風の祝が奇跡を運んでくれることを   作:ミスブルー

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第五章 雨の日の約束

雨はやまない。

 

 

灰色の空は湖と繋がっているように見えた。

 

 

湖畔に立つ早苗と俺。

その先には無数の白い人影だ。

 

誰も騒がない。

誰も歩かない。

 

ただ待っている。

 

「……」

俺は言葉を失っていた。

これまで怪異は見てきた。

 

祓い屋の家に生まれた以上、避けられない。

だがこんな怪異は知らない。

 

敵意がなければ害意もない。

でも異様だった。

 

「迎えの人」

 

早苗が呟く。

白い女は頷いた。

 

「来るはずだった」

 

その声は雨音に紛れそうなほど小さい。

 

「みんな待っている」

 

女は再び湖を見た。

その横顔はどこか寂しそうだった。

 

「ずっと」

 

俺の背筋を冷たいものが走る。

 

ずっと…。

 

その言葉が妙に重かった。

 

「いつからだ」

 

思わず聞いていた。

女は少し考えるように目を伏せる。

 

「忘れた」

 

答えはそれだけだった。

 

「百年かもしれない」

 

雨が降る。

 

「もっと前かもしれない…」

 

そう言った時だった。

 

早苗がふと空を見上げた。

 

「??神奈子様?」

 

俺には見えていない。

 

きっと神社にいて早苗に呼びかけたのだろう。

 

早苗は少し黙った。

 

何かを聞いている。

そして驚いたように目を見開いた。

「……え?」

今度は別の方向を見る。

 

「諏訪子様まで?」

 

さらに沈黙。

 

俺は待った。

急かさない。

 

こういう時の早苗は本当に神様と話している。

 

それくらいは分かる。

 

やがて早苗が振り返った。

 

「護くん」

 

表情が少し固い。

 

「神奈子様達、知っていました」

 

俺は頷く。

予想通りだった。

 

「最初から?」

 

「はい」

 

そして少し困ったような顔になる。

 

「でも詳しくは覚えていないそうです」

 

「覚えてない?」

 

今度は俺が驚く番だった。

 

神様だ。

 

人間とは違う。

 

何百年も生きている存在だ。

 

「そんなことあるのか」

 

早苗は静かに頷いた。

 

「神様は全てを覚えているわけじゃないんです」

 

雨が降り湖が揺れる。

 

「人間が忘れたものは、神様も少しずつ忘れていきます」

 

俺は言葉を失った。

 

「信仰と似ています」

 

早苗は湖を見た。

 

「誰も語らなくなった昔話は消えます」

 

白い人影達を見る。

 

「誰も覚えていない約束も消えます」

 

雨音だけが聞こえる。

 

「だから神奈子様達も覚えていないんです」

 

そこまで言って早苗は少しだけ悲しそうに笑った。

 

「ただ…」

 

「ただ?」

 

「待っていた人達がいたことだけは覚えているそうです」

 

その時だった。

 

風が強く吹いた。

 

雨が強くなる。

 

視界が白く染まる。

 

俺は見た。

湖の向こうに人影達のさらに奥。

 

何かがいる。

 

巨大だった。

 

白い。

 

でも人ではない。

 

それは舟だった。

 

あり得ないほど大きな木造の舟。

 

湖面の上に立っている。

 

霧の中に、雨の中に。

 

ぼんやりと浮かんでいる。

 

「護くん!」

 

早苗の声。

 

「見えてますか!?」

 

「ああ!」

 

間違いない。

 

見えている。

 

その瞬間湖畔の白い人影達が一斉に顔を上げた。

 

 

初めて動いた。

 

待ち続けていた者達が同じ方向を見た。

 

舟を…。

 

白い女が呟く。

 

「来た」

 

俺と早苗は息を呑む。

 

「迎えが」

 

だが女の表情が変わった。

 

歓喜ではなければ安堵でもない。

 

困惑だった。

 

「違う」

 

女が一歩後ろへ下がる。

 

「違う」

 

二歩。

 

「これは違う」

 

湖の上の巨大な舟。

 

その輪郭が雨の中でゆっくりと崩れ始めていた。

 

まるで本物ではないかのように。

 

俺の懐の中に裂けたはずの雨写しの紙が勝手に震え始めていた。

 

まるで何かを警告するように。

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