教室を出ると廊下の向こうから聞き慣れた声がした。
「護くん」
図書委員の仕事を終えた早苗が小走りでこちらへやって来る。
「お待たせしました」
「ちょうど良かったよ早苗」
「ちょうど良かったですか?何かあったんですか?」
俺は歩きながら今教室で起きたことを一つ残らず話した。
最初は動物霊だったこと。
十円玉が落ちた瞬間に別の存在へ変わったこと。
女子生徒へ取り憑こうとしたこと。
そしてひとまず追い払ったこと。
話を聞き終えた早苗は足を止める。
「それ……絶対に護くんに付いてくるやつじゃないですか!」
「ああ、俺もそんな予感がしてるよ」
「隙を見て誰かに取り憑くつもりだったんですよね」
「その可能性は高いな」
「しかも護くんに見られたことで標的を変えた……」
俺は静かに頷く。
「あいつは最後俺だけを見ていたからな。
よくも邪魔をしたな、みたいなことを言い残してな」
その一言で早苗の表情が引き締まる。
「でしたら決まりです護くん」
「何がだ?」
早苗は拳を軽く握り小さく笑った。
「守谷神社で妖怪退治です!」
その妙に気合いの入った宣言に思わず苦笑してしまう。
「なんだか楽しそうだな」
「……少しだけです」
照れ笑いを浮かべる早苗だったがすぐ真面目な顔へ戻る。
「でも本当に危険です。放っておく訳にはいきませんよ」
「俺も同じ考えだ」
二人は校門を出て守矢神社への坂道を歩き始めた。
夕焼けは次第に群青色へ変わり蝉の声も少しずつ遠ざかっていく。
神社へ着くと境内では神奈子と諏訪子が縁側に腰掛けていた。
「おや?」
神奈子が笑う。
「おかえり早苗、高校生。今日は二人とも難しい顔をしているじゃないか」
「神奈子様、実はですね…」
早苗は教室で起きた出来事を説明した。
話を聞き終えた諏訪子は腕を組む。
「なるほどねぇ」
神奈子は俺を見る。
「どうするよ、高校生」
「退治します」
迷いはなかった。
「あいつは人間を狙っていた」
「それで見える人間に標的を変えた…か。
なら止めるしかないな」
神奈子は満足そうに頷いた。
「早苗の提案通り、守谷神社使っておくれ。
でも今回私たちは手を出さない」
諏訪子も笑う。
「お手並み拝見ってやつさ祓い屋。そして早苗、二人でやってみせてごらんよ」
夜の帳がゆっくりと諏訪の町を包み始める頃には守矢神社の境内には昼間とは違う静けさが広がっていた。
蝉の声も少し遠ざかり山から吹き下ろす風だけが木々を揺らしている。
神奈子と諏訪子は縁側へ腰を下ろしたままこちらを見ていた。
「さて高校生」
神奈子が腕を組みながら笑う。
「どうやって迎え撃つつもりだい?」
俺は少しだけ考え込みそれから静かに口を開いた。
「祖父の蔵で昔見た術があるんだ。それを使おうと思う」
「ほう?」
「あの時は子供だったから全部は覚えてないけど…でも人を守るための術の陣だったはず」
記憶の奥底に残る光景がゆっくりと蘇る。
古い巻物に床いっぱいに描かれた複雑な陣。
祖父が一本一本丁寧に線を引き、紙片を並べていた姿。
「あれを再現するつもりだ」
神奈子は小さく頷いた。
「全部思い出せなくても構わないさ高校生。大事なのは理屈だけじゃないよ」
諏訪子も笑う。
「分からなかったら土地の力も借りればいいよ。ここは守矢神社だからね」
早苗が一歩前へ出る。
「護くん、必要な物を集めましょう」
「ああ」
二人は神社の物置や境内を回り始めた。
掃除用に束ねられていた半紙。
墨と筆。
細い木の枝に箒。
紙を裁つための小刀。
どれも特別な物じゃない。
どこの神社にもあるごく普通の道具ばかりだ。
「祖父も言っていたな…」
俺は木の枝を手に取りながら呟く。
「術は道具が強いんじゃない。使う人間の意味が大事なんだって」
「素敵な言葉ですね」
早苗はそう微笑みながら紙を細かく裂いていく。
白い紙片が少しずつ積み重なっていく様子はどこか七夕飾りを作っていた時を思い出させた。
「護くん」
「ん?」
「この紙吹雪も使うんですよね」
「あぁ昔…祖父が使っていた術を真似してる。紙そのものじゃない。紙へ意味を持たせる」
早苗は感心したように何度も頷く。
「なるほど……」
その表情は真剣なのにどこか楽しそうだった。
「何ですか?」
「楽しそうだなと思ってな」
「少しだけですよ」
照れ笑いを浮かべた早苗は木の枝を持ち直した。
「でも護くんとこうして一緒に何かを作るのは少しだけ文化祭の準備みたいですね」
「妖怪退治の準備を文化祭と一緒にするなよ」
思わず笑ってしまった。
「ふふっ、ごめんなさい」
その笑い声を聞きながら俺は地面へ枝を立てた。
「始めよう」
枝先で砂地へ一本目の線を引く。
円、その内側へもう一つ円。
さらに方角を示す線に記憶を頼りに一本ずつ繋げていく。
早苗も反対側から同じように線を引いていく。
「ここはこの角度でした?」
「ああ、そのまま真っすぐだ。あ、ここは少し広め」
「分かりました」
二人で境内を歩き回るたび少しずつ巨大な陣が姿を現していく。
縁側では神奈子と諏訪子が腕を組んだまま静かに見守っている
その声に諏訪子も目を細める。
「全部覚えてるわけじゃなさそうだね。でも形になってるね?」
「高校生のじいさんいいものを残してくれてるじゃない」
やがて最後の一本が繋がる。
俺は細かく裂いた紙吹雪を両手いっぱいに抱え陣の中央へ静かに撒いた。
白い紙片は夜風に乗ってふわりと舞い上がり描かれた線の上へ降り積もっていく。
これで準備は整った。
あとはあの悪霊を待ち伏せるだけだ。
数時間後、境内の空気がわずかに重くなるのがわかった。
風が止み木々の葉が一斉に静まり返る。
早苗がゆっくりと石段の下へ視線を向ける。
「……護くん」
「ああ」
俺も感じていた。
教室で俺を見たあの冷たい気配。
「来ます…!」
夜の闇の中からあの冷たい視線が俺を見る。
悪霊は俺を追って守矢神社までやって来た。