翌日、学校が終わる頃には教室の外まで夏の熱気が流れ込んでいた。
梅雨はまだ明けていない。
それでも昨日より空は明るく蝉の鳴き声も少しずつ増えている。
終礼が終わると俺は鞄を持って廊下へ出る。
約束の場所は校門前。
少し待っていると昇降口から早苗が小走りでやって来た。
「お待たせしました護くん」
「俺も今来たところだ」
「それじゃ行きましょうか」
「ああ」
二人で駅前を抜け末広商店街へ向かう。
近付くにつれて人通りが増え始め屋台の香ばしい匂いが風に乗って流れてきた。
「もういい匂いがしますね」
「焼きもろこしかな」
「五平餅かもしれません」
そんな話をしているうちに商店街の入口へ辿り着いた。
色鮮やかな七夕飾りが道いっぱいに吊るされ風が吹くたびに揺れている。
赤 青 黄色 緑 桃色。
大きな吹き流しが何本も空から垂れ下がり商店街全体が七夕色に染まっていた。
「すごい……」
早苗が思わず立ち止まる。
「神社とはまた違いますね」
「ああそうだな」
神社は静かに願いを迎える場所だった。
けれどここは違う。
子ども達の笑い声に店員の呼び込み。
焼きそばの焼く音。
祭囃子だ。
全部が混ざり合って夏が始まったことを教えてくれていた。
「行きましょう護くん」
早苗が少し嬉しそうに歩き出す。
普段より少しだけ歩幅が大きい。
今日を楽しみにしていたことが伝わってきた。
屋台が並ぶ通りへ入ると子ども達が金魚すくいへ集まっている。
隣では綿あめを持った親子が笑いながら歩いていた。
「護くん見てください」
早苗が指差した先では色鮮やかな風鈴が風に揺れている。
ちりんと優しい音が夏の空気へ溶けていった。
「綺麗ですね」
「ああ」
しばらく立ち止まって眺めていると店のおじさんが笑顔で声を掛けてきた。
「一つどうだい」
早苗は少しだけ困ったように笑う。
「今日は見るだけで」
「そうか。また来てくれよ」
二人で軽く頭を下げその場を後にした。
歩いているだけなのに楽しい。
そんな空気が商店街全体に流れていた。
「何か食べますか」
早苗が尋ねる。
「せっかくだし何か食べよう」
「それじゃまずは五平餅にしましょう」
「やっぱりそこか」
「長野ですからね」
嬉しそうに笑う。
屋台へ向かうと香ばしい味噌の匂いが鼻をくすぐった。
焼き立ての五平餅を一本ずつ受け取る。
「いただきます」
「いただきます」
俺と早苗の声が重なり一口食べる。
甘辛い味噌が香ばしく焼けていて思わず頬が緩んだ。
「美味しいですね」
「美味いな」
早苗は満足そうに頷きながらゆっくり味わっている。
「神社のお祭りでも五平餅を出したら人気が出そうだな」
「神奈子さまが全部食べてしまいそうです」
思わず吹き出した。
「酒の肴にされそうだ」
「諏訪子さまも負けませんよ」
二人で笑いながら歩き始める。
その時だった。
「おーい!」
聞き覚えのある元気な声が商店街へ響いた。
「あっ」
店先を見ると頭の傘を揺らしながら大きく手を振っている妖怪がいた。
「本当に来たよ!」
多々良小傘だった。
店の前には金物や包丁、鍋などが並び祭りということもあって普段より賑わっている。
「こんにちは小傘さん」
早苗が笑顔で挨拶する。
「こんにちは早苗ちゃん!」
小傘は嬉しそうに笑ってから俺を見る。
「祓い屋、無事約束守ったね偉いねー!」
「祭りを教えてくれたからな」
「どう?楽しんでる?」
「あぁ、楽しいよ」
「まだ始まったばかりですけどとても賑やかですね」
早苗が答えると小傘は満足そうに頷いた。
「この祭りは今年で最後だからね」
その一言に三人は少しだけ商店街を見渡した。
色鮮やかな七夕飾り。
笑顔で歩く人達。
屋台から立ち上る湯気。
この景色も今年で見納めになる。
そう思うと今まで以上に大切な時間に思えた。
「二人とも今日はいっぱい楽しんでね」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
小傘へ手を振ると再び人混みの中へ歩き出す。
夕方が近付くにつれて商店街にはさらに人が増え始めていた。
七夕飾りが風に揺れる。
夏祭りの笑い声が響く。
守矢神社とは違うもう一つの七夕が二人を優しく迎えてくれていた。
歩行者天国になった通りは子どもから大人までたくさんの人で賑わっている。
頭上には色鮮やかな七夕飾りが風に揺れ商店街全体がまるで一つの大きな天の川のようだった。
「すごい人ですね…」
早苗は辺りを見回しながら楽しそうに笑う。
「思ってた以上だ」
「小さい頃に来たことはありましたけど高校生になってからは久しぶりです」
「俺もこんなにゆっくり歩くのは久しぶりだ」
二人並んで歩いているだけなのに不思議と時間がゆっくり流れているような気がした。
祭りの空気にはそんな力があるのかもしれない。
しばらく歩くと子ども達の歓声が聞こえてくる。
「金魚すくいですよ」
早苗が足を止めた。
大きな水槽の周りには小さな子ども達が集まり夢中でポイを動かしている。
「あっ逃げたー!」
「もう一回!」
そんな元気な声があちこちから聞こえてきた。
「懐かしいですね」
「早苗もやったことあるのか」
「ありますよ。でも全然取れませんでしたね」
少し照れたように笑う。
「護くんはどうですか」
「昔一度だけ祖父と行ったことがあるよ」
「取れました?」
「一匹だけな」
「それなら私より上手です」
店のおじさんがこちらへ気付いて笑顔で声を掛けてきた。
「お兄さんお姉さんもどうだい」
早苗は俺を見る。
「やってみますか…!」
「せっかくだしな」
二人でポイを受け取り水槽の前へしゃがみ込む。
水の中では赤や白の金魚が気持ちよさそうに泳いでいた。
「難しそうですね」
「慌てない方がいいらしいな」
祖父に教わったことを思い出しながらゆっくりポイを沈める。
金魚はすっと横へ逃げる。
「やっぱり難しいなぁ…」
隣では早苗が真剣な表情で水面を見つめていた。
「あっ」
小さく声を上げた瞬間。
ぽちゃんと紙が破れる。
「駄目でした…!」
「早かったな」
「思ったより難しいです」
俺も慎重に狙う。
ゆっくりと本当にゆっくりと。
一匹が紙の上へ乗った時、そのまま持ち上げる。
「取れた」
「護くん!」
早苗が嬉しそうに声を上げる。
何とか一匹だけ小さな金魚が器へ入った。
「お兄さん上手だね」
店のおじさんが笑う。
「ありがとうございます」
するとおじさんは早苗の器にも小さな金魚を一匹入れてくれた。
「今日は祭りだからサービスだ」
「えっいいんですか」
「もちろん」
早苗は少し驚いたあと嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます」
店を離れると早苗は金魚の入った袋を大事そうに持ち上げる。
「可愛いですね」
「神社で飼えるかな」
「池へ放すわけにもいきませんし水槽を用意しないとですね」
「神奈子や諏訪子は意外と面倒を見てくれそうだな」
「そうですね。私もそう思います」
思わず笑ってしまう。
二柱が金魚を眺めている姿は簡単に想像出来た。
そのまま歩いていると今度は大きな綿あめの屋台が目に入る。
真っ白な綿あめが雲みたいに並んでいる。
「護くん」
「ん?」
「綿あめも食べませんか」
「いいな」
一つ買うと早苗は少し困ったように笑った。
「思っていたより大きいですね」
「一人で食べられるか」
「たぶん……食べられると思います」
そう言いながら少しだけ千切って口へ運ぶ。
ふわっと溶けて嬉しそうに目を細めた。
「甘いです」
「祭りって感じがするな」
「はい」
綿あめを抱えたまま歩く早苗はどこか子どもの頃へ戻ったような笑顔を浮かべていた。
その笑顔を見ているだけで今日誘って良かったと思えた。
祭りはまだ始まったばかり。
頭上では七夕飾りが夕暮れの風に揺れ遠くから祭囃子が聞こえてくる。
夏はまだ始まったばかりなのにその一日一日が大切な思い出になっていくような気がした。