風の祝が奇跡を運んでくれることを   作:ミスブルー

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御柱の影

四月の終わり。

山の空気は、まだ少し冷たい。

昼休みの校庭で、俺――書本護は自販機の前に立っていた。

炭酸のボタンを押す。

ガコン、と缶が落ちる。 

 

「書本くん」

振り向くと、東風谷早苗が立っていた。

 

今日も制服姿。

そして俺にだけ分かる緑色の髪。

この学校で、その色を知っているのは俺だけだ。

「また怪談か?」

俺は缶を開けながら聞いた。

早苗は少し困った顔をした。

 

「いえ……今日は」

 

「神社です」

 

俺は眉を上げた。

 

「諏訪大社?」

 

早苗はうなずいた。

「はい」

そして、少しだけ真面目な顔をする。

 

「来てもらえますか」

 

「なにかあるのか」

 

早苗は少し迷ってから言った。

「柱です」

 

放課後。

 

自転車で山の方へ向かう。

諏訪の町は、少し走ればすぐ森になる。

坂道を登ると、空気が変わる。

冷たい。

そして、静かだ。

やがて見えてきた。

 

諏訪大社。

鳥居の向こうは深い森。

杉の木が空を覆っている。

 

 

早苗は鳥居の前で止まった。

「ここです」

 

俺は自転車を降りた。

境内を見上げる。

その時、気づいた。

 

「……でかいな」

 

早苗がうなずく。

境内の端に立っている。

巨大な木の柱。

まるで山からそのまま引き抜いてきたような丸太。

高さは十メートル以上ある。

早苗が言った。

 

「御柱です」

 

俺は知っていた。

諏訪の有名な祭り。

御柱祭。

山から大木を切り出し、神社に建てる。

危険な祭りとしてニュースにもなる。

早苗は柱を見上げていた。

 

「神様の柱です」

 

俺は腕を組む。

 

「それが怪談か?」

 

早苗は首を振った。

 

「違います」

 

「影です」

 

風が吹いた。

杉の葉がざわざわ鳴る。

その時だった。

柱の影が揺れた。

いや。

影が一つ多い。

俺は目を細めた。

柱は四本ある。

でも影は――

五つ。

 

「……見えるか」

 

俺が言うと、早苗は小さくうなずいた。

 

「はい」

俺はポケットに手を入れた。

 

ヒトガタ。

今日は五枚持ってきている。

 

「神様の柱に怪異か」

 

早苗は言った。

「違います」

そして小さく言う。

「神様の残り香です」

 

その瞬間。

空気が少し変わった。

冷たい風が吹く。

柱の影が、ゆっくり動いた。

まるでそこから誰かが立ち上がるみたいに。

俺は思わず言った。

 

「……出るぞ」

 

影が伸びる。

人の形になる。

顔はない。

でも大きい。

三メートルはある。

 

早苗が息をのむ。

「昔の……」

俺はヒトガタを取り出す。

「神様か?」

 

早苗は答えた。

「たぶん…信仰を失った神様」

 

影が一歩動いた。

地面が少し揺れる。

柱の影から離れようとしている。

その時だった。

風が強く吹く。

杉の葉が激しく揺れた。

そして。

俺の背後で声がした。

 

「ほう」

聞き慣れた声。

振り向かなくても分かる。

八坂神奈子。

「ついに出たか」

もう一つの声。

「懐かしい気配だね」

洩矢諏訪子。

 

俺は振り返った。

「お前ら」

 

諏訪子は柱を見上げている。

「昔の神様だね」

神奈子が言う。

「御柱は、神を呼ぶ」

「そして」

諏訪子が笑った。

「忘れられた神も呼ぶ」

影が動く。

地面に黒い波紋が広がる。

 

早苗が前に出た。

「……私がやります」

 

神奈子が笑う。

「いいだろう」

諏訪子が言う。

「修行だー」

 

俺は言った。

「いや無理だろ」

 

あの影は今までの怪談とは違う。

明らかに格が違う。

早苗は柱を見上げていた。

夕日が森を赤く染めている。

その中で、緑の髪が揺れる。

 

「奇跡は」

早苗が言った。

「大きくなくてもいいんです」

そして手を合わせた。

 

「ほんの少し届けば」

 

風が吹く。

杉の葉が落ちる。

その葉が一枚、影に触れた。

影が揺れる。

ほんの少しだけ。

その瞬間。

俺は動いた。

ヒトガタを握る。

祖父の言葉。

祓う意思。

紙を投げる。

ヒトガタが影に触れる。

 

ばさり。

 

でも影は消えない。

逆に膨らんだ。

 

「……だめか」

神奈子が言った。

 

 

「当たり前だ!」

 

 

「神だぞ〜」

と諏訪子が笑う。

「まあでも弱ってるねぇ」

 

影が一歩近づいた。

地面の砂利が震える。

早苗が俺を見た。

 

「書本くん」

 

「なんだ!」

 

「もう一回」

 

俺は言った。

 

「何を」

 

早苗は小さく笑った。

「共同作業です」

 

風が止まった。

森が静かになる。

柱の影が揺れる。

俺はヒトガタを握り直した。

そして思った。

 

この神様はきっと――

 

まだ終わっていない。

 

御柱の影の中で何かが目を覚まそうとしている。

 

御柱の影

御柱の影は、ゆっくりと形を変えていた。

柱の足元から立ち上がる黒い影。

それは人の形をしているが人ではない。

巨大だった。

三メートル、いやそれ以上あるかもしれない。

杉林の夕暮れの中で、その影だけが濃く揺れている。

 

俺――書本護はヒトガタを握りしめていた。

さっき投げた一枚は、影の中で燃えるように消えた。

でも消えなかった。

「やっぱり神か」

俺が言うと、

背後で八坂神奈子が笑った。

「弱っているとはいえな」

 

その隣で洩矢諏訪子が腕を組む。

「昔はもっとでかかったよ」

 

影が一歩、前に出る。

地面の砂利が震えた。

 

神奈子が言った。

「御柱はな」

「神を呼ぶ柱だ」

 

諏訪子が続ける。

「信仰があれば神は強くなる」

その目が少し細くなる。

「でも、忘れられると神は影になるんだ」

早苗は静かに聞いていた。

そして言う。

「……この神様は忘れられてしまったんですね」

 

神奈子がうなずく。

「そうだ昔この地にいた神だろう。信仰が消えて柱に残った」

諏訪子が笑う。

「つまり幽霊神」

 

影がもう一歩近づいた。

地面がわずかに沈む。

俺はヒトガタを取り出した。

 

残り三枚。

「……どうする」

早苗は柱を見ていた。

巨大な御柱。

神様を呼ぶ柱。

その影の中に神がいる。

 

早苗が言う。

「追い払うんじゃなく帰ってもらいます」

俺は眉をひそめた。

「帰る?」

早苗は小さくうなずいた。

「神様は消えるものじゃないです」

その言葉に、神奈子が少し笑った。

「らしいな」

諏訪子も頷く。

「巫女っぽい」

 

影が腕を上げる。

黒い霧のような腕。

空気が歪む。

俺は思わず叫んだ。

「早苗!」

 

その瞬間だった。

早苗が両手を合わせる。

「……お願いします…!」

 

風が吹く。

強くはない。

でも。

風向きが変わった。

杉の葉が一斉に揺れる。

その葉が、影に触れる。

影が揺れた。

ほんの少しだけ。

俺はその瞬間を逃さなかった。

ヒトガタを投げる。

紙が空中で広がる。

影に触れる。

一枚目。

影が揺れる。

二枚目。

黒い霧が裂ける。

影が叫んだ。

声はない。

でも確かに聞こえた。

悲鳴。

三枚目を握る。

その時だった。

影が急に動いた。

腕が伸びる。

早苗の方へ。

俺は叫んだ。

 

「危ない!」

 

影の腕が早苗に触れる。

その瞬間。

ぱんっ

小さな音。

早苗の胸ポケットから紙が飛び出した。

ヒトガタ。

朝、何気なく渡した一枚。

それが真っ二つに裂けた。

影の腕が消える。

早苗はその場に立っていた。

無傷だった。

俺は息を吐いた。

 

「……身代わり」

 

早苗が破れた紙を見つめる。

 

「守ってくれました」

影は弱っていた。

黒い霧が崩れている。

早苗が前に出る。

御柱に手を触れる。

夕日が森を赤く染める。

緑の髪が光る。

「あなたは」

早苗が静かに言う。

「ここにいていい神様じゃない」

 

風が吹く。

 

御柱の上で杉の葉が揺れる。

 

「帰ってください」

 

影が揺れた。

消えかけている。

その時だった。

早苗の周りの空気が少し変わった。

光でもない。

音でもない。

ただ。

空気が優しくなった。

諏訪子が小さく言う。

 

「……あ」

 

神奈子が腕を組む。

 

「奇跡か」

 

影が崩れる。

黒い霧が風に溶ける。

そして。

御柱の影が、元の四つに戻った。

森が静かになった。

風も止まる。

夕日だけが残っていた。

俺はその場に座り込んだ。

 

「……終わったか」

 

早苗も少し疲れた顔をしている。

 

でも笑っていた。

「はい」

神奈子が言う。

「うまくやったな」

諏訪子も笑う。

「現人神の卵」

 

早苗は首を振る。

「まだまだです」

俺は破れたヒトガタを拾った。

早苗を守った紙。

それを見ながら言う。

「……紙三枚高い怪談だった」

早苗が少し笑う。

「ごめんなさい」

俺は肩をすくめた。

 

 

「早苗が助かったならいいんだ」

 

森の外へ歩く。

諏訪の町の灯りが遠くに見える。

その途中で、早苗が言った。

 

「書本くん」

 

「ん?」

 

「もし」

 

少しだけ言葉を探す。

 

「もし、私が遠くに行くことがあったら」

 

俺は言った。

「修学旅行か?」

 

早苗は笑った。

「もっと遠くです」

 

俺は少し考えた。

そして答えた。

「その時は怪談の続きは誰がやるんだよ」

 

早苗は少し驚いて、それから笑った。

「そうですね」

 

夜の空に星が出ていた。

諏訪の町は静かだ。

 

でも俺は思う。

この町にはまだ神様がいて怪談もあって妖もいる。

 

 

そして。

 

いつか。

 

この子は、ここを離れる。

 

まだ先の話だ。

でもその時まで。

 

俺たちはきっと――

この非日常を追いかけている。

 

この町で

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