風の祝が奇跡を運んでくれることを   作:ミスブルー

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早苗がごはんを振る舞います。


早苗の料理

夕暮れの諏訪は山の輪郭から先に暗くなる。

 

校舎を出た頃にはまだ空に青が残っていたのに坂を上がり住宅街を抜け、神社へ続く石段の前に立つ頃には空は群青に沈み始めていた。

 

石段の途中に吊るされた古い街灯がまだ頼りない橙色を灯している。

その下で、東風谷早苗は両手を腰に当てていた。

 

「遅いですよ、護君」

 

「まだ五分前だろ」

 

「神社基準では十分遅刻です」

 

「なんだその基準」

 

呆れながら石段を上ると早苗はふふんと妙に得意げな顔をした。

制服の袖を少し捲りどこか浮ついた様子でこちらを見ている。

いつもより機嫌がいい。

 

「……何かあったのか」

 

「今日の私は少し違います」

 

「抽象的だな」

 

「なんとですね」

 

早苗は胸を張った。

 

「夕飯を作りました」

 

俺は一瞬だけ黙った。

山の方で、ひぐらしが鳴いていた。

 

 

俺は慎重に言葉を選ぶ。

 

「お前、料理するんだな」

 

「失礼ですね。できますよ普通に」

 

「普通、ねえ」

 

「その疑いの目をやめてください」

 

早苗はむっとした顔をしたあと、少しだけ得意げに笑った。

 

「今日は長野っぽいものを色々作ったんです。神奈子様たちも待ってますよ」

 

その名前が出た瞬間、俺は軽く肩を落とした。

 

「……いるのか」

 

「います」

 

「帰っていいか」

 

「だめです」

 

即答だった。

結局そのまま連行されるように石段を上がり、境内へ入る。

 

夕闇の中の神社は静かだった。

 

拝殿の奥から、味噌と出汁の匂いが漂ってくる。

 

古い木造の廊下を歩くと、障子の向こうから声が聞こえた。

 

「あ、来た来た」

 

軽い声。

 

続いて、

 

「遅かったな、護」

 

低くよく通る声。

 

障子を開けると、そこにはすでに食卓が出来上がっていた。

 

卓袱台の上に並ぶ湯気。

 

味噌の香り。

 

焼かれた魚。

 

山菜。

 

土鍋。

 

そして当然のように座っている二柱。

洩矢諏訪子は座布団の上で胡坐をかきながら既に箸を持っていた。

八坂神奈子は湯飲みを片手に、いかにも待ちくたびれたという顔をしている。

 

「遅いぞ高校生」

 

「俺のせいじゃないでしょう」

 

「まあ座れ座れ」

 

諏訪子が空いている場所を叩く。

俺は小さくため息をつき、卓袱台の前に座った。

 

その瞬間、意外だった。

ちゃんと美味そうだった。

 

「……」

俺の視線に気づいたのか、早苗が少し得意そうに言う。

 

「どうです?」

 

「いや……思ったより」

 

「だから何でみんな失礼なんですか!?」

 

「だって早苗だし」

 

諏訪子が真顔で言った。

 

「諏訪子様まで!?」

 

神奈子が笑う。

 

「まあ見た目は悪くない。問題は味だな」

 

「その評価基準やめてください!」

 

早苗は頬を膨らませながら土鍋の蓋を開けた。

湯気が立つ。

 

「今日はきのこ鍋です。あと、山賊焼きと、野沢菜、それから——」

 

「おやきもある!」

 

諏訪子が嬉しそうに声を上げた。

 

「それ私好きなんですよね」

 

「諏訪子様、三つ食べましたよね?」

 

「ばれた?」

 

「ばれます」

 

俺は箸を取り、まず鍋を口に運んだ。

 

出汁の味が静かに広がる。

 

きのこの香りが強い。

 

塩気は控えめだが、薄いわけではない。

 

「あ」

 

思わず声が出た。

早苗がこちらを見る。

 

「どうですか」

 

「……美味い」

 

「でしょう!」

 

急に誇らしげになる。

その様子が妙に子供っぽくて、俺は少し笑いそうになった。

神奈子も鍋を口に運び、

 

「うん。悪くないな」

と頷く。

 

「味が安定してる」

 

「へへ」

 

 

「レシピ通り感はすごいが」

 

「……」

 

早苗の動きが止まる。

俺は察した。

 

「図星か」

 

「……ちゃんと計りました」

 

「だろうな」

 

「料理は科学です」

 

「理系の発想なんだよなあ」

 

諏訪子がけらけら笑う。

 

「でも早苗らしいよね。『少々』とか絶対嫌いでしょ」

 

「嫌いです」

 

即答だった。

 

「大さじ一杯は大さじ一杯であるべきです」

 

「こわ」

 

「感覚で入れるの危なくないですか?」

 

「お前は実験してるのか料理してるのかどっちなんだ」

 

だが、その神経質な正確さのおかげか料理の味は確かに整っていた。

山賊焼きも衣が軽い。

 

野沢菜の塩気もちょうどいい。

 

俺はふと早苗の手元を見た。

取り皿を配り、空いた湯呑みに気づき鍋の火加減を調整し誰の皿が減っているか見ている。

 

妙に慣れている。

 

「……」

 

「なんです?」

 

「いや」

 

俺は少し迷ってから言った。

 

「早苗はちゃんとしてるんだな」

 

「どういう意味ですかそれ」

 

「もっとこう……勢いで生きてるタイプかと」

 

「失礼ですね!?」

 

神奈子が笑う。

 

「いや、わかるぞ」

 

「神奈子様!?」

 

「早苗は案外面倒見がいいからな」

 

その言葉に、早苗は一瞬だけ黙った。

それから少し視線を逸らし、

 

「……神社ですから」

と、小さく言った。

 

外では風が鳴っていた。

 

山の夜風だ。

障子がわずかに揺れる。

 

古い神社の木の匂いと、味噌汁の湯気が混ざる。

諏訪子がおやきを頬張りながら、

 

「こういうの、たまにはいいねえ」

と言った。

 

神奈子も珍しく穏やかな顔をしていた。

 

護はその光景を見て少し不思議に思った。

 

神様と高校生が同じ卓を囲んでいる。

騒がしくて妙に温かくてどこか現実感が薄い。

 

けれど…

 

早苗が「味どうですか」と何度も聞いてきて諏訪子がおやきを奪って神奈子が酒を探し始めているこの空間は…たぶん、思っていたよりずっと普通の夕飯だった。

 

 

そしてその普通さが俺には心地よかった

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