ブルーアーカイブ─吉原炎上篇─   作:いちごミルク

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第五話『決闘前には用を足せ』

「これはこれは、珍しいご客人で」

 

 吉原桃源郷の頂、夜王キサキの住まう城。静謐な居間には、いつものように琴の音がしめやかに流れていた。キサキは上座に座り、手元の猪口に注がれた薬酒をゆっくりと喉に流し込む。

 背後には控えの芸者が控えているのも、昨日までと変わらぬ光景。自分の隣に護衛の近衛ミナが立っているのも、いつもの光景だ。

 

 ただ一つ異質なのは──キサキの正面に座り込み、無言で、けれど凄まじい勢いで食事を貪っている少女の存在

 少女の背後には、空になったおひつが数十個、投げ捨てられた骸のように積み重なっている。

 

「春雨が第七師団団長──ケイ殿」

 

 キサキがその名を呼ぶと、少女──ケイは山盛りのご飯を最後の一粒までかき込み、ようやく箸を置いた。

 

「やはり地球のご飯は美味しいですね。キサキ殿」

 

「春雨の雷槍、と恐れられる最強の部隊『第七師団』。若くしてその頂点にまで上り詰めた貴殿が、こんな下賤な場所に何の御用ですかな?」

 

「人が悪いですよ、キサキ殿。第七師団を創設したのは貴女でしょう? 面倒くさいことを全部私に押し付けて、自分だけこんな場所で悠々自適に隠居生活なんて、ずるいですよ」

 

 キサキはフッと鼻で笑い、再び酒を煽った。

 

「人は病に伏せれば、身も心も乾く。その身を潤すは酒。心を潤すは女よ。……フフッ、一年生の主には分からぬか?」

 

「いえ、分かりますよ」

 

「ほう……。しばらく会わぬうちに、飯以外の味も覚えたか。フフフッ、酒か? 女か? 言うがよい」

 

 空のおひつを背後に放り投げ、獲物を狙う獣のような目でキサキを見据えた。

 

「それでは──シュンと一晩」

 

 その言葉に、キサキの眉尻がピクリと跳ね上がる。居間の空気が一瞬で凍りつき、ルミの体が瞬間的に震えた。

 

「もちろん手土産もありますよ。きっと彼女も喜んで、最高のサービスをしてくれるでしょう」

 

 ケイは立ち上がると、襖の奥から縛り上げていたココナを引きずり出し、部屋の真ん中へと無造作に放り投げた。

 

「うっ……!」

 

「ケイ。無礼だぞ」

 

 ミナが初めて口を開くがケイは止まらない。

 

「嫌ですか? シュンを誰かに汚されるのは。嫌ですか? この子にシュンを連れ去られるのが。嫌ですか? ──シュンと、離れるのは」

 

「少し黙るがいい、ケイ」

 

「ハハハ!」

 

 乾いた笑い声が部屋に響き渡った。

 

「病は患いたくないものですね。私は機械の体な故に、風邪すら引かない体ですが……。本当に、機械で良かったと思いますよ。あの『夜王』キサキともあろう者が、たった一人の女すらどうにもならない。遊女は地獄、生徒は天国の吉原? いや、違う。──ここはキサキ殿、貴女が貴女のためだけに作った『天国』でしょう?」

 

 ケイは一歩、また一歩とキサキの元へ歩み寄る。

 

「ケイ。黙れと言っている」

 

「誰にも相手にされない哀れな少女が、可愛い人形を自分の元に繋ぎ止めておくための、ここは巨大な牢獄だ」

 

「聞こえぬのか、ケイ……!」

 

 キサキの殺気が膨れ上がる中、ケイはそれを無視してキサキの猪口に薬酒を注いだ。

 

「酒に酔う女は絵にもなりますが──女に酔う女は見れたものではありませんね。……エロガキ」

 

 

 ──キサキの拳が、ケイの顎を真下から叩き上げた。凄まじい衝撃と轟音と共に、ケイの体は天井を突き破り、頭が梁に刺さった状態で力なく揺れる。

 頭部からどす黒い血が流れ落ち、揺れる足先からは血の滴が雨のように床を叩いていた。

 

 芸者の少女が悲鳴を上げ、ココナは声にならない恐怖に歯を鳴らす。ミナは特に動じることもなく、ただ小さく溜息をついた。

 そしてキサキは平然と、注がれたばかりの薬酒を飲み干す。

 

「貴様は妾を査定しに来たのじゃろう。気が付かぬとでも思ったか?」

 

 お盆を蹴り飛ばし、立ち上がった。

 

「上の差し金じゃろう。巨大な力を持つ吉原に恐れを抱き始めたか、小物共。──吉原に巣食うこの夜王が邪魔だ、と」

 

 キサキは羽織っていた上着を脱ぎ捨てた。露わになったのは、あまりにも小さく、薄く、貧相な体。まるで幼い子供のような肉体。しかし、その内側から溢れ出すエネルギーの奔流は、明らかに常人のそれではない。

 

「ぬしらに、この夜王が倒せるとでも?」

 

 圧倒的なカリスマ。放たれるプレッシャーだけで、ココナは過呼吸を起こし、ミナの額には冷や汗が滲む。

 

「門主様。流石に門主様も春雨と正面からやり合うのは……もう少しよく考えて──」

 

「──そいつは困りますね。それじゃあ、私のこの『乾き』はどうすればいいのですか?」

 

 ──背後。天井から抜けて落下してきたのは芸者の生徒だった。殴られたはずのケイは背後の壁に背中を預けて腕を組んでいる。

 

「女や酒じゃダメなんです。私はそんなもの要らない。そんなものでは、私の乾きは癒えやしないんですよ」

 

 ケイとキサキ。二人の怪物は顔を見合わせ同時に笑いあった。──瞬間、ケイの鋭い蹴りとキサキの剛拳が交差。キサキの頬から、一筋の血が流れる。

 

「血。修羅の血。己と同等……それ以上の剛なる者の血をもって初めて──私の魂は潤う」

 

 先程までの無表情だった仮面を脱ぎ捨てケイは狂気的な笑みを浮かべる。

 

「ククク……。反目し、殺し合ったと聞いていたが、やはり貴様は殺戮兵器よ。──その目は、奴とよく似ておる」

 

 かつて、夜王として君臨するキサキに唯一恭順せず、たった一人で挑んできた少女。──小鳥遊ホシノ。

 三日三晩にわたる死闘。決着がつかなかったのも、あれほど長く対峙したのもホシノが初めてだった。そして『ちょっとおトイレしたいんだけどぉ』という、ふざけた幕切れもあれが初めてであった。

 

「ケイ。貴様に、ホシノが超えられるか?」

 

「もう、とっくに超えています。先輩だ後輩だとつまらないしがらみに囚われ、自分が育てた後輩に片腕を吹き飛ばされるような脆弱な精神の持ち主に、真の強さは得られない」

 

 ケイは髪を乱暴にかき上げた。

 

「キサキ殿。貴女はホシノと似ている。どれだけ強かろうと、中身は酒と女しかない。──真の強者は、強き肉体と、強き魂を兼ね備えた者」

 

 二人の距離が爆発的な踏み込みによってゼロとなる。

 

「何者にも囚われず、強さだけを求める私に、貴女たちは勝てやしません」

 

「ククッ、ぬかせ小童が!」

 

「まっ、やめてください門主様! ケイ!」

 

 ミナの制止も虚しく二人の巨星が真っ向から激突した──。

 

 

* * *

 

 

 その頃、街外れの団子屋にてモモイ、ミドリ、ユズ、アリス、そしてルミの五人が最後の休憩を取っていた。

 

「ごめん。私がもっと早く、貴女たちを逃がしていれば……」

 

「謝る必要なんてないよ」

 

 モモイは木刀を腰に差し、ミドリは竹刀を背負い、ユズは薙刀を肩に預け、アリスは愛銃スーパーノヴァのエネルギーを充填する。

 

「行くのか?」

 

「行かなきゃ、ココナちゃんが死にます」

 

 ユズは震える声ながらもハッキリと答えた。

 

「行けば貴女たちも死ぬよ。あの殺戮兵器に、夜王の最高幹部ミナ。そしてキサキ……軍隊一つあっても足りないよ」

 

「ケイは、アリスが何とかしなきゃいけないのです」

 

「……誰のために行くの。ココナ? シュン?」

 

 ──モモイはルミの正面に立ってニカッと笑った。

 

「ちょっくら、お日さんを取り戻しに行ってくる。こんな暗がりに閉じ込められているうちに、みーんな忘れちゃった『太陽』をね。どんな場所でも、どんな境遇でも、太陽はあるんだよ。シュンでもない、誰かでもない」

「自分のお日さんがさ、雲に隠れて見えなくなることもよくあるけど……。それでも空を見上げてたら、必ず雲の隙間から顔を出す時がやってくる。だから私たちは、それを見失わないように、空を仰ぎ見ることをやめたらダメなんだ」

 

 背筋をちゃんと伸ばして、お天道様を真っ直ぐ見て生きていかないといけないの──。モモイの言葉に同調するようにミドリ、ユズ、アリスもルミの前に並び立つ。

 

「しみったれた顔をした人たちに言っといてよ。──空を見とけ、って。あの鉛色の汚い空に、私たちがバカでかいお日さんを打ち上げてやる、ってね!」

 

 ルミは呆れたように肩を揺らし、フッと笑った。

 

「……悪いけど、断るよ。私も、一緒に行くから」

 

「え? 吉原との戦いに、吉原の人間を連れていくわけにはいかないよ。ルミ、裏切り者になっちゃうよ?」

 

「言ったはずだよ。私が守るのはシュンだ。吉原に忠誠を誓ったことなんて、一度もない。……ココナを見殺しにする方が、私にとってはよほどの裏切りだね。それに……私も人に頼るばかりじゃなく、自分で探してみる気になったんだ。──自分のお日さんってやつをね」

 

 モモイは「やれやれ」と溜息をつきながら首を振る。

 

「帰るところが無くなっても、知らないよ?」

 

「大丈夫だよ。だって貴女たちが、この吉原を叩き潰してくれるんでしょ?」

 

 

* * *

 

 

 ──城の最上階。キサキとケイの戦いは、既に人間の理解を越えた領域へと加速していた。

 壁を突き破り、空中へと飛び出した二人の影。キサキの怒涛の連撃を捌き、最小限の動きで回避する。そして放たれるケイのカウンターの蹴り──それをキサキは笑いながら腕で防いだ。

 

 互いの拳が正面衝突。二人は大きくバク宙し、瓦を蹴り飛ばしながら急接近。互いの頬を拳が撃ち抜き、屋根を粉砕しながら停止した。

 

「よしてください! ケイも門主様も! 貴女の目的は他にあるのでしょう、ケイ──!」

 

 仲裁に入ろうとしたミナ──ケイは無造作にミナの脳天へカカト落としを放った。ミナは屋根を突き破って埋まり、首から上だけが出ている無惨な状態に。

 

「引っ込んでいてください。今、楽しいところなんですよ。邪魔をすると……殺しますよ?」

 

「っ、ケイ……!」

 

 キサキは首を鳴らしながら立ち上がった。──瞬間、砂煙を切り裂いて、ケイの飛び蹴りが顔面に迫る。

 顔面を抉る衝撃。ケイ──そしてキサキは不敵に笑っていた。キサキはケイの脛に鋭い指先を突き刺し、ガードしながらもその肉を抉り取っていた。

 

「アハハハッ!」

 

 笑いながらケイがキサキの首を両脚で挟み込み、脳天を砕こうと両拳を振り上げるが、その前にキサキがケイの顔面を掴み、瓦の上に叩きつけた。

 ケイは即座に足を伸ばし、キサキの顔面を足裏で踏みつけ、ギリギリと力を込める。

 

「流石は夜王キサキ。かつて監獄星の頂点に立った少女。おいそれと下克上、というわけにはいかないようですね」

 

「下克上? 笑わせるな。ケイ、貴様に上も下もあるまい。あるのは強いか弱いか、ただそれだけじゃろ。弱き者には意にも介さんが、強き者がたとえ誰であろうと──師である妾であっても、貴様は牙を剥く」

 

「それが殺戮兵器というものですよ。こんな土の中に安住し、酒と女に溺れるうちに、その血まで乾いてしまいましたか? 今の貴女に勝っても、面白くありません。思い出してください。己の中に流れる、修羅の血を」

 

 キサキはケイの顔面を掴んだまま、力任せに持ち上げた。

 

「黙れ」

 

「貴女の居場所は、こんな所ではない」

 

「黙れと言っている……!」

 

「貴女の居場所は──」

 

 ──言い終わる前に、キサキはケイを城の堅牢な壁へと投げ飛ばした。

 凄まじい音と共に瓦礫が崩れ、砂煙が舞い上がる。その中から──ケイは衣服を乱し、けれど最高に愉悦に満ちた顔で歩いてきた。

 

「そう、私たちの居場所は──『戦場』ですよ」

 

 ケイは狂おしい歓喜を浮かべて駆け出し、キサキは燃え盛るような怒りのままに地を蹴り出した。

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