ブルーアーカイブ─吉原炎上篇─   作:いちごミルク

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まさか自分が小さい女の子がバッチバチに殺し合うのが好きだとは気が付かなかった。こんなところで自分の性癖を知ってしまうなんて……


第十話『四本足で立つのが獣、二本足と意地と見栄で立つのが女』

「モ、モモイ……さん……っ!」

 

「何してんのもう。私はいいから、ほら、さっさと行きな」

 

 廊下の奥へと促すように、モモイはシッシッと片手でジェスチャーをする。その軽口とは裏腹に、モモイの視線は一瞬たりともキサキから離れていない。

 

「行っても、いいんですか……? 私みたいな、汚い子供が……あんなにも綺麗な、綺麗な人を……」

 

 吉原の暗部に身を置き、泥棒にまで手を染めていた自分。対して、部屋の奥で静かに佇むその人は、街の頂点に君臨する太陽のような存在。

 自分はそんな人の元へと行っても良いのか──そう悩むココナにモモイはため息をついた。

 

「ったく、散々抜かしといて、今更何言ってんのココナ。──呼んでやりなよ。腹の底からさ。……『シュン姉さん』って」

 

 モモイの言葉は、ココナの背中を温かく、そして力強く押し出した。

 ココナは意を決して、薄暗い部屋へと踏み込む。そこには、豪華絢爛な着物に身を包みながらも、あまりに細く、折れそうな背中を見せて座るシュンの姿があった。

 

「ね、姉さん……」

 

 震える声。シュンはポツポツと背を向けたまま言葉を出していく。

 

「いいの……? こんな、薄汚れちゃった女を、『姉さん』なんて呼んでも」

 

「姉さん……」

 

「いいの……? 何も言わずに、貴女を一人きりにして捨てていった私を、『姉さん』なんて呼んでも……!」

 

「姉さん……!」

 

「いいの……? 私なんかが、貴女のお姉ちゃんでも……っ!」

 

 ──シュンの目から堰を切ったように涙が溢れ出した。その瞬間、ココナも拳を握りしめて走り出した。

 

「シュン姉さぁぁぁん!!」

 

 弾かれたように飛び込み、その細くなってしまった体に抱きつきます。シュンもまた、泣きじゃくりながら「ココナちゃん!」とその小さな体を抱きしめた。

 五ヶ月。たった五ヶ月、されど永遠のようにも感じられた空白。二人の間に横たわっていた絶望と孤独を埋めるように、二人は互いの温もりを確かめ合うように、強く、強く抱きしめ合っていた。

 

 その光景をキサキは不愉快そうに見ていた。壁に寄りかかっていたケイはモモイの顔を見て思い出す。

 

「あぁ……最初に襲撃した時、アリスと一緒にいた子ですね。……まだ生きていたんですか」

 

 嬉しそうに微笑むケイに対し、キサキは冷徹な瞳でモモイを射抜いていた。

 

「そうか……貴様が、あの童が雇ったというミレニアムの生徒か」

 

「覚えていただけるとは光栄だね。ふふん、私も有名になっちゃったかな?」

 

「妾の街を、好き勝手にやってくれたのはぬしか」

 

「好き勝手? 冗談はよしてよ。私は女の子一人も買ってやいないし、むしろいいことしかしてないよ」

 

「……そうか。ならば、これから特上の酒宴を用意してやろう。血の宴、という名のをな」

 

 キサキの体から、殺気が物理的な圧力となって膨れ上がる。

 

「過分な心遣いには感謝するけど、それは遠慮しとこうかな。貴女みたいな貧相な体を見ながらジュースを飲んでも、これっぽっちも美味しくないもん。そもそも、こんな場所で飲むものも、食べるものも、全部味がしないんだよ」

 

 モモイは、足元に倒れていた百華の生徒の死体へと視線を落とした。その傷だらけの瞼を指先で優しく閉じる。

 

「確かに、よくもまぁこれだけあちこちから、べっぴんさんを集めてきたもんだよね。だけどさ、どれだけ美人を集めようが、どれだけ贅沢なものを集めようが、私は貴女の国ではジュースを一滴たりとも飲まないね」

 

 モモイの脳裏に──ミレニアムでの日常が去来しました。

 

「鎖で繋がれた女の人から注がれたジュースなんて、なんにも美味しくないんだよ。誰かが泣きながらついでくれたお酒なんてなにも美味しくなんてない」

 

 思い出すのは、ユズがいて、ミドリがいて、アリスがいた部室。時々怒鳴り込んでくるユウカや、影のように見守るノア。

 

「ロッカーに引きこもる部長とか、お姉ちゃんの貞操を狙ってくる妹とか、勇者に憧れてるくせに横暴で強引な、妹みたいな子とか……。そんな子たちと飲む安っぽいジュースでも、みんなが笑って飲めるなら、それが一番美味しいんだよ」

 

 モモイはキサキを真っ向から睨みつけた。

 

「口うるさいお母さんみたいな会計に、怒ると無茶苦茶に怖い書記さん。そんな人たちと食べる、ただのカップ麺でも、みんなが笑って食べられるならそれでいい」

「美女も美食も、そんなの関係ない。屋根さえない野っ原でも、月を見ながら安いジュースが飲めるなら、私はそれがいいんだ。……女の子の涙はゲームのお供にするには辛すぎるんだよ」

 

 モモイは、道中で拾い上げていた一振りの刀を抜いた。鈍く煌めく刀身。キサキはその様子を見て嘲笑を浮かべる。

 

「鎖を断ち切りに来たか……。この夜王の鎖からシュンを、吉原の生徒たちを解き放とうというのか?」

 

「そんな大層なもんじゃないよ。私はただ、美味しいジュースが飲みたいだけ。……天下の花魁様に、とびきりの笑顔付きでお酌してもらいたくてね!」

 

 モモイは刀を構えた──その時、キサキの背後で、ケイが腹の底から「クスクス」と笑い声を上げる。

 

「フフフ……。たかがジュース一杯のために、夜王に喧嘩を売るとは。面白い人間がいたものですね、キサキ殿」

 

 ケイがキサキの肩にそっと手を置いた。──瞬間、廊下を支えていた巨大な朱塗りの柱が、粉々になって砕け散る。

 

「おーこわ。そんなに怒らないでくださいよ。心配しなくても、もう邪魔はしません」

 

 ケイは身を翻してウサギのオブジェの上へと飛び退いていた。飄々と言い放つケイにキサキは苛立ちを隠さずに問い詰める。

 

「ケイ……貴様、何が目的じゃ! 妾の命を狙ったかと思えば、次は童を手助けし、シュンの元へ手引き。そうまでして妾の邪魔をしたいのか? それとも──姉を求める童の姿に、遠き日の自分でも重ねたか? 干からびた先輩を見捨ててきたお前が、今更罪滅ぼしのつもりか?」

 

「……何を世迷言を。夜王を腑抜けにした女、一体どれほどの強者かと思えば、ボロ雑巾に縋って泣くだけの惨めな女。吉原の太陽が聞いて呆れる。違うんですよ、私の求めている『強さ』は。こんなしみったれた感情じゃあない」

 

「双子の姉だろうが、育ての先輩だろうが構わずぶっ殺す……そういう奴? 血の繋がった姉を殺そうとする妹がいれば、姉を助けるために奔走する妹もいる。皮肉なもんだね。どっちが本当の家族かなんて、私は知らないけどさ」

 

 ──キサキは無言で羽織を脱ぎ捨てた。

 現れたのは少女としか言えないほど薄く、小柄な体躯。しかしそこから放たれるオーラは、周囲の空気を歪ませるほどに圧倒的。

 

「──面白いではないか」

 

 キサキは跳躍し巨大な大傘を咥えているウサギのオブジェへと飛び乗った。モモイはそれを見届けると、迷わず扉に突き刺さっていた自らの木刀を回収しに歩いた。

 

「貴様が妾の鎖を断てるか、妾が奴らの絆を断ち切れるか──」

 

 モモイは扉から木刀を引き抜き、キサキはオブジェを足蹴にして壊しながらその大傘を引き抜いた。

 

「──勝負といこうではないか!!」

 

 キサキは大傘を肩に担いだ。

 

「ミレニアムの生徒風情に、この夜王の鎖──断ち切れるかの?」

 

 モモイは橋の中央へと戻り、右手に刀、左手に木刀を構えた。

 

「エロガキの先走り汁の糸でできたような鎖なんて──ひと太刀で終わりだよ!」

 

 純粋な殺意と譲れない意地。譲れない二人の視線が雷のように衝突する。

 

「明けない夜なんて、この世にはない。この街にも、朝日が昇る時が来たんだ! 夜の女王は、日の出と共に──」

 

 モモイとキサキは、同時に地を蹴り、宙へと舞い上がった。

 

「──おねんねしてな!!」

 

「モモイさん!!」

 

 ココナの叫びが響く中、二つの影が空中で激突した。

 

 

* * *

 

 

「うぉぉぉぉ!!」

「おぉぉぉぉ!!」

 

 二人は雄叫びを上げながら接近。モモイは木刀による渾身の一撃をキサキの脳天へと叩き込もうとする──しかし、キサキはそれを片手で、事も無げに受け止めた。

 

「なっ……!?」

 

「かかっ──!!」

 

 驚愕するモモイ。即座に右手の刀を振り下ろそうとするが、それよりも早く、キサキの鋭い蹴り上げがモモイの顎を正確に撃ち抜いた。

 

「がはっ……!」

 

 血を吹き出しながら視界が火花を散らすモモイ。なんとか体勢を立て直そうと顔を向けた瞬間──視界をキサキの大傘が覆った。

 

 凄まじい衝撃波が渡り廊下を駆け抜ける。廊下は根元から完全に崩壊し、支えていた柱をへし折って下層へと落下。巻き上がる木片と土煙を見てココナが絶叫する。

 

「モ、モモイさん!!」

 

 キサキは悠然と着地して勝利の笑みを浮かべていたが、煙の向こう側を見てわずかに眉を寄せた。

 

「ほう……妾の一撃を、止めたか」

 

 そこには──木刀と刀を十字に交差させ、間一髪でキサキの大傘を受け止めていたモモイの姿があった。

 しかし、その代償はあまりに大きい。たったひと太刀。それを受けただけで、全身の骨が軋み、気力も体力も根こそぎ奪われたような感覚に陥っていた。

 モモイは歯が砕けるほど食いしばり、全身の筋繊維を限界まで駆動させて耐える。

 

(夜王キサキ……。この人が、吉原の頂点に君臨する力ってわけ……!?)

 

 その戦いを見て、ケイは思わず驚嘆の声を漏らした。

 

「凄いですね……。あの夜王を相手に、十秒ももつなんて。これは面白くなってきました。頑張ってくださいね、柄にもなく応援したくなってきましたよ」

 

「舐めるんじゃないよ……アリスモドキ!!」

 

 モモイは脂汗を流しながら捻り出すように声を出した。

 

「十秒どころか、天寿全うしてやるもんね……! 孫に囲まれて穏やかに死んでやるんだよ、この野郎……!!」

 

「貴様の天寿など、とうに尽きておるわ。この吉原に──この夜王に逆らった時からな」

 

 ──キサキが大傘にさらに力を込めた。地面にヒビが入り、モモイの体の中からミシミシという嫌な音が聞こえてくる。

 骨が軋む、筋肉が悲鳴を上げる。指一本、毛穴一つ分でも力を抜けば、一瞬で押し潰される。

 

「っ……すっ、あああああ!!」

 

 気合一閃。モモイは足元の床板を力任せに踏み抜いた。舞い上がった床板がキサキの視界を遮り、キサキはそれを片手で払う。その一瞬、わずかに圧力が緩んだ。

 

 モモイはその隙を逃さず、木刀をキサキの胴体へと薙ぎ払う。──しかし、キサキは軽やかに跳躍してこれを回避。着地と同時に、地面を粉砕するほどの蹴りを見舞った。

 床を転がりながら間一髪で避けるが、キサキの追撃は止まらない。

 

「くっ……!」

 

 壁際に追い詰められるモモイ。キサキの大傘が、壁や床を粘土細工のように破壊していく。

 

(呼吸すら……瞬きする間もない……っ! 一撃で、体と心を引き剥がされる……!)

 

 キサキの放った鋭い突き。モモイは倒れ込むようにしてそれを躱すが、キサキは突き刺した大傘に体重を乗せて反転。そのままモモイの胸元へ飛び蹴りを放った。

 木刀を盾にして防ぐ──が、衝撃は殺しきれない。モモイは地面を何度もバウンドし、奥の壁に激突した。

 

「あ……がはっ……」

 

 崩れ落ちるモモイ。──そこへキサキが肉薄し、モモイの顔面を鷲掴みにして再び壁に叩きつけた。

 

「ぐ、おぁぁあ……っ!」

 

「モモイさん!!」

 

 ココナの叫びが虚しく響く。ケイは冷めた瞳でその様子を眺めていた。

 

「あーあ、もう終わりですか。つまらないですね」

 

 震える両手でキサキの腕を掴むが、鉄の枷のように微動だにしない。

 

「フフフ……。でかい口を叩くだけのことはあるようじゃな。……あくまで、ミレニアムの中でだけの話だがの。所詮、天人から自分の学園すら守れなかった貴様らに、我が鎖を断ち切ることなど、叶うはずもなかったのじゃ」

 

 キサキはモモイの顔を至近距離で覗き込み、邪悪に目を細めた。

 

「獅子は縄張り争いに負ければ、縄張りと共に、己が保有するメスも明け渡すものじゃ」

 

「う……ぅ……」

 

「わかるか!? 貴様ら弱き生徒には、居場所も、その手で誰かを抱きしめる権利もありはしないのじゃ! 妾のように強者と手を組まぬ侍など、全てを奪われて当然よ」

 

 キサキの指がモモイの頭蓋を砕かんばかりに食い込む。

 

「そう。この街も、生徒たちも、シュンも。全てはこの夜王のもの。奴らは妾の鎖に繋がれた飼い犬じゃ。どこにも逃げられはせぬわ! そして貴様ら負け犬に、これを止める権利などない! 悪いのは、何も守ることができなかった貴様ら弱者なのじゃからなぁ!!」

 

 吐き捨てるキサキに対し、モモイは痛みと屈辱に歯を食いしばりながらキサキを睨みつける。

 

「負け犬は負け犬らしく、指をくわえて見ておればいい。この国が、生徒たちが! 我ら強者に蹂躙される様をなぁ! 先に逝った仲間たちと、あの世でな!!」

 

「……負けてなんか、いないよ」

 

 ──モモイの掠れた声。

 

「私たちは──今も戦ってる。……私は、まだ、負けてない……っ!!」

 

 モモイは、懐に隠し持っていた『ユウカのボールペン』を、全力でキサキの右目へと突き刺した。

 

「っ、ぐっ……貴様っ!?」

 

 腕が緩んだ隙に、モモイは残った全霊の力を込めてキサキの腹部を蹴り飛ばした。しかし──それが限界。モモイはそのまま崩れ落ち、壁に寄りかかるようにして座り込む。

 

「モモイさん!!」

 

「──来ないで!!」

 

 鋭い制止の声が反響した。

 

「ぇ……と」

 

「何やってんの……。さっさと、行って!」

 

 顔半分が血に染まり、焦点も定まらない。それでもモモイはココナに叫んだ。

 

「お姉ちゃんを連れて、ここから早く逃げるの……いいから行け!」

 

「い、嫌だ! モモイさんを置いて、私たちだけで逃げ出すなんて、そんなこと絶対にできません! こんなことに巻き込んでおいて……!」

 

 キサキは、右目に深々と刺さったボールペンを乱暴に引き抜き、床に捨てた。眼孔からは血が流れ、その顔は鬼気迫る怒りに支配されいる。

 

「巻き込んだ? ……勝手に、首を突っ込んだの間違いでしょ」

 

 途切れ途切れにモモイは言葉を紡ぐ。

 

「行って……。貴女たち姉妹に何かあったら……私たちが、ここまで何をしに来たのか……分からなくなるでしょ」

 

「嫌だ……そんなの、絶対に嫌です! 私は役に立たないけど、でも、最後まで一緒にいます!」

 

「ココナ、あんた──」

 

「血なんか関係ない! 私を泥棒から足を洗わせてくれた! まともな生活をさせてくれた! 独りぼっちだった私と一緒にいてくれた!!」

 

 ココナは涙ながらに叫んだ。

 

「短い時間だったけど、ミレニアムにいたあの時は、本当に楽しかったんです。……シュン姉さんと何も変わらない。モモイさんは……私にとって、大切な家族なんです!! そんな家族を、こんな所に捨てていけって言うんですか!? 見殺しにしろって言うんですか!?」

 

 モモイはその言葉を聞き、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。そして──今までに見たこともないほど優しく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。

 

「……それが聞けただけで、私はもう、十分だよ」

 

 モモイはココナを安心させるように小さく手を振った。

 

「……行って。私を、また負け犬にさせないでよ」

 

 

 ──言葉が終わるよりも早く、キサキの怒りの蹴りがモモイの顔面を捉えた。壁が完全に崩壊し、凄まじい土煙がモモイの体を覆い隠す。崩れ落ちた瓦礫の下で、モモイはピクリとも動かなくなっていた。

 

「モ……モ、モ──モモイさぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」

 

 ココナの悲痛な叫びが、常夜の城に虚しく響き渡ったのだった。

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