異世界現場監督の定時退勤プラン ~魔法が神秘? バカ言え、ただの設備不良(バグ)だ。物理法則と工学知識でファンタジーを完全論破(デバッグ)する~ 作:ゆばのくさ
王立魔導学園の事務局棟、その最上階層。
地下深くに位置し、油と魔力溜まりの饐えた匂いが充満する第14プラントとは対照的に、ここは磨き上げられた大理石の床と、静けさを纏った冷調な空気が支配する大人の領域だった。魔力照明は一定のルクスを保ち、チラつき一つない。
「……なんか、私たちみたいな学生が来ていい場所じゃない気がするんだけど」
北条凛が、少しだけ肩をすくめながら小声でこぼした。彼女の制服には、先ほどの地下プラントでの激闘——いや、突貫工事の際についた煤や汚れが微かに残っている。
「ええ。私も、ここに呼ばれるのは特待生か、あるいは退学処分を言い渡される問題児くらいだと思っていましたわ……」
一条葵もまた、落ち着かない様子で周囲を見渡していた。22歳の壁という避けられない死の運命を、隣を歩く男の「工学知識」によって一時的とはいえ回避した彼女にとって、今の状況は現実味がない。
そんな二人の緊張など欠片も感じ取っていない男——佐藤航は、迷いのない足取りで重厚なマホガニーの扉の前に立ち、手元のタブレット端末とも呼べる薄型の魔導記録板を叩きながら、軽くノックをした。
「佐藤航です。事務官。第14プラントの
コン、コン、という乾いた音が響く。
間髪入れず、扉の向こうから「入りなさい」と、知性と威厳を感じさせる落ち着いた女性の声が返ってきた。
室内には、壁一面の書架と、数多の書類……否、学園という巨大なシステムを動かすための決裁書類の山を前にした事務官・榊が一人座っていた。彼女は銀縁の眼鏡をスッと押し上げ、航と、彼に付き従うように入室してきた凛と葵を、その鋭敏な眼差しで見据えた。
「――お疲れ様。一条さん、顔色が随分良くなったわね。凛さんも無事なようで何よりだわ」
「お、お気遣いありがとうございます、榊様!」
「お久しぶりですわ、榊さん。佐藤さんの現場の過酷さに比べれば、あの程度の魔力暴走は、まだ……」
葵が苦笑交じりに答える。事実、彼女がかつて経験した最前線のダンジョン探索よりも、航が仕切る現場の方が、精神的な摩耗は激しいのだった。
二人の様子を満足げに確認した榊は、すぐに視線を航へと移した。正確には、航が手に提げている、ずっしりと重そうな不透明の耐魔力バッグに、だ。
「それで……。現場監督さんの報告は、口頭だけじゃないのでしょう?」
「ええ。行政的な
航はそう言うと、バッグの中からジップロックのような透明な密封保管袋に入れられた証拠品を、一つずつ榊の広い執務机の上に並べていった。
カチャリ、と焦げた金属音が静寂な部屋に響く。
半分がどろどろに溶け、黒く炭化した高純度銀線の束。
明らかに規格外の太さであり、不自然に曲げられて無理やり接続されていた別系統の銅製ジャンパー線。
そして、本来は滑らかであるはずが、長期間のメンテ放棄によってボロボロに劣化し、魔力が漏出していた高圧シールリングの残骸。
「これらは全て、第14プラントの中枢制御盤および周辺回路から回収された人為的な物理破損箇所です。保守管理局の定期点検報告書では、過去三年間『異常なし』とハンコが押され続けていた経路から、これだけの
航の声は、氷のように冷たく、淡々としていた。
彼の中に怒りはない。ただ、前世の施工管理技士としての魂が、この杜撰極まる手抜き工事とメンテ放置に対して、工学的な嫌悪感を抱いているだけだ。(トリップ回避のために緊急でジャンパー線を噛ませる
「意図的な破壊行為、あるいは致命的な能力不足……というわけね」
榊は、袋越しに炭化した銀線をペンの先でつツンと突きながら、目を細めた。
「さらに、決定的なのがこちらです。
航が差し出した魔導結晶を、榊は無言で受け取る。
そこには、航たちが
航にとって、活線状態の回路と作業員に対し、安全確認もなしに外部からエネルギーを撃ち込もうと脅すなど、首吊り用の縄を自ら編むような自殺行為――いや、明白なテロ行為に他ならなかった。
「……なるほど。これを『過失』と言い逃れるのは無茶ね。物理的な証拠と、行動の記録。申し分ないわ」
榊の唇の端が、三日月のように吊り上がった。それは、獲物を前にした狩人の笑みではなく、不毛なシステムを合理的に解体できる口実を得た、優れた官僚の笑みだった。
その時。
ドォォォン!! と、品性の欠片もない粗暴な音を立てて、重厚な扉が蹴り開けられた。
室内になだれ込んできたのは、怒りで顔をドス黒く染め上げた男——保守管理局のトップであるバルドス主任だった。その後ろには、武装した数人の上級生(管理局員)を威圧的に従えている。
「そこまでだ、不浄な下民ども!! 榊! 貴様、いつまでこの無免許の汚いガキどもを囲っているのだ!」
バルドスの怒号が、静粛な執務室の空気をビリビリと振るわせた。凛と葵が咄嗟に身構える。
「バルドス主任。ここは事務局の執務室ですわ。ノック一つできないのでしたら、教養課程からやり直すことをお勧めしますけれど?」
榊は座ったまま、氷のような冷笑を向けた。その態度の余裕が、バルドスの自尊心をさらに逆撫でする。
「マナーだと!? 貴様らの方が先に神聖なる不可侵の禁忌を犯している! 我が管理局の専管事項である第14プラントを、この『佐藤』という学生が好き勝手に弄り回し、魔法陣を破壊したという通報が上がっているのだ! これは明確な学園規則違反……いや、神聖なインフラに対する背信、冒涜行為だ! 佐藤! 貴様は即刻退学処分にしてやる! いや、それだけでは済まさんぞ!」
バルドスが航に向かって、親の仇でも見るかのような憎悪を込めて太い指を突きつける。
だが、航は彼を一瞥だにしなかった。
まるで、そこに五月蝿く羽音を立てる羽虫しかいないかのように、完全に無視して榊の方を見てこう告げた。
「……事務官。この男の言動も、事後報告書の一部に付け加えておいてください。……管理責任者による、技術的根拠の全くないハラスメント、および業務妨害です」
「貴様ぁっ……! 学生の分際で、この私を無視するのか!」
「口を閉ざしなさい、バルドス主任。ここは議論の場ではありません。通告の場です」
榊の声が、室内の空気を一瞬で絶対零度に凍りつかせた。
彼女はゆっくりと立ち上がり、航が並べた「焦げた部品」の一つを、指先でつまみ上げてバルドスの目の前に突きつけた。
「これが何かわかりますか? あなたの管理局が、三年間『異常なし』とハンコを押し続けてきた回路の成れの果てですわ。規格外の継ぎ接ぎ、劣化した保護材。……
「そ、それは……! 学生が、自分の罪を逃れるために工作で捏造したガラクタだろう! そんなもので私を騙せると思うな!」
バルドスは顔を引き攣らせながら吠える。想定通りの言い訳だった。
「ならば、この映像も彼らの作り出した幻術だとでも言うのですか?」
榊が卓上の魔導結晶を起動させると、空中へホログラム映像が浮かび上がった。
そこに映し出されたのは、バルドスの直属の部下たちが、繊細な活線作業中の現場に強引に踏み込み、作業員に向けて攻撃魔法を放とうと威嚇している決定的な瞬間だった。
「安全作業手順に基づく警告を無視し、活線作業中の現場に強引に介入しようとした行為。これは、現場をただの爆心地に変えかねない無謀な暴挙ですわ。あなた方には『安全』という概念が欠落している」
「ぐ、う……。そ、それは、こいつらが勝手に不法な鍵を掛けて、我が局の業務を妨害したから!」
「
榊の言葉の刃が、バルドスの理屈を次々と切り裂いていく。魔法の強さも、名家の出自も、この冷酷な事実の羅列の前では何の防壁にもならなかった。
「……佐藤くん。
榊から話を振られ、航はようやくバルドスの方を向いた。
その目は、人間ではなく、交換する価値すらない致命的に故障した不良部品を見るような、底冷えのする眼差しだった。
「はい。……本件の
「な、何を言っている……? RCA? システムエラーだと?」
バルドスが未知の単語の連列に怯み、一歩後ずさる。
「これより、事務局・榊事務官の直轄権限に基づき、保守管理局の当該施設に関する管理権限、および関連する
「棚卸し……過去の発注書の審査、だと……!?」
その瞬間、バルドスの巨体が目に見えて震え上がった。
彼がこれまで私腹を肥やし、不正な癒着を繰り返してきたブラックボックスを、物理的にこじ開けられると言い渡されたのだから。
「いいえ、佐藤くん。あなたの提案は不十分ですわ」
榊が、一枚の書類をバルドスの目の前に叩きつけるように置いた。そこには学園長代行の赤い印章と、榊の流麗な署名が刻印されていた。
「これより一ヶ月、保守管理局の全予算執行権、および全防衛設備の操作権を一時停止します。……その期間中の運用・監査は、佐藤工務店を施工主とする私案、事務局直轄の非常監視チームが代行します。文句があるなら、この不適合部品の山に、適法な技術的根拠を持って反論して御覧なさい」
圧倒的な決定力。
権威や神秘を盾にして驕り昂ぶってきた男にとって、動かしようのない物理的な証拠と、上位権限による行政的な
「あ……あぁ……」
バルドスの顔から完全に血の気が引いていく。額から脂汗が吹き出し、立っていることすら困難なように膝が震えていた。
「バルドス主任。あなたの存在自体が、学園というシステムにとって最大のバグであることが証明されました。速やかに退室し、明朝の8時までに、過去の発注リストと決済記録を全て事務局へ提出なさい。1秒でも遅れたら、監査委員会を動かします」
もはや反論する気力すら削ぎ落とされたバルドスは、言葉にならない呻き声を漏らし、縋り付こうとした部下にも見放されるようにして、よろめきながら事務室を後にした。彼の背中には、かつての威厳など微塵も残っていなかった。
バタン、と扉が閉ざされ、しん、と静まり返った室内。
葵と凛は、ただただ驚きで目を丸くするばかりだった。自分たちが魔法でどれだけ激しく戦い、血を流しても決して勝てなかった絶対的な権力の壁が、航の拾い集めたただの焦げたゴミと、榊の数枚の書類によって、紙切れのように呆気なく崩れ去ったのだから。
これが、本物の大人の戦い。
これが、佐藤航という男の持つ真の武器なのだと、二人は震える思いで実感していた。
「……ふぅ。これで、ようやく邪魔者なしで腰を据えてメンテナンスができそうね。ご苦労様、現場監督」
椅子に深く腰掛け直し、榊はさっきまでの冷徹さが嘘のように、少しだけ柔らかな、労いの表情を見せた。
「佐藤くん。これであなたは、名実ともにこの学園の裏の現場責任者になったわけだけど……。明日からの予定は?」
航は耐魔力バッグを再び肩に担ぎ直し、事務室の大きな窓から差し込む夕焼けの光を見つめた。その表情には、勝利の歓喜も、権力を手にした驕りもない。ただ、今日の業務が終わったという安堵だけがあった。
「……変わりませんよ。工程表通りです。まずは、差し押さえた管理局の第一資材倉庫の棚卸し。……『使い物にならないガラクタ』と、『横流しされた予算の痕跡』を仕分ける作業から開始します。朝礼は8時です」
航の徹底したブレない言葉に、榊は声を出して愉しげに笑い、葵と凛は呆れながらも頼もしさに満ちた微笑みを浮かべた。
魔法学園という非合理の極致に、工学という極限の合理性を叩き込む。
佐藤工務店による、学園のシステム根幹を書き換える
「それでは事務官。本日の業務はこれで終了とさせていただきます。……ご安全に」
航は深く一礼すると、職場の同僚を労うかのように、そう言い残して執務室を後にした。
本日も一日ご安全に!