風の祝が奇跡を運んでくれることを   作:ミスブルー

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第四章 迎えを待つもの

紙は完全に裂けていた。

 

雨に濡れた和紙は力なく垂れ下がっている。

 

俺はしばらくそれを見つめていた。

 

祖父から受け継いだ紙術。

 

初めて使った。

 

そして初めて壊れた。

 

「大丈夫ですか?」

 

早苗が尋ねる。

 

「紙か?」

 

「護くんです」

 

思わず苦笑する。

こういうところは変わらない。

 

「平気だよ」

 

そう答えながらも頭の中では別のことを考えていた。

 

見られていた。

 

あれは間違いない。

過去の記録ではなかった。

 

もし本当に過去ならこちらを見るはずがない。

気付くはずもない。

 

だが…あの白い服の女は確かに俺達を見ていた。

 

「護くん」

 

「何だ」

 

「少し歩きませんか」

 

早苗は湖畔を見ていた。

 

雨は相変わらず強い。

 

だが先ほどよりは少しだけ落ち着いている。

 

「何かあるのか」

 

「分かりません」

 

早苗は正直に言った。

 

「でも」

少し迷うように続ける。

「何となくです」

 

その言葉に俺は頷いた。

 

今まで何度もあった。

 

東風谷早苗の「何となく」

 

そして大抵の場合、その感覚は当たる。

 

二人は湖畔を歩き始めた。

 

母には駐車場で待ってもらっている。

 

もちろん危険な場所へは行かない。

 

その約束は守ることを条件に。

 

雨に濡れた遊歩道。

 

人影はない観光客もいない。

聞こえるのは雨音と波音だけだ。

しばらく歩いた時に早苗が足を止めた。

 

「……あれ」

 

湖畔の端。

 

草むらの向こうに何かが見えた。

俺も近付く。

 

そこにあったのは小さな石碑だった。

 

「こんな所に…?」

 

苔むしているな。

かなり古いようだ。

普段なら気付かない場所だった。

雨で草が倒れたことで見えたのかもしれない。

文字もほとんど読めない。

 

でも一部だけは残っていた。

 

『迎え』

 

それだけだった。

 

「迎え?」

 

早苗が首を傾げる。

 

「墓…?じゃないな」

 

俺も周囲を見る。

 

供物の跡もない。

 

祠でもないようだ。

神社でもない。

 

中途半端な場所だった。

まるで何かの目印のような。

 

その時だった。

 

風が吹いた。

雨が横殴りになる。

そして早苗の表情が変わった。

 

「護くん」

 

声が低い。

真面目な時の声だ。

 

「います」

 

俺も気付いていた。

 

だから何も聞かなかった。

 

ただ振り返る。

 

誰もいないはずの遊歩道。

 

その先の雨の向こう側だ。

 

白い人影が立っていた。

 

一人だけ。

 

傘はない。

長い髪。

紙に映った女と同じ姿。

 

だが今度は遠くない。

 

二十メートルほど先だ。

 

はっきり見える。

 

「……」

女は何も言わない。

 

湖を見ている。

 

俺は息を呑む。

 

怖い。

 

けど不思議と敵意は感じない。

 

襲ってくる気配もないようだ。

むしろ何かを待っているように見えた。

 

その時、早苗が一歩前へ出た。

 

「あなたは誰ですか」

 

雨音の中。

女はゆっくり振り返る。

 

 

顔は若い。

目だけが妙に古かった。

何十年も何百年も雨を見続けてきたような目だった。

 

女は初めて口を開いた。

 

「まだ」

 

声は小さい。

雨に溶けそうなほど小さい。

 

「まだ来ていない」

 

俺と早苗は顔を見合わせた。

 

「誰がですか」

 

早苗が聞く。

 

女は答える。

「迎えの人が」

 

その瞬間。

護は石碑を見る。

そこに刻まれていた言葉。

 

『迎え』

偶然ではない。

 

繋がっている。

 

女は再び湖を見る。

まるで独り言のように呟いた。

 

「みんな待っている」

 

雨が強くなってきた。

 

波が揺れる。

 

「今年も」

 

その言葉と同時に湖の向こう。

 

無数の白い人影が浮かび上がった。

 

一人ではないし十人でもない。

 

何百人。

 

静かに湖を見つめていた。

 

そして誰もが。

 

同じものを待っていた。

 

 

迎えを

 

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