異世界現場監督の定時退勤プラン ~魔法が神秘? バカ言え、ただの設備不良(バグ)だ。物理法則と工学知識でファンタジーを完全論破(デバッグ)する~ 作:ゆばのくさ
ヒヤリハットではなく、事故起こします。
地下水道エリア・最奥部。
《第3変電室》と記された重厚な鉄扉を蹴り開けた瞬間、ヘルメットの防塵バイザーが白く曇った。
「っ、前が見えませんわ!」
「結露だ。拭き取れ」
地下道の冷たく湿った空気の中にいた俺たちが、異常発熱した室内に飛び込んだせいで、急激な温度差が発生したのだ。
俺は手袋の背でバイザーを拭い、室内の状況を確認する。
鼻を突くのは、焦げ臭い絶縁油とオゾンの臭気。
ドーム状の広大な空間。その中央には、このダンジョンの心臓部である巨大な
本来なら青く澄んだ輝きを放っているはずのそれは、今は見る影もない。
黒い。
コールタールのような粘着質の物体が、クリスタルの表面をべっとりと覆い尽くしている。
そいつは脈動するたびに、クリスタルから
「……見つけたぞ。あれが電圧降下の原因だ」
俺は冷静に
敵性体識別コード:変異種:
通常のスライムが、長期間魔力配管に住み着き、高濃度の魔力汚水を飲み続けた結果、体液が魔力を通す
前世のゲーム『アストラル・レジメン』では、特定条件で発生する「
「あいつの体が、
完全な
今のダンジョンは、底に穴の開いたバケツに必死で水を注いでいるようなものだ。
「よ、よく分かりませんが、あの黒いのが元凶なんですわね! なら……《大火球》で吹き飛ばしますわ!」
凛が杖を構え、特大の爆炎を練り上げようとする。
俺は即座に彼女の後頭部を(ヘルメットの上から)叩いた。
「馬鹿! やめろ!」
「あだっ!? な、何をしますの!」
「ここは繊細な変電室だぞ! 爆発させたら、下のクリスタルごと配電盤が吹っ飛ぶ! そうなれば
ダイナマイト漁みたいな真似ができるか。
「じゃあどうするんですのよ! あんなにベッタリ付着してたら、剥がせませんわ!」
凛の叫びに、俺は腰の工具袋の位置を直しながら答えた。
「……剥がすんじゃない。『
◇
俺は二人に近づき、具体的な
「いいか。今回の作業は『戦闘』じゃない。『精密加工』だ」
俺はスライムの体を指差す。
あいつはクリスタルの表面に薄く広がり、頑固な油汚れのようにへばりついている。
「凛。お前の火力で、スライムだけを焼き切れ」
「や、焼き切る……?
「そうだ。
凛は一瞬戸惑ったが、すぐに工学者の顔つきになり、杖先に魔力を収束させ始めた。
以前のダンジョンアタックでのライン作業で、魔力制御のコツは掴んでいるはずだ。
「……やってみますわ。でも、あんなに暴れていては、 狙いが定まりません! クリスタルを傷つけてしまいます!」
「
俺が視線を向けると、リリスは無言で頷き、ポンチョを翻して前に出た。
「リリス、拒絶領域を反転させろ。お前は最強の盾じゃない。『
◇
「……《拒絶》、展開」
リリスが小さく呟くと同時に、空間が軋んだ。
彼女の周囲に展開されていた不可視の力場が、スライムの表面を覆うように成形される。
『ギチチチッ……!』
見えない
そして、リリスの操作により、スライムの表面に一本の「
「よし、固定完了。凛、
「はいっ! ……《蒼炎(ペイル・ファイア)》!」
凛の杖先から、針のように細く、そして直視できないほど眩しい青白い炎が噴き出した。
温度は推定3000度超。不完全燃焼の赤い炎とは次元が違う、完全燃焼の刃。
「座標(X20、 Y15)、開口部に沿ってなぞれ。……
俺の指示に合わせて、凛が炎の刃を振るう。
『ジュッッッ!!!』
肉の焼ける嫌な音と共に、スライムの主要な触手が焼き切られる。
切断面は瞬時に
いわゆる「溶断」だ。通常なら斬っても繋がるスライムだが、熱で溶かしながら吹き飛ばされれば再生できない。
「いいぞ! 次、右舷20度。スリット開口! ……今だ!」
「くっ……! 細かい……ですわっ!」
凛の額に汗が滲む。
だが、その手つきは「魔法使い」のそれではない。熟練の「溶接工」のそれだ。
リリスが作ったガイドラインを正確にトレースし、クリスタルには傷一つ付けずに、
「ラスト!
「これで……終わりですわぁぁっ!!」
凛の放った最大出力の熱線が、スライムの中央にあった核を蒸発させた。
黒い塊がボロボロと崩れ落ち、炭の粉となって床に散らばる。
「……ふぅ。
◇
「や、やりましたわ……! 倒しました!」
凛がヘルメットを被ったまま歓声を上げる。
リリスも拘束を解き、満足げに俺を見上げている。
だが、俺はまだ気を抜いていない。むしろ、ここからが本番だ。
「喜ぶのは早い。見ろ」
俺がライトで照らした先。
スライムは除去できたが、クリスタルの根元にある「魔力伝導ケーブル」の一部が、腐食して断線しかけていた。
スライムの酸で溶かされたのだ。
「は、 配線が死んでますわ……。これじゃ、魔法で直すには電源を落としてから、専門の
「そんな時間はない。……やるぞ、『
俺は腰のポーチから、ホームセンターで買った「
「えっ……? ま、 待ってください佐藤さん。
「落としたら、
俺はゴム手袋(高圧絶縁用)を締め直し、躊躇なくクリスタルに近づいた。
ケーブルからはバチバチと青い火花(アーク放電)が散っている。
頼れるのは、手元の絶縁被膜と、俺自身の『管理者権限』による魔力バイパスの制御だけだ。
(……
俺はペンチで腐食したケーブルを慎重に掴む。
『バチッ!!』
アークが飛び、ヘルメットのバイザーを焦がす。
「ひっ!?」
凛が悲鳴を上げるが、俺の手は止まらない。
呼吸を止め、銅線をねじ込み、バイパス回路を形成する。
物理的な「銅」であっても、伝導率が高ければ魔力は通る。魔法だろうが電気だろうが、流れる道があればいいんだ。
「……
最後に、むき出しの接続部を保護するために、黒い自己融着テープを引き伸ばしながら巻きつけ、その上から保護用のビニルテープでグルグル巻きにする。
神聖で美しいクリスタルの台座に、無骨な黒いテープの塊が出来上がる。
あまりに冒涜的で、あまりに実用的な光景。
「……ま、 魔法のクリスタルに、ビニールテープ……?」
凛が信じられないものを見る目で呟く。
だが、これが「現場」だ。見た目なんぞどうでもいい。機能すれば正義だ。
◇
そして。
俺が最後のテープを巻き終え、手を離した、その瞬間。
『カッッッ!!!!』
クリスタルが強烈な輝きを取り戻した。
同時に、変電室内の照明が100%の明るさで灯る。
通路の方からも、 一斉に光が戻ったことが分かる輝きが漏れてきた。
「つ、 つきました……! 本当に、物理的な修理で直ってしまいましたわ……!」
凛が呆然と輝きを見上げている。
遠くからは、取り残されていた他班の生徒たちの「ついた!」「助かった!」という歓声が微かに響いてくる。
彼らは知る由もないだろう。
この光が、神の奇跡などではなく、たった一本の銅線と絶縁テープによって取り戻されたものだとは。
「……ふぅ」
俺は額の汗を拭い、懐中時計を見た。
16:30。
撤収時間を合わせれば、17:00の定時には間に合う。
「よし、
「軽微って……ボスを溶断して、配線を繋ぎ変えたんですのよ!?」
「余計なことを書くと、また変な仕事が増えるからな」
俺は道具を片付けると、二人に背中を向けて歩き出した。
だが、すぐに振り返り、気を緩めかけている二人に声を飛ばす。
「おい、気を抜くな。現場の事故の大半は、『作業終了後の片付け』と『
「……え?」
「帰るまでが業務だ。足元よし、周囲よし。……行くぞ、ご安全に」
「……は、 はい! ご安全に!」
凛とリリスは顔を見合わせ、呆れたように、しかしどこか誇らしげに、俺の背中を追ってくる。
眩い光に満ちた通路を、俺たち「佐藤工務店」は定時退勤に向けて歩き出した。
◇
数日後。
トラブルの原因調査のために現場入りした学園の魔導教授が、変電室で絶叫することになる。
「な、 なんじゃこりゃあぁぁぁ!!
その修理跡が、伝説の「謎の凄腕エンジニア」の仕業として学園の七不思議になるのは、もう少し先の話だ。
本日も一日ご安全に!