雨は少しだけ弱くなっていた。
それでも空は暗い。
湖の向こうは相変わらず霧に覆われている。
白い人影達は動かないし黒い偽の舟も消えてはいない。
でもこちらを見ている。
じっと待つように。
観察するように。
俺は懐の紙舟を見た。
青白い光が揺れている。
灯火だ。
蔵で見た古い記録の中に似た絵があった気がする。
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『道を失った記録は灯を頼りに帰る』
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そんな一文だった。
当時は意味が分からなかった。
今も半分しか分からない。
だがこの紙舟は何かを示している。
「行ってみるか」
早苗が頷く。
「はい」
二人は湖畔を歩き始めた。
紙舟の光は一定ではない。
時々強くなったり時々弱くもなる。
まるで何かを探しているみたいだった。
途中で早苗が小さく声を上げた。
「あっ」
「どうした」
「諏訪子様が笑ってます」
神社にいるあの2人は何を思っているのか…。
「嫌な予感しかしないな」
「神奈子様もです」
「もっと嫌だな」
早苗は少し困ったような顔をした。
「何か思い出しそうなんだそうです」
俺は足を止めた。
「思い出しそう?」
「はい」
早苗は空を見る。
「でも届かないって」
その言葉に俺は妙な引っ掛かりを覚えた。
届かない。
それはまるで記録が途中で切れているみたいだった。
「……記録か」
「護くん?」
「神様も忘れてるんじゃない」
早苗が目を瞬く。
「忘れてるんじゃなくて…」
紙舟を見る。
「きっと途中が無いんだ」
雨が降る。
「本が破れてるのと同じだ」
神様ですら思い出せない。
なら記憶が消えたんじゃない。
どこかに置き去りにされたのかもしれない。
その時だった。
紙舟の光が強くなった。
湖畔の端。
今まで気付かなかった場所。
倒れた柳の木、その根元だった。
「ここか」
俺はしゃがみ込む。
雨で地面が崩れている。
土の中から何かが見えていた。
箱だった。
古い木箱だ。
相当昔のものらしい。
早苗も息を呑む。
「こんな所に……」
俺は慎重に土を払った。
箱に鍵はない。
蓋には文字が彫られていた。
『迎えの日まで』
俺と早苗は顔を見合わせる。
間違いない、これだ。
俺はゆっくり蓋を開く。
中に入っていたのは紙だった。
たった一枚、折り畳まれた和紙。
雨に濡れないよう丁寧に包まれている。
俺は震える指でそれを開いた。
文字は掠れていた。
でもまだ読める。
『もし私達が帰らなかったら』
早苗が息を呑む。
俺は続きを読む。
『湖の向こうで待つ人達へ』
風が吹く。
『迎えに行けなかったことを許してほしい』
雨音と風だけが響いた。
『必ず迎えに行くと約束したのに』
『果たせなかった』
『だからーーー』
そこで文章は途切れていた。
紙が破れている。
まるでそこだけ意図的に失われたように。
「……また途中だ」
俺が呟く。
早苗は黙っていた。
その時遠くの湖面で黒い舟が大きく揺れた。
怒ったように
怯えたように。
白い女が初めて涙を流した。
「思い出した」
彼女は静かに言う。
「私達は待っていたんじゃない」
そして湖の向こうを見る。
「待たせていたんだ…」
その瞬間、黒い舟から低い唸り声のようなものが響いた。
真実に近付いているのを怪異はそれを嫌がっているのが俺達には分かった。