺は葵の、今にも発火しそうなほど熱を帯びた指先をそっと取った。
「冷たい。佐藤くんの手……嘘みたいに、凪いでいる……。どうして、貴方の手は
「現場監督は、常に
俺は、彼女の魔力が最も
ただのテープ。だが、俺が前世の知識を詰め込んだ物理的な絶縁境界は、この世界の
「……あ。……あ、ああ……っ」
葵の体が、びりりと震えた。
これまで彼女を内側から焼いていた迷走魔力が、テープの境界線に衝突して一瞬だけ停滞し。
俺が意図した通りの
ノイズで濁り、行き場を失って彼女の内側で渦巻いていた魔力が――。
出口を見つけたダムの水のように。バイパスを通って、プラントの正当な主配管へと、本来あるべき澄み渡るような輝きを放ちながら吸い込まれていく。
彼女の出力が出ていなかったのは、力が消えたからではない。
適切に放出されるための道が塞がり、ノイズによって
(よし。
驚愕に目を見開く葵の手を離し、俺は満足げにツナギの裾を払い、愛用のレンチをホルスターに収めた。
「……暫定修理、完了。
葵は震える自分の手を見つめた。
かつての全能感とは違う。だが、荒れ狂っていた嵐が消え、代わりに強固な鉄則と道筋に守られたような、揺るぎない力が彼女の内に満ちていた。
彼女の目からは、絶望ではなく、三年間溜まり続けていた何かが、静かに溢れ出していた。
「すごいわ……。あんなに私を苦しめていた力が、こんなに、穏やかで……温かい。佐藤くん。貴方は、一体、何を私にしたの?」
「佐藤工務店の現場監督として、最低限の
俺は葵の肩を叩き、彼女を見捨てて逃げ出していた外野の生徒たちが、遠くからこちらを窺っているのを一瞥した。
「契約通り、ここからの拠点防衛、君にも手伝ってもらうぞ。足を引っ張ったら、即刻
「……え、ええっ! 喜んで、佐藤くん!」
葵の返事は、今日一番の「
魔法を神秘と信じる彼女にとって、今起きたことは理外の奇跡。
だが、俺にとっては、不適切な設定を修正し、ユニットをあるべき
現場監督の仕事は、まだまだ山積みだった。
本日も一日ご安全に!