葬送とハゲマント   作:パラダイス大王

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5 同族殺しと、ひとつまみの岩塩

第5話:同族殺しと、ひとつまみの岩塩

灰色の雲が重く垂れ込める北側諸国の空の下、フリーレンたちは雪原に続く「ひとつの足跡」を、一定の距離を保ちながら慎重に追跡していた。

「……奇妙な足跡です」

前方を歩くフェルンが、雪に刻まれた靴跡を見下ろしながら静かに言った。「歩幅が完全に一定。雪に沈み込む深さも、全く変わりません。まるで、疲労という概念が存在しないかのような歩みです」

「魔力による身体強化の痕跡は?」

「ありません。それに、周囲の雪や草木への魔力的な干渉も皆無です。本当に、ただの物理的な力だけで歩き続けているとしか……」

シュタルクは息を白く染めながら、周囲の森を警戒するように見回した。

「でもよ、あいつは俺たちの攻撃を全部弾いたんだぜ? いくら魔力がないって言っても、あんなバケモン、追跡して大丈夫なのかよ」

「だからこそ、追うんだよ」

最後尾を歩くフリーレンの眼差しは、冷たく、そして鋭かった。

「あの魔族は、私たちの持つ魔法の理(ことわり)を根底から否定する力を持っている。もしあれが魔王軍の残党だとしたら、人類は魔法という最大の対抗手段を失うことになる。生態、目的、そしてあの異常な強度の理由。それを突き止めない限り、私たちはあの魔族を殺す手段を見つけられない」

フリーレンの脳内では、未だに先ほどの光景がリフレインしていた。

自身の放った極限まで圧縮された『魔族を殺す魔法(ゾルトラーク)』が、魔力も纏わないただの素手によって、物理的に叩き割られた事実。千年以上を生きてきた彼女の常識が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。

(……それに、あの『塩が欲しい』という言葉。あれが欺瞞だとしたら、一体何を目的とした虚言だったのか)

魔族は人間を捕食するために言葉を操る。同情を誘い、油断を生むための道具として。しかし、あの黄色いスーツの男から発せられた言葉には、人間の感情を揺さぶるような「意図」が全く感じられなかった。それどころか、魔族特有の殺気すらなく、ただ果てしない退屈の底に沈んでいるような、不気味なほどの「空虚」だけがあった。

「フリーレン様、前方に微かな血の匂いと……魔力の衝突の痕跡があります」

フェルンが不意に足を止め、杖を構えた。

三人が丘の稜線からそっと身を乗り出して眼下の街道を見下ろすと、そこには横転した一台の荷馬車があった。馬はすでに殺され、周囲には木箱や麻袋が散乱している。

そして、その荷馬車の前で、一人の初老の行商人が尻餅をついて震えていた。行商人の目の前に立っているのは、四本の腕とねじれた角を持つ、正真正銘の「魔族」であった。

「命乞いか。滑稽だな、人間。貴様らはいつも、死の直前になると決まって家族の名前を叫ぶ。それが我々の心を動かすとでも思っているのか?」

四腕の魔族が、冷酷な笑みを浮かべながら行商人の首根っこを掴み上げた。その手には、不吉な紫色の魔力が収束していく。

「シュタルク、フェルン。行くよ」

フリーレンが杖を握り直し、丘を駆け下りようとしたその瞬間だった。

『あのさ、ちょっとごめん』

間の抜けた声が、惨劇の直前であった街道に響き渡った。

フリーレンたちはピタリと動きを止め、息を呑んだ。四腕の魔族も、怪訝な顔をして声のした方へ振り返る。

そこには、右手に「食べかけの冷えた焼き魚」を持ち、黄色いスーツに薄汚れた赤いマントを羽織った男――サイタマが立っていた。彼の頭には、四腕の魔族と同じように、禍々しい二本の角が生えている。

「なんだ貴様は……魔族? いや、魔力が全く感じられん。それにその滑稽な姿はなんだ。幻影魔法の出来損ないか?」

四腕の魔族が、行商人を放り投げてサイタマを睨みつけた。

サイタマは魔族の威圧など全く意に介さず、ただ横転した荷馬車からこぼれ落ちている白い粉の山をじっと見つめた。

「おっ、もしかしてそれ、塩か?」

「……は?」

「いやさ、さっき魚を釣って焼いたんだけど、塩味がなくて全然美味しくないんだよ。おっさん、そこの荷物の所有者か?俺にも塩をひとつまみ分けてくれないか、ほんのちょっとでいいから」

サイタマは、同族であるはずの魔族に向かって、ごく当たり前のように要求した。

丘の上からその様子を観察していたフリーレンの思考回路が、再び激しいショートを起こしかけていた。

(……塩? また塩? 幻影の魔法でも、欺瞞の言葉でもなく……こいつは本気で、ただ味付けのための調味料を探して歩き回っているだけだというの?)

四腕の魔族は、自分を完全に無視して塩を要求するサイタマに対し、屈辱と激しい怒りを露わにした。魔族の社会は魔力の大きさが絶対の階級であり、魔力ゼロの存在から見下されることなど万死に値するのだ。

「魔力を持たぬ底辺のクズが……私を無視するか!馬鹿にしやがって…その薄汚い命ごと、消し飛べ!!」

四腕の魔族が怒号と共に腕を振り下ろすと、紫色の魔力によって形成された無数の鋭い氷柱が、サイタマの全身を串刺しにすべく雨あられと降り注いだ。

鋼鉄すら貫く致死の魔法。それがサイタマの身体に直撃し――。

ガキンッ! パリンッ!

氷柱はサイタマの黄色いスーツに触れた瞬間、見えない分厚い壁にぶつかったかのように、ただの物理的な氷の破片となって虚しく砕け散った。

「なっ……!?」

驚愕に目を見開く四腕の魔族。

「お前、話に割り込んでくるなよ。ホコリが立つだろ」

サイタマは、少しムッとした表情でため息をついた。「俺はただ、塩が欲しいだけなのに。この世界の人たち、本当にすぐモノを投げてくるな」

そうぼやきながら、サイタマは無造作に一歩を踏み出し――飛んでいるハエを払うかのような、極めて軽い動作で右手をスッと前に出した。

『パァン!!』

空間そのものが破裂したような、凄まじい衝撃音が街道を駆け抜けた。

サイタマの拳が四腕の魔族の腹部に「軽く触れた」瞬間、魔族の上半身は物理的な運動エネルギーの飽和によって、文字通り一瞬で弾け飛んだ。悲鳴を上げる暇すら与えない、絶対的な一撃(ワンパンチ)。

残された下半身も、直後に黄金色のマナの粒子へと分解され、サラサラと風に吹かれて完全に消滅した。

静寂。

残されたのは、腰を抜かして震える行商人と、冷えた魚を持ったサイタマだけである。

「おっ、こぼれてるこぼれてる」

サイタマは魔族を粉砕したことなどすでに脳内から消去し、荷馬車からこぼれた岩塩の山にしゃがみ込んだ。そして指先で器用に塩をひとつまみ拾い上げると、右手の冷えた白身魚にパラパラと振りかけた。

「よし。いただきます」

サイタマは魚を一口かじり、ゆっくりと咀嚼した。

「……うん、やっぱ塩があると違うな。冷えちゃってるけど、まあ食えないことはない」

彼はどこか満足げに頷くと、腰を抜かしている行商人に向かって軽く片手を上げた。

「おっさん、塩サンキューな! これ、魚の骨だけど捨てといてくれ」

そう言って、サイタマは魚の骨をポイと雪の上に投げ捨て、再び何事もなかったかのように、ざくっ、ざくっと雪道を踏みしめて歩き去っていった。

     *

丘の上。

フリーレン、フェルン、シュタルクの三人は、その一部始終を身動き一つせずに見下ろしていた。

「……フリーレン様」

フェルンが、ひどく乾いた声で呟いた。「あの魔族……同族を殺しましたよ。しかも、何の魔法も使わずに」

「ああ。見た」

フリーレンの額には、冷たい汗が滲んでいた。

魔族は個の生存を最優先とする生き物であり、組織的な連携を持たないため、利害が対立すれば同族殺しをすることもある。しかし、それはあくまで「生存競争」や「魔力の誇示」が目的である。

調味料を手に入れるためだけに同族を瞬殺し、人間には一切手を出さずに去っていく魔族など、この世界の歴史上、ただの一例すら存在しない。

「……ダメだ。やっぱり、私の知る常識の枠組みには当てはまらない」

フリーレンは自らの杖を強く握りしめ、その美しい顔にかつてないほどの深い混乱と、冷徹な殺意を同時に浮かび上がらせた。

「人類を捕食する本能を持たず、魔法の理を物理で破壊し、圧倒的な力と空虚を抱えたバケモノ。……あいつは、魔王よりも厄介な『世界のバグ』だ。放置すれば、必ずこの世界そのものの理を崩壊させる」

決して交わることのない波長。

塩を求めて同族を粉砕した男の背中を、葬送の魔法使いは、底知れぬ警戒心と共に静かに見据え続けていた。

 

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