四月の諏訪は、まだ少し冷たい風が吹く。
山に囲まれたこの町では、春が来るのが少し遅い。
それでも桜だけは律儀に咲く。
俺――**書本護(かきもと まもる)**は、その桜並木の下を自転車で走っていた。
高校一年の春。
入学してまだ三日目。
正直に言えば、学校は好きじゃなかった。
理由は簡単。
みんなと見えるものが、他の人達と少し違うから。
……いや、昔ほどじゃない。
俺の家系は代々、怪異や妖を祓う祓い屋だったらしいがもうその力はほとんど残っていない。
祖父の代で廃業だ。
親父は言っていた。
「今の時代に祓い屋なんていらない」
まあ…その通りだろう。
俺だって幽霊がはっきり見えるわけじゃない。
ただ普通の人間が見えないものが少しだけ分かる。
……例えば、髪の色とか。
その日…俺は桜の下で一人の女子を見た。
風が吹く。
花びらが舞う。
その真ん中に立っていた。
制服姿の女子。
まだ新品の高校の制服だ。
そして――
髪が緑だった。
普通ならそんなはずはない。
染めたような緑でもない。
もっと自然な色。
まるで春の山のような色だった。
俺は思わず自転車を止めた。
「……なあ」
声をかける。
その女子は振り向いた。
「あ、はい?」
普通の声。普通の顔。
だけど――
背後に何かいる。
いや、二つ。
一つは、長い髪の女。
もう一つは、小さな少女。
俺は眉をひそめた。
(……見間違い?)
俺の力は弱い。
昔の祓い屋みたいにはっきり見えるわけじゃない。
だけど、いる気配だけは分かる。
すると背後の長髪の女が言った。
「ほう」
声は聞こえない。
なのになぜか意味が分かった。
「この子、見えてるな」
ぞくっと背筋が冷えた。
少女の方が言う。
「珍しいねぇ。まだいるんだねぇ…」
俺は一歩下がった。
女子が首を傾げる。
「どうしました?」
普通だ。
完全に普通の反応だ。
俺は聞いた。
「……お前」
女子は瞬きをする。
「はい?」
俺は少しだけ迷った。
そして言った。
「髪、緑なんだな」
その瞬間だった。
女子の目が丸くなった。
「……え?」
風が止まった。
桜が落ちる。
背後の二人が、同時にこちらを見る。
「……見えてる」
少女が小さく笑った。
「ほんとだ」
長髪の女も笑う。
「面白い」
女子はしばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「……分かるんですか?」
俺は肩をすくめた。
「…少しだけ」
女子は少し困った顔をしてから、ぺこりと頭を下げた。
「はじめまして」
「私は――」
風がまた吹いた。
桜が舞う。
「東風谷早苗(こちや さなえ)です」
俺は言った。
「書本護」
そして、なんとなく分かった。
この出会いは――
普通じゃ終わらない。
その時、遠くで鐘が鳴った。
諏訪湖の方から、妙に冷たい風が吹いてくる。
背後の少女がぽつりと言った。
「ねえ、早苗」
「この町、怪談が多いよ」
長髪の女が笑う。
「ちょうどいい」
「巫女の修行にはな」
俺は聞こえないふりをした。
だけど、分かっていた。
俺は奇跡のような出会いをした。
そして俺はまだ知らなかった。
目の前のこの女子が…東風谷早苗がいつかこの世界から消えることを。