ブルーアーカイブ─吉原炎上篇─   作:いちごミルク

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ついに決着です。空には光が差し込んだようです


第十四話『手を伸ばすほど遠くなる』

 地響きのような轟音が城全体を揺らした。それは崩落の予兆ではなく、この街を長い間、偽りの安らぎと真実の絶望で包み込んできた『蓋』が、ついにその重い口を開け始めた音だった。

「な……!? 何が……何が起きてるの!?」

 

 逃げ惑う遊女たち、そして他学園の生徒たちが、困惑と恐怖に突き動かされて一斉に天を仰いでいた。その視線の先で、鉛色の空が物理的に裂け、そこから一本の、あまりに強烈な『黄金の線』が走り抜けていた。

 

 ──才羽モモイはその光の中に立っていた。

 肩で息をし、全身から血を流しながらも、モモイは折れた誇りを繋ぎ合わせてキサキを真っ向から見つめる。

 

「……貴女なんかに。私たちの火は、消せやしない!」

 

 モモイの背後から、溢れ出した陽の光が濁った空気を一掃していく。逆光に照らされたモモイのシルエットは、ボロボロの制服さえも黄金の鎧を纏っているかのように見えた。

 その姿を、ルミと百華の生徒たちは、神業を目の当たりにしたかのような沈黙で見守る。

 

「貴女なんかに……この光は、消せやしないんだよ!!」

 

「こ、これは……この光は……まさかっ!?」

 

 キサキの瞳が恐怖に染まった。

 上空では、錆び付いた天井ハッチが悲鳴を上げて左右に分かたれ、積み重なっていた巨大な瓦礫が遊郭の建物へと降り注ぐ。

 

 人々がパニックに陥る中、遊女たちだけは違った。彼女たちは瓦礫の雨も構わず、ただひたすらに久しぶりに見る、そして二度と見ることは無いだろうと思っていた『本物の空』を見つめて立ち尽くしていた。

 

「こ、れは、太陽──!?」

 

 キサキの肌に陽の光が突き刺さる。血涙を流し、鼻血が飛び出てきた。血が乾いていく。肉が乾いていく。──魂が乾いていく。その痛みにキサキは苦しみ、悶えた。

 

 そして管制室。モニター越しに戦況を見つめていた四人の少女たちが、勝利を確信して叫んだ。

 

「いっけぇぇぇぇ!! お姉ちゃぁぁぁん!!」

 

「いっけぇぇぇぇ!! モモイィィィィィ!!」

 

 ミドリとユズが腹の底か、叫んだ。

 

「夜王の鎖を──」

 

「焼き切れぇぇぇ!!」

 

 アリスとココナが煌々と輝く空に拳を突き出した。

 

 その声が戦場のモモイの耳に届いたかのように──。モモイは最後の力を、木刀を握る両腕に集約させた。

 

「ウォォォォォアアアアアアアアアアア!!」

 

 踏み込みと共に放たれた一撃。木刀がキサキの腹部を貫くような衝撃を与えた瞬間──キサキの体は弾丸のように吹き飛んだ。

 キサキは幾層もの壁を突き破り──外へと打ち出された。キサキが目に入ったのは自分が否定し続けた、雲ひとつない快晴──そして無慈悲なまでに美しい、真昼の太陽だった。

 

 

* * *

 

 

 ──それは天人が襲来するよりも前のこと。

 

「ねぇねぇ、門主様。なんでこんなに晴れてるのに、傘なんて差してるの? ねえ、なんで?」

 

 幼児化の薬により幼い子供になっていたシュンが、不思議そうにキサキを見上げていた。

 キサキは大きな日傘の陰に身を潜め、寂しげに笑った。

 

「む……妾は病気でな。陽の光は浴びれんのじゃよ、シュン」

 

「可哀想……こんなに綺麗な空を眺めることもできないなんて、世界で一番損してるよ、門主様」

 

 

 ──キサキは屋根の上で仰向けになり、視力が失われゆく瞳で空を見つめ続けていた。

 天人がキヴォトスを蹂躙し、キサキの精神が壊れたあの日から、キサキは『強さ』という名の絶望に逃げ込んだ。かつての穏健な門主は消え、ただ暴力で全てを支配する『夜王』へと成り果てていた。

 誰もがキサキを恐れ、誰もがキサキを憎む──しかしシュンは変わらなかった。

 

 

「ねぇ、どうして門主様はこんな土の中に住んでいるの? そんなにお日様が嫌いなの? それとも……門主様が、お日様に嫌われちゃったの?」

 

 居間にて食事をしていたキサキにシュンは言った。

 

「何やってんだいバカ! 失礼だろうが!」

 

女中がシュンの頭を叩き、無理やり床に平伏させる。

 

「すみません門主様! ほら、行くよ!」

 

「門主様ダメだよ! お日様と喧嘩なんてしたら! 仲直りしなきゃダメなんだから!」

 

 

 小さな体から段々と力が抜けていく。呼吸も徐々に浅くなっていく。真っ赤に充血した瞳からは視力がほとんど無くなっていたが、それでもキサキは太陽を眺め続けていた。

 

 

 ──また昔。シュンは簀巻きにされて吊るされながら、何度も殴られていた。

 

「随分と精が出るな」

 

 キサキが歩み寄ると、配下の生徒が怯えながら一枚の紙を差し出す。

 

「門主様! こいつがどうしてもこれを貴女に渡すと聞かぬものですから……!」

 

 それは、クレヨンで描かれた下手くそな太陽の絵だった。紙の端には『もんしゅさまへ』と拙いひらがなで書かれている。

 

「門主様……今はそれで、我慢してね。でもいつか、きっと……私が門主様とお日様を、仲直りさせてあげるからね」

 

 キサキはその絵を無言で見つめた。そして冷酷な指先でそれを四つに破り捨てる。

 

「生徒の人権を奪い、売り物にしておる妾に媚びを売るとは。……客のあしらいを覚えたのなら、末は太夫も夢じゃなかろうて」

 

 立ち去るキサキの背中に、シュンは叫んだ。

 

「誰だって、関係ないよ! 門主様……お日様は、どんな人の上にも同じように輝くんだよ!? みんなに光を当ててくれるんだよ! 門主様の上にも、きっと……冷たくなった門主様の心を、温めてくれる光が届く。だから、門主様……お日様を、嫌いにならないでね……っ」

 

 

 屋根の上で。キサキの口角がゆっくりと上がった。

 

「……天敵よ。久しぶりに会っても、何も変わらぬな。遥か高みから、この夜王を見下ろしよって。……まったく、なんと、忌々しい……」

 

 頬を撫でる光は、かつての彼女が恐れた痛みではなく、どこか懐かしい『抱擁』のようにさえ感じられました。

 

「……だが。なんと、美しい姿よ」

 

 

* * *

 

 

 カツン、カツンと。瓦礫を踏みしめる音が響き、一人の少女がキサキの傍らに立った。──ケイ。ケイは感情の読めない瞳で、干からびていくキサキを見下ろしていた。

 

「人とは哀れなものですね。己にないものほど欲しくなる。届かぬものにほど、手を伸ばす」

 

 ケイの淡々とした声が、静寂に溶け込んだ。

 

「夜王に無いもの。それは光。……キサキ殿。貴女は太陽のせいで乾いていたんじゃない。貴女は、太陽が『無いこと』に乾いていた。誰よりも太陽を憎み、恨み、羨み──焦がれていたのです」

 

 下では自由を手に入れた遊女たちが、涙を流しながら青い空を仰いでいた。

 

「決して手に入れることのできない太陽。冷たい戦場ではなく、温かい光の下で生きること。……そして、決して消えることのない、シュン様の瞳の輝き。貴女は、それを奪うことでしか、自分を保てなかった」

 

 キサキは乾いた笑い声を漏らす。

 

「愛? 一体そんな言葉をどこで覚えてきたのじゃ、ケイ……。そんなもの、妾が持ち合わせぬのは、貴様が一番よく知っておるはずじゃ。……妾と同じ道を歩む貴様であれば、な」

 

 キサキは、震える手をゆっくりと太陽へと伸ばした。

 戦うことしか考えられなかった。愛されたいと願う代わりに、支配することを選んだ。抱きしめたいと願う代わりに、爪を立てることしかできなかった。

 

「ケイ、お前もいずれ知るかもしれぬ。……己が歩んできた道を振り返った時、そこには、何も無いということを」

 

 指先が太陽の光を掴もうとするかのように、空を掻いた。

 

「本当に欲しいものを前にしても、それを抱きしめる腕もない。引き寄せれば引き寄せるほど、爪は深く食い込み、相手を傷つける。……手を伸ばせば伸ばすほど、太陽は遠く離れていく」

 

 キサキの脳裏に再びシュンの声が響いた。

 

『お日様は、どんな人の上にも同じに輝くんだよ』

『きっと冷たくなった門主様の心も、温めてくれる光が届くから』

 

「なぜ……。お前さえも、妾を嫌う……?」

 

 キサキの瞳から光が消え始める。

 

「なぜ、お前さえも、妾を拒む……?」

 

 手の力が抜け、腕が屋根の上に力なく落ちた──。

 

「なぜ──こんなにも、焦がれているというのに。……妾は、乾いていくのじゃ……」

 

 

* * *

 

 

 視界が完全に閉ざされた。音も、温度も、痛みさえも消え去った、真の夜。キサキは、真っ暗闇の中に一人で立っていた。

 

(……死してなお、夜を行くのが夜王の運命か)

 

 自嘲気味にそう思い、一歩を踏み出そうとした──その時。キサキの背後から、全てを白く塗りつぶすほどの、眩いばかりの『光』が溢れ出した。

 

「あ……」

 

 キサキがゆっくりと目を開けると──そこには柔らかな陽だまりがあった。頬に触れるのは、温かく、柔らかな感触。

 

「シ、シュン……?」

 

 キサキは、シュンの膝の上に頭を乗せて寝転んでいた。目の前には太陽と同じ輝きを湛えた瞳で、じっと自分を見つめるシュンの姿があったのだった。

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