風の祝が奇跡を運んでくれることを   作:ミスブルー

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第六章 偽物の迎え

 

「違う」

 

白い女はそう言った。

 

雨の向こう。

 

湖上に浮かぶ巨大な舟を見ながら。

 

「違う」

 

その声は震えていた。

 

待ち続けた者がようやく願いを叶えられた時の声ではない。

 

恐れている声だった。

 

 

 

護の懐で何かが震えた。

 

裂けたはずの雨写し。

 

二つに裂けた紙がまるで生き物のように震えている。

 

びり、と。

 

小さな音がした。

 

「護くん」

 

早苗も気付いていた。

 

「その紙……」

 

「ああ」

 

護は裂けた紙を取り出した。

 

普通なら術は終わっている。

 

紙術は紙そのものが媒体だ。

 

破れれば終わる。

 

祖父もそう言っていた。

 

だが今は違った。

 

裂けた紙の断面から。

 

黒い文字が滲み出している。

 

まるで墨が溢れているようだった。

 

 

 

『迎えに非ず』

 

 

 

俺は目を見開く。

 

早苗も息を呑んだ。

 

 

 

『迎えに非ず』

 

 

 

同じ文字が何度も浮かぶ。

 

消える。

 

また浮かぶ。

 

 

 

まるで警告だった。

 

 

 

「偽物か」

 

護は呟く。

 

その瞬間だった。

 

湖上の舟が揺れた。

 

波ではない。

 

舟そのものが歪んでいる。

 

木で出来ているはずなのに。

 

輪郭が崩れる。

 

煙のように。

 

影のように。

 

 

 

「護くん」

 

早苗が小さく言った。

 

「あの舟」

 

「あぁ…」

 

 

 

見えていた。

 

 

舟の周囲に。

 

黒いものがいる。

 

 

 

最初は雨かと思った。

 

違う。

 

人影だ。

 

黒い人影。

 

何十。

 

何百。

 

数えられないほど舟に張り付いている。

白い人影とは正反対だった。

 

「何ですか、あれ……」

 

早苗も知らないらしい。

 

俺も知らない。

でも知っている感覚があった。

 

 

嫌な怪異を前にした時の感覚。

 

「見るなよ」

 

俺は言った。

 

「え?」

 

「目を合わせるな」

 

 

早苗はすぐ従った。

 

舟がまた揺れる。

 

その時だった。

 

黒い人影の一つがこちらを向いた。

 

距離は遠い。

 

普通なら顔など見えないのに見えた。

 

口だけが異様に大きかった。

 

 

そして笑っていた。

 

 

俺は反射的にポケットへ手を入れる。

 

紙が数枚。

 

いつものヒトガタではない。

 

ただの白紙。

祖父が残したものだった。

 

「護くん?」

 

 

早苗が驚く。

 

俺は紙を一枚取り出した。

 

折る。

さらに折る。

素早く。

 

紙は舟になった。

 

 

掌に乗るほど小さな紙舟だ。

 

 

「それは…」

 

「蔵にあった」

 

俺自身も使うのは初めてだった。

 

名前すら知らないけど、でも今なら分かる。

 

雨写しが教えている。

 

「行け」

 

俺は紙舟を湖へ流した。

 

雨の湖面。

 

普通なら沈む。

 

しかし紙舟は沈まなかった。

 

 

すっと一直線に進む。

 

偽の舟へ向かって。

 

「……」

 

早苗が見守る。

 

白い人影達も見ている。

 

白い女も見ている。

 

やがて紙舟が黒い舟へ辿り着く。

 

 

次の瞬間に火が灯った。

 

紙舟から青白い火が上がる。

 

炎ではない灯火だった。

 

偽の舟の正体をその光が照らした。

 

「っ!」

 

早苗が息を呑む。

舟ではない。

 

最初から舟など存在しなかったんだ。

 

黒い人影達が集まり積み重なって舟の形を作っていただけだった。

 

何百もの影。

何百もの未練。

何百もの忘れられた思い。

それらが集まり迎えを待つ者達を騙そうとしていた。

 

「護くん」

 

早苗が呟く。

 

「これ……」

 

俺は答えた。

 

「あぁ…これは迎えなんかじゃない」

 

雨が強くなる。

 

「迎えを待つ気持ちに寄ってきた怪異だったんだ」

 

その瞬間偽の舟が。

 

ゆっくりと二人へ顔を向けた。

 

気付かれた。

そして初めて。

 

怪異はこちらを見て笑った。

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