夏休みが始まってからというもの、俺は守矢神社へ足を運ぶようになっている。
石段を上り、見慣れた鳥居をくぐると今日も境内には夏の蝉の声が降り注いでいる。
照りつける日差しに石畳は白く輝いて山から吹く風だけが少しだけ暑さを忘れさせてくれていた。
「お、来たか高校生」
「いらっしゃい」
境内で最初に出迎えてくれたのは神奈子と諏訪子だった。
「あぁ、こんにちは」
そう挨拶を返して社務所の方を見ると台所の方から聞き慣れた声がした。
「護くん、いらっしゃいませ。今日も来てくれてありがとうございます」
振り向いた早苗は笑顔だけ見せると、そのまままた台所へ戻っていく。
……あれ。
何か作ってるのか。
包丁の音と水を切る音が聞こえる。
「料理してるのか?」
そう呟くと神奈子が腕を組みながら笑った。
「今日の昼ごはんは冷やし中華だとさ、高校生」
「へぇ、冷やし中華か」
夏らしいな。
そう思っていると隣の諏訪子が少し首を傾げた。
「でも今日の早苗さ、寝覚めが悪かったっぽいんだよね」
「暑いからそういうこともあるさ」
神奈子はそれだけ言って笑う。
寝覚めが悪かった……か。
少し気になった俺はそのまま台所へ向かった。
中では早苗が麺を盛り付けて細切りにしたきゅうりや錦糸卵、ハム、トマトを彩りよく並べている。
冷たい器からはほんのり涼しさが伝わってきた。
「早苗」
「あ、護くん」
「手伝おうか?」
そう声を掛けると早苗は一瞬嬉しそうに笑ってからゆっくり首を横に振った。
「いえ、ありがとうございます。大丈夫ですよ。それに護くんはお客様ですから」
「でもさ、こう何度も来てると何か手伝いたくなるんだよ」
「お気持ちだけで十分ですよ。今日もゆっくり待っていてください」
「本当に?」
「はい」
笑顔のまま、はっきりと言われてしまう。
「分かった」
何を言っても譲る様子はないようだ。
結局俺はそのまま居間へ戻るしかなかった。
部屋へ入るなり諏訪子が笑う。
「その様子だと断られたなー?」
「断られたよ。待っててくれって」
俺は苦笑しながら座る。
「……そういえば寝覚めが悪かったって諏訪子言ってたな。早苗、嫌な夢でも見たのか?」
神奈子は少し考えるように空を見上げた。
「さすがに私ら神様でも早苗の夢の内容までは見えないからね。本人が話してくれるならそれでいいさ」
「それに嫌だった夢だーみたいなのがあっても起きたら内容は忘れることも多いよね」
諏訪子の言葉に俺も頷く。
確かに目が覚めた瞬間は覚えていても朝ご飯を食べる頃には何を見ていたのか思い出せなくなることがある。
「神奈子と諏訪子も夢を見るのか?」
「当然さ」
「当然だよ」
二柱は声を揃えて答えた。
「神様だから夢なんて見ないのかと思ってた」
「そんなことないさ。夢を見るのも眠るのも人も神も案外変わらないものだよ」
「むしろ変な夢を見て目が覚めることもあるしね」
「神様でもあるのか」
「あるある」
諏訪子は笑いながら何度も頷く。
そんな他愛のない話をしていると台所の方から器を運ぶ音が聞こえた。
「お待たせしました」
早苗が盆を持って居間へ入ってくる。
冷たいガラス皿に盛られた冷やし中華。
色鮮やかな錦糸卵。
細く切られたきゅうり。
赤いトマト。
ハム。
そして艶のある麺の上に涼しげなタレがかかっている。
見るだけで暑さを忘れそうになる一皿だった。
四人で席に着き、手を合わせる。
「「「「いただきます」」」」
冷たい麺を一口すする。
程よい酸味のタレが口いっぱいに広がり、ひんやりとした喉越しが心地いい。
「……あぁ」
思わず息が漏れる。
「夏の麺類と言ったらやっぱりこれかぁ」
そう呟くと早苗が少し照れたようにこちらを見る。
「お口に合いましたか?」
「うん。美味しいよ、いつもありがとう」
その一言に、早苗はほっとしたように微笑んだ。
「よかったです」
そのやり取りを見ていた神奈子が小さく笑った後に箸を止めて俺を見る。
「高校生、冷やし中華が好きなのかい?」
「え? そうだな。確かに好きな料理だよ。夏になると食べたくなるし」
すると諏訪子がすぐ口を挟む。
「わかってないな祓い屋〜。夏の麺類は素麺だよ」
「はは、それも確かにな」
「でしょ?」
「冷やし中華も捨て難いけどね」
「私はどっちも好きですよ」
早苗がくすっと笑う。
「結局それが一番平和な答えだな」
四人で笑い合う。
窓の外では蝉が鳴き続け山を渡る風が風鈴を静かに揺らしていた。
何か特別な事件が起きるわけでもない。
妖怪も怪異もない。
ただ美味しい昼ごはんを囲んで笑い合うだけの時間だ。
そんな何気ない一日が夏休みの思い出として静かに積み重なっていくのだった。