五月の諏訪は、昼と夜の境目が曖昧だった。
昼間は初夏の匂いがする。
校庭の端に植えられた木々は青く風はまだ柔らかい。
けれど夕方になると山に囲まれた町は急に静かになる。
空気が沈む。
湖の方から冷えた風が流れてきて人の声も遠くなる。
その日の放課後も教室にはそんな静けさが差し込み始めていた。
「聞いたか?」
書本護は、机に頬杖をついたまま顔を上げた。
隣の席の男子が、妙に楽しそうな顔をしている。
「二年の人ら、また肝試しやったらしいぞ」
「また?」
「最近流行ってるらしい。墓場のとこ。山の中腹の」
俺は小さく眉を寄せた。
諏訪には、妙に“そういう場所”が多い。
昔からの祠。道祖神。廃れた社。誰も管理していない墓地。
古いものが古いまま残り続けている土地だ。
「でも今回は結構ヤバかったらしい」
「ヤバい?」
「舌でべろんって舐められたみたいな感触がしたとか、転ばされたとか。階段から落ちた奴もいるって」
俺は曖昧に相槌を打った。
怪談話としてはありがちだった。
だが、妙に引っかかる。
舌。
転倒。
山の墓地。
「頼むから早苗に言うなよ……」
ぼそりと呟いたが、時すでに遅かった。
「何を言ってはいけないんです?」
後ろから、妙に澄んだ声が飛んできた。
振り返ると、東風谷早苗 が立っていた。
窓から差し込む夕陽が、彼女の緑色の髪を透かしている。
俺は嫌な予感しかしなかった。
「……聞いてたのか」
「肝試しの話ですよね!」
早苗の目が妙に輝いていた。
「最近そういう話、多いんですよ。絶対何かありますって!」
「ただの高校生の悪ノリだ」
「でも“舌で舐められた感覚”って変じゃないですか?しかも複数人が同じことを言ってるんですよ?」
俺はため息をついた。
こうなると止まらない。
変な話、不可解な話、“境界”の匂いがする話を放っておけない。
それが善意から来ていることも俺は知っていた。
だから余計に困る。
「話、聞きに行きましょう!」
「え、今から?」
「今からです!」
俺は天井を見上げた。
逃げられない。
☆☆☆☆☆☆☆
少年少女移動中
二年生の教室はまだ何人か残っていた。
部活前なのか騒がしい。
早苗は物怖じせず、その中の一人に近付いた。
「すみません、肝試しの話を聞きたくて」
「あ? 一年?」
男子生徒は少し意外そうに二人を見る。
「興味あるの?」
「まぁ少し、あります」
俺が先に答えた。
だがその横で、早苗が口を開く。
「私は現人神なので――」
俺は反射的に彼女の口を塞いだ。
「んぐっ」
「あぁ気にしないでください」
「……?」
先輩は困惑していた。
早苗は護の手をぺしぺし叩きながら抗議する。
俺は内心で頭を抱えた。
違う。
彼女が変な人間だと思われるのが嫌だった。
東風谷早苗は真面目だ。
真面目すぎるくらい真面目だ。
だからこそ“本当のこと”を平気で言う。
それを誰かに笑われるのは見たくなかった。
「場所だけ教えてください」
「ああ……山の墓地。古い階段あるとこ」
先輩は少し真顔になった。
「でもやめとけよ。マジで変だったから」
「どんな風に?」
「背後で笑い声したり、急に転んだり。あと……」
男子生徒は腕をさすった。
「ぬるって、首舐められた」
教室の空気が少しだけ冷えた気がした。
☆
その夜。
二人は山道を制服姿で歩いていた。
街灯は少ない。
木々が風で揺れるたび、闇が形を変える。
墓地は山の中腹にあった。
古い石段。
苔むした墓石。
湿った土の匂い。
「来なきゃよかった」
俺が呟く。
「でも気になりますよね?」
「お前は楽しそうだな」
「少しだけ」
早苗は懐中電灯を揺らしながら歩いていた。
その時
ぬるりと何かが護の頬を舐めた。
「っ!?」
反射的に振り向く。
誰もいない。
だが次の瞬間、背後から笑い声がした。
「うらめしやー!」
ばたん、と大きな音。
目の前に、巨大な舌のついた傘が現れた。
青い髪の少女が、それを抱えて笑っている。
「驚いた!?」
俺は即座に札を取り出した。
早苗も一歩前へ出る。
少女は目を丸くした。
「えっ、祓い屋!?私を退治する系!?」
☆
数分後。
少女――多々良小傘 は墓石の横に座り込み、しょんぼりしていた。
「痛かった……」
「自業自得です」
早苗は腕を組む。
小傘は頬を膨らませた。
「だって最近うるさいんだもん。墓場で騒ぐし、粗相するし!」
「粗相?」
「お墓にジュースかけたり、お菓子散らかしたり!」
俺は顔をしかめた。
それは確かに酷い。
「だから驚かせて追い払ってたのか」
「そーそー。せっかく力あるうちにいっぱい驚かせたいし!」
小傘は笑った。
その笑顔は子供みたいだった。
「でもあいつら何回も来るだろ…」
「来る!」
「無駄じゃないか」
すると小傘は、なぜか楽しそうに笑った。
「無駄こそ美しいんだよ」
風が吹いた。
墓地の草木が揺れる。
「予定通りの人生なんて、悪夢みたいなもんじゃん?」
俺は少し黙った。
その言葉は、妙に耳に残った。
早苗も静かに小傘を見る。
彼女は人を傷付けたかったわけではない。
ただ、“驚かせたかった”だけなのだ。
それが妖怪としての在り方だから。
「……人を殺さない程度なら」
俺が言う。
「まあ、いいんじゃないか…?」
「本当!?」
「ただし怪我はさせるな」
「善処します!」
「絶対しないとは言わないんですね……」
早苗が苦笑した。
小傘は立ち上がる。
「じゃあまたね!」
傘がくるりと回る。
青い髪が夜風に揺れた。
やがて彼女は闇の奥へ消えていく。
そして誰もいなくなった墓地で、小傘はぽつりと呟いた。
「……でもさ」
風に溶けそうな小さな声。
「本当は…もうあんまり力残ってないんだよね」
空を見上げる。
現代の空は明るい。明るすぎる…。
昔よりずっと。
「この世界、だんだん私のこと忘れてる気がする」
傘の目玉だけが、静かに揺れていた。
☆☆☆☆☆☆
翌朝。
教室。
窓から五月の風が吹き込んでいる。
早苗は机に身を乗り出した。
「今日は何か話題ありますか!」
俺は教科書を開きながら答える。
「ない……!!」
「えー」
不満そうな声。
だがその顔は、どこか楽しそうだった。
護は小さくため息をつく。
たぶんまた何か起きるだろう。
この町では。
この少女と一緒にいれば
多々良小傘、出演しました。
東方Projectに登場する唐傘の付喪神(つくもがみ)です。弾幕シューティングゲーム『東方星蓮船』の2面ボスとして初登場しました。
元々はただの忘れ傘だったがナスのようと言われる程不気味な紫色をしていたため不人気で誰にも拾われず雨風に飛ばされているうちに妖怪になったもの。
本人曰く「心を食べる妖怪」。人を驚かし、それで腹を満たすタイプの妖怪らしい。
だが幻想郷の非常識に慣れた人間は誰も驚いてくれず、驚かし方も下手な為、空腹で嘆いている事が多い。
特徴を挙げるのなら
驚かすのが下手:人を驚かせることを生きがいにしていますが、いつも失敗します。
子供に大人気:驚かせようとしても、デザインが奇妙で可愛らしいため、逆に子供たちから親しまれています。
実は鍛冶職人:『東方神霊廟』では、一本だたら(鍛冶の妖怪)の系譜として、鍛冶の技術を披露しています。
意外な頑丈さ:彼女の持つ傘は非常に頑丈で、強力な攻撃を防ぐ盾としても機能します
そんな小傘ですが今回この物語に登場させました。
この世界にいる神仏妖仙霊の隣人達は徐々にそしてゆるやかに力を落とし幻想へ滲み始めています。
それでも尚、誰かの目に止まってくれたらいいなと考えこういう形で多々良小傘に出演してもらいました。