ブルーアーカイブ─吉原炎上篇─   作:いちごミルク

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モモイが銀さん適性が高い気がする……というより主人公適性が高い……


第十一話『寝物語は信じるな』

 夜王キサキは冷徹な眼差しで動かなくなった才羽モモイを見下ろしていた。その右目からはボールペンによって穿たれた傷から一筋の血が伝い、少女の色白な頬に赤い道を作っている。

 

「哀れな娘よ……。学園も友人も、守るべきものさえ失い、最後は他人のものを守って死んでいくとはな。己の剣に、それほどまでに意味が欲しいか? だが、そんな剣では何も守ることなどできはせん。己の命すらな」

 

 キサキの言葉は、冷たい風のように廊下を吹き抜けた。手すりを掴むココナの手に熱い涙がポトリと落ちる。

 

「モモイ……さん……っ!」

 

 絶望がココナを支配しようとしたその時──背後で壁に寄りかかっていたケイが口を開いた。

 

「泣いているヒマはないんじゃないんですか? 女が己の命を賭した最後の頼み。こいつは聞いてやった方がいいんじゃないかと思いますけどね」

 

 ──私をまた、負け犬にさせないでよ。

 

 モモイが最後に遺した、あの強がりで、けれど切実な願い。その言葉がココナの胸の奥で火を灯した。ココナはぐっと拳を握りしめ、溢れる涙を自らの前腕で乱暴に拭う。

 そして前だけを見据え、力強く走り始めた。

 

「無駄な真似を」

 

 キサキの嘲笑を背中に浴びながら、ココナは開かれた扉の奥のシュンの元へと飛び込んだ。

 

 

* * *

 

 

「シュン姉さん! 今すぐここから逃げましょう! 私と一緒に、ここから……!」

 

 ココナはシュンの細い手を取り必死に引いた。しかし、シュンは動こうとしない。その場に座り込んだまま、悲しげに首を振るだけ。

 

「私は逃げられない……。ここから逃げることは、できないのよ、ココナちゃん……」

 

「な、何言ってるんですか! 今更そんな……っ!」

 

 ──ココナはシュンが単に気圧されているだけではないことに気がついた。彼女は、縋り付くようにしてシュンの豪華な着物の裾を捲る。

 

「こ、れ……っ」

 

 そこにあったのは──無惨に切り裂かれた傷跡。アキレス腱を切られた痕があった。

 

「言ったはずじゃ。吉原もシュンも、全てが妾の物。地上に飛び立とうにも、ここには空などない。ましてや、飛ぶための翼など──とうの昔にちぎれておるわ」

 

 二度と自らの力で立つことも、歩くことも、逃げ出すこともできないように。キサキは、吉原の『太陽』であるシュンを、自分だけの檻に繋ぎ止めるために、その自由を物理的に奪い去っていたのだ。

 

「もうどこへも行けはせん。妾の元から飛び立つことなど、できはせんのだよ」

 

「女を繋ぎ止めるために、足まで奪いましたか。趣味が悪い」

 

「酷い……酷すぎます! シュン姉さんが、一体何をしたって言うんですか……! なんで、なんでシュン姉さんだけがこんな目に遭わなくちゃいけないんですか……っ!」

 

 ココナの叫びに、シュンは優しく微笑み、その頭を撫でた。

 

「……いいんですよ、ココナちゃん。もう十分、貴女は私を救ってくれたわ。こうして貴女に一目会えた。それだけで私は幸せだから。……その思い出があれば、私はどこでだって生きていける。だから、私に構わず早く行きなさい。生きて、ココナちゃん。貴女は私の……吉原の、最後の希望なんだから」

 

 ──シュンだけは自由に。それこそが、地獄に囚われた遊女たちの、そしてシュンの。たった一つの祈りだった。

 

「フフフッ。五ヶ月前と同じじゃな。希望を託し、童を地上に逃がす女。全く同じ構図よ。……ただ、一つだけ違うのは、今回の童は逃げられぬ、ということじゃ」

 

 キサキは床に突き刺さっていた大傘を、ゆっくりと引き抜いた。

 

「ままごとは終わりじゃ。薄汚れた遊女が、姉などになれるわけもない! お前は姉になどなれない。それを今、証明してやろう。……その童を、妾の手で殺してな」

 

「やれやれ。ここまでお熱とは。我が師匠ながらとんと呆れますよ。どうやら貴女は何一つ進歩していないようですね。……キサキ殿、貴女にとってあの女は、道具としてではなく、一人の女として必要なものらしい」

 

 ケイの言葉にキサキは自嘲気味に、そして激しい憎悪を込めて語り始めた。

 

「必要なもの? 何を抜かすかと思えば……むしろその逆じゃ。これまで妾はこの力で金も権力も女も、望むままに手に入れてきた。だが、この妾にも一つだけ、どうしても手に入れられないものがある。この夜王を以てしても、屈せざるを得ない相手。こんな地下の底にまで追い込まれた妾が、唯一手が出せぬ相手がな」

 

 キサキは自らの喉を掻きむしるように手を当てた。

 

「だが、奴はこの常闇であっても、変わらぬ姿で存在し続けておる。妾の忌々しい病……光を嫌うこの体にとって、それに当たれば死をもたらす。故に、妾にとって最も憎むべき存在! ──そう、太陽じゃ!!」

 

 キサキの声が、狂気を帯びて城内に反響した。

 

「決してその瞳は光を失わず、その魂は地に落ちぬ。その気高き姿は、まさしく忌まわしき太陽そのもの! 乾きが癒えぬのじゃ……! どれほど酒を喰らおうと、どれほど女を抱こうと、どれほど血を浴びようと! 太陽が輝き続ける限り、妾の渇きが癒えることはない!!」

「太陽を地に引きずり落とす。死を以てではなく、あの気高き魂を引きずり落とし、妾の前に跪かせ、屈服させる……。太陽を手に入れる! それ以外に、この渇きを癒す術はない! シュン、お前の全てを、この妾が手に入れてやるわ!!」

「妾の元に沈むが良い! 貴様は、妾の物じゃあ!!」

 

 夜王の叫びが廊下を震撼させた。

 しかし──帰ってきたのは絶望の沈黙ではなく、小さくとも鋼のような意志を秘めた声。

 

「……沈められるものなら、沈めてみてくださいよ」

 

「……何?」

 

「たとえ貴女が何度、太陽を沈ませようとしたって……空が晴れている限り、太陽は昇ります! 何度だってです!」

 

 そこにあったのは──自分よりも遥かに小さな体で自分よりも遥かに大きなシュンを背負い、膝をガクガクと震わせながらも立ち上がろうとするココナの姿であった。

 

「たとえ貴女が、空を厚い雲で覆ったとしても……私がそれを、真っ青に晴らしてみせます! 何度だってです! たとえ何度シュン姉さんの顔を曇らせても、私が笑顔に戻してみせます! 何度だって!!」

 

「童……っ! 貴様……!」

 

「ココナちゃん離して! 私を背負って吉原から逃げられるなんて──」

 

 シュンは必死に声を荒らげるが、ココナは歯を食いしばって一歩を踏み出す。

 

「……ギャーギャー騒いでてください! 私だって小さい頃は、そうやってシュン姉さんを困らせてきたんでしょう!? 小さい頃は姉に憧れて、大きくなれば、今度は妹が姉を背負う……それが、姉妹ってものです!」

 

 ココナの目から、大粒の涙が溢れる。けれど、その足取りは力強い。

 

「背負わせてください! 自分ばっかり、全部背負い込まないでください! 姉の一人や二人背負えますよ、妹なら! 私は今まで何も背負ってこなかった……。だから、これくらいでちょうどいいんです! この重さが、今は嬉しくてたまらないんです!!」

 

「ココナ……ちゃん……」

 

 シュンは言葉を失い、妹の背中に顔を埋めて涙を流す。キサキはその光景を腸が煮えくり返るような不快感を隠すことなく出して睨みつけた。

 

「──そいつは頼もしい話だねぇ」

 

 

* * *

 

 

 空気を切り裂く音が響いた。

 無数に投じられたクナイがキサキの足元と頭上に襲いかかる。キサキは咄嗟に身を翻し、それらを回避した。

 

 ──いつの間にか、一階の広間だけでなく、二階の回廊までもが人影で埋め尽くされていた。武器を手に取り、決死の覚悟を瞳に宿した百華の生徒たち。

 

「……ならば、背負ってもらおうか。ここにいる皆をな!」

 

 その集団の先頭に立っていたのはルミ。ボロボロになりながらもクナイを握り締めてキサキを上から見下ろしている。

 

「ここにいる四十九人……。優しい妹を持って、私たちは幸せだよ」

 

「ルミ……!」

 

 シュンが驚愕の声を上げます。ルミは親友とその妹に向かって、不敵に、そして慈しむように微笑んだ。

 

「貴様ら、何の真似じゃ! 謀反か!? この妾に、この夜王に逆らおうというのか!?」

 

「さぁてね? 私たちは何も知らないよ。ただ、悪ーいお客に引っかかっただけさ。吉原に太陽を打ち上げてやるなんて、そんな大ボラを寝物語で聞かされた。ここにいる者共も、そんなお客に騙されたクチでさぁ」

 

 ルミは瓦礫の下で倒れているモモイへと視線を向け、深々と溜息をついた。

 

「まったく……。信じて来てみれば、このザマかい。笑わせるじゃないか、偉そうなことを言っておいてさ。太陽なんて、一体どこに上がってるんだい? 貴女に期待した私が馬鹿だったよ。──この、大ボラ吹きめ!!」

 

 ルミは罵声を浴びせると同時に手にしたクナイをモモイに向かって投げつけた。

 

 ──鋭い音が鳴り響いた。

 瓦礫の中から血に染まった手が伸び、飛来したクナイを空中で完璧に受け止める。

 

「……ホラなんか吹いちゃいないよ」

 

 瓦礫を跳ね除け──モモイが立ち上がった。

 額から流れる血が目に入り片目を細めながらも、彼女はかつてないほど挑戦的な、そして晴れやかな笑顔を浮かべている。

 

「太陽なら、もう上がってるじゃん。……そこかしこに、たくさんね!」

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