風の祝が奇跡を運んでくれることを   作:ミスブルー

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祓い屋と風祝

境内へ漂う空気だけが少しずつ冷たく変わっていく。

昼間まで鳴いていた蝉はいつの間にか声を潜めて木々を揺らしていた風もぴたりと止んでいた。

静けさが辺りを包む中に俺は陣の前に立ち早苗はその少し後ろで静かに息を整える。

 

「護くん」

 

「分かってる」

 

俺は目を閉じ一度だけ深呼吸をした。

焦ることはない。

祖父が何度も口にしていた言葉を思い出す。術は力任せではない。

相手を見極めて場を整えて心を乱さないこと。

その全てが揃って初めて術は意味を持つ。

 

黒い影が止まった。

ゆっくりと顔を上げる。

白い肌と黒く染まった瞳。

口元だけが不自然に裂けるような笑みを浮かべてその悪霊は俺だけを見つめていた。

 

「……ミツケタ」

 

低く濁った声が夜の境内へ響く。

 

「ニゲナカッタ…ナ?」

 

「逃げる理由がないな」

 

俺は静かに答える。

悪霊は喉の奥で笑った。

 

「ニンゲンフゼイ」

 

「あぁ、俺はただの人間だ」

 

その瞬間、悪霊の姿が掻き消えた。

 

「護くん!」

 

早苗の声と同時に真横から冷たい気配が迫る。

俺は一歩だけ身体を引き、懐から紙人形を投げると悪霊は再び距離を取った。

 

「速いな」

 

俺は小さく呟く。

昼間とは比べ物にならない。

本気ということだ。

悪霊は陣を確認すると外をゆっくりと歩き始めた。

まるで試すように動き俺たちを観察するように動いている。

 

「入ってこないですね…」

 

早苗が小声で言う。

 

「警戒してるんだ」

 

「知能があります」

 

「動物みたいに言うな…」

 

「すみません」

 

こんな真剣な時に思わず苦笑してしまった。

早苗も苦笑しながら謝る。

 

悪霊は何度も陣の周囲を回る。

その黒い瞳は紙吹雪の一枚一枚を見つめ地面へ描かれた線を確かめているようだった。

 

「メンドウナ…」

 

「……」

 

「デモ…」

 

悪霊がゆっくりと笑う。

 

「イツマデタモテル?」

 

その言葉と同時に境内の空気が歪み始めた。

黒い靄が地面を這い陣の外側からじわじわと広がっていく。

視界が霞みまるで霧が立ち込めたように景色が揺らぐ。

 

「幻覚ですか……!?」

 

早苗が目を細める。

 

「気を付けろよ!」

 

俺は叫ぶ。

次の瞬間、黒い靄の中から幾つもの人影が現れた。

どれも悪霊と同じ白い顔をしている。

 

「分身……?」

 

いや、違うな…。

気配が微妙に薄い。

本物は一体だけだ。

 

「護くん!」

 

早苗が静かに両手を合わせる。

 

「私が奇跡で靄を散らします!」

 

 

「早苗!やれるか!」

 

「できます…!風よ、この地を清めてください!」

 

 

早苗はお祓い棒を振るい祈るような声とともに止まっていた夜風が再び境内を吹き抜ける。

木々がざわめいて紙吹雪がふわりと舞い上がった。

黒い靄は風に押されるように揺らぎ幾つもの人影が次々と掻き消えていく。

 

残ったのは一つ。

陣を睨みつける本物の悪霊だけだった。

 

「見つけた、お前だな…!」

 

俺は静かに呟く。

悪霊もまた俺を睨み返す。

夜の守矢神社に再び静寂が訪れた。

 

次に動くのは互いに一度きり。

そんな張り詰めた空気が境内全体を支配していた。

悪霊は動きを止めたまま俺と早苗を交互に見つめていた。

黒く濁った瞳には怒りとも憎しみともつかない感情が渦巻いている。

先ほどまで周囲を覆っていた黒い靄は早苗が起こした風によってすっかり吹き払われていた。

境内に残っているのは夜の静寂と陣の上に舞う無数の紙吹雪だけだ。

 

悪霊が低く笑う。

 

「ミエルニンゲンココニハイナイトオモッテイタ」

 

「そうだな、俺もそう思っていたよ。でも見えている。俺が最後じゃなかった」

 

俺は静かに答えた。

悪霊は首を傾げる。

 

「ナラオマエタチカラケシテヤル…!」

 

その瞬間、悪霊の姿が夜の闇へ溶けた。

 

来る。

そう思った時には背後から冷たい殺気が走っていた。

俺は身体を半歩だけ左へ流し、袖から退魔針を一本抜いて横へ払う。

針は夜気を裂いて飛び悪霊の腕をかすめる。

黒い煙が弾けるように散り、悪霊は再び距離を取った。

 

「コノハリハ…アヤカシノ……ニンゲンフゼイノクセニ…」

 

悪霊は腕を押さえながら俺を睨む。

 

「あぁでも人を傷つけるためじゃない」

 

俺は答える。

 

「人を守るためのものだ」

 

「ザレゴトヲ」

 

悪霊が地を蹴るように一直線に迫る。

 

速い。

でも俺は一人じゃない。

 

「護くん!」

 

早苗が一歩前へ出る。

 

「風よ、道を示してください!」

 

夜風が境内を駆け抜ける。

舞い上がった紙吹雪が一斉に悪霊の進路を包み込んでその姿を白い紙片の向こうへ隠していく。

 

「護くん!今です!」

 

「分かった!」

 

俺は陣の中心へ飛び込みその場へ片膝をつく。

 

右手を地面へ。

左手には最後まで残しておいた一枚の札だ。

これは祖父が残した道具ではない。

俺の記憶で思い出した術式を自分なりに思い出しながら書いた一枚。

 

「どうか……応えてくれよ。

我来たるは影の風、手に来たるは紙片の影、説なの腕!」

 

文言を呟きその札を陣の中心へ思い切り打ち込む。

その瞬間だった。

地面へ描かれた線が淡く光を帯びる。

 

円と円を結ぶ一本一本の線がまるで呼吸を始めたように静かに輝き始めた。

 

「これは……!」

 

早苗が目を見開く。

神奈子も思わず笑い、諏訪子も小さく笑って声が重なった。

 

「「繋がった!」」

 

悪霊も異変に気付いた。

 

 

俺は早苗を見た。

早苗もその視線だけで全てを理解したように小さく頷いた。

 

「護くん」

 

「ああ」

 

「お願いします」

 

「風を…!」

 

早苗はゆっくりと胸の前でお祓い棒を持ち構える。

 

「この地を吹き抜ける風よ。人を守る想いを運び、陣へ」

 

祈りにも似たその声に応えるように境内の木々が大きく揺れた。

 

一陣の風が吹く。

それは荒々しく吹き荒れる嵐ではない。

守矢神社を包み込むような澄んだ風だ。

風に乗った紙吹雪は陣の上を円を描くように舞い始める。

 

一枚、また一枚と光を帯びてまるで白い鳥の群れが夜空を旋回しているようだった。

悪霊は後ずさる。

だがその時にはもう遅かった。

風に乗った紙吹雪は悪霊を逃がさぬよう静かに包囲を狭め始める。

俺はゆっくりと立ち上がり悪霊を真っ直ぐ見据えた。

 

「もう逃げ場はない」

 

夜風はさらに強く吹き白い紙吹雪が悪霊の周囲を静かに巡り続けていた。

決着の時はすぐそばだ。

悪霊はゆっくりと後ろへ下がる 。

その黒い瞳は初めて恐怖という感情を宿していた。

白い紙吹雪は夜風に乗って静かに舞い続けるだけのように見える。

だが悪霊だけは理解していた。

あの紙一枚一枚が自分を滅ぼす刃へ変わろうとしていることを。

 

「オノレ……」

 

悪霊は低く唸りながら両腕を広げる。

黒い瘴気が全身から噴き出し境内の石畳を這うように広がっていく。

夜空までも飲み込もうとするほどの黒い霧だった。

 

「護くん!」

 

「ああ、見えてるよ!」

 

俺は一歩も動かない。

ここで動けば陣は完成しない。

祖父が蔵で陣を描いていた姿が脳裏に浮かぶ。

術は相手を恐れて乱した瞬間に崩れる。

 

最後まで信じろ。

その言葉だけを胸に刻み込む

悪霊は獣のような叫び声を上げると一直線にこちらへ飛び込んできた。

 

「シネエエエエエ!」

 

黒い瘴気が境内を覆う。

 

「今です護くん!」

 

早苗の澄んだ声が夜空へ響く

 

風が吹く。

守矢神社の境内を包む風は一瞬にして強さを増し白い紙吹雪を高く巻き上げた。

俺は静かに右手を前へ突き出す。

 

「祓え」

 

その一言だけだった

陣が眩く光る。

地面へ描かれた一本一本の線が白く輝き円の上へ舞っていた紙吹雪が一斉に光を宿す。

白い紙片は風に乗り無数の光の刃となって悪霊へ襲い掛かった。

 

悪霊は声を上げ腕を振るい瘴気で迎え撃とうとする。

だが紙吹雪は止まらない。

 

一枚が肩を裂き、一枚が腕を貫き、一枚が胸を切り裂く。

風が吹くたびに新たな刃が生まれ悪霊の身体は少しずつ崩れていく。

 

「アリエナイ……」

 

悪霊は叫ぶ。

 

「コンナノアリエナイ!お前のような半端者が!お前のような…!」

 

悪霊の言葉がしっかり聞こえた。

俺は静かに首を振る。

 

「そうかもしれないな…でも俺は一人じゃないからな」

 

悪霊の背後からさらに強い風が吹き抜ける。

早苗だった。

お祓い棒を胸の前で持ち真っ直ぐ悪霊を見る。

 

「風よ人を守るために」

 

その祈りに応えるように風はさらに力を増した。

紙吹雪は鎌鼬のように悪霊の周囲を高速で巡り白い旋風となって包み込んでいく。

悪霊は何度も外へ飛び出そうとするが陣の外へ出ようとした瞬間に光を帯びた紙吹雪が壁のように立ちはだか 再び中心へ押し返される

 

「嫌だ……」

 

その声は先ほどまでの威圧的なものではなかった。

怯えた人間そのものの声だった

 

「消えたくない……」

 

「人を呪い続けたお前はもう止まれなくなっていた」

 

俺は静かに言う。

 

「だからここで終わらせるんだ」

 

右手を強く握る。

 

「封じろ」

 

陣が最後の輝きを放つ。

大きい風音と共に白い紙吹雪が一斉に悪霊へ収束する。

境内いっぱいに白い光が広がる。

 

悪霊の身体は黒い煙となって崩れ始める。

やがて細かな塵となって夜空へ溶けていった。

 

風が止んだ。

光も静かに消えた。

空から降ってきた紙吹雪はもう刃ではなかった。

ただの白い紙がゆっくりと境内へ舞い落ちる。

 

まるで雪のようだった。

夏なのにな。

 

そして夜の静けさが戻ってくる。

 

俺は大きく息を吐いた。

 

「終わったな」

 

隣を見ると早苗も額の汗をぬぐいながら柔らかく笑っていた

 

「はい。 無事に終わりましたね」

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