風の祝が奇跡を運んでくれることを   作:ミスブルー

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その2の肝試し

俺は耳を澄ませたまま、その足音だけに意識を集中させる。

カツン、カツンと規則正しく響く音は妙なことに近付いてくるようでもあり遠ざかっていくようでもあった。

 

普通なら足音というものは廊下の形や壁への反響で位置がおおよそ分かる。

でもこの音だけは違う。

校舎全体から聞こえてくるようなそれでいて耳元でも鳴っているような不思議な響き方をしていた。

 

早苗も同じように耳を澄ませている。

 

「……こんな音、前にもありましたか」

 

「いや」

 

俺は静かに首を横へ振る。

 

「四番目の階段の時とも違う。あの時はもっと重かった。悪意もあった。でもこれは……」

 

言葉が続かなかった。

悪意がない。

それは間違いない。

しかし安心できるとも言えなかった。

そこが一番気味が悪かった。

 

小さな妖怪達は柱の陰へさらに身を寄せ合っている。

一匹などは耳を塞ぐように頭を抱え、小刻みに震えていた。

 

「怖いのか」

 

俺が尋ねると一匹がこくりと頷く。

 

「怒られる。」

 

「夜は歩いちゃだめって。」

 

「見つかる。」

 

「見回りだから。」

 

その言葉に俺は少しだけ考え込む。

 

見回り。

 

さっきからその言葉ばかりだ。

 

「見回りって誰なんだよ」

 

三匹は顔を見合わせた。

 

「知らない。」

 

「ずっと前からいる。」

 

「僕たちが生まれる前から。」

 

「夜になると歩く。」

 

「朝になるといなくなる。」

 

俺は思わず息を呑んだ。 

妖怪というものは人間よりずっと長く生きるものも少なくない。

その小さな妖怪達ですら「生まれる前からいた」と言う存在なら、この学校が建った頃からいるのかもしれない。

 

その時だった。

 

「おーーーい!」

 

遠くから男子の声が聞こえてきた。

 

「書本ーー!」

 

「東風谷さーん!」

 

俺達は同時に顔を上げた。

どうやら先へ進んでいたペアが角を曲がったところからこちらへ手を振っているらしい。

 

「まだそこかー!」

 

「早く来いよー!」

 

「全然怖くねぇぞ!」

 

笑いながらこちらへ叫んでいる。

その瞬間、小さな妖怪達が一斉に青ざめた。

 

「だめ!」

 

「大きい声!」

 

「気付かれる!」

 

「静かに!」

 

俺は反射的に廊下の奥を見る。

 

カツン。

 

足音が止まった。

 

「……。」

 

空気が変わる。

さっきまで一定だった足音がぴたりと止まり校舎全体が静まり返る。

 

虫の声もない。 

風もない。

誰一人喋らない。

その静けさの中で遠くにいたクラスメートだけが状況を知らず笑っている。

 

「おーい!」

 

「何やってんだー!」

 

その瞬間足音が聞こえた。

今度の足音は明らかに違った。

さっきまで一定だった歩幅が変わる。

こちらへ向かって歩き始めた。

 

俺は思わず小さく舌打ちする。

 

「……まずいな」

 

早苗が俺を見る。

 

「護くん…」

 

「ああ」

 

俺はできるだけ平静を装いながら歩き出した。

 

「行こう」

 

「はい」

 

走らない。

慌てない。

こういう時ほど慌てる方が危ない。

俺達は普段通り廊下を歩き始める。

小さな妖怪達は俺達を見送るように何度も頭を下げていた。

 

「気を付けて。」

 

「怒られないで。」

 

「見つからないで。」

 

俺は軽く手を上げる。

 

「わかったわかった」

 

そう言って歩き始めると早苗が小さく笑った。

 

「護くんは妖怪さん達になんだか人気ですね」

 

「そんな祓い屋聞いたこともないけどなぁ…」

 

「でも皆さん護くんを見る目が優しいです」

 

「そうか?」

 

「はい」

 

少し考え早苗は微笑んだ。

 

「護くんは退治する時も相手のお話を聞こうとしますから」

 

俺は少し照れ臭くなって頭を掻いた。

 

「これは祖父の受け売りだけどな」

 

「おじい様の?」

 

俺は廊下を歩きながら昔のことを思い出す。

 

「『妖にも理由がある。それは人間も妖も変わらない』」

 

「……素敵な言葉です」

 

「全部が全部話の通じる相手じゃないけどな。でも最初から敵だと決めつけるのも違うよな」

 

早苗は何も言わなかった。

ただ嬉しそうに小さく笑っていた。

その笑顔を見ていると少しだけ緊張が和らぐ。

 

そんな時だった。

俺達は一年一組と一年二組の間にある掲示板の前まで歩いてきた。

昼間なら部活動のポスターや文化祭のお知らせが貼られている場所だ。

月明かりに照らされた掲示板を何気なく見た、その瞬間。

 

「……」

 

俺は立ち止まった。

 

「護くん?」

 

「なあ早苗」

 

「はい」

 

「今、あそこに誰か立ってなかったか」

 

早苗も掲示板を見る。

そこには誰もいない。

 

「……いえ、誰も」

 

「そうか」

 

俺の見間違いか。

そう思った瞬間だった。

ガラスに映った。

掲示板ではない。

掲示板を覆うガラスに、月明かりを背にして廊下をゆっくり歩く人影が映っていた。

 

制服ではない。

先生でもない。

帽子のようなものを被り長い上着をまとった後ろ姿。

こちらを見ることもなく、ただ静かに廊下を巡回するように歩いている。

 

だが奇妙なことにその姿はガラスには映っているのに、振り返った廊下には誰もいなかった。

 

早苗も息を呑む。

 

「護くん……」

 

「ああ……見えているよ」

 

ガラスの中だけを歩き続けるその人影は一度も足を止めることなく、まるで何十年もの間、夜になるたび同じ巡回を繰り返しているかのように静かに一年棟の暗い廊下の奥へと消えていった。

 

俺と早苗はしばらくその場から動けなかった。

掲示板のガラスにはもう何も映っていない。

 

あるのは俺達二人の姿と月明かりに照らされた静かな廊下だけだった。

 

「……消えましたね」

 

早苗が小さく呟く。

 

「ああ…」

 

俺はもう一度ガラスへ近付く。

指先でそっと触れてみる。

ひんやりとした感触が返ってくるだけで何か仕掛けがあるわけではない。

鏡のように俺達の姿を映し返しているだけだった。

 

「見間違い……ではありませんよね」

 

「俺も見たぞ」

 

「私も見ましたよ」

 

それだけで十分だった。

俺一人なら光の反射だったのかもしれないと考えたかもしれない。しかし早苗にも同じものが見えたのならあれは確かにそこにいた。

 

俺はもう一度、さっき人影が消えた方向へ目を向ける。

 

誰もいない静かな廊下。

月明かりに窓ガラス。

 

いつもと変わらない学校。

 

……いや。

 

違う。

 

昼間の学校は生徒達の声が校舎を満たしている。

 

友達と話す声と先生に注意される声。

 

机を引く音にチャイム。

 

笑い声や怒鳴り声。

その全てが校舎に命を与えている。

今は何もない。

静けさだけが校舎を支配していた。

だからこそ小さな音一つがやけに大きく聞こえる。

遠くで窓が僅かに軋む音。

どこかの教室で時計が時を刻む音。

蛍光灯の安定器が発する微かな唸り。

普段なら意識もしない音が夜になるとまるで校舎そのものが呼吸しているように聞こえてしまう。

 

「護くん」

 

「ん?」

 

「この学校……夜になるとこんなにも違うんですね」

 

早苗は廊下をゆっくり見渡していた。

 

「昼間は皆さんがいてとても明るい場所なのに」

 

「そうだな」

 

「今は建物だけが残っているみたいです」

 

その表現が妙にしっくりきた。

 

建物だけか。

確かにそうだった。

 

学校という場所は建物だけでは学校にならない。

そこへ通う生徒がいて、先生がいて、毎日の生活があるから学校になる。

夜になるとその"学校"は姿を消しただ大きな建物だけがそこへ残される。

そしてその空いた時間を埋めるように人ならざるもの達が静かに歩き始める。

 

「その…」

 

早苗が少し首を傾げる。

 

「さっきの方……悪い方には思えませんでした」

 

「俺もそう思う」

 

「でも皆さんとても怖がっていました」

 

俺は小さく頷く。

 

「悪意がなくても怖い存在はいるのかもな」

 

「……はい」

 

「例えば神奈子や諏訪子だって人間から見れば神様だろ。でも神様だからって誰でも気軽に近付けるわけじゃない」

 

「そうですね」

 

「力がある存在っていうのはそれだけで畏れられる」

 

早苗は静かにその言葉を噛み締めるように頷いた。

 

「だから小さな妖怪達もあの人を怖がっていたんですね」

 

「多分な」

 

俺はもう一度廊下の先を見る。

あの足音とあの人影。

不思議なことに恐怖よりも疑問の方が大きかった。

何をしている存在なんだろうか。

どうして夜だけ学校を歩いている。

何を見回っている。

その答えはまだ分からない。

 

「書本ー!」

 

突然、大きな声が静寂を破った。

俺達は顔を上げる。

少し先の曲がり角から男子二人が顔だけ出してこちらを見ていた。

 

「何してんだよ!」

 

「置いてくぞー!」

 

「早く来いって!」

 

相変わらず元気だ。

どうやら俺達が立ち止まっていたので待っていてくれたらしい。

 

「悪いな!」

 

俺は手を振り返した。

 

「今行く!」

 

男子二人は「おう!」と笑い、そのまま先へ歩いていった。

その声が聞こえなくなると再び校舎は静けさを取り戻す。

 

「皆さん、本当に楽しそうですね。」

 

早苗が少し嬉しそうに笑う。

 

「こういうのちょっと憧れてたんです」

 

「憧れ?」

 

「はい。憧れです」

 

少しだけ歩きながら続ける。

 

「夜に友達と集まって皆で遊ぶなんて……私、中学生の頃はありませんでしたから」

 

その言葉には寂しさはあった。

でもそれ以上に今を楽しんでいる気持ちが伝わってくる。

 

「だから今日は嬉しいんです」

 

「……そうか」

 

「皆さんが笑っていて、護くんもいて」

 

少しだけ照れたように笑う。

 

「すごく普通の高校生みたいです」

 

俺は思わず笑ってしまう。

 

「俺達、ちゃんと高校生なんだけどな」

 

「ふふっ、そうでした」

 

二人で笑い合う。

その笑い声は小さくそれでも静かな廊下にはよく響いた。

 

歩き始めると壁には文化祭の実行委員募集の紙、体育祭の写真、部活動の大会結果などが貼られている。

昼間なら何気なく通り過ぎる掲示物も、夜に見ると時間が止まったような感覚になる。

紙一枚一枚が昼間の賑わいを思い出させる一方で、今はそれを眺める者が誰もいない。

 

窓の外へ目を向けると月明かりに照らされた校庭が広がっていた。サッカーゴールも鉄棒も花壇も昼間の喧騒が嘘だったかのように静まり返っている。

風が吹くたび木々の葉が揺れてその影が地面をゆっくりと滑っていく。

 

そんな静かな景色を眺めながら歩いていると不意に俺は足を止めた。

 

「……」

 

「護くん?」

 

「聞こえるか」

 

早苗も立ち止まり耳を澄ませる。

最初は何も聞こえない。

だが数秒後、廊下のずっと先、曲がり角の向こうから微かに笑い声が聞こえてきた。

 

「きゃっ!」

 

「うわぁ!」

 

「なんだよ今の!」

 

クラスメート達の声だ。

 

しかしその笑い声の中に一つだけ混じっていた。

 

俺達のクラスにはいないはずの、幼い子どもの笑い声が。ほんの一瞬だけ「くすっ」と笑ったその声は、すぐに夜の校舎の静寂へ溶けるように消えていった。

 

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