百点の点数
初めての中間テスト
六月。
梅雨入りしたばかりの諏訪の空は朝から薄い雲に覆われていた。
雨が降るほどではないが湿った風が校舎の窓から入り込み教室の空気を少し重たくしている。
高校生になって二か月。
ようやく新しい生活にも慣れてきた頃。
そして――。
「終わった……」
俺は机に突っ伏した。
「数学は苦手だな……」
前の席から振り向いた東風谷早苗が小さく首を傾げる。
「まだ一日目ですよ?」
「十分だ。あと四日あるんだぞ?。高校ってこんなにテストするのか……」
「中学校より大変です。」
「早苗は平然としてるな。」
「理科は好きですから。」
「理科だけだろ」
「失礼ですね」
早苗は少し頬を膨らませた。
「数学も嫌いではありません。」
「嫌いじゃない?」
「ええ」
「好きなのか?」
「好きです」
「……」
「なんです?」
「やっぱり理系なんだな早苗」
「前にも言いましたよ?」
そう言って笑う。
俺には理解できない。
公式なんて呪文みたいなものだ。
それを好きと言える神経が。
「護くんは?」
「赤点さえ取らなきゃいいかな」
「それは目標が低すぎます」
「現実的と言おう」
「向上心を持ちましょう」
そんな他愛もない話をしていると昼休みを告げるチャイムが鳴った。
周囲では…
「数学死んだ!」
「英語無理!」
「赤点確定!」
などという悲鳴が飛び交っている。
高校生らしい六月だ。
昼休み。
教室の中は騒がしく次の科目の教科書を開く者もいれば既に諦めたように机に突っ伏している者もいる。
「護くん、次は英語ですよ?」
「分かってるよ」
「単語帳は?」
「ない、忘れた」
「……」
「顔が怖いぞ」
「呆れているんですよ…」
俺は追い出されるように教室を出て一年生の教室棟の廊下の窓際に移動した。
早苗も後ろからついてくる。
「ここなら静かですね」
「確かにな」
六月の湿った風が窓から入り込み校庭の木々を揺らしていた。
遠くから運動部の掛け声が聞こえる。
テスト期間中らしい、どこか落ち着かない昼休み。
その時。
階段の方から数人の話し声が聞こえてきた。
どうやら二年生らしい。
「なあ」
「ん?」
「今回のテスト、知らない女子いたよな?」
「え?」
「おかっぱの子…」
「いたっけ?」
「いや……いたような……」
「誰だよ」
「二年の誰かじゃね?」
「見たことないぞ」
「俺も」
「…じゃあ…気のせいか」
笑いながら、二年生達は下の階へ降りていった。
「……」
「……」
早苗と俺は、ほぼ同時に顔を見合わせた
「護くん。」
早苗が小声で言った。
「聞きましたか?」
「ああ…」
「変ですね」
「何が?」
「知らない生徒が試験を受けていた、なんて」
「転校生かもしれないぞ」
「でも……」
早苗は窓の外を見た。
「『いたような気がする』という言い方でした」
「……」
「なんだか曖昧でした」
確かに。
いた。
いや、いなかった。
見た。
いや、見ていない。
そんな言い方だったな。
「気にしすぎじゃないか?」
「そうでしょうか」
「テスト疲れだろう」
「そうならいいのですが」
早苗は少しだけ不安そうな顔をした。
その時だった。
廊下から女子生徒達の声が聞こえる。
「ねえ、聞いた?」
「なに?」
「二年の家庭科室の包丁、一本足りないんだって」
「えぇ?」
「また?」
「またって?」
「去年もなくなったらしいよ。」
「怖っ!」
「誰か持って帰ったんじゃない?」
笑い声。
冗談半分の会話。
「……また?」
俺は思わず呟いた。
早苗も真顔になっていた。
「護くん」
「……」
「嫌な話ですね」
「……」
「家庭科室、知らない女子…テスト期間。そして『また』か」
窓の外で雨粒が落ちた。
まだ小さな雨。
けれど祖父の言葉を思い出す。
――怪異というのは、曖昧な噂に棲みつく。
――誰かが「いた」と言い。
――誰かが「いなかった」と言う。
――そうして境界がぼやけた時。
――向こう側のものは、こちらへ顔を出す。
「……まさか」
俺は小さく呟いた。
「護くん?」
「いやなんでもない」
この時の俺達は知らなかった。
初めての高校の中間テスト。
その裏で二年生の三番目の女子トイレに。
『百点の花子さん』
そう呼ばれる怪異が今年もまた現れていたことを